第五話
「ここが俺の部屋。配信部屋以外は特に何もないけど」
「もっと汚いかと思ったけど意外と綺麗にしてるんだね」
「俺だって生活スペースは綺麗にするさ」
朝比奈さんの中では、そんな酷いイメージを持たれてたのか。
普段ゲーム実況をしている環境で、歌を録らせてほしいっていうお願いから、こうして部屋に案内しているわけだけど……。俺の部屋に家族以外の人間が入るのは、朝比奈さんが初めてだった。
「それで、あそこが配信部屋だな」
俺が指差したのは、殺風景な部屋の隅に置かれたもう一つの小さな部屋。普通の高校生の部屋には、まずないであろう防音室だ。
扉を開けて、いつも配信している部屋を見せる。
「おぉ~、なんか秘密基地みたいな感じだね?」
「たいして広くないからな。これだと録るときも一人になるし」
「私、難しい操作とか出来ないからね? 壊しても弁償出来ないよ!?」
「さすがにマウスを押すくらいは出来るだろ? 準備するから少し待っててくれ」
そう言って俺は配信部屋に入ると、座り慣れたゲーミングチェアに腰かけて、歌の収録に必要な録音ソフトを探してみる。
このパソコンをゲーム関係以外のことに使うのは初めてかもしれないな。
「ねぇねぇ、そういえば敷島くんのゲーム実況ってどれくらいの人が見てるの?」
開きっぱなしの扉からひょっこっと顔を覗かせてくる朝比奈さん。
「枠によって違うから具体的な数字は言いづらいけど、一応チャンネル登録者数はもうすぐ二万人かな」
「二万人!? えっ、敷島くんってもしかして凄い人!?」
「いやいや、凄い人は何十万人って登録者数だから」
「私からしたら二万人だって十分凄いよ。それだけの人に、敷島くんの好きって気持ちが伝わってるってことじゃん」
何気ない表情から放たれた朝比奈さんの言葉に、俺は思わず動きを止めてしまう。
「……別に好きじゃない」
ゲームは別に好きなことじゃない。暇な時間を潰す為にただ何となくやっているもの。俺なんかが、好きなものを作っていいはずがないんだから。
「っていうか、敷島くんのチャンネルで私の歌を投稿したら二万人の人に見られるってことだよね?」
頭の中が重々しくなっていたところに、朝比奈さんの好奇心でみち溢れた声が響く。
俺の好みは今考えるべきことじゃないな。
楽しそうに妄想を膨らます彼女の姿を見て、気持ちをリセットすることにした。
「急に動画のジャンルが変わることになるから勘弁してくれ。朝比奈さんのチャンネルも、ちゃんと作るから」
「ごめんごめん。ファンは自分の実力で集めるから。そこは安心して!」
「二万人なんて、朝比奈さんだったら簡単に越えるさ」
朝比奈さんの夢を手伝える資格があるのか分からないけど。とにかく今の俺が出来ることをやろう。
録音ソフトを探したら、次にマイクの準備に取り掛かる。
朝比奈さんの身長は、俺と並んだ感じ十センチくらいの差な気がする。ということは、一六五センチくらいだろうか。
何となくで目星をつけて、マイクスタンドのアームを調整してみる。
「よし、準備出来た。あとは歌う曲だけど、何を歌うのかは決まってるのか?」
「今日はお試しだから、私の十八番にするよ。投稿用はまた考えておく」
朝比奈さんはまた俺の家に来るつもりなのか。
今知ったことに戸惑いながらも、言われた曲セットする。
最後に、ゲーミングチェアを防音室の外に出せば準備完了だ。
「これで一応できると思う。ビデオ通話も繋いでおいたから、何か分からないことあったら言ってくれ」
それから、小学生でも出来るだろう操作を一通り説明する。
ちゃんと理解してもらえただろうか。若干の不安はあるけれど、今度は朝比奈さんが一人で防音室へと入っていった。
『やっほ~、聞こえてる?』
「あぁ、聞こえてるよ」
『よし、じゃあ歌ってくね~!』
壊されないかとビデオ通話越しに様子を見守る。操作に時間かかっている気はするけれど、何とか始められそうで安心した。
短い沈黙の後、ビデオ通話を繋ぐ俺のスマホからも音楽が流れ始める。
その後に続くように、朝比奈さんの歌声も聞こえてきた。
この曲は、昨日も空き教室で聞いた曲だな。やっぱりいい歌声だ。聞いたらファンになる人だってきっと多いと思う。
──朝比奈さんの夢である歌手。
その夢だって、上手く噛み合えばすぐに叶ってしまうんじゃないかとすら思うほどだった。
だけど、朝比奈さんは人前で歌うことをどう克服するのだろう。いくらなんでも、好きという気持ちだけでやるには限界がある。
そもそも、朝比奈さんはなんであんなに人前で歌うのが苦手なんだろうか……。
そんな疑問を浮かべながら聞いていると、何故だか少し違和感を感じた。
上手く言えないけど、昨日の歌声と比べると何かが少し違う……。
違和感が俺の心に残り続けたまま、流れるように時間は過ぎていった。
「はぁ~生き返る。やっぱ防音室いいなぁ」
一時間ほとんど休憩なしで歌い続けた朝比奈さんは、コーラを一気飲みしながら防音室のほうをじっと見つめていた。
男子高校生の部屋のはずなんだけど、朝比奈さんは自分の部屋のようにくつろいでいる。
「それで、録った歌はどうだった?」
「いつもよりは全然良かったよ? でも何か物足りない気がするんだよね」
「それが編集の問題だな」
朝比奈さんの歌自体も昨日と違った気がするけど、それは言わないでおくにした。
たまたま昨日が調子良かっただけの可能性もあるわけだし。もちろん俺の気のせいだってこともある。
「編集かぁ……」
「それこそ依頼するのはダメなのか? 編集なんだから目の前で歌う必要もないし」
「依頼っていう感じより、私の歌を良いって思ってくれる人にお願いしたいんだよね。同じ夢に突き進んでくれる人、みたいな」
やっぱり、歌に関してのこだわりは相当強いんだな。
あまり気の進まない案だけど、朝比奈さんの為なら……。
そう思って、俺は一つの提案をしてみることにした。
「一応編集が出来そうなやつに心当たりあるんだけど、どうする? 俺は同伴出来ないから、朝比奈さん1人でやってもらうことになるけど」
「なんで敷島くんは来れないの?」
「こればっかりはなんというか……色々あるんだよ」
あまりにもストレートな質問に、俺は歯切れの悪い返事になってしまう。
その心当たりの人物は、正直あまり頼りたくない相手だ。俺が一緒にいると、おそらく編集どころの話じゃなくなる。それくらい関係性が最悪だった。
「ふ~ん、でも敷島くんが一緒じゃないなら遠慮しとこうかな」
「いや、俺のことは気にしなくてもいい」
「ダメだよ! 敷島くんには私の夢に付き合ってもらうんだから」
ちゃっかり大きなことに巻き込まれてる気がする。
だけど、朝比奈さんが俺の提案を断ってくれたことにはホッとした。
「編集出来そうな人が周りにいないか、私も探してみるよ!」
「俺は人脈がないに等しいからな……。まぁ、頑張ってくれ」
こればっかりは俺にはどうにも出来なそうだな。
いい時間にもなり、満足気な笑みを浮かべて帰る朝比奈さんを見送ると、俺はすぐさま自分の部屋に戻ってベッドに寝転がる。
今日はもう、ゲームをやる体力は残っていなかった。
※
朝比奈さんが、俺の家に来てから一週間。
あの後はというと──ビックリするほどに何も話しかけられなかった。
何か不快にさせただろうか。いや、そもそも何で話しかけてもらえると思ってたんだ。
そんなことで頭の中がいっぱいになりながらも、今日も一人で家を出る。
ただそれは、しっかり鍵をかけて歩き出そうとしたときだった。いるはずのない人影が俺の目に飛び込んできたのは。
「あっ、やっと出てきた。おはよ! 敷島くん」
「朝比奈さん!? なんで、わざわざ俺の家に」
いつから待ってたんだ。っていうか、待つくらいならインターホン鳴らせばいいのに。
混乱して上手く状況が飲み込めない中で、朝比奈さんはさらに俺を混乱させる言葉を放った。
「いたんだよ……」
「……何が?」
「いたんだよ! 編集出来る人!!」