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かぶと虫

作者: 丸凛

「これは何なのだ」


 旅人が言った。


「こいつは私のかぶと蟲だ」


 男は答える。


「ではこのかぶと虫を私に譲ってくれないか。もちろん金なら弾む」

「ダメだね。こいつは私が大変な苦労をして捕まえたかぶと蟲で、なにより私の無二の友なのだ。金に変えられるものではない。さあ帰った、帰った」

「100万カラットでどうだ?」

「100万カラット…笑わせるな。本当にそんなに出せるのか」

「あぁ、きっと出そう。いや必ずや持ってくる」

「駄目だ、今ここで出してもらおう。本当にこいつが欲しいのなら、出すのも容易だろう」

「勘弁してくれ、私のようなものが大金を持ち歩けるわけがなかろう。明日必ずや100万カラットを用意する。それで手を打ってもらえないだろうか」

「フン、良いだろう。持ってこれるならの話だ」


 男が鼻で笑いながらそう答えると、旅人は不敵な笑みを浮かべながら男の靴屋を後にした。


「しかしまあ、変な奴もいたものだ。100万カラットも出してお前を欲しいんだと。俺だって冗談に付き合っている暇はないのだがね。なあかぶと蟲よ」


 かぶと蟲は木箱の中で固まっていた


「お前もつれないやつだ。一言二言ぐらい返してくれればいいものを。仮にも売られそうになっているのだぞ、まあ売る気などないがな」


 しかし男はどうも腑に落ちなかった。夕飯のパンを食べながらその不自然の原因を考えていた。その時男のスプーンからジャムが、かぶと蟲の住む木箱の中へと落ちた。先程まで石像のように微動だにしなかったかぶと蟲はそのジャムを見るやいなや、早々とジャムを食べだした。男は驚きこそすれど、すぐに外出の準備を始めた。


 翌日、朝一番で旅人はやってきた。旅人は右手に拳四個分ほどの大きさの布袋を持っていた。


「本当に来るとはな」

「約束だ。かぶと蟲を渡してもらおう」


 旅人が持っていた布袋をテーブルの上に置くと金貨同士がぶつかり合う音が響いた。男がその布袋の中身を確認するとそれはやはり本物の金貨であった。


「数えてもらっても構わない。100万カラットあるはずだ」


 中には1万カラットが100枚詰められていた。中を確認すると男は部屋の奥に行き、木箱を持ってきた。


「ほら約束の物だ」


 旅人が木箱の蓋を開けるとそこにはかぶと蟲がいた。かぶと蟲がいるのを確認すると、旅人は不敵な笑みを浮かべながら足早に靴屋を去った。


 男はそれを見てもう一度木箱を取り出す。


「馬鹿なやつだよな、あいつあのかぶと蟲を、お前だと思ってやがるぜ。あの時俺は言ったもんな、お前は私の無二の友なのだと」


 やはりかぶと虫は固まったまま何も言わなかった。


 それから何日か経ったある日、今度は隣に住む帽子屋がやってきた。


「近頃お前さんを見ると良い顔をしているのだが、景気でも良いのか?」

「なあに、馬鹿を釣っただけさ」

「そりゃあ面白い。何で釣ったんだ?」

「かぶと虫だ」

「何だね、そのかぶと虫というのは?」

「見るか、奇妙だがとても格好良いのだぞ」


 男はそういって部屋の奥に入り、木箱を取り出す。


「これがかぶと虫か」

「馬鹿はこれを見て100万カラットも出したのだ」

「そうか…私に譲ってくれないか?」

「ううむ…良いだろう、親友のお前のためだ。1万カラット出してくれるなら譲ろう」

「本当か。では明日また」

「ああ、またな」


 男が冗談交じりに了承すると、帽子屋は大喜びで店を去った。


「お前は大層な人気者なのだな。早く捕まえにいかなければな」


 次の日、やはり帽子屋は朝一番に飛んでやってきた。


「1万カラットだ、ほらよ」

「…あ、ああ」


 帽子屋は少し顔をしかめたが、男を見るなり


「まあ、いいか」


 と吐き捨てて、後退りしながら店を後にした。男は帽子屋の行動に疑念を抱いたが、手のひらに乗せた1万カラットを見ると、不安などすぐに忘れ去った。


 次の日、男は靴の材料を買うために革職人のもとへ出かけた。革職人は男を見るなり駆け寄ってきた。


「おい、お前かぶと虫って知っているか。このように頭に神の矢のような角があり鎧のような骨格を持ちつつ、未来を見通す如く眼光を照らす昆虫だ」


 革職人は大げさな動作で、かぶと虫の角を表していた。


「ああ知ってるさ、しかしなぜお前がそれを知っているんだ」

「なぜって、お前さんこそ。街では大騒ぎなんだぞ」

「大騒ぎだと、一体どうして」

「ちょっと来い」


 革職人に連れられ市場の中心の噴水広場に行くと、大勢の人がある男を囲んで集まっていた。


「あ、あれは…帽子屋」


 そこには大衆の真ん中で立ち台にのぼり、木箱を掲げる帽子屋の姿があった。


「矢のような角、鎧のような骨格、光り輝く眼光、これこそ神そのものだ。一口10万カラットで30万からだよ」


 だが明らかに帽子屋の言葉には間違いがあった。男はすぐにそれに気がついた。


「おい、どこをどう見たら矢のような角なんて見えるんだ?」


 そうだ、そのかぶと虫は帽子屋に冗談で渡した角のないかぶと虫だった。だが、帽子屋はそれでも芝居をうつようだった。


「庶民に見えるわけがない、神性さえある角は神性を真に信じるものにしか見えないだろう。故に貴殿らは角を見ることができないのだ、伝承によればこんなにも大きい角を持つのだ!」

「んな馬鹿な」


 男がそう言っても事態は遅かった。


「俺は50万出すぞ」

「あたしゃ70万」

「貧乏人は引っ込んでろ、100万カラットだ」

「うるせえ、120万だ」

「分かった、こうしよう。ここにある50枚の券はどれかがこの神の虫を我が物にできる券だ。これを一枚30万で売る。さあ早いもん勝ちだよ」

「神の虫は俺のものだ」

「どけ、俺が勝ち取るんだ」


 そしてそこには一匹のかぶと虫を中心に有象無象とした人間が広場を埋め尽くす異様な光景が広がっていた。だが50枚の券がなくなると人々はすぐに何処かへと消えていった。


 男は言った。


「どういうことだ。あのかぶと虫はお前にあげたものだぞ」

「そうだ、かぶと虫はお前から譲り受けたもの。だから俺がこのかぶと虫をどう使おうが俺の勝手だ」


 隅に置かれていた木箱の中ではかぶと虫が固まっままいた。


「かぶと蟲をそんなことに使うとはいつかきっとバチが当たるぞ」

「フン、かぶと虫の神とやらが本当にいると思っているバカは、気が済むまで言ってればいいさ」


 そういうと帽子屋は木箱と1500万カラットを持ち、口笛を吹きながら去っていった。


 男は考えた。どうすればあの小賢しい帽子屋を唸らせることができるのか。その一晩中寝る間も惜しんで考えた。考えた末に男はあることに気がついた。


 そうだ、あの券をたくさん偽造してバラ撒けば券一枚の価値が低くなりそしてあいつは券もろとも信用を失う。


 男は初めは馬鹿なりにもそう考えて帽子屋を困らせるための策を考えた。


「これで仕返しができるな」


 男は木箱の中を見つめたがかぶと虫はやはり動かずジッとしていた。


 次の日、男は100枚ほど作った偽の券を持って、昨日帽子屋がやったのと同じように広場の立ち台に立ってこう叫んだ。


「昨日の帽子屋は腹黒なことにあの券を他にも隠し持っていた。この100枚は俺があいつの隙をついて入手したものだ。本物の神の虫の券だ!」

「本当なのか」

「あぁ、本当だ。だからこれを今からお前らに……」

「なら俺にも一枚30万で売ってくれ」

「え……」

「待て、俺は1枚40万で5枚買う」

「うるさい、俺は1枚50万だ」


 男は券をばら撒くつもりだったが、広場には神の虫に取りつかれた狂気の群衆で埋め尽くされていた。


「だから……」

「分かった、俺は60万だ」


 男の静止にも聞かず券の相場はどんどん上がっていく。そんな中ある声があがった。


「静まれ!私はここの領主だ!近頃神の虫とやらが話題に上がっていると聞いた。私を差し置いて神の虫を得ようなどという貧乏人の醜い競争に耳を傾ける気は毛頭ない!1枚100万で全て買う!」


 かぶと虫の噂は既に領主の耳にも届いていたらしく、ついに領主が券に大金を叩こうとしてる。このような状況下で、男には一つの出来心が生まれた。


「この券は領主様のものだ!」


 男は高らかに声を出した。


 夕方、男は部屋の金庫に収まらない1億カラットをただじっと見つめていた。馬が10頭買えるこの額に一介の靴屋が愕然とするのは無理もない。


「世の中は馬鹿なやつばかりだ。頭のいい俺がそういう奴らに鉄槌を下す。良い物語だとは思わないか。お前もそう思うだろう」


 かぶと虫はあいかわらず羽音すらたてなかった。


 しかし、領主にまで介入されてしまっては、もう偽券を新たには作りにくい。男はそう考え、また新たな策を寝る間も惜しんで考えた。


 悩んだ末に男は最初に帽子屋が売りつけた券を買い戻すことに決めた。


 翌朝、いつもの広場の立ち台に上って口々にこう叫んだ。


「神の虫を手にする券を全て一枚100万で買おう!」


 しかし人々は明らかに儲けの出るその額でなぜか売ろうとはしなかった。皆、一枚、120万、はたまた150万とどんどんと値を釣り上げたのだった。どんどんと跳ね上がる券の時価に男は悩まされたが、それでも男は諦めなかった。


 どうにかして帽子屋を懲らしめなければならない。かぶと虫の神だって許してくれるだろう。そう思い、店の売上金すらはたいて、1億7000万カラットほどを神の虫の券に費やした。


 全ては帽子屋を懲らしめるため。それにあの領主にまた売りつければ軽く2億はくだらないだろう。黄昏の空の下で広場からの帰り路、空の布袋と120枚の券を持った男は終始自分にそう言い聞かせた。


 その晩、一晩中かぶと虫はその小さくも、部屋中に響き渡る羽音を奏で続けた。目覚める度に男は木箱をドンと床に打ちつけては、音がしなくなったのを確認し横になる。それを一晩中繰り返した。


 朝早く、男は券を持って領主の館へと向かった。だが館に着くなり異様な光景を目にした。そこには領主の館に連行されていく、かつての友人、帽子屋の姿があった。帽子屋は男を見るなり、怒髪天を衝くほどに怒鳴った。


「すべてお前のせいだ!かぶと虫などという邪悪な虫を使っ騙しやがって。俺が死んでもこの表情は目に良く焼き付けておけ!いつでもお前の目に映ってやる、怨霊になってでもな!」


 帽子屋がなぜ捨て台詞を吐いて、奥に連れ込まれたのか、男は一向に理解できなかった。


 だが男にとって袂を分かった帽子屋のことなどは眼中になく、券を領主に売るために急いで領主のもとへ向かった。領主がいる館の門には衛兵が一人いた。


 経緯を説明し、中に入れるよう願う男に対して、衛兵は「消え失せろ」とだけ言って切り捨てた。それでも男は衛兵に「領主と会わせてくれ」と一歩も譲らなかった。


「どうして領主は俺に会わないんだ!」

「お前のような悪人に会う馬鹿はもういないのだ、いい加減にしろ!」

「黙れ!神の虫を馬鹿にするものはかぶと虫の神に祟られるぞ!」

「フン、かぶと虫の神とやらが本当にいると思っているバカは、気が済むまで言ってればいいさ」


 衛兵はそういって男を館の外へと追い返した。


 あんなにかぶと虫に熱狂していた街は、別の街のように変貌していた。そう男の目には映った。


 これもかぶと虫のため、かぶと虫のため…


 黄昏の空の下で広場からの帰り路、空の布袋と120枚の券を持った男は終始自分にそう言い聞かせた。


 男は家に帰り、火も灯さずにもつけずに、ただじっと、息もしないかぶと虫を見つめていた。


「そうか……お前、ではなかったのか……そうだったか……」


 翌朝、虫の息の男のもとへ、見覚えのある顔が訪れた。


「これは何なのだ」


 木箱の中を見せ旅人が言った。


「こいつは…私のかぶと蟲だ……」


 男は答える。


「そうだ、これはお前のかぶと蟲だ。だがこれは私のかぶと蟲でもある……100万カラットでどうだ?」


 旅人はあのときと同じ不敵な笑みを浮かべて男に言った。


「100万カラット…笑わせるな。本当にそんなに出せるわけないだろう」

「あぁ、きっと出せる。2億、手にするんだろう?」


 旅人がそう言うと、鼻を欠いたはずの男は鼻で笑った。

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