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ゴミ袋に詰めた恋  作者: 田中
第一章 生誕と疑念
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第一話 始まりのさざ波

 さざ波のように寄せては返す高い嬌声、小魚達の鱗にも似た煌めく輝き。

 自分の腰までも及ばない小さな子供達に囲まれながら、ノア・レーノルド・フッカーは彼等の命を放出するかのような力強さすら感じさせる喧噪を目前にそう思った。

 白に近い金髪に赤紫色の瞳をした青年は、凝り固まった体をグッと伸ばす。それだけでバキバキと体が鳴る。


 高層ビルの並び立つ、世界の首都とも名高いメガロポリスである、ミシガン州デトロイト市ミッドタウン。その中にある保育センターの園児達とミシガン州警察局とが受け持っている、月に一度の交流会で、今回はミッドタウンサウス分署が当たった。


 そのため、たまたま署内に居合わせた相棒である日系スペイン人のイニャーツィオ・風間を巻き込んで、ノアは渋々町のおまわりさんとして子供達の前へと立っていた。

 普段であればこのような面倒事にノアは決して顔を出すことも無く、後輩であり派出所勤務のカレン・コニーやランス・エリスへ投げるにも関わらず、この場へ面倒そうな表情を隠そうとはしないまでも、大人しく客寄せパンダよろしく子供達にまみれているのには理由があった。


 今回の交流会でミッドタウンサウス分署が当たった時点で、既にノアが来ることは保育センター側から指定されていたのだ。

 それはノアの恋人、クリスティン・アップルヤードの要望に他ならない。クリスティンは保育士であり、ノアと共に仕事ができる今日という日を楽しみにしていたのだ。


「よーし、じゃあみんなー! 刑事さん達にお礼言おっか!」


 柔らかなクリスティンの声に、子供達からてんでバラバラな「せーの」という掛け声と、合わせる気の無い元気な「ありがとーございました!」の合唱が響く。

 約二時間の交流会で、永遠の憧れである本物の刑事に興奮し、はしゃぎ疲れた子供達の手を引きながらクリスティンが先導する。


 イニャーツィオは楽しそうに子供達へ笑顔を向けたまま、一切の疲れを見せていない。その笑顔は仲間内からも評判の良い、所謂好青年然とした見本のような笑顔だった。


 スペイン人と黄色人種のハーフらしく、黄色がかった肌に黒くパーマのかかった髪、切れ長のアーモンド型の目は美しい榛色で、そのエキゾチックな容姿は時に侮蔑を伴い、ジャップやスピック等と汚らしい言葉を吐き捨てられることも多い。

 しかし、彼はその性格からこの国の署内においても人気の高い男だった。


 相棒であるノアは、イニャーツィオとは真逆のブラックらしい肌と彼の肌からは珍しい白髪に近い金髪に赤紫の瞳をした涼やかな顔立ちの男性だった。

 どこか危うげな、ともすれば警察では無くシリアルキラーだと言われたほうが信じられる笑顔を携えてすらいる。


 ノアとイニャーツィオは、短くない時間を共に過ごしていた。警察学校から交番勤務、そして現在の殺人課での勤務と、彼等の経歴は共に無かった時間のほうが短かった。

 そんな長くを共にしていたノアだからこそ、彼の爽やかな笑顔の裏にある子供達への本心から可愛らしいと思ってのものと隠された疲労を理解する。単純に無垢なものを可愛がっているだけかもしれないが、それは彼の心に聞かない限りは分からないことであった為、ノアはその笑顔から視線を逸らす。


 もう一度、子供達の元気な「ありがとうございました!」が響き、ノアは疲労を隠しもせず敬礼で返すに留める。本物の警察官からの敬礼に子供達から元気いっぱいの声援が返され、今度は面倒臭そうな表情を一切隠すことなく特大の溜息で返す。


 クイーンズ大通りの広場からセンターへと、子供達と他の保育士が帰っていくのを見届けた後、クリスティンはようやく恋人のノアと、その相棒のイニャーツィオへと駆け寄ってくる。

 亜麻色の長くウェーブが掛かった髪にアイスブルーの瞳、白人らしい白い肌が眩しい女性。それがクリスティンだった。


「私の可愛いハニーちゃん、今日はありがとう! 子供達もすっごく喜んでた!」


「はー、クッソ、疲れた、まだ耳がキンキンしてるわ。……クリス、凄ぇな。これが毎日はしんどいわ」


「子供たちの笑顔見てたら疲れなんて感じないでしょ?」


 獣にも似た小さな生き物達の世話に慣れていないノアは、見てくれでも分かる程にすっかり疲れ切っている。先まではしっかりと両足を揃えて立っていたのも崩れていた。

 それに対し、全くノアと同じ条件でありながらも、イニャーツィオは平然とした表情で隣に立っていた。脚は崩しており両手はポケットに突っ込まれていながらも、ごく普通の表情を浮かべている。

 勿論、目元には隠し切れない疲労が滲んではいるが。

 イニャーツィオはノアの恋人がクリスティンであることを知りながらも、そういった白人と黒人との恋愛に寛容でもある、稀有な理解者であった。


「ナッツォはなんでそんな平気な顔して立ってられんの?」


「元気で威勢があって逞しい子供って、見てんの楽しいだろ?」


 精悍な顔に穏やかな笑みを浮かべたまま、イニャーツィオは本心からそう思っているのだろうことを言う。

 それにノアは舌を出して嘔吐くようなジェスチャーを見せていた。


「DPDに入った理由がかっけぇ馬に乗れるからっていうナッツォに面白いとか楽しいって言われんのは褒められてんのか分からないけどな。それも結局乗れるのはお飾りの下っ端だけっつぅ綺麗なオチがついたし」


「あ? バッカ、そんなこと言った覚えねぇよ。流石に仕事でまで馬に乗りたいとか言わねぇし。馬に乗りたいならテキサスレンジャーにでもなってるだろ」


 そんな話をしていた矢先、イニャーツィオのセルフォンから、飾り気の無い無機質な着信音が鳴り響く。


 自分達が話している姿を、微笑みを浮かべて見つめていたクリスティンの柔らかな金の髪へ不意にノアが触れる。その指先は、壊れやすい飴細工にでも触れるかのように優しい。


「今日、早く帰るから起きて待ってろよ」


「分かった。でもノア、いつも途中で仕事入ったって言うから、今日はそれ無しね!」


「なら、そうならないように愛しいベイビーはオレのこと家まで引っ張って帰れよ」


 微かな笑声を零しながら、ノアはクリスティンへキスを落とし、何度か別れを惜しむように唇を重ねあった後、ようやく離れる。

 二人が熱い別れの挨拶を行っている間にイニャーツィオの方は電話を済ませていたらしい。身を離してもなお笑みを絡ませている二人へ、イニャーツィオは嫌味に聞こえない調子を保って軽く声を掛ける。

 それを聞いて、ノアとクリスティンはイニャーツィオの方へと視線を向けた。


「恋人同士の熱いキス交わしてる中ワリィな、事件だ」


 パトカーの鍵を見せながら言うイニャーツィオに「分かった」と言葉を返し、再度恋人へと顔を向ける。


「じゃ、行ってくる」


「うん、行ってらっしゃい」


 町の安全を守る恋人の背中を溶かした飴のようなまなざしで見つめながら、イニャーツィオにも片手をあげることで別れの挨拶をしクリスティンはパトカーへ乗り込む二人を見送った。



 午前一時を回っても、クリスティンと同棲している家へ、ノアは帰ってこなかった。

 「早く帰る」と言っておきながら帰宅しないことは、別に稀なことではない。今までにもそんなことは何度だってあった。

 しかし、その度に必ず「事件が片付かない」「取り調べが終わらない」と何か一言を送ってくれていたのだ。今日は、それが無い。

 帰れない時には必ず連絡をくれていたノアの異変に、クリスティンは彼の身に何かあったのかと心配に眉を顰めた。


 もしノアの身に何かあったとしても、あの溌剌なイニャーツィオが一緒にいるのだから、彼が必ずクリスティンに連絡を寄越すはずだった。

 それが無いということは、一先ず彼の身の安全については大丈夫だろうと、気を落ち着けようとする。


 クリスティンは鳴らないセルフォンを見つめたままテーブルの前で項垂れ、斑紋苦々しい夜を、一人過ごした。

 結局、ノアからは何の連絡も無いまま日が昇り、朝を迎える。

 テーブルの上で心配しながら半端に睡眠を摂った為に、クリスティンの目覚めは最悪だった。クリスティンの白い顔には、回復しきることの無い疲労と薄っすらとした隈が目に見える。


 出勤時間である七時三〇分。

 プライベートがどうであれ、仕事は変わらず訪れる。

 クリスティンは重たい気持ちを引きずったまま、全く気の乗らない出勤の身支度を始める。


 無論、朝食のシリアルは喉を通らない。ミルク以外飲み干すことすらできず、陰鬱とした気持ちで流しへグラスを置いて、そんな状況に辟易としながらも早々に朝食を畳んだ。


 代わりに冷蔵庫からゼリー状のエナジードリンクを取り出し、鞄の中へと放り込む。特に精密機械が入っているわけでもない鞄だ。別段、エナジードリンクの外パックが汗をかいたからといって湿るのは鞄の内側とスケジュールの書き込まれた手帳くらいのものだった。多少手帳はへたるかもしれないが、今のクリスティンにはそんなこと問題にすらならなかった。

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