カカオ革命闘争1991
国語の小説作る授業で2時間で作った。
大量にパロディある。
1991年3月10日の朝、弧不井はLemon丼を食いながらテレビで流れるBremenという街で行われている打ち上げ花火映像を見てピースサインをして40分スクワッドをしていた。すると、農園の防犯担当ののねぐせ大量発生女が怪しい人影を見かけた。弧不井に報告すると、弧不井は唖然とした。黒服着てる偉そうな奴3人が軽トラにカカオを取って荷台に詰め込んでるのだ。弧不井はカカオ回収用のナイフを抱えて突撃すると、3人はビビり散らかして逃走を図った。しかし、そこらへんのおっさんがガーナ人の若者に勝てるわけもなく一瞬で追いつかれた。おっさんを脅したらすぐに吐いてくれた。なんと、このおっさんどもは政府の回し者だった。どうやら、かの江戸や鎌倉では食糧不足が深刻で新たな食品を欲してるらしい。それで、webを片っ端から調べたところ、栄養満点で味も申し分ない亜辺茶カカオ農園のカカオを盗もうと考えたらしい。いや、まずは話し合いだろと思ったが、とりあえずカカオを降ろさせ、帰すことにした。カカオを全部降ろし終わったところで、おっさんたちは軽トラのドアを開けた。しかし、閉まらない。弧不井がはよ帰れと言った瞬間、おっさんたちはAK-74を取り出し弧不井を脅した。運転席にAKを隠し持っていたのである。そして、カカオを一通り荷台に置き直し、開発資料を弧不井から取り上げて走り去った。
絶望しながら事務所に帰ると、一部始終をカメラで見ていた職員たちはブチ切れ。当たり前だ。このままじゃ政府が税金で亜辺茶カカオ農園以上の大農園を作られ、俺らの利益も、カカオもなくなる。せっかく日本用に何年もかけて品種改良したカカオをだ。農園全体は怒りに満ちた。すると、車椅子でカタカタと亜辺茶がやってきた。状況説明をすると、冷静な様子で野原に電話をし始めた。野原は普段はラブホに勤めているが、実際は殺し屋である。戦術のプロ。野原に訳を言うと野原はすぐさまきてくれた。野原はすこし考え、朝鮮に助けを求めようと考えた。なんと、野原と朝鮮の将軍であるキム・タネイチとは面識があるらしい。野原に理由を聞くと答えてくれなかった。ただ、朝鮮はかなりの強国。味方にできればかなりアツい。ただ、今の日本は海外にも行けず、各地方に出るにも厳しい検査が必要だ。でも、多少のリスクは必要。絶対にカカオを守るために、計画を立て始めた。
野原はキム・タネイチの協力を受けるために朝鮮半島へ脱日することを決めた。ルートはただ一つ、東京からなんとかして北九州の対馬共和国大使館に行きそこからは船が出ているので対馬経由で船で釜山まで行くルートだ。しかし、日本各地には大量の関所が設けられているため、車での移動は不可能だ。しかし、野原は諦めずmacを使って調べると政府の貨物列車が品川駅から北九州に行くのを発見した。貨物の中に乗り込めば北九州まで行けるのだ。野原は早速計画を立てた。
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脱日計画書
日時 1991年3月28日
品川駅7番線ホームに停車する北九州行き貨物列車にのり、北九州にある対馬共和国大使館まで行き、そこからフェリーで釜山まで行き、そこから列車で平壌に行く。
帰国方法 未定
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これを弧不井に提出すると、心配そうに野原を見ながらokサインを出した。
1991年3月28日 午前一時
ついにこの日がやってきた。農民たちに別れを告げて、野原は品川へ向かった。警備の目をかいくぐり、改札入り口の前につくと、そこには二人の警備がいた。入口はここしかなく、銃を使って殺しても死体が見つかれば終わりだ。そこで周りを探してみると店にスピーカーがあった。スピーカーを使えばなにか起こるかもしれないと野原は店のpcとスピーカーをつなぎ、爆音で女の喘ぐ声を流して近くの角に隠れた。すると警備員たちの顔は真っ赤になってスピーカーの方に向かった。野原はすかさず改札を突破し、貨物線7番線ホームに向かった。連絡通路の窓から7番線ホームを見ると、7番線ホーム側にざっと10人の警備がいた。確実にバレる。しかし、8番線ホーム側には二人しかいない。2人を動かせれば8番線ホームから線路を伝って行けば貨物に乗れる。野原は方法を考えた。
野原は周りを見渡すとアナウンス室があった。アナウンスを使って二人に何かしらの命令を出せばどかせるかもしれない。
アナウンス室の前に行き、そっと扉をあけると警備が椅子に座って爆睡していた。申し訳なさを感じながら野原は警備を撃ち殺し、死体をロッカーに隠した。そしてアナウンスを始めた。
「品川駅前ロータリーで不審者の目撃情報があった。念の為、8番線ホーム側にいる警備二人、君たちが行ってくれ。」
連絡通路にまで戻ると警備は作戦通りロータリーに戻っていった。ダッシュで8番線ホームまで走って静かに貨物に忍び寄り、ピッキングで鍵を開けた。中には大きな樽があった。
その中に入った。作戦の第一段階が終了したのだ。
1991年3月28日 午前2時45分
列車は予定通り出発し、野原は安心して眠りについた。
大きな音がして、野原は飛び起きた。樽から身を乗り出して貨物の隙間から外を見ると、関門海峡を渡っていた。
まもなく北九州である。嬉しくなっているとあっという間に北九州に止まった。ここからが本番である。野原は飛び出して対馬共和国大使館に向かう。警備は異変に気づき即座に発砲してきた。
こうなってはもう仕方がない。野原は華麗な銃さばきで警備員を殺すと、増援が来る前に対馬共和国大使館にたどり着いた。作戦第二段階が終了した。
対馬共和国大使館からのフェリーにのり、野原は朝鮮民主主義人民共和国の釜山にたどり着いていた。野原は感動した。きれいな街に、礼儀正しい人々。まるで11年前の日本のようだった。新幹線で平壌に行くと、キム・タネイチが待っていてくれていた。キム・タネイチ邸につき、椅子に座り交渉が始まった。
『キムチバーガー寿司を焼く』
この一言で、キム・タネイチは野原の差し入れである亜瓶茶カカオを食べたあと、OKサインを出した。
野原は嬉しくてたまらなかった。早速契約書にサインをし、正式に解放軍=朝鮮防衛協定を結んだ。その後、息子のキム・エリ・コウタ・クリスティーナ・ツシに連れられ高級ホテルである柳京ホテルに案内された。野原は理由を聞くと、略,キム・ツシは今帰るのは危険だ。と言われて一週間はとどまるように告げられた。野原は朝鮮観光をした。そして、たっぷり休んでキム・ツシから偽パスをもらって帰ろうとしたところ、キム・ツシからお願いがあると言われた。快く引き受けると、ロビーから1人の黒人が出てきた。キム・ツシによると、この男はアレックスというらしい。アレックスは流暢な日本語で話し始めた。なんと、彼は東ティモール人らしい。なんとも、1年前、日社連による東ティモールの侵攻で家族を殺された過去を持っているらしく、復讐を果たすため中国経由で朝鮮にたどり着いたらしい。仲間が増えるのはありがたい。彼を受け入れて飛行機で帰国した。農園につくと拠点は地下に移され、兵は1328人まで増えていた。やはり、国の無茶苦茶なやり方に皆嫌気がさしてることを痛感した。ただ、これから来る朝鮮軍と兵器の密輸を考えるとこれでは足りなさそうだ。兵たちに命令をしようとしたが、兵たちはすでに拡張工事を始めていた。兵たちはやる気に満ちていた。野原は感心しながら司令部に向かった。
野原は司令部につくと、弧不井と亜返茶が出迎えてくれた。早速朝鮮交渉が締結したことを報告すると、二人はとても喜んでくれた。一段落ついたところで今後のことについて話始めた。日社軍相手に正面から張り合うことは無理だ。世界一の装備と世界一の技術。文句なしの世界一の軍隊。しかも背後には超大国・ソビエト社会主義共和国連邦。どう考えても無理ゲーすぎる。ただ、とりあえず兵の訓練からだ。朝鮮から密輸した大量のAKと戦闘車両である軽トラを使って訓練を開始した。幸い弧不井、亜辺茶、野原以外にも何人か武器を扱える人間がいた。なかにはww2を生き延びた老人もいる。射撃場を作り、四つのグループに分けた。訓練、農作業、事務、雑務を順番に回す。そんな生活を2ヶ月ほど繰り返した。
兵士たちはかなり上達したため、農園内で空砲を使った模擬戦を行った。カカオの木が何個か倒れる大惨事。ただ、かなりいい模擬戦になった。兵士たちはカカオを食いながら自信に満ち溢れた笑顔をしていた。弧不井も嬉しくなった。それから、亜辺茶カカオ農園の元に大量の部品が1週間ほど毎日届いた。兵士たちが弧不井たちに問うと、笑いながら答えてくれた。ヘリコプターだと。
組み立て終わると綺麗なヘリコプターだ。朝鮮から届いたのにアメリカ製だ。まあ、米朝は友好国であるし、兵士たちは特に気には止めなかった。ヘリコプターの操縦は元帝国陸軍の経験豊富な20代後半の2人の男に任せた。装備が着々と整いつつある。陰での宣伝も効果があり、さらに兵士たちが増えた。増えた兵士たちに戦いを学んだ兵士たちが教える。なんていいサイクルなんだ。弧不井や亜辺茶も革命なんてしたくなかった。この楽しい生活が続いてほしかった。しかし、そんな願いが叶うわけがなかった。
とある新聞が、農園を揺るがした。
『旭川県に大規模カカオ農園建設へ』
ついにこの時が来てしまった。弧不井たちは絶望した。しかし、兵士たちは真逆だ。怒りと活力。熱気に溢れていた。
新聞が出た以上、いつまでもじっとはしてられない。グループ1が山梨県境を越え静岡から朝鮮の工作船に乗って釜山に行った。グループ1と野原は朝鮮軍と共に旭川県や札幌県に攻撃をする。残ったグループ2、3、4、弧不井たちは大型トラック10台ほどに乗って江戸へ走り出した。兵士たちは興奮状態だ。戦いの時を今か今かと待っている。グループ1のリーダー、野原。グループ2のリーダー、弧不井。グループ3のリーダー、アレックス。グループ4のリーダーは訓練で才能を見出された若者、辰巳。ヘリ部隊の軍人2人。そして、総合作戦指令、亜辺茶、大戦を生き残った老人の矢古宇。戦いはもう始まろうとしていた。
それは1991年9月18日のことだった。なんと、日社連による川口クルド人虐殺によりトルコと日社連が戦闘状態だと言うのだ。これは絶好のチャンスだった。各グループは現地で用意を済ませ、1991年9月25日、一斉に攻撃を開始した。グループ1と朝鮮軍はヘリ部隊を展開し旭川の重要拠点である天塩基地を強襲。そのあと朝鮮軍の特殊部隊が札幌県、松前京にあるの県庁や駅を制圧。日社連は大混乱に陥った。
一方、江戸の方でも戦いが起きていた。グループ3、4は関東最大の基地、入間基地に突入、激しい戦闘が勃発し解放軍は奮闘し多数の犠牲者を出しながら武器庫を制圧した。基地の兵士たちを無力化し人質にすることに成功した。人質管理をグループ4に任せ、グループ2、3は永田町を立て続けに攻撃した。しかし、他基地からの増援もあってかなり厳しい戦いになり、入間基地に退避した。入間基地で立て籠るものの軍は待ってくれなかった。日本最強部隊、特殊作戦執行群である。帝国時代から変わらず存在するエリート部隊は、入間基地に突入し解放軍の兵士たちを次々殺していった。そして、辰巳も撃たれ、戦死した。
絶望的な状況だった。もう終わりだと思った。そんな時だった。何機かのヘリ部隊が特殊作戦執行群のヘリを撃墜し、瞬く間に弧不井たちの真上からロープを垂らして降下してきた。朝鮮軍の援軍?しかし、ヘリには陰陽ではなく星が描かれていた。降りてきた兵士はアジア人ではなさそうだった。しかし、胸元を見て唖然とした。そこには49の星が連なる、かつて旧帝国日本が打ち倒した国の国旗刺繍だった。この国に打ち倒されたはずなのに、頼もしく、最高に勇気をもらえる、そんな国旗刺繍だ。弧不井はニコニコになった。
なぜか米軍が来た。理由を聞くのは後にした。米軍の強さは圧倒的だった。ww2で日本に、冷戦でソ連に、内戦でカリフォルニアに、かつてボロボロに敗れた国のはずなのに、誰よりも強く勇敢だった。これが下剋上というのか。米全軍が江戸に来襲。永田町では大激戦が繰り広げられた。そして、グループ2はRYUGUUUに突入した。警備を排除し、浦破を探す、血眼で探していると、書記長室の本棚が斜めっていた。本棚の裏には隠し通路があった。なんてあからさまなんだ。隠し通路を経て、謎の広い部屋にでた。すると、近衛兵のような奴らが銃を構えてきた。弧不井たちも咄嗟に銃を構えた。近衛兵のような奴らの後ろには浦破が立っていた。長い沈黙の末、浦破が問う。なぜこのようなことをするのかと。弧不井は言った。死ね。
弧不井は浦破に発砲し浦破は心臓を貫かれ死亡した。その瞬間、近衛兵たちは弧不井を撃ち抜き、倒れた。解放軍の兵士たちは近衛兵を殺したが、時すでに遅し。弧不井は息を引き取った。
1991年12月25日、副書記長が辞任し翌日26日社連は天皇陛下の令により正式に崩壊。日社連は3年の超短命政権で終わり、新たな国名を日本国とし立憲君主制民主国家として再出発することになる。
亜辺茶は野原に聞いた。なぜあの時米軍が来たのかと。野原は答えた。俺はCIAだと。亜辺茶ははっとした。キム・タネイチと面識を持っていたのも、交渉を一瞬で成立させたのも、米国製ヘリコプターが朝鮮から送られてきたのも、すべて彼がCIAだったからだと。野原は続けて、Msホテルは日本に潜伏するための偽企業で、そこの従業員は全員CIAだったと。なんということだろうか、農民解放軍も、ましてや日社連政府までもがCIAの手のひらで転がされていたのだ。1990年代に入り弱体化したソビエトを抜き世界最大の社会主義勢力となった日社連を潰すために、革命を扇動し、朝鮮と手を組み、攻撃を今か今かと待ち侘びていたなんて…。
その後亜辺茶は墓に行き、手を合わせて弟や戦友に言った。意味のある戦闘だったと。ありがとうと。
亜辺茶はカカオを食べてそうつぶやいた。
日本は再出発を果たした。地方に高速交通網を整備し、大都市の過密をある程度解消。江戸も東京に戻され、健全な民主主義国家として再建を図った。しかし、アフリカ地域におけるイギリスとの経済的対立が激化し1994年に日英戦争が勃発。日本軍はパナマ運河を占領しイギリス領北アフリカを占領。翌月にはロンドンの主要施設が爆撃されるとイギリスは降伏、イギリスによるアフリカ支配は終わりを迎えた。戦争を終え英米日朝仏独は対ソ加組織を設立し第三次冷戦が始まりそうである。
一方、亜辺茶は27歳にして英雄扱いされて高待遇、というわけではなく農園で今日も仏壇に手を合わせて農園を経営している。農園はこれからも山奥でひっそりと存在し続ける。
キムチバーガー寿司を焼く
韓国アメリカが日本燃やす時来たって意味




