第二章 失敗作品.7
「あれ?」
『脱出魔法』(建物、洞窟内からその入り口へとワープする魔法。魔法が解析されていない現代、例え牢屋だろうが密室だろうが無視出来る。完全犯罪、脱獄のお供)を使って元研究所から出たナインは、目の前にいる人物の意外性に声を上げてしまった。
「ジョーズ。お前、来れないんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだが、思ったより自体が深刻化したんでな」
その人物、人喰いジョーズの亡霊と名乗る男は、軽く会釈してナインの前に立った。
「……なんか嫌な予感は薄々してたけど、まずいのか?」
「まずいな。黒嶺学園が情報規制をしているから、今はそれほど騒ぎが起こっていないがな」
「………………」
「さて、時間が無いので手短いに言うぞ? 俺には出来ないことだから、お前がやれ。一度しか使えないぞ」
そう言って、ジョーズはナインにそれを渡した。
それは、鋭い銀色の光を放つ小さな鎌だった。
「お前の瞬間移動なら、まだ間に合うだろう。救ってこい」
それだけ言うと、ジョーズは踵を返し、その場から立ち去った。
急いでいるように見えないのに、その姿はすぐにナインの視界から消えた。
「……………」
残されたのは、鎌を持ったナインだけだった。
溜息を吐き、神妙な顔でナインは天を仰いだ。
「世界が何も変わってないのか、それとも、俺が何も変わってないのか……」
空はナインの重苦しい心情を嘲笑うかのような、綺麗な月夜だった。
「……あの頃と、何も変わってない」
☆ ☆ ☆
「初めまして、と言った方がいいか? 『幻想卸し』霧道鏡介」
霧道達はその声で立ち止まるのを余儀なくされた。
ジョーズは霧道の行く手を遮るように、ふらっと小道から現れた。
「……誰だ、お前は?」
霧道は睨むようにジョーズを見る。今は一刻も早く『不可視力』を治療しなければならないのだ。
こんな怪しい(黒いローブにファンシーな髑髏面)の男に止められている時間はないのだったが。
「……直接会ったのはこれが初めてだろうが、『精霊』と言えば解るだろう?」
ジョーズの放った言葉で霧道の体が、まるで自分の全てを見透かされたかのように、ビクッと震えた。
「……………なるほど。お前が、人喰いジョーズか」
「今はその亡霊だがな」
(よりにもよって、このタイミングでお前が出てくるか……)
冷や汗が頬を伝うのを肌で感じながら、強気に霧道はジョーズに問う。
「その亡霊が、一体俺に何の用だ」
「取引をしようと思ってな」
「取引?」
ジョーズは霧道に笑い掛け、頷く。
「そう。……知っての通り、俺は今自由に動けないんだ。だから、手足が欲しい」
「……それで俺達を、か」
「勿論、対価は君たちが起こしたこの事件の隠蔽。それと今後の生活の保証だ」
「随分と気前が良いな」
黒嶺学園というこの国の現最高戦力相手に喧嘩を売って、作戦が失敗して助かるとは思っていなかった、まして失敗作品と呼ばれ蔑まれて来た霧道には、今後の生活の保証程欲しい物など無い。
「お前だって知っただろ。この世界には救いなんて本当に少ない。だから、俺達がその救いになろう。それが、力を持った者のすべきことじゃないか? 『万物に憑く魂』の契約者」
霧道は黙り、そして二人の顔を見る。
『写撮許可』は先ほどからの会話の意味をほとんど掴めていないが、自分たちの未来が保証されるという事に関しては、驚きと喜びの狭間の表情を浮かべている。
『不可視力』は未だに目を覚まさない。止血だけは済ませているが、しっかりとした設備で診せた方が良いのは明白だった。
『幻想卸し』の答えは、決まっていた。
☆ ☆ ☆
「……なんだこりゃ」
ジョーズに渡された地図に記されていた場所へ来たナインの一言目だった。
人気の無い山道、その入り口。
そこは、柵に囲まれた異世界だった。
呼吸する事もできない世界が、そこには広がっていた。
空気に酸素は含まれていない。熱風と吹雪が入り交じり、大地が絶え間なく削られていた。
空気は凶器。大地と工場は被害者。
「……何やってんだよ」
それでは、その全ての中心にいる少女は、一体何者だと言うのだろう。
加害者だろうか?
それとも、被害者なのだろうか?
「愛葉!」
ナインの叫びは、愛葉には届かない。
唸る風がその声をかき消した。
「……くっそ!」
しばし握っていた鎌を見つめていたがナインは覚悟を決めて、異世界へと変わり果てた工場跡へと踏み込んだ。
瞬間、約3000あったHPが2000台前半まで減らされた。
「やば、忘れてた」
ナインは急いで『吐息系軽減魔法』を発動。
そして、愛葉の元へと駆け出した。
『吐息系軽減魔法』
攻撃性を持った熱と冷気に強くなれる魔法。どこかの異世界にいると言う龍族の吐く炎や吹雪に耐性が付くとか付かないとか。魔王戦などでもよく使われる。愛葉戦ではずっと使っていた。
だが、『吐息軽減魔法』でも酸素のない空間で生き抜く事を可能にするはずは無いのである。
現に、そんな魔法を彼は持ち合わせていない。
なぜ彼がこのような劣悪な環境で無事なのか。
それは、『RPG』のスキルを持っている、その時点で発揮される効果のおかげだった。
『RPG』
それはHPとMPを生み出す能力。そこに間違いは無い。
ただ、『RPG』のスキルは、発動しているかいないかに関わらず、保持者に一定の恩恵を与えている。それが、ナインを無酸素の空間で生かしているのだ。
『RPG』はお遊びの『プログラム』。ロールプレイングゲームをモデルに創られたスキル。
さて、ロールプレイングゲームに置いて、火山やら雪山などの王道のステージで、気温やら気圧、酸素の有無を気にしている作品はあるだろうか? あったとしても、それは他の大多数に埋もれるのではないだろうか。
マグマに触れればダメージを受ける。だが、ダメージを受けるだけで済んでいる。
『RPG』のスキルは、それを再現しているのだ。
『RPG』発動中以外でもそれは作用し、気温や気圧、酸素の枯渇などの目に見えない現象の大半は無効化処理される。
『RPG』の真の能力は、これであった。
☆ ☆ ☆
暗く何も見えない怖い世界。
響き渡る聞こえもしないはずの悲鳴絶叫怨嗟の声。
繰り返される暴力の数々が再生され、幾度と無く嬲られるリオの姿が脳裏に浮かび上がる。
そして、想像を絶する痛みによって、事切れる。
それを嘲笑う、一人の少年。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。
私の所為だ。
私が、リオを一人で帰したから。
私が、簡単にアイツを信用したからだ。
私が——悪いんだ。
ごめんなさい。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい。
私は、怖い。
私の所為だと言われるのが。
恨まれる事が、憎まれる事が、裏切られるのも、自分が裏切るのも怖い。
それは誰もが背負わなければならないことだ、今まではそう言い聞かせてきた。
生徒会長である自分はそれを他人より多く背負わねばならぬと、自負して来たつもりだった。
けど、もう無理だ。
私の所為で、リオは死んでしまったのだから。
もうどうでもいい。
何もかもが、どうでもいい。
沸き上がる負の感情を、私は抑えるのを止めた。
全て、壊れてしまえば良い。
これ以上苦しみたくない。
壊れてしまえ。
壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れろ壊れ——
ふと、誰かに呼ばれたような気がした。
聞き覚えのある声だった。何度も私を嘲笑った声だ。
それなのに、酷く懐かしい声だった。
まるで、今まで聞いていた声は偽物だったとでも言うように。
その声には、憎しみや軽蔑などなく、どこか暖かみを感じさせる声だった。
その暖かさが、全てを綺麗に拭ってくれた、そんな気がした。
自然と、頬を何かが伝った。
けれど、力の暴走は止まらない。
☆ ☆ ☆
「愛葉!」
熱風と凍てつく息吹、風刃と石片——それら全てを受けHPは激減したが、それでもナインは愛葉の元へと脚を止める事はしない。
止める事など、出来るはずも無かった。
聞こえぬはずの声に少女は振り返り、憎悪と困惑を見せた。
少女は泣いていてた。
(結局、何も変わりはしなかった。あの事件で俺が知った世界は、何も変わってはいない。この世界は犠牲があって、初めて成り立っていると言う事は)
HPが2000を切ったが、ナインは脚を止めない。
(世界にはたくさんの人がいて、優秀な人間は良い生活を送る。才能の無い人間は、使い捨ての穴埋め品だ。ランクなんて物がなかったとしても、それはきっと同じだろう。壊れた物は治さず、新しい物を買うように、才能が無ければ捨てられる)
HPが1000を下回ったが、愛葉との距離は近づいた。ナインはもうHPの残りを気にはしない。
(何かを得るためには、何かを失わなければならない。それは真理だろう。だけど、ランクを上げて良い生活を送るには、誰かのランクを下げなければならない。自分が強くなるには、誰かを殺さなければならない。そんなのは間違っている! 平等なんて望んじゃいない。ただ、誰かを犠牲にするのは間違っていると思うだけだ。……それは矛盾している、馬鹿だって思われるだろう。だけど!)
HPが0になり、ナインの体を壮絶な痛みが襲った。
自分の体から血飛沫が舞い、体が燃えるような痛み、凍えるような寒さを体感した。
だが。
愛葉の涙と、自分の血。
尊ぶべき物はどちらか、ナインには解っていた。
だから、ナインは叫ぶ。
自分の意志を通すために、自分にそれを言い聞かせるために。
少女にそれを知ってもらうために。
「目の前で誰かが犠牲になるのを、黙って見過ごせるかよっ!!」
ナインは鎌を振り上げ、そして愛葉を切り裂いた。
瞬間、それは少女を喰らった。
鎌は砕け散り、壮絶な痛みがナインの意識を奪った。
予定より一日早く更新出来ました。
あレ? 昨日まで週別ユニークが100未満だったのに、あレ?
次回は金曜日を予定しています。