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第九話

 

 ──路上ライブ当日。


 近くの駅で待ち合わせた俺と朝比奈さん、そして瀬川は、そこから更に電車に乗ってこの近辺で一番の繁華街にやってきた。

 とんでもない人の数で、少しでも遅れたらすぐにはぐれてしまいそうだ。

 朝比奈さんの後をなんとか追いかけること数分。立ち止まったのは大通りから少し入ったところ。人は少し減ったとは言え、それでも俺が住んでる家の近くとは比べものにならない多さだ。



「おい、本当にこんなとこでやるのかよ」


「はぁ……はぁっ。本当に何考えてるんだか」


 隣で瀬川が酷く疲れきった表情を浮かべていた。

 こいつ、俺よりも体力ないって相当な出不精だな……。


「やるからには、私の始まりの場所でやりたいから」


 俺たちには目もくれず、朝比奈さんは一面に落書きがされている大きな壁を見つめてそう言った。



 ──始まりの場所。



 そう言えば、路上ライブで歌を聞いて歌手を目指したって前に言ってたな。


「あんたがそう言うなら見せてもらうよ。それと、はい。普通は機材も自分で用意するもんだけどね」


「ありがとね、瀬川さん!」


 瀬川の嫌味も、朝比奈さんは笑って返す。

 この調子なら大丈夫そうだろうか……。

 路上ライブをやるにあたっては、マイクやアンプといった機材が必要だった。俺はゲーム実況者だから、もちろん歌用のそんな機材は持ち合わせてなかったわけで。

 焦った朝比奈さんは、瀬川に頼み込んでなんとか貸してもらったというわけだ。


「あたしはそこのカフェで見てるから。あんたも機材設置してさっさと来なよ」


 そう言い捨てた瀬川は、少し離れたとこに見えるカフェへと歩いていってしまった。

 機械音痴な朝比奈さんの代わりに、機材の設置や調整は俺がやることになっている。と言っても、そんなに難しいことじゃないんだけど……。


「予想よりも人いるなぁ」


 小さなハードケースから機材を取り出していると、朝比奈さんからそんな言葉が漏れた。

 確かに、初めての路上ライブにしてはかなり人通りは多いとは思う。朝比奈さん目には、より多く映っているかもしれない。


「いつも通りの朝比奈さんなら大丈夫だよ」


 少し他人事みたいな言い方かもしれないけど。それでも、いつも通りの朝比奈さんを出せたら、聞いてくれる人はいるはずだ。


「……ねぇ、結構話すようになったんだしさ、その朝比奈さんって呼び方やめない?」


「はっ? なんだよ、急に」


「なんか余所余所しいかなぁって思っちゃって」


 突然の提案に戸惑いながらも、何とか頭を働かせて考える。


「朝比奈……?」


「う~ん、さっきより近くなったけど。どうせならもう一歩踏み込んで!」


「はぁ? もう一歩って。これ以上踏み込みようないだろ」


「鈍いなぁ。名前で呼んでって言ってるんだけど?」


「いや、それは……」


「ライブ前のお願い」


「……詩音」


「それで応援の言葉ちょうだい!」


「えっと……頑張れ、詩音」


「ありがと。頑張るね、樹」


 朝比奈さんを名前で呼ぶだけでも恥ずかしかったのに。逆に名前を呼ばれたことで、顔が一気に熱くなる。

 ちょうど機材の準備も整ったし、俺は早足で瀬川の待つカフェへと逃げた。





「あんた、顔真っ赤だけど」


「はぁっ……はぁっ。うるせえよ……」


 注文したアイスコーヒーをもって、瀬川が座るテラス席に腰かける。

 まだ六月も始まって少しだというのに、俺の身体は真夏のような暑さを感じていた。

 グラスに口をつけると、そこから一気に半分ほど飲み干す。

 からんと鳴った氷の落ちる音が、より気分を涼しくしてくれてようやく落ち着いてきた。


「ずいぶんと肩入れしてるんだね」


 一息ついたところで、隣からそんな言葉が飛んできた。

 声のほうへ視線をやると、瀬川は少し離れた朝比奈さんを見つめている。


「別に肩入れってほどじゃないけどな」


「罪滅ぼしのつもり?」


「……最初は全くそのつもりじゃなかった。けど、人前で歌えなくなった理由を聞いてからはそうなのかもな」


 相変わらず、こいつは人の痛いとこを突いてくる。

 自己満足ではあるけれど、少しでも朝比奈さんの力になれたなら……。遠い記憶の向こうにいるあの子への罪滅ぼしにもなるだろうか。

 あの事件の後に、離れ離れになってしまったあの子への。


「……力を貸したからって、過去は消せないよ」


「分かってる」


 昔、あの場で見ていた瀬川だからこそ、未だに俺のことを許せないのだって理解している。

 どんなに嫌われようと、仕方のないことだと思う。


「俺のことが気に入らないにしても、朝比奈さんの歌はちゃんと聞いてやってくれ」


「当たり前。実力を持った人はきちんと評価されるべきだと、あたしは思ってるから。そこに好き嫌いを含めるのはあたしのポリシーに反する」


「そっか。ありがとう」


「あんたこそ。ここまで付き合ったんだから、途中で見捨てるのはやめなよ」


「もちろん、最後まで付き合うつもりだよ」


 そんな会話していると、聞き馴染みのあるイントロが街の喧騒に混じって流れてきた。


「始まるみたいだね。はたして、どんな歌声なのか」


 昼の賑やかな街には不釣り合いにも感じる、静かなメロディ。

 どうか朝比奈さんがいつも通り歌えますように。そう、俺は心の中で祈る。




 けど────歌声が聞こえてくることはなかった。




 無情にも、歌のない音楽だけが辺りに響いている。

 マイクを構えた朝比奈さんは、ただ呆然とその場に立ち尽くしているようだった。

 通りがかった人たちは、目もくれずに次々と前を素通りしていく。

 ハッとして隣に目をやると、待ち続けるようにその視線は未だ朝比奈さんへと注がれていた。

 何とか持ち直してほしい……。

 だけど、そんな俺の願いも届かず。少しも歌声が響き渡ることはないまま、歌の一番が終わってしまった。


「結局、人前じゃ歌えないってことね」


 呆れたようにため息をつく瀬川。

 席を立って帰ろうとするもんだから、俺は咄嗟に手を掴んでいた。



「ちょっと待ってくれ!」




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