第二章 失敗作品.5
時刻は九時。
霧道に教えてもらったアジトは、十年位前に潰れた工場跡だった。不景気で潰れた訳ではなく、それほど荒れてはいない。ちなみに、以前この工場で造られていたのは、人肉の缶詰だ。
愛葉が風を操り、工場を囲っていた柵を飛び越え工場内に入ると、ソイツはすぐに出迎えた。
「意外と遅かったな、朝井」
ボロい服を着た黒髪の少年、ナインはそう言った。
その顔には、今まで見た事も無い歪な笑顔が張り付いていた。
「……アンタ」
「いや、俺が早すぎるだけか? そっかそっか、お前には瞬間移動なんて出来ないもんな。悪かったわ。社会の頂点さん」
「…………アンタ、やけに饒舌じゃない?」
「そうか? まあ、そうかもな。しょうがないだろ? せっかく捕まえておいた奴には逃げられるし、新たに捕まえた奴にも逃げられるしな。全部バレちまったんだから、しょうがないだろ?」
ナインは肩を竦めてみせる。
愛葉の周りで風が渦巻いていた。
「しっかし、黒嶺学園ってのも案外しょぼいよな? まさか副会長まで簡単に捕まえられるとは思わなかったよ。イレギュラーさえなければ、もう少し集められたな」
「……集める?」
怪訝そうに尋ねる愛葉に、ナインは上機嫌で答えた。
「そうだ。収集、って奴だ」
「……何が目的よ」
ナインは笑って答えた。
「何って、そりゃ喰うためだよ」
何のためらいも無く出たその台詞に、愛葉は顔が強張るのを隠せなかった。
「知ってるか? 天才の脳みそを喰えば天才になれるって噂」
ナインは愛葉との間合いを計るように歩き出し、それでも喋る事を止めなかった。
「お前さ、なんで俺が強いか解るか?」
ナインは笑っていた。
その笑みは、狂気としか言い表せない笑みだった。
「結構美味かったぞ、人間の脳みそは」
愛葉は自分の周りで風が唸りを上げているのに気付かない。
「喰えば喰う程強くなってる実感があった。んでさ、朝井」
ナインが愛葉を見た。
その目は、獰猛な捕食者の物だった。
「お前の脳みそはどんな味だ?」
舌なめずりするナイン。そして、その手を愛葉に伸ばした。
「っ!!」
瞬間、愛葉の体が見えない力で吹き飛ばされた。
☆ ☆ ☆
それは偶然。
『写撮許可』、春日が『不可視力』が見逃した愛葉を探していた時だった。春日が街の中央にある広場付近を歩いていると、怒鳴り声と唸る風の音が聞こえてきた。
聞き覚えのある声だったのでその様子を見てみると、案の定、会長が。そして、一人の少年が戦っていた。
戦いは一方的に会長が責め立てているようだったが、しかしその光景を春日は訝しんだ。
愛葉のスキル、『空全絶護』の前では何人たりとも満足に行動する事は出来ない——それはもはや常識だった。酸素濃度から気温、さらには気圧などを変えられては、十分な生命活動をすることだって難しい。
それなのにその少年は平然と動き、そして攻撃を交わしていた。
「面白いな。どうやら、この少年には『空全絶護』が誇る特殊攻撃は効かないようだな。そして、それを理解している朝井も特殊攻撃は使っていないみたいだな」
その戦闘を見た『幻想卸し』はそう言い、計画を大きく変更させた。
『幻想卸し』
自分が直接見ている相手に幻術を掛ける能力。その幻術は、相手の過去の記憶から引き出された映像と術者の思考から生まれる。相手に見せる幻術が、相手の記憶とリンクすればする程その幻術のクオリティーは増す。まるっきり術者の想像でも、ある程度は騙す事の出来るスキルだ。
幻想は、幻術は、イメージを下げる。
その幻術は、本当のイメージをダウンさせる。
故にその名は、イメージダウン。
『幻想卸し』が計画した作戦は大まかにはこうだった。
この少年の幻想を見せ、『空全絶護』の特殊攻撃を使わせない。
『不可視力』がこっそりと近づき、魔力を散弾として発射する実験段階の兵器、『魔砲』を至近距離から放ち、正体不明の攻撃を演出する。
通常攻撃も元々避けている、もしくは受け止めている少年だから、幻想相手に攻撃して無意味でも、それがいつもみたいに少年には効いてないと勘違いする。
適度にいたぶった後——、最後の締めは以前の計画通りに。
『不可視力』
自分に触れている物体と自身を透明にする能力。日頃から使用に気をつけていれば、テレポートやサイコキネシスのように誤摩化す事もできる。
彼らにとって計画の成功は、自分の未来の可能性を得る事だった。
この『不可視力』と『幻想卸し』は一部の人間に、失敗作品と呼ばれる人間だ。
『写撮許可』にしても、今のままでは自分の未来が暗い事が解っていた。
彼らのこの行動は、社会に捨てられた人間達に再び希望を与える事だった。
失敗作品
それはスキルに重大な欠陥を持った者達に付けられるあだ名。自分の脳のスペックにまるで合っていないスキルを得て、それを無理矢理使おうとした結果、重大な欠陥が生まれた者。
彼らは欲した。
自分達のスキルを失わずに、脳のスペックを上げる手段を。
世界が認めたのは、欠陥を持たないスキル。認められない彼らは、認められたかった。
そして、彼らは人喰いになる事を選んだ。
天才の脳を喰えば天才になれる、それが本当かどうかわからない。
だが、試しもせずに、なれないなどと言えはしなかった。
例えなれなかったとしても、天才の脳を解析し、それに近づける事は可能だと思い、彼らは誘拐を始めた。
狂っていると言われようとも、失敗作品と呼ばれるよりはマシだと彼らは思った。
失敗作品にランクは無い。
能力者として約束される未来が、彼らには無い。
失う物は、何も無かった。
☆ ☆ ☆
「けほっ! げほっ!」
「おいおい、どうしたんだ朝井? いつもより元気ないんじゃないか?」
ナインは笑みを浮かべながら愛葉を見ていた。
(——おかしい! いつものアイツとは比べ物にならないくらい強い!)
数分程、一方的に愛葉が嬲られていた。
勿論、その攻撃は全て『空全絶護』の自動防御でガードしているが、それでも衝撃全てを殺す事は出来ていない。
それに愛葉は体力があまり無かった。元々あまり体力があるタイプではなかったのは、戦いを長期化させない『空全絶護』のスキルがそれを補ってくれていたからだ。
しかし、今回はそれが裏目に出た。
こちらの攻撃をどんなに放とうがまるで効かず、対してあちらの攻撃は不規則かつ見えない。これほどまでに一方的に攻撃されるのは初めてだった。
(いつもなら、アイツは逃げ回ってるだけで碌に攻撃に転じてこないのに——)
「おいおい、まさか今までのお遊びを俺の本気だとか思ってんじゃないだろうな?」
愛葉のその思考を読み取ったかのように、ナインは嘲笑う。
「まさか、そんなはず無いだろ? 裏では人攫いしてんだからな」
声も、姿も、まるで同じ奴なのに。
決定的にそれは違っていた。
だが、それを愛葉は認められなかった。
今までが全て演技で、これがこの男の本質なのではないのか——。
『悪い奴じゃないと思うけど』
自分で言った言葉を、愛葉は信じられなかった。
いや、信じたかったが、信じられなかったのだ。
映像に映っていたのは確かにナインで、暴行を働いていたのもそうだという証言を得た。
だから、愛葉には信じられなかった。
自分の学校の生徒の証言と、自分の今までの記憶を天秤にかけた時、傾いたのは生徒の方だったのだ。
もしここで気付いていれば、この事件の結末はまるっきり違うものになっただろう。
だが、そうはならなかった。
「いい感じに疲れてきたみたいだから、お休みがてらちょっくらムービーでも見せてやるよ」
そう言ってナインは指を鳴らした。
瞬間、工場になんらかの映像が映し出された。
「……これは、『写撮許可』?」
「その通り。あれ? まさかお前、俺がみすみす逃がしたとか思ってたのか? そりゃなんて言うか、残念な頭だな。ちゃんと回収してきた」
舌なめずりするナイン。呆然として動けない愛葉。
「んで、まあそんな事はどうでも良いんだ。ビックショーはこっからだから」
その台詞に合わせたかのように、工場に映し出された映像が動き出した。
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そこは地下室のような場所だった。
まるで、人体実験でも行なわれていたような部屋だった。
そこには一人の人間がいた。
その人物は台の上に乗せられており、鎖が両手両足に繋がれていた。
まるで、これから行なう事に抵抗されないようにするために。
その人物の顔には恐怖が張り付き、今にも気絶しそうな表情を浮かべている。
まるで、これから人外の行為に身を差し出さねばならないと知っているかのように。
その人物の上に影が被さり、瞳にはその人影の正体が映った。
そして、その瞳に映った人影、ナインはニッといやらしい笑みを浮かべ。
その人物の頭に噛り付いた。
映像が全面、朱で染められた。
まるで夥しい量の血液を浴びたように。
少し離れ、噛み付かれた人間がビクビクと痙攣しているのが映った。
死を間近に控えた生き物にしか見えない。
音声があれば、耳を覆いたくなるような絶叫が聞こえてきそうな口の開き方。
しばらくして、その人物は動かなくなった。
生気を抜かれたように、腕も、脚も、肌も、全てから色と力が失われて行く。
その生命活動が停止したのは、一目瞭然だった。
対照的に、床はなおも真っ赤に染まって行く。
そして、その首が切り取られた。
一際大きな赤い花が咲いた。
映像はそこで終わりを迎えた。
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もしも愛葉に冷静な分析力が残っていれば、いくつものおかしな点に気付いただろう。
この映像が、過去に見た映画のワンシーンに非常に似ていた事。
映像が流れている間、ナインの姿がどこにも無かった事。
だが、追い立てるように次々と起こった事件、そして展開が、愛葉の正常な判断力を奪っていた。
もしも『幻想卸し』がこの映像を愛葉に見せなければ、この事件の結末は変わっただろう。
だが、この映像は最初から作戦に仕組まれていたことで、ナインの存在があろうがなかろうが、愛葉に見せられた映像だった。
逆に言えば、この映像さえ真に迫る物であれば、この計画は成功だったのだ。
そのために何度も何度も参考となる映像を見て、脳内で再生した。
全てが幻術でありながら、本当に見て来た事件のように出来るように。
もしも愛葉が『幻想卸し』の作戦を見抜けていれば、この事件の結末は変わっただろう。
だが、それはあまりにも望みすぎな話であった。
もしも『幻想卸し』が、ランク『S』の意味をしっかりと理解しておけば——。
この事件は起きなかったかもしれない。
喰われていたその人物の正体は、倉崎リオだった。
☆ ☆ ☆
「おい! しっかりしろ! 『不可視力』!!」
『幻想卸し』は叫んでいた。
場所は工場から数百メートルほど離れた、工場を囲っていた柵の外——そこを『幻想卸し』は走っていた。
隣には顔面蒼白、歯をガチガチ言わせた『写撮許可』もいる。
そして、全身が血だらけになった『不可視力』が力なく、『幻想卸し』の肩に寄り掛かっていた。
それはまぎれも無く、敗走だった。
いや、それは得体の知らない絶対的な力からの逃走だろう。
「くそっ! 巫山戯るな!!」
『幻想卸し』は叫ばずにいられなかった。
一瞬、だった。
最も近くにいた『不可視力』は一瞬で切り刻まれ、そして吹き飛ばされた。
そこにあるもの全てを壊さんばかりに、その力は振るわれた。
工場と呼ばれた建物は灼熱の風に溶かされ、冷涼の息吹で再び固められ、鋭利な風刃によって切り刻まれ、峻烈な轟風によって吹き飛ばされ、かつての形は失われ、鉄屑と化しその敷地内の隅へと押しやられている。
大地は削り取られ、灼熱と冷涼の風が渦巻き、石片と風刃が飛び交う。更地に変えられ、空気が死んだ。酸素は霧散し、気圧は定まらない。
ランクが危険度を指しているものだと知っていれば、こんな事にはならなかったかもしれない。
ランク『S』、それは災害レベルという意味。
「このっ……化物め!」
ランク『S』、『空全絶護』。
朝井愛葉が暴走した。