第八話
いつもより少し遅い帰り道。アスファルトを踏みしめながら歩く俺の隣には、今日も朝比奈さんがいる。
放課後、瀬川に音楽編集を頼みに行った俺たちはある条件を突き付けられた。
出された条件は──路上ライブで五人に立ち止まってもらうこと。
人前で歌うのが苦手な朝比奈さんにとっては最悪な条件だった。
「路上ライブか~。なかなか難しいこと言うなぁ」
「性格の悪いあいつが提案しそうなことだな」
「ふふっ。敷島くんっていつも冷静なのに、瀬川さん相手だとちょっとムキになるよね」
「ムキになってない」
「ほら、そういうとこ」
本番の日程も話し合って、来週の土曜日に決まった。
どこでやるのか、その場所は朝比奈さんの自由。
条件を達成するのもそうだけど、なにより歌で瀬川を満足させなければならない。
いつも通りの実力を出すには、人が少ないところを選ぶべきなんだけど……。『五人に立ち止まってもらう』という条件のせいで、人通りの少ないところで路上ライブをやるのも難しい。
こういう抜け目ないところも、本当に瀬川らしいなと思う。
「……やっぱり別のやつを探したほうがいいんじゃないか?」
あいつにこだわらなくても、探せば編集が出来る人はいくらでもいる。わざわざ辛い思いをしてまで、頼むことはないはずだ。
「ううん。ここで瀬川さんを納得させられないなら、歌手なんて夢のまた夢だし」
まだ話して一週間くらいだけど、朝比奈さんならそう答えるだろうと思った。
「頑張るからさ。敷島くんにも応援してほしいんだ。一人だと多分、心に余裕がなくなっちゃう」
笑顔で話しているけど、その表情の奥にはどこか不安げな様子が見て取れる。
いつも通り真っ直ぐに振る舞っているけれど、やっぱり朝比奈さんも怖いんだな……。
「分かった、俺に出来ることなら手伝うよ」
「ふふっ、ありがと。それじゃあ、敷島くんの為にも頑張らないとね~」
「俺のことは気にしなくていいって。とにかく朝比奈さんが後悔しないように。路上ライブなんて、普通の人でも緊張するだろし」
「まず経験しないもんね。そもそも大勢の人の前で歌うのって何年ぶりだろ」
「……言いたくなかったら言わなくていいんだけど、どうしてそんなに人前で歌うのが苦手なんだ?」
朝比奈さんが人前で歌えなくなった理由──出会った最初の日からずっと気になっていたことだ。
嫌なことを思い出させるかもしれないと思って聞くのを躊躇っていたけど、やっぱり知っておきたかった。
俺の質問を聞いた朝比奈さんは、顔を少し歪めるとゆっくり顔を落とす。
やっぱり、答えづらい質問だっただろうか……。
「ごめん、やっぱり答えなくても──」
「昔、歌を馬鹿にされたことがあるの」
その言葉を聞いた瞬間、俺の心臓が大きく跳ねた。
「幼稚園のときのことなんだけどさ。下手くそって、大勢の前で馬鹿にされて……。いつまでも引きずってるなって話だよね」
そう言う朝比奈さんの表情は笑っていたけれど声は震えていた。
そんなことない。傷つくに決まってる。そんな言葉をかけるべきなんだろう。
だけど、俺が言葉をかけていいのか……。昔のあの子がもしも朝比奈さんだったら……。
考えれば考えるほど、息苦しくなってくる。嫌な汗が背中を伝う。
記憶の奥に居続ける歌が好きだったあの子を思い出そうとするけど、どうしても靄がかかっていた。
あのときの子はもしかして────
「敷島くん?」
「……っ!」
そう呼び掛けられたことで、考え込んでいた頭の中がハッと我に返る。目の前には、いつの間にか俺の顔を覗き込んでいる朝比奈さんの顔が。
「すごい顔色悪いけど、大丈夫?」
「あ、あぁ。悪い。ちょっと今日は先に帰る」
「えっ、ちょっと。気をつけて帰ってね……?」
後ろから朝比奈さんの声が聞こえてくるけど振り返る余裕はなく、今は一刻も早く家に帰るために走った。
※
靴は脱ぎっぱなし、教科書の入ったリュックも雑に放って。一心不乱に階段を駆け上がっては、足を止めることなく配信部屋へ。
ゲーミングチェアに身体を預けると、荒くなった息を落ち着かせるように深呼吸を繰り返す。
数分繰り返してようやく頭が冷えてきたところで、俺はパソコンを起動してゲームを開く。
卑怯かもしれないけど、今の気持ちを誰かに相談したかった。
俺にとってその相談が出来るほど信用してる相手は一人しかいない。その人物がログインしているのを確認すると、キーボードでメッセージを打ち込む。
『empty : 大和さん、今いいか?』
『大和 : どうした、ランク戦回るか?』
『empty : いや、そうじゃないんだ。ちょっとリアルのほうの悩みを相談したくて』
正直、断られる可能性のほうが高いだろう。ゲームの中でリアルの話を持ち出すのはタブーだ。
だけど、そんな心配は杞憂とでも言うように一瞬でメッセージが返ってきた。
『大和 : もちろんいいぞ! 恋バナか!?』
『empty : 恋バナじゃない』
『empty : 実は今、とある子の夢を手伝ってるんだ』
『大和 : それで最近インが遅かったのか』
『empty : だけど、俺にその夢を手伝う資格があるのかなって思って』
『大和 : なんでそう思うんだ?』
『empty : 昔、その子の好きを否定したかもしれない』
『empty : トラウマになるようなことをしたかも』
そんなメッセージを送信したところで、幼稚園の頃のあの光景が再び頭の中に浮かぶ。
どうしても鮮明には思い出せないあの子の顔……。
『大和 : でも、手伝っているその子はオマエの助けを必要としているのだろう?』
『empty : そう言ってくれてるけど』
本当に俺は必要なのか。ゆっくり打ち込みながら、そんな考えがぐるぐると頭をかけ巡る。
『大和 : だったらやることは一つだろう』
『大和 : 今度はその手を離さないようにすればいい』
『大和 : やってしまった過去はどう足掻いても消せないのだから』
『大和 : その過去を背負いながら、助けを求める目の前の人間に出来る限り手を貸してやれ』
『大和 : それがオマエの出来る贖罪じゃないか?』
次々と送られてくる大和さんからのメッセージ。
そんな言葉の数々を見て、俺の頭はやっと冷静さを取り戻せていった。
過去は消せない。助けを求める手を離すな。
──ここで朝比奈さんを突き放したら昔と同じことだ。
『empty : ありがとう。少し気が楽になったよ』
『大和 : 力になれたのなら何よりだ』
改めて大和さんのメッセージを見返していると、俺の倍は生きてるんじゃないかと感じるほどにしっかりした人だと思った。
同年代で、こんな意見を持てる人もいるのか……。
『empty : 大和さんって本当に高校生?』
『大和 : 正真正銘の高校生だ!』