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ゴミ袋に詰めた恋  作者: 田中
第一章 生誕と疑念

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第四話 秘めた片想い

 夜間保育のスタッフへ引き継ぎを済ませて職場を出たのは、既に一九時を回った頃だった。

 パーキングへ向かう途中、ふとあの人気のデリの看板が目に入った。


 ベスのデリは、オフィス街にあるということで夜の二一時まで営業している。

 去年ノアが買ってきたケーキも、ベスの店のものであり、かなり美味しかったことをクリスティンは覚えていた。

 人気店のため、ホールケーキは最低でも前日には予約しなければ手に入らない。


 もし、もしも、ノアが去年と同じようにクリスティンへサプライズを設けているとするならば既に予約を入れているはずだった。

 恋人を疑っているかのようなこの行動に、クリスティンの中には多少の罪悪感がよぎった。

 それでも、確かめずにはいられなかったのだ。それでなくとも最近のノアは様子がおかしい。ほんの二、三日の間にめっきり自分に対して冷たくなったような気がしてならない。


 クリスティンは恋人を詮索し疑っていながらも、その身の潔白を証明するという二律背反に苦しんでいた。

 パーキングから大通りへと戻り、覚悟を決めたように厳しい表情を浮かべながら店のドアをくぐる。


 クローズまであと一時間ということもあってか、ほとんど何も残っていないショウ・ケースに、店内は客の姿も見えない。奥にあるスイーツのショウ・ケースにはまだいくつかのケーキ類が並んでおり、その前にはタイトスーツが良く似合う青年、イニャーツィオ・風間の姿があった。


「……ナッツォ?」


「クリスか、おつかれさま」


 偶然店内で顔を合わせたクリスティンとイニャーツィオは双方、どちらともなく笑みを浮かべた。


「ナッツォ、今帰り?」


「違ぇよ。今から書類仕事。で、その夜食の買い出し」


「ナッツォ、お待たせ! あれ? いらっしゃい、気付かなくてごめんな」


 店の奥でイニャーツィオのテイクアウトを詰めていたらしいベスが出てくる。

 紙袋をイニャーツィオへ手渡しながら、クリスティンが来店していることに気づき黒く日焼けした顔に微笑を浮かべる。


「昨日はありがとう。……その、ちょっと聞きたいことがあって、明日のホールケーキの予約で『レーノルド・フッカー』名義の、ある?」


「オイ、ベス! 菓子頼んでねぇぞ!」


 クリスティンの要望と、イニャーツィオの声のタイミングがほぼ同調してしまったものの、二人の言葉を聞き分けていらしいベスは軽く伸びをして見せる。

 上がった腕に引っ張られ、エプロンが持ち上がりその豊富な胸に密着する。


「さっきアンディから電話があって、ナッツォに持たせてって言われたんだよ。で、明日のホールケーキの予約だった? ちょっと待ってな」


 そつなく二人へ返答し、再びバックヤードへ消えるベスに、イニャーツィオは、その精悍な表情を子供のように歪めている。

 ベスはそんなイニャーツィオなど見えていないかのようにクリスティンへ顔を向ける。


「一通り見たけど、レーノルド・フッカーの名前で予約されてるものは無いよ。見るかい?」


 そう言って電話番号や氏名が書かれている台帳をカウンターの上へ置いたベスに「いらない」と答えてノートを押し返す。

 プライバシーも個人情報もあったものじゃない。

 しかし、クリスティンは困惑を隠せないでいた。


 ノアは予約をしていない。

 仕事で忘れていたにしても、既に閉店まで一時間を切っている。

 この店のホールケーキの予約は、スイーツ担当のソフィア・ベインが退勤する一九時までと決まっている。去年はできたことが今年はできないなんてこと、あるのだろうか。


 忘れている。


 クリスティンの心に、まるで水面にインクが垂らされたかのような暗雲が広がっていく。表立っては平然を装っているものの、ショックが大きすぎて声も出ない。

 一心にノートの表紙を見つめて黙り込んでしまったクリスティンに、ベスが心配して何か声をかけようかとイニャーツィオを見る。

 何かを考えていた様子のイニャーツィオは、テイクアウトの紙袋を受け取って脇に抱え、スーツのポケットへ手を入れたままクリスティンへと歩み寄る。


「今日、ノア非番で会ってねぇんだけど、いま家にいんの?」


 クリスティンの体に、緊張が走る。


「……わかんない」


 正確には分からないが、おそらくこのままクリスティンが家へ帰っても二人の家には誰もいないだろう。そういえばと思い出す。

 ノアが非番でクリスティンが仕事の日の週末は必ず迎えに来てくれていたのだ。クリスティンが車で出勤していても、バイクでも、ロードワークのついでだからと必ず徒歩で来て、どんなに寒くてもパーキングで待っていてくれた。

 二週間前まではそうだった。


 今日、ノアはパーキングにいなかった。それに今頃気が付く。

 ここ数日の不可解な冷められ方に、クリスティン自身がそこまで望めなくなっていたのかもしれない。


 予約の件と昨夜の電話から汲み取って、ノアと何か喧嘩でもしたんだろうと踏み、愚痴を零しやすいよう話題を向けたつもりだったイニャーツィオは、クリスティンから返ってきた「分からない」の言葉と、辛苦に満ちた痛ましい表情を見て、軽い喧嘩の見解をすぐに打ち消した。


 頭はそこまで良くないまでも、他人の機微に敏いイニャーツィオは、クリスティンとノアの間で起こっていることを密かに読み取って、すぐに違う話題を向ける。


「クリスはもう聞いてるかもしれねぇけど、明日はデトロイト市第一PP庁舎で記念パーティーがあんだよ。警察関係者も参加するし、ノアは参加するらしいけどクリスは来んの?」


「え、……パーティー? それ、何……?」


 イニャーツィオは、鼻から深く息を吸い込み、そして口から肺がひっくり返るほどの溜息を吐き出して、それ以上パーティーについて語ることを放棄した。

 ノアが事前に何も言っていないことに気がついたのだろう。


 イニャーツィオは、確かに相棒がパーティーのゲスト用チケットを、上司であるアンディ・ベインへ申請し受け取っているのを見たのだ。

 そして、それが一枚だけだったということも覚えている。


 パーティーへ参加するためには、チケットが必要である。そのたった一枚のチケットを、恋人のクリスティンへ渡さず、またその存在さえ明かしていないのだ。

 何か隠している。

 イニャーツィオは、ノアへそう訝しみを募らせる。

 一方、イニャーツィオの口から次々飛び出した知らされていない事実に、クリスティンは目を見開いたまま辛そうな表情を浮かべている。


「……ベインから押し付けられて持て余してたんだけどよ、オマエにやるよ」


 そう言うと、イニャーツィオはポケットの中から一枚のチケットを取り出し、クリスティンへ差し出した。

 チケットには関係者サイン欄にイニャーツィオの名前が、彼らしい大きめの筆記体で書かれている。


「オレの紹介で悪いけど、パーティー自体は面白いから。遊びに来いよ。多分、その……気も紛れるしな」


 渡されたゲスト用チケットに、クリスティンは一瞬当惑の色を見せたものの、僅かな逡巡の後にそれを受け取った。


「……ありがと、ナッツォは来んの?」


「いや? オレは通常通り仕事。レイプ被害者から話聞くとか、そういうセンシティブなモンは明日みたいに人が出払ってるタイミングが一番都合良いんだよ」


 どこまでも仕事を……刑事としての職務を全うするイニャーツィオのストイックさにクリスティンは一種の憧憬にも似た羨望を覚え、自然と笑みを浮かべる。


「ナッツォは、ほんと良い奴だ。ナッツォの恋人はきっと幸せだね」


 続けて末尾に良い週末を、と付け加えたクリスティンは二人に小さく手を振って店を出る。


 クリスティンがいなくなり、イニャーツィオも店を出ようとしたところで、その背中へベスが声を掛ける。


「なあ、オマエの恋人はきっと幸せだと思う、らしいけど? ナッツォが幸せにしてやったら?」


 イニャーツィオは振り返らない。

 ベスは頬杖をつきながらカウンターの上に置かれていた試作品のクッキーを咀嚼する。

 閉店の時間が、迫っていた。


「……アイツは、ノアの隣で笑ってんのが一番似合うだろ。オレはそれで良いんだよ。それ以上は望まねぇ」


 二年前、相棒のノアから「恋人だ」と紹介されたその日から、イニャーツィオはクリスティンへの想いを抱いてしまった。

 相棒の恋人を好きになってしまうなど、普通の人間が抱くものじゃないと随分と苦しんだものだった。許されないことだ。


 最初から報われるはずがなかった。

 殺さなければならない想いだった。

 きちんとゴミ袋へ詰めて、口を縛って捨てたはずの恋心だった。


 馬鹿だとか単純、猪突猛進、そのように揶揄されていながらも、根底に聡明で真摯な心のあるイニャーツィオは、信頼しているノアと、好意を持ってしまったクリスティンの二人の幸せを無論、優先した。

 それでも、相変わらずクリスティンへの想いは潰えることを知らず、いまなお心の奥底にくすぶり続けている。

 しかし、その思いは口にしないと決めていた。二人が破局でもしない限りは。


 今回のクリスティンとノアの行き違いも、今までのようにすぐ仲直りとなるだろうと見て、イニャーツィオは恋人の同僚として許される範囲内の施しと親愛をクリスティンへ向けたつもりだった。

 正直、イニャーツィオはノアを抜いてクリスティンと二人で話をする機会が昨日今日と立て続けにあったことに対して暗い喜びを感じていた。

 ただ会話を数度重ねただけに過ぎないが、自身の欲に対して興味の薄いイニャーツィオには、十分な機会だったのだろう。


 イニャーツィオは自分のそういった青臭い部分を理解して失笑しつつ、自身の上司であるアンディが楽しみに待ちかねている、ソフィアが作ったストロベリー・スポンジ・ケーキの、クッキー部分が割れるように紙袋を抱える脇に力を込めてオフィスへの道を歩いた。

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