第二章 失敗作品.4
時計の針は七時を指していた。
「こっちは上手くいったぞ。後は、本命だけだ」
青年は倉崎をアジトの奥に閉じ込め、今は外で『幻想卸し』と呼ばれる仲間と連絡を取っていた。
『よくやった。『不可視力』、怪我は無いか?』
青年、『不可視力』は笑みを浮かべる。
「正直、ラッキーパンチだったぜ。あいつが冷静になってれば、俺は今頃ミンチだな」
『黒嶺学園副会長、倉崎リオ。奴はその精神面からランク『A』判定を受けているようなものらしいからな。スキルとしては『S』だろう。だから、精神を揺さぶれば勝機は見えると踏んだ』
「まあ、済んだ事はどうでもいい。んで、アンタはちゃんとやれんのか?」
一度言葉を切り、青年は重みを持たせて言う。
「『空全絶護』、朝井愛葉を倒すなんて」
「当たり前だ。俺を誰だと思っている?」
無線機越しでも解る、自信を持った声で『幻想卸し』は『不可視力』へと言葉を送った。
「朝井のスキルは恐ろしい。だが、恐ろしいのは朝井のスキルだけだ。朝井自身ではない」
『そーかよ。んじゃ、俺もすぐそっちに行くわ』
「待っているぞ」
通信の切れる音を聞き、『幻想卸し』は無線機を外した。
彼の前にはスクリーンがあり、そこには二人の人影が映っている。
その映像を撮っているのは、黒嶺学園の制服を着た一人の少女。
そして、写っているのも黒嶺学園の制服を着た少女、それと黒髪の少年。
「ファーストには犠牲に、本命には礎になってもらおう」
☆ ☆ ☆
「うーん、結局大したことわからなかったわね」
愛葉は背伸びをし、長い金髪が夜の闇に舞った。
「どうもすいませんね。俺は生憎誰にも求められない人間でしてね」
皮肉気に言ったナインは首の後ろで手を組んでいる。
時刻は七時。すっかり夜となった街は、街灯のイルミネーションで綺麗に彩られている。
「……………」
「……………」
そんな中、二人は無言で歩いていた。愛葉がナインの少し前を歩いていると言うか、ナインがそれに付いて歩いているというか。
「……あー、えっと、ちょっと聞いて良い?」
沈黙に耐え兼ねたのか、愛葉は振り返り、ナインを指す。
「ん? 別にいいけど?」
特にこの状態に居心地の悪さを感じなかったナインは、どうでもよさそうに返事をした。
一人真面目になっている自分がなんだか恥ずかしくなってしまう愛葉。
「……えっと、なんでアンタは私に付いて来るの? いつもはこの時間帯になったら瞬間移動かなんかで消えてるでしょ? なんで今日はいるの?」
「あれ? 本当に言いたい事とか無いのか? それなら俺、帰るけど」
てっきりまだ何かあると思ってたけど、とナインは言う。
「うう……、何にも無いわよ!」
何ともコメントしにくい呻き声を上げた愛葉は、最後は怒鳴るように言った。
「本当か? そりゃありがたい。ちょっと用事を思い出したからさ、俺はこれで帰らせてもらうわ。ごちそうさん!」
そう言うと、ナインはくるりと踵を返して走り出した。
「えっ! ちょ——」
用事はないと言うのに、愛葉はどうしてかナインを呼び止めようとしてしまった。いや、本当は言うべき事があったのだ。
愛葉の声に合わせるように、走り出していたナインが止まった。
「——ぁ」
しかし、落ちていた木の棒を拾うとナインは再び走り出してしまった。
結局、愛葉は何も言えなかった。
☆ ☆ ☆
愛葉とナインがいたファミレスから少し離れた木陰に、その少女はいた。
「ファーストと本命、別行動を始めたけどどうするのよ?」
黒嶺学園の制服を着た少女、『写撮許可』は無線機越しに『幻想卸し』に尋ねる。
『本命の方を追え。ファーストの方は別に構わん』
「了解、ってあの女追うの疲れるんだけど」
『準備が整い次第、こちらから接触を仕掛ける。それまでの辛抱だ』
「はいはい、解りました」
『写撮許可』はにんまりと笑みを浮かべ、風に流すように言葉を呟いた。
「謝肉祭はもう始まっているのよ、朝井愛葉」
☆ ☆ ☆
時刻は八時。
ナインがいるのは、もはや廃屋と言っても差し支えないような建物だ。二階建ての一般家屋だが、壁は黒く煤けており、扉は開けようとすれば軋む。
ナインは当然のように土足で入り込み、そして奥へと進む。
「なんだ、君か」
家の一番奥にあるドアを開けると、そこには大きな部屋が広がっており、いつものように一人の男が椅子に座っていた。
その部屋は膨大な数のパソコンで埋め尽くされている。
機種、サイズ、スペック、必ずどこかが違う様々なパソコンを起動させ、そのディスプレイだけで照らされたこの部屋は、さながら潜水艦の中のようだった。
「俺以外にも客人なんて来るのか?」
ナインは驚く事もせず、その男に話しかける。
男は黒くボロボロになった年代物のローブに身を包み、ファンシーな髑髏の面を顔の横に付けていた。病的なまでに白い肌、濃いグレーの髪が特徴的だ。一見すれば女の子にも見えなくもない顔立ちだが、本人はそれを酷く嫌っている。
しかし相変わらず趣味が悪い、とナインは思った。
「人喰いジョーズの亡霊さん」
☆ ☆ ☆
同時刻。
愛葉は夜の街を歩き回っていた。
「……リオ、遅いわね」
ナインの情報を調べに行かせた倉崎を気にしながら、愛葉は人気の無い場所を選んで歩いていた。誘拐か殺人が行なわれるならば、人気の無い路地だろうという思考が働いたためだ。
何度かチャラい男達に声を掛けられたが、愛葉が『空全絶護』だと知ると男達はさっさと逃げ出した。命を危険に曝してまで獲たいと言う程の魅力が無いのかもしれないし、相手が単に賢いだけかもしれなかった。
しかし、これでも花の乙女、少々傷ついていたりする。
(私ってそんなに魅力が無いのかしら? 暴力的、って言われたことはあるけど——いかんいかん、今は行方不明になった生徒の捜索兼犯人逮捕に集中すべきだ)
緩みかけていた気を張り直し、今日こそ犯人を逮捕しようと意気込んだ愛葉だったが。
「会長! 朝井会長!」
不意に背後から呼び止められ、愛葉は気構えて振り返った。
「た、大変です! 副会長が!」
そこにいたのは、同じ黒嶺学園の女生徒だった。
白河という二年の生徒に連れられて来たのは、カラオケだった。
白河は数日前から行方不明になっていた生徒の一人だった。
彼女が言うには、数日前、突然一人の男に襲われて気絶し、どこかに監禁されていたという。
倉崎も同様に襲われたらしく、監禁されたらしい。
そして、自分を助け出してくれた人が、自分ではこれ以上助ける事が無理なので、相談したいと言う。
その話し合いの場がこのカラオケだといった。
ここなら学生がどれほど集まろうが怪しまれにくい、との話だった。
「ああ、君が朝井会長か。初めまして、俺は霧道鏡介という」
霧道と名乗った男は、ナインと同い年くらいの好青年だった。
「さっそくだけど、彼女も君の学校の生徒だよね?」
そう言って霧道が扉の外にいた少女を招き入れた。
「春日さん!?」
春日と呼ばれた少女は、全身に小さなかすり傷を負ってはいたが大きな怪我は無く、はい、と力強く答えた。
しかし、彼女は行方不明になっていないはずであった。
「彼女はちょうど俺がそのアジトの近くを歩いている時連行されていたんだ。で、俺が助けて、中に突入して近くに捕われていたこの子を助けたのは良かったんだが……」
次第に声が小さくなる霧道。その後を白河が引き継いだ。
「どうやらこの行方不明事件、複数犯、もしくは組織が動いてるみたいなんです。まだ何人か捕まっているみたいなんで、そいつらが動く前に助けられませんか?」
「……大体理解したわ」
愛葉は頷き、霧道に向かって頭を下げる。
「我が校の生徒を助けていただき、本当にありがとうございます」
「いやいや、……俺が不用意に突っ込んだりしなければ、ちゃんと全員助け出せた。すまない」
霧道は申し訳ないと頭を下げる。
「いえ、あなたのおかげで犯人達のアジトは突き止めているも同然でしょう。今からでもまだ間に合うと思います」
と、二人の会話に春日が割り込んだ。
「あの……会長。私のスキル『写撮許可』で犯人が記録されているので、……見てください」
「本当? 助かるわ。ありがとうね」
いえ、その……、と春日は俯く。言いにくそうに春日は付け足した。
「ただ、その、酷い暴力だったので……」
「あっ、ごめんなさい。無理はしなくていいから、ね?」
はい……と気弱に春日は呟いた。
『写撮許可』
それは自分の見た物を他の物に投影する能力。黒嶺学園では珍しい(というのも、戦闘向けのスキルとその能力の開発が盛んなため)、非戦闘諜報員用スキルの一つだ。
春日は部屋の壁に、その映像を投影した。
一人の男が、倉崎を殴りつけていた。
地下室のような場所で、その暴行は働かれていた。
倉崎は両手を天井から伸びた鎖で繋がれていた。
また腹部に血が滲んでいる事から見て、『腕打振』は発動出来ていないのだろう。
基本的にどんなスキルを発動するにも、脳を酷使する必要がある。意識の朦朧とした中ではスキルを使う事は出来ないという事だ。
目の焦点が合っておらず、口から血が滴り落ちている。
男が蹴って、倉崎が身を仰け反らせて、男が殴りつけて、倉崎は呻いて。
今にも呻き声が聞こえてきそうな映像だった。幸いと言うか、『写撮許可』は音声を再現出来ない。しかし、その暴力映像は、目を背けたくなるような物だった。
魔力による攻撃を軽減する黒嶺学園の制服は、度重なる暴力であちこちが擦り切れてはいるが、大きな欠損は見えない。
しかし、顔面に刻まれた青黒い内出血から、その服の下が見えないだけで酷い事になっているのは理解出来た。
見えない分だけ、躊躇無く攻撃を加えられているようにも見えた。
一方的に片方が傷つけられる。抵抗する事は出来ない。自分を守ることも出来ない。
映像は、男が倉崎の腹を強く蹴りつけ、倉崎の体が鎖を張ったところで、倉崎が気絶した時点で途切れた。
映像が途切れたとき、しっかりとそれに目を向けていたのは愛葉一人だった。その愛葉も、体が震えていた。
霧道は愛葉の横顔を見ていたし、春日はスキル発動の集中をするために目を閉じていた。白河はその映像から目を背けていた。
「……どうする?」
霧道は愛葉に尋ねた。
「警察に連絡、は出来ないんだったか? 黒嶺学園が情報操作しているからな。そんな事をすれば、君は退学では済まないだろう」
「…………………」
面目を何よりも重んじている黒嶺学園。それははっきり言って異常なレベルだった。
しばし沈黙が流れ、そして愛葉は言った。
その声は、酷く冷静だった。
「霧道さん。……このアジトの場所を教えてくれませんか?」
「良いが、もしかして一人で行くつもりか? 危険だ……とは言わないが、大丈夫か?」
「ええ、大丈夫です。これは、私一人で決着をつけたいんです」
霧道はしばし愛葉の顔を見つめていたが、了解だと頷いた。
「白河さん。ちょっといい?」
「……なんでしょうか、会長」
不意に白河に話しかけた愛葉は、白河を部屋の外へ連れ出し、こう聞いた。
「あの映像の男、本当にあなたを襲った男だった?」
白河はビクッと体を震えさせ、恐る恐る答えた。
「……そうです。間違えようも無いです」
「……………そっか。変なこと聞いて御免ね」
そして二人は再び部屋に戻った。
その後、白河は気分が優れないと言い、この事件の口止めを約束してから自宅へと帰った。春日と霧道はアジト突入で疲れたのでしばらく休んでから帰ると言った。勿論、口止めを了承した。
そして愛葉は、一人霧道に教えられたアジトへと向かっていた。
映像で倉崎に暴行をしていた男に復讐するために。
映像で倉崎に暴行をしていた男、ナインに復讐するために。
☆ ☆ ☆
「あの女、簡単に騙されたね」
春日は小さく笑みを受けベていた。
「簡単ではないさ。一人は真実を語っていたのだからな。俺達だけでこの話をすれば信じられなかったかもしれないが、本当の被害者がいたのでは話は違う」
霧道は無表情でそれに答えた。
「おまけに証言は本当の事を言ってるからね。私達の事は少し疑ってたみたいだけど、あの白河って子は信じてたみたいだし」
無言で頷き、霧道は言った。
「暴行を行なったのをファーストだと誤解させる。
『幻想卸し』の名は轟かない。故に意味がある」
「あの子には『不可視力』がやってるように見えて、本命にはファーストがやってるように見える」
「犯人が自分の知り合いであるなら、それを知られないように尋ねるだろう。間違ってアイツなどと馴れ馴れしく呼べば、自分の信頼性も疑われるだろうからな」
「結果として、違いに気付かなかった。……でも、もしバレた場合はどうするつもりだったの?」
「それはそれとして策はある。出来れば披露する機会は訪れない事を願うがな」
霧道は立ち上がり、カラオケを出る。
「準備はいいか?」
カラオケの外で待っていた『不可視力』に声をかける。
「あぁー。アンタこそ、本当に大丈夫か? 『幻想卸し』」
無論だ、そう言って霧道、『幻想卸し』は決戦の地へと向かった。
☆ ☆ ☆
ナインは単刀直入に話を切り出した。
「ジョーズ。いま巷では、人喰いジョーズの噂がされてるんだが、知ってたか?」
「勿論。俺を殺した奴も焦って情報収集していたよ。復活なんてあり得ない、だが奴ならしかねない——そんな台詞が聞こえそうだった」
亡霊のジョークに、笑えば良いのかどうなのか解らないナインはスルーする事にした。
「で、当然どういう事なのか知ってるだろ?」
「勿論。俺の過去以上に血生臭い話だが、聞くか?」
そりゃ遠慮するとナインは断り、ジョーズは当然だろうな、とパソコンの一つを操作した。
「それなら真相は教えない事にしよう。求めている情報はコレだろう?」
そう言って、パソコンのディスプレイに表示されている情報を印刷し、ナインに手渡す。
「今回は俺の目的とは関係ないんでな、悪いが行動けない。俺もしかるべき時まで、ひっそりと根を伸ばしていたいんだ」
「この地図だけで十分だ。感謝する、ジョーズ」
「そんな感謝、要らないな。本当なら俺も一緒に行く話だからな。罵倒してくれて結構だ」
「じゃあ、たまには家の掃除くらいしろ」
「そうだな。そうするよ」
ナインの冗談半分の台詞を本気で気にしたのか、ジョーズは掃除機を探し出す。
呆れた顔でそれを見ながら、ナインはその廃屋から出た。
『人喰いジョーズは死んだ』
そう愛葉には伝えていたが、それはある意味本当のことで、別の意味では嘘。
しかしそれは彼女達には関係ない話である。
「……さて、どうすっかな」
地図には二つの場所が記されていた。
しばらくシリアス回になりそうです。