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私の推理は時に当たる

作者: 工藤黒音

全六部屋のアパート。二階角部屋の私は、決まって午後十時に隣室から聞こえてくる騒音に悩まされていた。その音は、例えば重いものを床に落としたような、例えば成人男性が床を飛び跳ねているような、例えば柔道の前回り受け身を必死に練習しているようなそんな音だった。


いつから始まったのかもはや覚えていない。今日日、わざわざ隣の部屋に引っ越しの挨拶などそうそうしないものだから隣室に誰が住んでいるのかは知らないものだ。ゴミ捨てに出た時にこのアパートに入っていく男性の姿を見かけたが、果たしてそれが隣人なのかすら分からない。音は30分程で終わるので深夜に寝床に入る私にとっては、特に支障がなく気に留めてはいなかったのだが、こうも連日続かれるとうるさいという気持ちよりも一体何をしているのだろうという興味の方が勝っていた。音が発生した時点で隣室に駆け込み、何をしているのかと問えばすぐに問題は解決できるのだが、そうは許さなかった。何をしているのか想像をするこの時間が逆に楽しみになってしまったからだ。


さて、それでは今日も推理をしていこうと思う。


冒頭で挙げた三つの例。これは最近私が考えた仮説だ。まず、重いものを床に落としている説。しかし、毎回決まった時間に重いものを落とすなんてそうそう無いことだ。もしそれが家具なのだとして毎度この時間にそれが倒れてしまい、音が発生していたとしたらそれはもうそこにそれを置く必要なんて無いし、隣室でこんなに大きく音が聞こえているのならば自身ではもっと大きな音が聞こえているはずだ。さすがに家具が原因ならば一度目の音ですぐに場所を変えているだろうし。もしこれで変えていなかったとしたらそれはもう頭が悪い隣人ということで片が付いてしまう。


次に、飛び跳ねている可能性についてだ。こちらも可能性にしてはあまり高くない。だってそんなの何が楽しいんだという話だ。飛び跳ねることなど、すでに成人から10年近く経とうとしている私でも人生で二度三度あった程度だ。それに飛び跳ねるほど喜ばしいことがそう毎日あるわけがない。まぁ人によっては道行く信号がすべて青だった嬉しい!と言って自宅で飛び跳ねることもあるかもしれないが、それこそ全人類の1%以下程度だろう。その1%が隣にいるなんてどれほどの幸運の持ち主なんだ私は。それこそ飛び跳ねるぐらい喜ばしいことだろう。当選レベルだ。同じ当選ならば宝くじに当選したい。


最後に、むしろこれが一番現実的であると思う。そう、前回り受け身の練習というものだ。おそらく隣室の人は柔道に関する何かしらの人で、毎日この時間になったら前回り受け身の練習をしているのだ。隣人が柔道をしているぐらいガタイの良い男性だとしたら、受け身の際に生じる、手で床を叩くあの行為が音を発生させているのだ。いやもうこの際、前回り受け身じゃなくたっていい。横受け身でも、後ろ受け身でもなんだっていい。大事なのは床を手で叩くあの行為だからだ。あれならば自身は音を気にすることは無いし、喜び勇んで飛び跳ねていることもない。うむ、自分で考えた中でもこれが一番ありえそうだ。


明日は土曜日。仕事も休みだし、それが当たりかどうか隣人の姿を見ることで答え合わせといこうじゃないか。そうと決まれば早く寝よう。明日は張り込みだ。


いつもより早くに寝たおかげで朝6時に目が覚めた。これで隣人が出かけた瞬間に私も家を出ることにより違和感なく鉢合わせることができるという寸法だ。我ながら完璧な計画だ。穴があるとするならば隣人が出かけるまで、音を聞き洩らさないように今日一日は玄関で過ごすしかないということだ。いやしかし、この連日の悩みが晴れるとなれば話は別だ。正解も知りたいし。というか正直言ってそれほど悩んでもないけど。


私は寝巻のまま、早速スマホ片手に玄関に座り込んだ。さぁ準備は整った。


待てど暮らせど隣人が部屋から出てくることはなかった。どうすんだよ推理小説を一冊読み終えてしまったぞ。しかし、その推理小説から私は新たな仮説を導き出した。それは、隣人が殺人鬼の可能性だ。日中の内に部屋に人を連れ込んで殺害し、遺体を細かくするための音だったのではないか?そう、例えば木槌のようなもので骨を砕く、みたいな。ありえそう。ありえそうだけども。これは推理小説の読みすぎか。事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、そんなものは知らない。こんな近くに殺人鬼などいるはずがない。それに死体というのは腐臭がすごいと聞く。隣室でそんなことが行われようものならこちらまで臭いが届きそうなものだ。やっぱりありえない。


そんな四つ目の仮説を頭から振り払おうとした瞬間に、ついに隣室の扉が開いた。来たか!私も扉に手をかける。しかし、先ほど浮かんだ説が、どうにも頭から離れない。真実はすぐ目の前にいるのに。私は意を決して扉を開けた。そこには、今にも階下へ繋がる階段を降りようとしていた若く、優しそうな男性の姿があった。目が合い、時が止まる。その男性も目を丸くしながらこちらを見ている。しまった、何を言うのかは考えていなかった。束の間の静寂。その沈黙を破ったのは彼だった。


「ど、どうしました?」


彼は狼狽えるようにこちらに言葉を投げかける。


「あ、えっと・・・」


私は口ごもってしまった。


彼は、あ!というような顔をしてこちらに歩み寄ってきた。


「そういえばご挨拶がまだでしたね、僕、佐藤といいます。お隣さん同士仲良くしてくれたら嬉しいです」


そう言ってにこっと笑った。その笑顔がとても眩しくて、ともすれば一目惚れしそうだった。


「あ、あぁ、こちらこそ、よろしく」


嗚呼、なんという私のコミュ障さよ。呪われてしまえばいいのに。


「それでは」


そう言って彼はまた階段を降りていく。私はその背中を追いかけた。


「あ、あの!」


彼は振り向く。


「夜10時、いつもなにしてるんですか!」


ただ質問を投げかけただけだが、勢い余って少し暴力的な言い方になってしまった。


「夜10時・・・?」


彼は何かを思い出すように顎に指を当てる。


そして、


「あ、そうか!すみません、もしかしてそっちまで音聞こえちゃってました・・・?」


「は、はい」


「うわ、そうですか、すみません、今ちょっと蕎麦打ちにハマってて・・・」


「蕎麦・・・打ち・・・?」


「はい。この間友達に誘われて行った蕎麦屋さんがとても美味しくて、でもちょっと遠いので自分で作れたらいいなって思って・・・」


申し訳なさそうに彼は続ける。


「今、動画サイトとかでそういうの見ながら練習してるんです。うるさかったですよね。すみません」


そう言って彼は頭を下げた。


「あ、いや!それなら全然!あ、でもあんまり夜遅くにやると近所迷惑かなぁ、とは・・・」


「そうですよね!すみません分かりました。明日からは日中にやることにします」


「そうしていただけると、はい」


「わざわざありがとうございました、それでは僕は用事がありますので」


もう一度、さっきよりも深いお辞儀をして彼は去っていった。


なーんだ、蕎麦打ちかぁ!確かに自分で手打ち蕎麦作れたらいいもんね!なんか呆気なかったなぁ。というか私の仮説は結局全部外れかぁ。残念。


私も部屋に戻り、少し眠ることにした。昨日早くに寝たとはいえ、やはり少し眠い。彼の話を聞いてから蕎麦が食べたくなってきた。夕飯は蕎麦にしようかな。そんなことを考えているうちに私は眠りに落ちた。


ふと何かが聞こえた。なんだ、うるさいな。最初は目覚ましかと思った。でも寝る前に目覚ましをかけた覚えはない。耳には絶えずその音が響いてくる。もう少し寝かせて、と寝返りを打った瞬間に少しだけ覚醒する。そのおかげで、その音が目覚ましではなく呼び鈴だと気付いた。ガバっと起き上がってインターフォンで対応する。


「は、はい」


「あ、夜分遅くにすみません。隣の者です」


あー、昼間の彼か。


「あ、どうしました?」


「いえ、お詫びもかねて是非、蕎麦をいただいてほしくて」


「え、私にですか?」


「はい、というか自分で食べてて美味しいのか分からなくなってきて、むしろ感想をお聞かせいただけたらと思って」


「は、はぁ」


どうしようか。おそらく一人暮らしであろう男性の家に行くというのは、女性としてあまりにも危機感が無さすぎるのではないだろうか。ここは断った方が身のためだ。


「あ、でもちょっと今回は・・・」


言い終える前にお腹がぐぅと鳴った。そして思い出す蕎麦への思い。うっ、だめだ。食欲には勝てない。


「やっぱり行きます。食べさせてください」


「ほんとですか!いやぁよかった。鍵は開けておきますので準備ができたら勝手に入ってきてください!」


「分かりました」


そこで通話を終えた。手打ち蕎麦とか何年振りだろうか。プロではない素人が作るものだが、音が聞こえてくるようになったのは相当前だ。それだけ長期間練習をしているということはずいぶんなお手前になっているのではないか。楽しみだ。


寝巻きを着替えて隣室へ向かう。扉が開いているということを忘れ、インターフォンを押してしまう。しかし、そこからは「どうぞー」という声が聞こえた。扉を開けて室内に入る。男性の一人暮らしとは思えないほど綺麗で整っている。そういえば一人暮らしだろうとは思っていたが、彼女でもいるのかもしれない。そりゃあんな人懐っこい笑顔で笑うような彼だ。さぞモテることだろう。


「おじゃまします」と言いながら靴を脱ぐ。リビングへ続く扉を開けるとこちらも綺麗だった。部屋の隅に転がるゴミ袋がちょっと男の子らしいなと思ったが。しかし、キッチンにもリビングにも彼の姿はどこにも無かった。あれ、おかしいな。トイレかな。そうして見渡していたせいで後ろから近付く気配に気付かなかった。私は気付いたら床にうつ伏せになっていた。頭がガンガン痛い。なぜか視界の端が赤く染まっていく。なんだこれ、血か?起き上がろうにも体に力が入らない。なんだこの状況は。


「お姉さんがいけないんですよ。あんなところでべらべら喋っちゃうから」


膝を折ってこちらの顔を覗き込んでくる隣人の顔。黒いエプロンをしているようだ。


「何も知らなければこんなことにならなかったのに」


ため息をついて彼は立ち上がった。その奥にはゴミ袋。中にはよくできた、人の生首のようなものが見えた。生首のような、というかあれはもしかして、本物の。


その時、つけっぱなしだったテレビからニュースの声が聞こえてきた。


『○○市近辺で』『行方不明者多数』『女性ばかりが』『連続殺人の可能性』『事件事故両方の線があるとして』


四つ目の仮説は当たってたみたいだよ、やったね私。


「それじゃ、ばいばい」


私の意識はそこで潰えた。最後に見た生首がちょっとだけ笑っていたような気がした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 結末を知ってからタイトルを見返すととても趣があって良いなと思いました。
[良い点] 定期的な物音には興味をそそられるので掴みが良かったです。 [気になる点] 隣人の奇習は良いと思いましたが、結果は短絡的だと感じました、想像を絶する奇習を低い確率で当てるほうが好きでした。 …
[良い点] 企画から拝読しました。 タイトル通り推理が的中していたんですね。
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