第86話 お好み焼き
「なん……とな……」
彩花さんが両手に大きなコテを持ったまま目を見開いて動きを止めている。ちなみにコテというのはお好み焼きをひっくり返す時に使う金物のことで、地域によってはヘラと呼ばれるところもあるとか。あとテコとか。
たこ焼きに舌鼓を打った後、僕達は難波まで電車で移動した。そしてお昼ご飯にとお好み焼き屋、風花へとやってきた。せっかくの旅行、名物料理が食べたいとみんなの意見が一致したので、湊さんが口コミサイトで見つけた評判の良いお店を探した結果、見つかったのがここだったのだ。
「あとは青のり、鰹節など、好きな調味料をかけてお召し上がり下さい」
店員さんが手際よく焼き上げたお好み焼きを、コテを上手に使って形を崩すことなくみんなの前に持って行く。
「ではごゆっくり」
一礼して店員さんがテーブルを離れた。大きな机に埋め込まれた大きな鉄板には八つの丸いお好み焼きとオム焼きそば。ジューと食欲をそそる音と、ソースの焼ける芳ばしい香りがあたりに立ちこめている。
「美味しそうだね」
「ああ。早く食おうぜ」
「やっぱり本場は厚みが違うわ。ねえ、葵。これどれからかければいいの? ソース? マヨネーズ? 鰹節はどれくらい?」
「好みでいいと思う。ソースは甘口と辛口があるみたいだから、好きな方を使って」
「楓、お好み焼きの食べ方分かるか? 鉄板で火傷するかもしれないし、アタシが食べやすいように切ってやろうか?」
「大丈夫。自分で出来るよ」
大阪名物のお好み焼き。その本場を前にしてみんなのテンションが上がる。それは僕も例外ではなく、ついさっきたこ焼きを食べたばかりで、しかもあまり好きではないはずのお好み焼きを前にして、こっそりお腹を鳴らしていた。遥に聞かれていないか心配だ。
「さ、食べましょうか」
「ち、ちょっと待って!」
綾音さんが音頭を取ろうとしたその時、両手にコテを持ったままの彩花さんが慌てた様子で制した。
「何よ、どうしたの?」
「お姉さん、早くしないと冷めちゃうわ」
綾音さん、そしていつもは彩花さんの味方の湊さんまでも批判的な視線を送る。うぐっとたじろぐ彩花さん。でも退かなかった。
「これ見てよ! せっかくコテ持って構えて待ってたのに。なにこれ!? 店員さんが焼くなんて聞いてないよ!?」
「アタシ達も聞かさせてないしな」
「ボクのお好み焼きテクを楓さんに披露しようと思ったのに!」
「そんなテクニック、お姉さんにあったの?」
「学園祭で鍛えたの!」
「あれってお好み焼きじゃなくて焼きそばだったような……」
「コ、コテ使ってたし、裏返す感じが一緒だから誤差だよ誤差! なんだよ葵までボクを責めて。綾音じゃあるまいし」
「なんであたしの名前が出て来るのよ」
……なんだかよく分からないけど、彩花さんはお好み焼きを焼きたかったらしい。それなのに注文してみれば店員さんがササッと焼き上げてしまったので、腕前を披露できなくなって不満みたいだ。
お好み焼きと言えば自分で焼くのが普通。店員さんが持ってきた具材を器の中で混ぜ、それを鉄板の上に広げて焼き、時間をおいて裏返し、さらに焼いてからソースやマヨネーズで味付けして出来上がり。その全てを自宅だろうがお店であろうが自分でやるのが僕達の街では普通だった。なのに、店員さんは具材を持ってくるとその場で焼きはじめたのだ。彩花さんに限らず、僕もみんなもそれを見て驚いた。ただし遥だけは至って冷静で、その理由が、
『アタシのじいさんばあさんがこっちに住んでるからな。良く来るから知ってたんだ』
とのこと。遥の家族の本宅もこっちにあり、僕達の街にある家は別宅らしい。さすがお金持ちはスケールが違う。
「お姉さん。今更駄々をこねても仕方ないわ。ほら、食べましょ?」
「別に駄々をこねてるわけじゃ……はいはい」
やっと大きなコテを下ろし、代わりに小さなコテを手に取る彩花さん。ふて腐れたままお好み焼きにコテを振り下ろした。
「楓も周りばかり見てないで食べろって」
「あ、うん……ってあれ。お好み焼きが切れてる」
「アタシが切った」
お好み焼きを頬張りながら遥が言った。いつの間に……。
「もう、自分で出来るって言ったのに」
文句を言いつつ、切り分けられた一切れをお皿に移し、さらにそれをお箸で小さく切り、ふーふーと息を吹きかけ、冷えてきたところで口に運ぶ。……うん。生地がふわふわと、キャベツがシャキシャキしてて美味しい。さすが本場のお好み焼き。僕が今まで食べてきた物とは別物だ。
「四条さん。食べ方が上品だな」
モグモグと口を動かしながら「そう?」と声を出す代わりに首を傾げる。何故か西森君の顔が赤くなった。
「……康介。楓さんをガン見するなんて変態だよ」
「ばっ、ばか! ちげーよ! お好み焼きってのは鉄板から直にコテで切って食べるもんだと思ってたから、珍しいなと」
「ふーん。むしろボクはそういう食べ方を初めて聞いたけど。鉄板から直ってマナー的にどうなの? コテで食べるのって難しくない?」
彩花さんの手元を見ると、僕と同じように取り分けて食べていた。僕より一口が全然大きいけど。
「お好み焼きは上品に食べるもんじゃないから直でいいんだよ。こっちじゃそれが普通だ。鉄板で焼いたアツアツをそのまま食べるのが旨いんだ」
「へ~。そうなんだ。じゃあボクも」
彩花さんがお箸からコテに持ち替え、ぎこちない動きでお好み焼きをコテにのせる。そのまま齧り付くのかと思いきや、眼前でコテを止め、遥に視線を向けた。
「コテ、熱くない?」
「鉄板の端の温度は低めだから、数秒くっつけただけじゃ熱くならないって」
「なるほど……。ではっ」
彩花さんがお好み焼きを頬張る。一切れを一口でいったから、頬がリスみたいになってる。
「……ふむ。よく分からないけど、たしかに美味しいかも」
「だろ?」
遥が得意気だ。
「楓さんもやってみてよ。美味しいよ」
「あー。楓は駄目だ」
僕より先に遥が答える。
「どうして?」
彩花さんが怪訝な顔をして僕を見る。何故か他のみんなからも見つめられるなか、僕は苦笑して肩を竦めた。
「僕、猫舌なんだ」
熱いものを食べるとすぐ舌が火傷する。それが猫舌というもので、熱々に焼き上がったお好み焼きをそのまま冷ますことなく、鉄板から直接食べてしまうと、お好み焼きの熱さで簡単に火傷してしまうのだ。猫舌の人は食べるときの舌の位置が悪いとネットで見たことがあるけど、その対策として載せられていた方法を実践しても、やっぱり熱いものは熱かった。僕の場合の猫舌は食べ方が下手、というわけではないらしい。困ったものだ。
「猫舌……かわいい」
ぽつりと彩花さんが呟いた。何を想像したんだろう。猫舌ってかわいいというものじゃないし。むしろ頬をリスみたいに膨らませている彩花さんの方がかわいいと思う。
お好み焼きにふーっと息を吹きかけては少しずつ口に運ぶ。僕の口だと彩花さんみたいには食べられない。でも、僕と同じくらい遅い葵さんがいるから、急ぐことはない。ゆっくりと食べ進めていく。こういうとき、食べる早さが一緒の人がいると本当に心強い。
「さて、オムそばの方はどうかしら」
既に半分ほどお好み焼きを平らげた綾音さんが小皿に分けたオムそばをズルズルと豪快に啜る。学食でもそうだけど、綾音さんも遥ほどではないにしろ、意外と豪快にものを食べる。ただ、遥の場合は出された料理や雰囲気に合わせてマナーを守った食事の仕方ができるのに対して、綾音さんは……なんというか、いつも運動部という感じだ。そのあたりはさすが桜花に通っていた遥、というところだろうか。
綾音さんにはそのうち、食事のマナーを教えておいた方がいいのかもしれない。学園の理事長の娘だというのならなおさらだ。まあ、僕達がしなくても葵さんが何とかしてくれそうだけど。食事をしているとき、時々葵さんが綾音さんを見て困ったような表情をしていることを僕は知っている。
「オムそばも美味しいわ。玉子なんているのかと思ったけど、なかなかどうして、合うじゃない」
「誰が考えたんだろうね」
スパゲッティのように音を立てずスルスルと啜る葵さん。湊さんは啜らずお箸で麺を挟んでは口まで持っていく。こっちの二人はまさに女の子という感じだ。
「なんで地元にはないんだろうな」
「そもそもお好み焼き屋自体がないからなあ。あっても大抵美味しくないし」
「片手間に始めましたっていうお店が多いよね。喫茶店とか居酒屋とか」
西森君と蓮君は鉄板からそのままズルズルと啜っている。そのままってどうなんだろう、と思ったけどお好み焼きをコテで切って食べるのと同じと考えれば悪くないか。僕は冷ますために小皿に取るけど。
みんなの食べ方を見ていると性格が出ているなと思う。見ていて楽しい。あとは彩花さんだ。彩花さんは……
「んじゃ、ボクもオムそば食べよっと」
まずはお箸に持ち替えて――と思って見ていたら、なんと彩花さんは持っていたコテをそのままオムそばに振り下ろした。オムそばを真っ二つに切った後、さらにそれを数回繰り返して切り分けると、そのうちの一つをコテに乗せて、お好み焼きと同じようにして食べたのだ。
「もぐ……おいひい」
やっぱり一口が大きくて、またリスみたいになった。
「……今のはありなのか?」
「アタシにも分からん」
西森君の問いかけに、遥は首を横に振った。