寝ても、醒めても、転生しても、モブはモブ!!お願い!モブで大丈夫です!
私が前世の記憶を取り戻したのは、六歳の園遊会の最中だった。
色とりどりのドレスをまとった令嬢たち。絢爛豪華な料理。そして中央で一際強いオーラを放つ金髪の少女——乙女ゲーム『聖なる乙女と光の誓い』のヒロイン、アリア様。
(あ、ここ『聖光』の世界だ。そして私は……ゲーム本編に名前すら出てこない、背景Aの伯爵令嬢コレットだ)
理解した瞬間、前世の社畜人生で培った危機管理能力が全力で警鐘を鳴らした。
この世界はヤバい。何がヤバいって?メインキャラクターたちの周りでは死者こそ出ないものの、拉致、暗殺未遂、魔獣の襲来、果ては国家転覆の陰謀まで日常茶飯事で危険が発生する。攻略対象である第一王子や公爵家嫡男に近づくだけで、巻き込まれ事故で命がいくつあっても足りないのだ。俗に言う『名探偵コ〇ンの行くところ死体あり』ってのと同じ原理で、攻略対象のいくところ地震、雷、火事、魔獣だ。
「絶対に嫌。私は平穏に生きて、平穏に老いて、ふかふかの布団で眠って死ぬの!」
そう心に誓った私は、徹底的な『モブ化戦略』を開始した。
一、ドレスは派手すぎず地味すぎない、彩度の低いベージュか淡いグレーを選ぶ。
二、学園での席は常に教室の後方左端(窓際ではなく、影になる位置)。
三、視線を感じたら素早く気配を消し、壁の模様と同化する。そのためのカモフラージュ魔術は必須取得!!
この努力の甲斐あって、16歳で魔法学園に入学してからの二年間、私は完全なる無風状態を維持していた。メインキャラたちが「光の力」だの「闇の呪い」だのでドタバタ劇を繰り広げているのを、離れた物陰から「大変ですねぇ」と冷めた紅茶を飲みつつ眺める日々は最高で完璧である。
——のはずだったのに。
「……おい、そこのお前。いつからそこにいた?」
ある放課後。図書室の書庫の奥。埃っぽい本棚の隙間で読書を楽しんでいた私の前に、ぬっと影が落ちた。
見上げると、そこには漆黒の髪に氷のような青い瞳を持つ美青年——この国の冷徹なる第二王子、ルイス殿下が立っていた。ゲームでは「氷の孤高ルート」の攻略対象であり、関わった人間を物理的にも社会的にも凍らせることで有名なトラブルメーカーである。そう!トラブルメーカー!!触るな危険!だ!!
「申し訳ございません、殿下。私はただの埃でございますので、どうぞお気になさらず……」
「埃が喋るわけなかろう。……いや、待て。お前、さっきからずっとそこにいたのか? 俺がここで極秘の報告書を読んでいた間もか?」
まずい。気配を消しすぎて、殿下の密談(?)を特等席で盗み聞きした形になってしまった。
「いえ! 私は寝ておりました! 完全に熟睡しておりましたので、殿下の『隣国の裏取引に関する報告書』の内容など一言も耳に入っておりません!」
「……全部聞いているじゃないか」
ルイス殿下が額を押さえ、深いため息をつく。その瞳に、興味と警戒が混ざり合った怪しい光が宿るのを私は見逃さなかった。ダメだ、あの目は関わってはいけない。人間に向ける目じゃない。獲物を見つけた魔獣の目だ。
「お前、名を何という?」
「名乗るほどのものではございません! 道端の石コロとお呼びください!埃でも大丈夫です!」
「制服の胸章では学年しかわからんな。……面白い女だ」
「面白い女」いただきましたーーー!!
乙女ゲームにおける死のフラグ、トップ3に入る危険ワード「面白い女」!
「ち、違います殿下! 私は面白くありません! つまらない女です! 趣味は雑草の観察と、ぬるま湯に浸かることです! 何の変哲もないモブなのです!」
必死に叫ぶ私を他所に、ルイス殿下はフッと口元を緩めた。その美貌が無駄に輝いていて恐ろしい。
「影のように気配を消し、俺の警戒網をすり抜けたその手腕……見事だ。明日から俺の側近として働け。お前のその『隠密能力』が必要だ」
「恐らく気のせいです!! 私にはモブとして平穏に生きる権利があります!」
「王族の命を断る気か?」
「あ、大変です!胃が痛くなってきました!多分明日はお休みします!」
寝ても覚めても、転生してもモブはモブ!
お願いだから、私を平穏なモブのままでいさせてよーーーー!!
◇
(乙女ゲームのイベントなど知ったことか! 私の全力モブ生活を守るための逃走劇が、今始まる——!?)
◇
この二週間、私の日常はまさに静かなる極限の戦場(潜伏)だった。
「最近、学園のルールが妙に細かくなったわよね?」
「うん。『廊下は中央を歩くこと』とか『アンケートは全員提出必須』とか、意味あるのかな?」
休み時間、購買の列に並びながらクラスメイトたちが話しているのを聞き、私は背筋に冷や汗を流していた。
表向き捜索活動などはない。手配書も、風紀委員などを使った強化見回りすらない。
だが、ルイス殿下は「一般生徒に怪しまれない、ごく普通の学園業務」を腹黒く歪め、私をあぶり出す恐ろしい罠を仕掛けていたのだ。
一、『全員提出の意識調査アンケート』
「回答用紙の右上に、肉眼では見えない特殊な魔導インクで番号を印字。未提出者(=存在感がなさすぎて配られなかった私)を割り出し、クラスを特定する」
二、『廊下のワックスがけと中央歩行の徹底』
「すり足で壁際を歩く隠密行動をとっているだろうと予測し、それを逆手に取り、壁際にだけ『踏むと微小な光の粒が付着する魔導粉末』を撒く」
三、『魔法適性検査の抜き打ち実施』
「『全員参加』と偽りつつ、影属性・隠密適性の高い生徒だけをシステム上で自動抽出してリスト化する」
すべて「学園側の定期的な管理」という名目のため、他の生徒たちは誰も疑問に思っていない。
しかし、私にとっては学園全体が『見えない対コレット用レーザー網』に化けたようなものだった。
「くっ……! なんて腹黒い……! 自分の手は一切汚さず、学園のシステムそのものを自分の目として利用してくるなんて……!!」
だが、甘い。甘いですよ、殿下。
前世で満員電車と地獄の残業を生き抜き、現世で十年間『空気化』のトレーニングを積んだ私の隠密能力を舐めてもらっては困る。
・アンケート用紙は、隣の席の男子生徒が「あ、配り忘れてた?」と思う速さで気配を消したまま机から奪い取り、何食わぬ顔で提出。
・壁際の魔導粉末は、いつも認識阻害とカモフラージュ魔術で姿を消して普通に廊下のど真ん中を歩いているので問題なし。
・魔法適性検査は、魔力測定器の針を『一般平均のちょうど真ん中』で物理的に指で押さえて固定し、完全な凡人として偽装。
殿下が構築した完璧な腹黒包囲網の中を、私はことごとく潜り抜けてみせた。
殿下の側近たちが「殿下、すべての網に引っかかりません! 彼女は本当にこの学園に実在しているのでしょうか!?」と青ざめていようが関係ない。
こうして私は二週間、誰にも見つかることなく「完璧な空気」として過ごし、殿下の腹黒トラップを完封した……はずだった。
——そう、あの『究極の心理トラップ』さえなければ。
二週間の最終日。腹黒い罠を避け続け、心身ともに限界を迎えていた私は、誰も来ない旧校舎の裏庭にいた。
(ふぅ……さすがに疲れたわ。でも、そろそろ殿下も飽きてきたころなはず……)
ほっと息をついた私の視界に、ぽつんと置かれた小さな机があった。
その上には、一冊のノート。表紙にはこう書かれていた。
『モブとして平穏に過ごすための、おすすめの隠れスポット&完全気配遮断マニュアル(未完成)』
「……え?」
私の目が釘付けになった。
開かれていたページには、私が長年研究してきた隠密術の「あと一歩で完成する理論」が、恐ろしいほどの精度で考察されていたのだ。
(な、なにこれ……!? 私がずっと悩んでた『魔力感知を完全にゼロにする呼吸法』の答えが書いてある……!? 誰がこんな素晴らしいマニュアルを……!?)
モブとしての探求心と欲望に抗えず、吸い寄せられるようにノートを手に取り、夢中で読み進めてしまった。
「——ほう。やはり、その技術に反応するのはお前か」
カチャリ。
背後で、静かに扉が閉まる音がした。
ハッと振り返ると、そこには旧校舎の影から優雅に歩み出てくるルイス殿下がいた。その美貌には、冷酷でいて勝利を確信した腹黒い微笑みが浮かんでいる。
「で、ででで、殿下ぁ!? な、なぜここに!?」
「二週間……見事だったぞ、コレット・バートン。俺が張り巡らせた学園の管理システムも、魔導粉末も、アンケートの罠も、お前はすべて回避してみせた。……だがな」
殿下はゆっくりと私に近づき、逃げ道を塞ぐように壁に手をついた。
「な、な、なぜ名前を……?」
「俺は1度見た顔は忘れない。時間はかかったが、国内の令嬢の姿絵を全てチェックした。」
「ひぇ…なんて執着…」
「やっと捕まえたぞ。お前が『完璧なモブ』を目指すあまり、隠密スキルの向上に執着している思考パターン……それだけは隠しきれなかったな」
「あ、ありえない……! これ、殿下が書いたんですか!?」
「お前の行動と論文を分析し、お前が絶対に飛びつく『餌』を仕掛けたのだ。システムで捕まえられないなら、お前自身の『オタク心』を釣ればいい」
「腹黒すぎるーーーーー!!!」
学園のルールを悪用し、最後は私の趣味嗜好をピンポイントで突いた罠。恐ろしい、この男恐ろしすぎる……!
「影のように気配を消し、俺の完璧な包囲網を二週間もすり抜け続けたその頭脳と技術……やはりお前以上の逸材はいない。明日から俺の『裏の参謀(隠密・情報分析担当)』となれ」
「嫌です! 私は目立たずにひっそり暮らしたいんです! 殿下に関わったらろくなことになりません!」
「断るなら、このノートに書かれた『隠密理論』を学園中に公表するが?」
「脅迫!? 王子様が生徒を脅迫していいんですか!?」
「脅迫ではない、ただの交渉だ」
ニッコリと美しい笑みを浮かべる腹黒王子と、罠にどっぷりハマって絶望する私。
旧校舎の影で、私の「お願いだからモブでいさせて」という心の叫びが、誰にも届かず虚しく響き渡るのだった。
(寝ても醒めても、転生してもモブはモブ……のはずなのに、なんで腹黒王子の最優先ターゲットになってるのーーー!?長生きさせてー!!!)




