晩餐会
3264年8月11日、外交改革の成功を記念して、シューネスラント王国・王都フェルドブルクの王宮では華麗な晩餐会が催される。この晩餐会は、王国の主たる貴族を始め、その奥方・令息・令嬢、上級官僚、さらに軍人など、総勢約500名が参加する一大イベントとなった。
午後6時頃、王宮第3庭園の獅子館には、参加者たちが礼装を身に纏って参集していた。天井には豪華なシャンデリアが輝き、床には最高級の絹の絨毯が敷かれ、テーブルや椅子などの調度品には宝石がちりばめられ、会場は贅の限りを尽くしている。
「国王陛下のご入場です」
侍従の声と共に、国王アルチュールが会場に姿を現す。参加者たちは一斉に頭を下げ、アルチュールはそれに手を挙げてて応じつつ登壇した。
「皆の者、今日はよく集まってくれた。王宮の者が全身全霊でもてなすので、短い時間だが、ゆっくりと楽しんでいって貰いたい」
アルチュールの挨拶に参加者たちが拍手を送ると、参加する貴族たちが国王に挨拶するため列を作った。
晩餐会の華やかな空気の中、貴族たちは順番に国王の前へ進み、妻子を伴って挨拶を述べる。
ツィーグラー侯爵、ヴァイスフェルト伯爵、ホーエンシュタイン伯爵、ケラー侯爵と、次々に貴族たちはやって来て、挨拶を済ませては賑やかな社交の場に身を投じる。
なかなか飲食の席に着けないアルチュールは、貴族たちの挨拶に形ばかりの返答をしつつ空腹感に苛まれていた。
やがて王国でも2人しかいない公爵の一人・ハウゼン公爵が、夫人、令嬢、令息を伴って進み出る。その時、アルチュールは摩訶不思議な感覚に取り憑かれた。
ハウゼン公爵の後方に控え、栗色の髪を下げ、薄桃色のドレスに身を包んでいる令嬢に、なぜか意識が行って仕方が無い。気のせいだと思っても、公爵の挨拶の言葉が耳に入ってこない。
「陛下、本日の晩餐会が、王国の新たな時代の幕開けとなることを願います」ハウゼン公爵の言葉に、ようやくアルチュールは意識を戻した。
「ああ、公爵御一家にも楽しんで貰いたい」
公爵は一礼し、奥方と令息を伴って席へと向かう。だが、令嬢はその場を去る前に、一瞬アルチュールへと、茶褐色の目を向けた。
アルチュールは令嬢を見送りながら、自らの感覚に困惑していた。何だ、この胸が煩わしくなるようなこの感覚は…?
最後に宰相シュミット公爵一家の挨拶が終わると、アルチュールはようやく腹を満たすことが出来た。次々に給仕が出す極上のコース料理を食し、ノルトハーゲン産の白ワインで喉を潤す。
飲食の中にも、アルチュールは時折席を立って貴族たちと会話を楽しむ。話題は平凡な雑談から、テラロディアへの軍事行動を行うかということにまで及んだ。
参加者たち全員の席を回ることは出来ないが、会場をほぼ一周すると、アルチュールは先程の令嬢を探そうと思った。
煌びやかな装飾、音楽の生演奏、貴族たちの談笑、奥方や令嬢たちの会話、忙しなく動く侍従、警備の目を光らせる騎士たち…だが、その中で彼が探しているのはただ一人だった。
「陛下」
後ろを振り返ると、そこにはハウゼン公爵が立っていた。その後ろには、夫人、令息、令嬢の座す一家の席がある。
「公爵、ご一家は晩餐を楽しんでいるか?」アルチュールが尋ねた。
ハウゼン公爵はゆっくりと杯を傾けながら、「ええ、陛下の御もてなしには感服しております」と答える。
「陛下も、お楽しみになっていますか?」後ろの席の令嬢がふと口を開いた。
「ええ、公爵ご一家の席を訪れることができて、なおさら楽しんでいるところです」心臓の拍動が速度を上げるのを感じながら、アルチュールは何とか答える。
「貴女は、晩餐会の場には慣れておいでですか?」
令嬢は微笑みながら答える。「はい、陛下。幼い頃からこうした席には度々出席しております」
「なるほど。流石ハウゼン公爵の御令嬢だけあって、貴族としての務めをきちんと果たしておられますな」アルチュールはようやく自然と会話出来るようになった。
「…御名前をお聞きしてもよろしいだろうか」
「はい、アレクサンドラ、アレクサンドラ・フォン・エングフルト=ハウゼンと申します」
「うむ、アレクサンドラ嬢、今後お世話になる時には宜しくお願い致す」
アレクサンドラとの会話は弾み、アルチュールはどんどん彼女に惹かれていった。その可憐で端麗な容貌、優雅で上品な立ち居振る舞いはさることながら、アレクサンドラの知性にもアルチュールは魅力を感じることとなる。
「陛下の御改革により、王国の未来がより明るくなりましょう」彼女の声は柔らかく、だが確かな敬意が感じられた。
「そうであればよいのだがな」アルチュールは軽く溜息をつく。「改革は、これまで苦しんできた属国にとっては大きな転機となるだろう。だが、それと同じほど反発もある」
「陛下の御負担は計り知れぬものでしょう。それでも、陛下のご決断は、この王国と属国の歪んだ関係を改善できるはずです」
アルチュールはその言葉に少し驚いた。ここまで政治の話に踏み込む令嬢はそう多くはない。改革を祝う晩餐会なのだから、形式的な賛辞が出るのは当然としても、彼女は政治にここまで深い理解を得ているのだろうか。
「…出過ぎた事を申しました、申し訳ございません」
「宜しいのです、アレクサンドラ嬢。…また是非お目に掛かりたいものだ。それでは、本日はこれにて」
アルチュールは一家に会釈すると、踵を返した。
やがて夜は深まり、晩餐会も終わりのムードへと向かっていく。
アルチュールは壇上で最後の挨拶を終えた後、大きな窓の外に広がる夜の庭園を見つめていた。
その時、アルチュールは一つの事実に気付いた。
もしや…私は、アレクサンドラ嬢に恋をしているのでは無いか?アルチュールは自らの感情と、それに今まで気付けなかった自分とに愕然としていたのであった。
続く