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ゴミ袋に詰めた恋  作者: 田中
第二章 事件の兆し

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第九話 深化

 クリスティンはハンドルへと額を預けたまま暫くそのまま涙が引くのを待った。

 もう涸れたものだと思っていた涙は存外後を引き、そうして一〇分ほど経過してようやく気持ちと共に収まりがついた。


 瞼をごしごしと擦りながらエンジンをかけようとした矢先、不意にウィンドウをノックされる。もうすっかり暗くなった外はよく見えない。

 クリスティンは先にエンジンをかけてライトを照らしてから窓を開ける。


 そこには、いかにも夜遊び相手を探している風体の男が立っていた。

 頭も股も緩そうな男だ。


「おっラッキー、思ったより美人じゃん。そんなところで一人で泣くくらいならオレの胸の中で泣きなよ。綺麗な顔が台無しになっちゃうだろ?」


 馴れ馴れしくそう接触を図ってくる男に、クリスティンの頭に一つの考えが過ぎった。

 好都合だと。

 このような男は、数日姿が消えた程度では誰も騒がない。


「……慰めてくれるの?」


 計算した笑みでその表情に孕ませてある色を何食わぬ顔でちらつかせる。

 それはまるで、ノアに抱かれている時のような、壮絶な色気。

 以前のクリスティンでは浮かべることすら有り得ない表情だった。


「むしろ忘れさせてやるよ」


 男は下心を隠しもせずに意気揚々とクリスティンの車の助手席へ座る。

 正面から見ると、抜けた前歯が少し可愛らしくも見えた。

 ゆるい股に、ゆるい脳に、ゆるい危機管理能力。

 ついでに倫理観も緩そうだとクリスティンは内心馬鹿にするように嘲笑する。今までのクリスティンではありえないことだった。


 じわりじわりと彼女の心の中を黒い澱みが吞み込んでいく。


 初めて手を下す“仕事”にしては、早かった。

 男をそのまま自宅へ誘い込み、先にシャワーを浴びるように勧めると、男はその言葉を疑うことも無く従う。

 男は、一切の警戒をせずにバスルームへと入って行った。

 その隙にノアの部屋のクローゼットから持ち出したマチューテ片手に、バスルームまで乗り込んだクリスティンは、背中を向けている男の首辺りを目掛けてその鋭利な鉈で叩き殴った。


「ぎゃっ」


 鼠が車に轢かれるような声を上げて、男は必死に振り返ろうとするも、一度目の殴打で既に床へと膝を突いていた男に、クリスティンは完全にその動きが止まるまで、何度も何度も鉈で首元を殴りつける。


 二〇回は殴っただろうか。男の首が胴体から外れる。

 夢中になって撲殺したため、バスルーム内が血と寸断した際の細かな肉片で真っ赤に染まってしまっていた。


 クリスティンは無表情のまま、タオルで手と血まみれの顔を軽く拭い、こちらも血と肉片まみれのマチューテを、水で綺麗に洗い流した。

 次にガレージへ向かい、収納ボックスの中から小型の水圧カッターを取り出し、再びバスルームへ戻る。

 コンプレッサーでは無く、ゲル加圧を利用した最新式の水圧カッターであり、音はほとんどしない。


 クリスティンは水圧を中央のレベルに調節し、そのまま男の四肢をものの数秒で寸断した。

 両手両足を切断した後、今度は胴体部分を細かく寸断し始める。

 胸部と腹部を切断したところで内臓が溢れ出てきたため、クリスティンはそれらをバスタブの中へと投げ入れ、水圧カッターで内臓を細かく切断し、ドロドロのレバー状の物質へと変化させる。

 血液は水と共に相当量が流れたらしく、バラバラのパーツをゴミ袋へ回収していく際あまりの軽さに思わず笑いが漏れたほどだった。


 きっと、ノアの自分に対する恋情も、このゴミ袋に収まった体のように軽いものになってしまったのだろう。

 バラバラに切断し、見る影も無くなった男の賽の目を全てゴミ袋に収め、バスルームを念入りに掃除したところで、既に時刻は一二時を回っていた。


 クリスティンはゴミ袋を片手に家を出て車へ乗り込み、ガソリンからEV電池へと動力を切り替える。

 ハイブリッドカーを選んでおいて良かったと、こんな局面で思うクリスティンは、完全に殺人犯の思考に切り替わってしまっている。

 静かな電気自動車へと姿を変えて、隣町との間にある大きな橋まで車を飛ばした。


 マチューテも水圧カッターも、どちらもノアの持ち物だった。

 二つとも日曜大工用品としてホームセンターで購入可能な物であり、元はクリスティンの勤める保育センターへ通う子供達のために、子供達や保育センターの保育士だけでは作ることの叶わないものを作る際の手伝いとして彼が購入したものだった。


 クリスティンは、殺人に使用する凶器は全てノアの持ち物で行うと決めていた。

 初犯から四度目の犯行までの銃。

 そして、今回のマチューテと水圧カッター。

 全てノアの持ち物だった。それ以外のものは、使用していない。

 ノアをカミラと会わせないようにするためという目的と並行して、自分を深く傷つけたノアを、どこかしら憎む心が無意識にあるらしい。


 私を殺人へ駆り立てたのはお前だ。


 そんな皮肉を込めて、ノアの持ち物へ少しでも罪の重さを背負わせてやりたいという心の現れだった。


 車は、リッジウッド地区とブルックリン地区の間にかかる大きな橋の手前で停まり、すぐ傍に整備され広がっている公園の方へと進む。

 黒いゴミ袋を車から引きずり下ろし、公園の中へと運ぶ。

 いくら血液が大方流れ落ちた肉片とは言え、自重の支えが効かない成人男性の肉塊を切断して賽子にしているに過ぎないため、公園の中まで運び込むには骨が折れた。


 やはり、重いのだ。

 なんとか公園付近までたどり着いた時点で、既に腕が限界だった。

 パーク内案内図の標識の奥でホームレスが横になって眠っている。屋根にもなる大きな木の傍では無く、わざわざ芝と砂利の間で眠っているその姿を見て、クリスティンは何かを察したらしい。


 地べたへおろしていたゴミ袋をもう一度持ち上げ、数ある木々の中に紛れ込ますわけでもなく、わざわざホームレスのすぐ横へとそのゴミ袋をそっと投棄した。


 ホームレスは、自分のすぐ傍にバラバラ死体の入ったゴミ袋が置かれたことにも気が付かず、ぐっすりと眠っている。

 重いゴミから解放されたクリスティンはすぐさま車へと戻り、死体処理時からずっとはめていた手袋をようやく外して来た道を戻っていく。

 とてもバラバラ死体を捨てた者のそれとは思えない表情で、うっすらと笑みすら浮かべている。

 これでノアはまた暫くカミラと会えなくなるはずだと。



 夜が明けてから、朝一番にニュース速報を見たデトロイト市民は慄然とした。

 ブルックリンへ差し掛かる手前の、ブリッジの公園内でゴミ袋に入れられ投棄されたバラバラ死体が見つかったからである。


 またもやデトロイト分署の担当区域内であったため、まだ辺りが薄暗い間にノアとイニャーツィオは、複数の部下達を伴って現場へ向かった。


 第一発見者は無論、あのホームレスだった。


 一般市民にはとてもではないが見せられる代物では無いため、公園入口から辺り一帯へ目隠しのシートが施され、ノアとイニャーツィオの到着と同時に、ごみ袋の中身が外へと取り出される。

 交番勤務の巡査である赤毛に緑の瞳にそばかすの典型的なアメリカ人といった容姿をした男性巡査、カレン・コニーが、やや震える手で一つ一つ取り出したものは腕・手首・足・大腿部・頭・胸部。

 そしてドロドロの、一つのレバー状と化した内臓物と血液の不純物だった。


「うわ……! きっつ!」


 ゴミ袋の近くにしゃがんで一番にそれを見張っていたイニャーツィオは盛大に顔を歪ませ、嫌悪と不快を露わにする。

 見た目もさることながら、ニオイもかなりのものだった。

 辺り一帯、とにかく悪臭が凄まじい。


 ゴミ袋の中で、防腐処理もろくに施されていないまま投棄されてあったため、季節もあいまって腐敗が進んだのだろう。

 そんなものが空気に触れたことにより、余計に悪臭を放っていた。


「くっさ、くっせぇ! 石灰撒け、石灰! こんなんじゃろくに見ることもできねぇだろ!」


 石灰パウダーを持って来いとしきりに言うイニャーツィオに、部下達は「まだ検死にまわしていない」「鑑識がまだです」と、現場の保存を噎せながら必死に叫んでいる。


 実際、微量の石灰を撒いたところで見た目に些少の変化こそ起こりうるものの、質や保存状態に関してはさほど大きな変化は無い。

 イニャーツィオはそれを知っているため、テキスト通りに「現場保存」を繰り返し並べ立てている部下達を押し切って、文字通り押しのけて、ついに警察車両まで石灰を取りに赴いた。


 イニャーツィオと部下達がバラバラ死体の悪臭に騒いでいる傍らで、ノアは遺体の見つかった場所を気にかけていた。

 あまりにも入り口に近く、そして見つかりやすい。犯人がわざわざホームレスの傍にごみ袋を置いたのには何か理由があったはずだった。その理由をくまなく見渡し手がかりを模索する。


 そしてそれは案外すぐに見つかった。

 ホームレスが元いた場所と、ゴミ袋が置かれていた位置がほぼ同じであり、そしてその場所は公園内に複数設置されている監視カメラの、丁度死角にあった。

 実際木の間に見える監視カメラはこの位置のみカバーできていない。


 元来ホームレス撤去のために設置されたカメラの目を盗んで、第一発見者のホームレスはその場所で生活していたのだろう。犯人は公園内へ侵入した際、入ってすぐにそのことに気が付いたと見られる。

 公園内全ての監視カメラに、犯人らしき人間の人影は何も写り込んでいなかった。


「監視カメラを警戒してはいるが死体は目に付きやすいところに投棄されてんだよな」


「ああ、……たしかにな。銃殺事件の犯人とその辺りは似てるか? 別人か、そうじゃないかだよな」


 背後から聞こえたイニャーツィオの声に、ノアは片眉を上げて反応を返す。


「銃殺事件の犯人にはここまでの度胸ねぇだろ、あれは犯罪に憧れたオタクの犯行だ」


 ノアの言葉に、イニャーツィオは軽く顎へ指を当て思考する様子を見せる。

 Task Forces時代に培った、シリアルキラーのタイプ別思考パターンに照らし合わせ、イニャーツィオはアベック銃殺事件と、このバラバラ殺人事件の犯人の魅せ方が非常に似通っていると考えたのだった。


 それは、正確かつ明晰でもある読みだったが、世間は銃殺事件の他に新たに現れたモンスターとしてバラバラ殺人事件を取り上げた。

 ただ銃で殺して去る犯人とは違い、切断してバラバラにした死体をごみ袋に詰めて投棄するというセンセーショナルな事件のニューフェイスをメディアはこう呼んだ。

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