第六話
「いたんだよ! 音楽編集が出来る人!!」
朝だとは思えないハイテンションで、朝比奈さんは俺のほうに迫ってくる。
学校に行こうと家を出たらいきなり朝比奈さんがいたもんだから、頭の中ではまだ状況が追い付いていない。
「えっと……それは良かったな」
「友達に聞いただけで、正確にはまだ確定じゃないんだけどね。でも、出来るんじゃないかって人が同じ学年にいるみたい」
俺たちの学年は八クラス、合計三百人近くの生徒がいるんだから、音楽編集が出来るやつがいてもおかしくはないだろう。
この間、朝比奈さんが家に来たときに話した、俺が心当たりのある人物だってその中の一人だ。
「そうだったのか。それで、なんでそのことを俺に?」
「あのね、昼休みにその人とお話だけでもしたくて。そこに敷島くんもついてきてほしいの。私の協力者として!」
いつから俺は協力者なんてものになったのか……。
「俺が一緒に行っても何も力になれないだろ」
「そんなことないよ。私の不安が和らぐから!」
意気揚々とそう言われては返事に困る。万が一の為のリスク回避としては、断りたいのが正直なところだ。俺の心当たりと朝比奈さんの見つけた人が、同じ人物の可能性もあるわけだからな。
「ちなみにだけど、その編集出来そうなやつって何組なんだ?」
念のために、遠回しで情報を聞いてみることにする。
音楽編集出来るって人が三組じゃなければ、俺もこんなに心配することはないんだから。
「えっと、確か二つ隣の三組だったかな?」
絶対一緒だ……。音楽編集なんて出来るやつが、一クラスに二人もいるわけがない。
これは何としても断らないと。俺自身の為でもあるけど、何よりも朝比奈さんの為でもある。
「悪い。今日の昼休み呼び出されてたの思い出したわ」
咄嗟に考えた言い訳で、何とか押しきろうと試みる。
極力ポーカーフェイスを保ちながら、なるべくいつも通りに……。
「……嘘だね」
なんでこんなときだけ勘がいいんだよ。表情に出したつもりはないのに。
「ね~お願いだから! 私を助けると思って!」
「いや、俺が行ったっていいことないから。朝比奈さんが一人で行ったほうがいいって」
「私が安心出来るんだからそれでいいの! とにかく決定ね?」
結局、朝比奈さんに押しきられることに。
今から昼休みが憂鬱だ……。
昼休みを告げるチャイムが鳴ると、昼飯を待ち望んでいた生徒の声で一斉に溢れかえる。
この喧騒に紛れてこっそり逃げようか。そう頭に浮かんだけど、今日逃げたところで朝比奈さんなら明日も来るだろう。
そうなると面倒事が増えるだけなので、仕方なく待つことにした。
チラリと視線を送ると、朝比奈さんはそれに気づいた様子で早足で近づいてくる。
「敷島くん、行こっか!」
そんな声で、教室の視線が一気に突き刺さってきた。
男子の嫉妬混じりの視線や、女子のどうしてあんなやつとって表情に出てる視線まで。その全てが俺たちのほうに向いている。
「ど、どうしても行くのか?」
周りの視線を気にするが故に、つい小声になってしまう。
「今さらうじうじ言ってないで行くよ~」
だけど、朝比奈さんはクラスの様子なんて全く気にする様子はない。強引に手を掴まれたら、引きずられるようにして連れていかれた。
「すみませ~ん。瀬川さんいますか~?」
三組に着くなり、朝比奈さんは教室中に響くほどの声量で目的の人物の名前を呼ぶ。
瀬川──その名前を聞いて、俺の不安は的中だったと確信した。
「あそこで寝てるよ」
近くにいた女子が、教室の奥で机にうずくまってる銀髪の女子を指差す。
「あの子が……! ありがとねっ」
他クラスにも関わらず、朝比奈さんは銀髪の女子に向かって一直線に進んでいく。
これだけ入り込んでいけるなら、やっぱり俺は必要なかったんじゃないか。
「ねぇねぇ、瀬川さん。ちょっとお話いいかなっ?」
「ん……なんなの。この時間に寝るのが一番気持ちいいの……にっ!?」
起き上がるのと同時に揺れるサラサラの短い銀色の髪。
寝ぼけた声で文句を垂れ流していたけれど、俺と目が合った瞬間にこいつの言葉が止まった。
眠たそうだった目も、一瞬で鋭いものへと変わる。
「なんであんたがここにいるのさ」
「えっ? 二人って知り合いなの!?」
「まぁな……」
瀬川凪──昔からあまり変わらない小柄な身体に、ジトっと睨みつけるような目付きの彼女。
こいつこそが、俺がこの件に関わりたくなかった元凶だ。
「友達だったなら早く言ってよ~」
「「友達じゃない!!」」
俺と瀬川の声がハモる。笑っていた朝比奈さんも、その声に驚いてか呆然としているようだった。
瀬川のほうは、ハモったのが気に入らないのか舌打ちしてるし。お前が合わせてきたんだろ……。
今は朝比奈さんもいるわけだし、場を整える為にも俺は軽く咳込んでから事情を説明する。
「……幼馴染みなんだよ、こいつとは」
「それも違う。ただ親同士の仲が良いだけ。あたしとそいつは全く繋がりないから」
こいつ、せっかく丸く収めてやろうとしてるのに……。
段々とイラつきを隠せなくなってきて、俺は瀬川を睨みつける。
「まぁまぁ! ちょっと敷島くん来て」
剣呑な雰囲気を感じたのか、腕を強引に引っぱられると離れたところに連れていかれる。ある程度距離を取ったら、朝比奈さんは声を潜めて話し始めた。
「こんなの聞いてないんだけど……!?」
「朝にこの話を聞いたとき俺は断ったぞ」
「私のせい!? まぁ、無理やりではあったか」
「前に音楽編集の話になったとき、俺も心当たりがあるって言ったと思うけどさ。それ、あいつのことだよ」
「マジか……」
こんなことになるなら、俺がハッキリ言っておけばよかったのだろうか。
朝比奈さんに影響を与えたら申し訳ないと思って言わないでいたけど、結局こうした形で迷惑をかけてしまった。
「こ、ここは私が間を取り持ってあげようか!」
「絶対無理だよ。俺たちの関係よりも、編集の話をしに来たんじゃないのか?」
「あっ、そうだった……」
本来の目的を思い出した朝比奈さんは、意を決した様子で再び瀬川のほうへ近づいていく。
「あのさ、ちょっと瀬川さんとお話したいなっていうか……」
「嫌だね。あたしは話すことはないから」
瀬川は、朝比奈さん相手でも態度を変えなかった。
俺のときと同じ態度で接されると思わなかったのか、朝比奈さんの顔が少し強張ってるような気がする。
「そんなこと言わずにさ! 瀬川さん、音楽の編集が出来るかもって聞いて──」
「ちょっ!?」
突然勢いよく立ち上がった瀬川は、言葉を遮るように無理やり朝比奈さんの口を塞いだ。
「なんてこと言ってくれてんの……。分かった、話は放課後に聞くから。もう今は黙って帰って」
声を震わせながら、有無を言わせぬ恐ろしい形相で俺たちを交互に睨みつけてくる瀬川。
その表情を見て、朝比奈さんは首を何度も縦に振っていた。
俺も早くここから離れたかったから、一足先に背を向ける。少し遅れて朝比奈さんも逃げるように追い付いてきて、三組の教室をあとにした。