第65話「水晶の力」
青年は解放されると、迷うことなく家へ向かった。
最初に行くべき場所は、他でもない息子のもとだった。
長い戦いの果てにようやく掴んだ自由。
その心に浮かんだのは、ただ一人、息子の顔だけだった。
石畳を駆け抜け、息を切らしながら家の扉を開け放つ。
しかしそこには誰の姿もなかった。
家具はすべて片づけられ、窓から差し込む光だけが、虚ろに床を照らしていた。
まるで初めから誰も住んでいなかったかのような静けさが広がっている。
青年は慌てて外へ出た。
近所の通りを駆け回り、人影を探す。
井戸のそば、商人通り、森の入り口……どこにもいない。
胸の奥がざわつき、焦燥が喉を締めつける。
それでも青年は諦めなかった。
未来の世界でニーナが人を特定する魔法を使っていたことを思い出す。
もし彼女の力を借りられれば、息子の居場所を突き止められるかもしれない。
青年はすぐにギブタウン城へと引き返した。
しかし受付、廊下、城外……ニーナの姿も、カルロスの声も、どこにもない。
嫌な予感がした。
これまでの経験が警鐘を鳴らしていた。
その後も青年は城内を隅々まで探し回った。
やがて足は一つの場所へ向かっていた。
できれば近づきたくなかった、あの金庫の部屋へ。
重い扉を押し開けると、ひんやりとした空気が肌を刺した。
部屋の奥……そこにあるはずの宝箱が、床に転がっていた。
封印したはずの箱の蓋が、わずかに開いている。
その隙間から、ぼんやりとした緑色の光が漏れていた。
まるで呼吸をしているかのように明滅を繰り返す燐光。
「赤や青に光ることはあるみたいだけど緑っていうのは聞いたことがない。触ってみるか? 触るのをやめておくべきか? しかしニーナさんたちがいないのと、水晶が光っていることに何か関係があるとすれば……息子を探す術もなくなってしまうかもしれないし、彼らを助けなければ!」
ニーナとカルロスがいないこと、水晶が光っていること……その二つが無関係とは思えなかった。
もしかすると、息子の行方とも繋がっているのかもしれない。
決意を固め、青年は宝箱に手を伸ばした。
指先が触れた瞬間、空気が震えた。
ただならぬ圧力が全身を包み、心臓が跳ね上がる。
同時に疑問が脳裏をかすめる。
「しかし待てよ、宝箱って金庫の中に入れていたんじゃ……なんで出ているんだ……」
考える間もなく、水晶は強烈な光を放った。
緑の閃光が視界を覆い、青年の身体を呑み込む。
音も、重力も、すべてが遠ざかっていった。
♢♦︎♢
数分後、カルロスとニーナが城へ帰ってきた。
二人はただ、城の運営に必要な備品を買いに出かけていただけだった。
一足先に着いて金庫の部屋に一人入るカルロス。
「あれ? 金庫の部屋のドアってさっき閉めたよな? ん? これは封印した宝箱じゃないか。こんな所に置きっぱにしてたっけ? まぁいいや、一応金庫にしまっておこ」
軽い調子で宝箱を持ち上げ、青年が吸い込まれたその箱を、何の違和感も抱かず元の場所へ戻す。
その後、カルロスは何事もなかったようにエントランスへ歩いていった。
「あれ? カルロスどこ行ってたの?」
「ん?ああ、ちょっとな。まぁ城外へ行こう。仕事するぞ」
「カルロスからその言葉が出るとは……台風でもくるのかしら」
「ナメやがって! アイツがいねーから渋々働くだけだ!」
一度は経営不振に陥ったこの城だったが、青年がいなくなったことで、カルロスは僅かな危機感を抱いた。
ほんの少しだけ改心し、ほんの少しだけ真面目になり、ほんの少しだけパフォーマンスも上がった。
そのほんの少しを支えていたのは青年の残した厳しい言葉だった。
そんな青年は無事に家へ帰ったと信じて疑わなかったカルロスたちに、まさか再び水晶に吸い込まれているなど、知る由もなかった。
♢♦︎♢
暗闇……冷たい空気が頬をかすめた。
青年はゆっくりと目を開けたが、そこに光はなかった。
足元に感触はない。
「……ここは? 暗闇で見えないな。私は……どうなってしまったんだ……?」
耳を澄ますと、かすかに音がした。
遠くから足音が近づいてくる。
『コン、コン……』
静寂を破る音が、心臓の鼓動と重なる。
「誰か……来る!」
すると、背後から冷たい手が伸びた。
その手は青年の首を掴んだ。
視界のない闇の中で、ただその握力の強さだけが、異様な現実感を放っていた。
「あ、あなたは!?」
暗闇だが、目が慣れたのか薄っすら顔が見えた。
「何者かが水晶を触ってくれたおかげで封印を解くことができた。この感じだと青髪の奴だろうな。ここは私だけの世界。私が作った水晶を改良し、私の世界にもワープできるようになった。それは緑の光を放つ。そしてここは誰からも邪魔されることがない。だから思う存分、他の者が棲く世界を征服する下準備として楽しむことができる。封印を解いた後、カルロスが金庫にしまってくれて好都合だ。早速今捕獲したモルモットを用いて実験を行う。そのモルモットとは……」
「お、お前は……なぜ……」
青年は戦慄した。
その人物は極悪非道のカルゴスだった。
『ドサッ!』
金属の鈍い音が響いた。
頭に衝撃が走り、視界が一瞬で赤く染まる。
反射的に手を伸ばしたが、その手も虚しく、青年の体は床に崩れ落ちた。
「グッ……」
息を吸おうとしても、肺が動かない。
「てめぇが実験台の第一号だ。ありがたいと思え」
青年を引きずりながら独り言を喋る。
「ただ危なかったな。まさかカルロスたちがあそこまで強いとは。正直三人相手でも余裕だと思っていたが……少しばかり侮っていた。私が弱っていたのもあったが……今後は気をつけねば……それと驚いたのはカルロスによる封印が意外にも強力だった。しかもまさか私を倒した後、水晶を破壊しないといった手段をとるとはな。私の目論見は、水晶を割ってもらうことだった。心理的にもこのような悲惨な目に遭えば、すぐにでも水晶を割って、気分を晴らしたいはず。封印されている水晶が破壊されれば、窮屈な場所から自我は解放され、復活できた。だが慎重に箱にしまって鍵をかけるとはな……私の思惑通りにいかなすぎた。私が水晶の中でなんとか抗い、大魔法使いの私でもフルでパワーを使って水晶を操り、箱ごと金庫を突き破って光を発光させるのが精一杯だった。水晶の中で息絶えて消滅するのは時間の問題だ。そして誰でもいいからとりあえず一匹、獲物がかかるのを待った。なにを思ったのかこいつが触ってくれて助かった。それがなかったら私は一生の眠りについていたかもしれないと思うと恐ろしい。水晶を割ったら危険だと思いついたのはこの青年。どうやら知識が豊富だったり、観察力や洞察力とかがありそうだ。明晰な頭脳のこの青年は私の計画にもってこいってわけだ。お前は死ぬのは辛かったろ? もうお前は死ななくて済むのだ。なぜなら永遠の体を手に入れることができるのだからな」
つまりこういうことである。
カルロスたちはカルゴスを倒し、魔法を使って時の水晶に封じ込めた。
それも、封じ込められた場合は水晶を割られた方がカルゴスにとっては好都合だったが、割らずに金庫保管といった方法をとられてしまった。
そこでカルゴスは水晶の中で苦しみ悶え、なんとか自力で水晶を金庫から外に出し、地面に落とすことに成功した。
地面に落ちた水晶は緑色の光を放ち、触れる者を誘った。
青年が、その誘いに応じてしまったのである。
その行為こそが地獄の始まりだった。
やがて青年の血は水晶の世界を養うための養分とされる。
青年は猿轡をつけられ、実験室の椅子に縛りつけられ、両腕は固定された。
皮膚が裂かれ、筋肉が剥がされた。
開いた傷口へ無数の管が差し込まれ、ポンプのように青年の血が吸い上げられ、カルゴスの体へと流れ込んでいく。
血液が抜けるたび、カルゴスの頬に色が戻る。
やがて、青年の身体は生きたまま解体された。
指が、腕が、皮膚が、肉片となって床に落ちていく。
叫びたくても、声帯は潰され、呻きひとつ漏れない。
やがては悶えることすらできなくなり、意識は無くなった。
少しして機械と化した青年が誕生した。
自我は消え失せ、脳はカルゴスによって支配された。
青年は再び動く存在として再構築された。
肉体の九割は機械……神経は金属の線に置き換えられ、脳にはカルゴスの支配装置が埋め込まれた。
「立派だ! なんとも美しいのだ!」
カルゴスは狂気に満ちた声を出す。
「カルゴス様! 世界征服のお手伝いをします! そうかい! 期待しておるぞ!」
カルゴスは背後から青年の首を掴み、ぎこちなく口を動かさせながら、まるで人形劇のように一人芝居を演じていた。
青年の顔半分の目から一雫の涙がこぼれ落ちた。
それは生を懇願する最後の証だったのかもしれない。
こうしてかつて人間だった青年は、世界征服のための機械の兵器として、再び動き始める。




