9話
けれどすぐにクロアは表情を改めた。
「しかし、彼女をシオリ様付きから外すのは難しいでしょうね。なんといっても王を始めとする最高会議で決定された事項の一つですから。特にハルバード候が強烈に推したと聞いています」
「ハルバード候って、さっきからよく出てくるけど、どんな人?サシェアのお父さんなんでしょ?」
「ええ、そうですね。先ほども申し上げましたが、この国でも頭一つ以上抜きん出た強烈な神女信奉者ですよ。朝昼晩と毎日祈りを捧げ、口癖は『神女様がお導きくださる』ですし、最近じゃご自分が教祖のようになって信者を集めているという噂もありますからね」
「うーえー」
あ、会いたくない・・・・。
「昨日もあの場にいらっしゃいましたよ」
「え?」
そんな人いたっけ。
といって、思い出そうにもあの場にいた人のうち、王様とクロアとクルディアさん以外は名前すら知らないんだけどね。
「向かって陛下より右、2人目の位置に立っておられましたよ。左大臣のお一人ですからね。・・・最も、シオリ様が最初に口を開いてから最後にご退室なさるまで、ずっと目と口を限界まで開けて卒倒しそうになっておられましたが」
「あらら」
それは申し訳なかったというかなんというか。
でも聞いた感じじゃ、昨日言ったことを最も聞いて欲しい人物のようでもあるというか。
「だから、ある意味神女信仰のスペシャリストであるサシェアを送り込んで来たのね」
怒るより呆れた。
昨日言ったこと、聞いてたのかしら。
聞いてたら、娘を送り込む前にもっとやることがあると思うんだけどなぁ。
あそこでこれ以上ないくらい率直にぶつけた意味がないじゃない。
ぶつけすぎてこちらがヘコんでるくらいなのに、一つも響いてなかったんだと思うと脱力してしまう。
「そうまでして神女という存在が欲しいのかしらね」
思わず漏らした言葉にゼフが片頬を上げて答えた。
「それは仕方ないさ。1000年の昔から神女に頼って生きてきたんだ。鳥が空を飛ぶのと同じくらい当たり前のことになっちまってる」
「随分他人事ね」
それに随分皮肉な口調だ。
「まぁ、嫌いだからな」
「私が?神女が?」
「なんでシオリを嫌うよ。神女についても嫌っちゃいない。今まで国を救ってくれたのは事実だからな。感謝だってしてるさ」
「じゃあ?」
「お前と一緒だな。この国の体質が気に入らない。今必要なのは神女を召喚することじゃない。ハーケンの復活を待ち望んで暴れる魔物どもから襲われる村や町を一つでも多く救うことだし、俺達の手でハーケンを滅ぼす方法を模索することだ」
そこまで言ってゼフは皮肉な笑顔を浮かべた。
「知ってるか?十年前銀の大樹がその一葉を黒く染めたとき、この国が真っ先にしたのが神女召喚の準備をすることだったんだ。その頃から魔物の被害が出始めたのにも関わらず、な」
そう言って、サシェアが置いていった牛乳のピッチャーを掴むとぐいっと飲み干した。
「勿論軍も被害を抑えようと各地に派遣された。だが、どこか全力じゃないんだ。いずれ神女様が救ってくださる、ってな。・・・誰の国だと思っているんだ!」
ダン、と強く置かれたピッチャーから飛び散った雫がクロスを濡らす。
「・・・」
「俺はその考えを捨てさせたかった。だから神女召喚も成らぬことを望んでいただんだが・・・」
でも私が現れた。
そこでふと疑問に思う。
ではなぜゼフが向かえに来たのだろう。
望んでいない、現れては困る神女をわざわざ?
ざわり、と背筋が震えた。
まさか。
考えすぎだ。
色をなくした私の顔に何を見たのか、困ったように笑う。
「・・・もうそんな気はない。そもそも、それが正しいことか迷っていたしな。シオリを見て、話をして、分かったんだ。シオリは今までの神女とは違うって。だから安心しろ」
返した笑みはさぞかしぎこちなかったことだろう。
あーはーはー、私ったら知らないうちに、相当な危険な綱渡りをしてたのね。
遠い目で虚ろに笑う私に、何かを言おうとしたのかゼフが開いた唇は、けれど、前触れもなしに開いた扉に閉じられた。
サシェアが帰ってきたのかと向けた視線の先、四方八方に跳ね散らかした鬣を思わせる金髪を持った男がいた。
その男は片手をまばらに無精髭の生えた顎に当て、もう片方の手の甲で開いた扉を二度叩く。
コンコン
いや、そのノックのタイミングはおかしいから!
「叔父上!」
思わず心の中で突っ込みを入れてしまった私の耳に、ゼフの喜色に満ちた呼び声が聞こえる。
ゼフに叔父と呼ばれたその男はゆっくりと室内に入ってきた。
「将軍。帰られていたのですか」
「言ってくれれば迎えに行ったのに」
「あぁ、今着いたところだったのでな。ここにいると聞いて顔を見に来た」
3人の会話が遠く聞こえる。
私は現れた男から目が離せなくなっていた。
近くで見るとはっきりと分かる、鍛え上げられた肉体。
縦も厚みも私の2倍くらいはありそうで、盛り上がる筋肉は日に焼けた皮膚も相俟って鋼のようだ。
がっしりとした首の上には、端整というには荒々しすぎる顔が乗っている。
パーツパーツを見ると、なるほどゼフと血縁なのだろうと納得できるほど整っているのに、その眼光が全ての印象を決めていた。
まるで、鷹、いえ、もっと獰猛な、獣の。
「で、お前が例のアレか」
不意に届いた声にはっと目を瞬く。
あの眼が、真っ直ぐに私を見ていた。
怖い。
そう、思ってしまった。
初対面の男に抱いた恐怖を悟られないよう、私は席を立つことで身の内に走った慄きを隠す。
けれど、座っていたときより間近に迫った瞳にそれが失敗であることを知った。
眼を逸らせず、動けなくなった私に、男は嘲笑を浮かべる。
「なんだ、口も利けないのか」
「・・・・例のアレ、と言われても何のことだか分からないもので」
辛うじてそう答えた私を誰か褒めてくれ。
何よこの無駄に威圧感満載の男は!
ぎゅっと手の平を握りこんだとき、救いの声がかかった。
「・・・叔父上。彼女をそう脅さないでください」
「ゼフ」
「シオリ様、この方はメドルフ・ガルア・ラインハルト閣下。王弟にして西方将軍であられます」
クロアの言葉に改めて男を見る。
王弟。
あの優しそうな、でも若干頼りなさそうな王様の、しかも弟。
・・・なんとも、似てない兄弟ね。
「将軍、そしてこちらが神女様であらせられますユズキ・シオリ様です」
あ、しまった、クロアに先を越されて、いらんことまで加えて紹介されてしまった。
慌てて訂正しようと口を開いたとき、将軍の鼻で笑う声が聞こえた。
「やはり、この女がそうか。・・・とてもそうは見えんな」
・・・・・・・・。
あらやだ、この人、見る目あるじゃない!
「私もそう思います!」
思わず意気込んで同意を叫んでしまった私に、男三人が奇妙なものを見るような視線を向けてきた。
何よ、だって仕方ないじゃない。
どう考えてもごくフッツーのOLで、容姿もそこそこレベルの私が、伝説の神女なんかに見合うわけがないのに、クロアも、ゼフでさえ例に漏れず、ここの人間はどいつもこいつも、フィルターかかっちゃってるんだもの。
それがどんだけストレスか!
・・・まぁ、こんなことで喜ぶのはどうかって自分でも思うけどさ。
そう自嘲したとき、将軍が衝撃の一言を放った。
「しかも何を言ってるのか分からん」
「え」
言われてよく見れば、確かに将軍の耳には光るものがなかった。
つまり、翻訳機がない。
こっちは言葉が分かるけど、あっちは言葉が分からない。
ということは、あんなに気張ったのも一方通行の空回りだったってこと!?
・・・言葉が分からないなら質問するな!ばかー!
「・・・将軍・・・、翻訳機はどうされたのです。今は神女様がいらっしゃるので高位の官には配られているはずですが」
「あれならなんか在庫がないとか言われたぞ。今朝俺の分が急遽使われたとかで」
サシェアの分か。
突然決まったことらしいからね。
「・・・至急用意させます」
「いらん。俺の言葉は分かるんだろう。なら」
クロアの申し出を言下に断ち切って、将軍は私の顎を素早く捕らえた。
ギリ、とその手に力が籠もる。
「痛・・・っ」
「・・・・・とっとと帰るんだな。この世界にお前の出る幕はない」
「将軍っ!」
「叔父上っ!」
クロアとゼフの叫び声など聞こえないように投げ捨てる勢いで手を離すと、そのまま男は身を翻した。
「叔父上、お待ちください」
その姿が壁の向こうに消えた後、慌てて追いかけるゼフが閉めた扉を見つめながら私は呆然と立ち尽くして。
「・・・・・・・・・」
「・・・・シオリ様?」
残ったクロアが心配そうに覗き込む。
「な・・・・・・・」
「はい?」
「なんなのよあの男―――――――!」
心の底から叫んだ。
・・・・後に、ゼフから、この叫びが将軍の耳まで届いていたと教えられることとなる。