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2話

しかし、こんな状況で可愛くうろたえ続けるには私は現実的に過ぎた。

いつまでも頭抱えていても埒が明かないし、得意先には帰れた時に平謝りすることにして、まずは現状把握が必要!

考えを切り替えた私は、大樹の真っ白な幹に背中を預け、一番建設的な行動、すなわち持ち物チェックから行動を始めることにした。

とりあえず倒れながらもしっかりバッグを抱えていた自分に拍手。

「さて?」

ひとまず中身を全て出してみる。

携帯、時計、ハンカチ、ちり紙、財布、化粧ポーチ、定期、免許にキャンディ、チョコレート。他には今日得意先へプレゼンする予定だった資料のバインダーと筆記用具。

まず取り上げるべきは通信手段の救世主、ケータイ様でしょう。これで位置情報だって掴めちゃうんだぞ!

・・・・・・・・・なるほど、圏外。

携帯電話の存在意義は一瞬の間に失われる。

それでも今が15:24で、記憶がなかったのは2時間程度のことだと分かった。

分かったからどう、って情報でもないことも分かったけど。

むしろ得意先との会議時刻が過ぎていることが分かって落ち込むだけの情報だったけど!

とりあえず圏外ならつけてる意味もないし、肝心なときに充電が切れてても嫌なので、電源を切っておく。

「次、次」

得意先へのプレゼン資料は当然役に立たない。

・・・昨日の夜中までかかって作ったのに!

今日のバイヤーは気難しいのよ!?次の商談のアポとれなかったらどうしてくれる!

ぐわぁっっと湧き上がった怒りは手近にあった対象、すなわちとてもとても綺麗なあの大樹にガン!と拳を一発叩き込むことで沈め、沈めた後八つ当たりしてごめんねの意を込めてちょいちょいと撫でる。と、違和感を感じて撫でる手を止めた。

「あら?」

今度は幹に頬を寄せてみた。

百日紅のようにささくれ一つない滑らかな樹肌が気持ちいい。

ただ、それだけではなく、先ほど手のひらで感じたように、ほんのりと温かいのだ。

「不思議な樹・・・・・」

目を閉じるとやさしい何かに包まれているような感覚になる。

そのまますうっと寝入ってしまいたくなるような・・・・・・。

「・・・・・・って、いかんいかん。今の私には寝てる暇なんてないのよ」

気を取り直し、改めて鞄チェック再開。

え~っと、文房具も定期も役になんか立たないだろうし、あ、化粧ポーチは持っててよかった。

役に立たないことはご同様だけど、なんとなく安心するのよね。なんでだろう。女子だから?

バッグをひっくり返しても辛うじて役に立ちそうだったのは微々たる食料ぐらいで、それもキャンディやチョコレートではなんとも心もとない。

というより営業中のOLのバッグに遭難時お役立ちグッズがあるはずもないんだが。

結局頼りになるのは自分の頭だけってことか。

散らばった荷物を鞄に詰めなおし、勢いをつけて立ち上がると頭上をさえぎる大木の下から抜け出した。

緑の海とはこういうことを言うんだろう、広い広い草原。

頭上には雲ひとつないが、遥か向こうにはぐるりと囲むように筋状の雲が連なっているのが見える。

振り返ると先ほど寝ていた大樹が聳え立っていて、真下にいたときよりも更に大きく感じられた。

その大きさ故に枝葉の重さに耐えられないのだろう、一番外側は若干弧を描き、手を伸ばせば届く距離まで下がった枝にそっと触れる。

その白銀の枝も薄紫の葉も、幹の中心側のものより外にゆくに従って明らかに黒ずんでいた。

そういう種類の樹木であるというよりは侵された黒に見える。

こんなに綺麗な樹なのに、病気なのかしら?

ふと気が向いてそのうち最も黒い一枚を千切ってみると。

「うぇ?」

思いがけない変化におかしな声が漏れてしまった。

その広葉型の葉は、枝についていた時は黒が勝った暗紫色をしていたのに、手のひらに収めた途端、葉の根本からすうっと音が聞こえるような勢いで幹のほうと同じ綺麗な藤色に戻ったのだ。

「あら~・・・・・・」

ちょっとびっくりしつつ、それをくるくると回してみる。

裏も表も、黒い部分なんて元からなかったように淡い藤色に輝いていた。

まぁ触れれば垂れるオジギソウなんてものもあるくらいだから、私が知らないだけでこんな樹もあるのかもしれないけど。

しかしなんだか千切った後のほうが生き生きしてる気がするのは気のせいかしら。

葉脈までくっきりと見えるそれを矯めつすがめつした後、思い立って書類入れのバインダーに挟んでおくことにした。

綺麗だから持って帰っちゃおう。

「一枚くらい、いいよね?花泥棒ならぬ葉泥棒にも罪がなければいいけど。」

誰に対してか分からぬ言い訳を口にしながら、鞄の口を閉め、再び探索を開始する。

樹の周りをぐるりと回ってみても景色に大差はなく、本当に自分がただ一人でぽつんと存在しているのだと分かった。

広い世界に一人きり。

それでも孤独や怯えを感じないのはこの大樹の放つ優しい波動とあまりに平和な景色のせいだろう。

落ち着いた頭で考える。

・・・・・どう考えてもここは東京ではなさそうだ。仕方ない、それは認めよう。

雰囲気から思い浮かぶのは日本では・・・北海道?せめてこれだと一番有難いんだけどな。

海外だとするとヨーロッパのどっかの田舎。あとは、モンゴルとか・・・??私の貧困な想像力ではその程度しか思い浮かばない。

ここがどこかを解明するのは諦め、この状況の原因に思いを馳せてみるが、謎の秘密組織に拉致されたやら、元宮のいやがらせやら、映画の撮影やら、どれもろくなものではない。

この在り得ない状況下で答えを与えてくれる存在が見当たらない以上、考えても無駄だと思い知り、私は途方にくれた。

右も左も分からないこの状態では歩き出す足の先さえ決められない。

だけどこのままここにいるわけにも行かないし・・・・何か手がかりになるようなものはないかと再度周りを見渡した時、視界の隅を何かが過ぎった。

それは遠く空の彼方に点で現れたかと思うと、見る間に二つに分かれて拳大になり、ぐんぐんとこちらへ向かって飛んでくる。

距離を考えても非常なスピードだ。

私の知識ではそんな速度で空を飛べるのは飛行機やジェット機などの機械類でしか在り得ない。

在り得ないはずなんだけど、なんだか動きがえらい肉感的なような・・・。

次第に輪郭のはっきりしてきたそれが近づく距離と比例して私の口も大きく広がってゆく。

「なんつーでかいトカゲなの・・・・」

丁度六畳くらいの大きさの翠のそれと、少し小さめの蒼いそれらが丘の麓で羽を畳んで優雅に着地するところを唖然と見守る。

「トカゲに羽って生えてたっけ・・・・??」

もっと端的にあの生物を表す言葉もあったような気はするが、なんだか思い浮かべたくない私は現実逃避しているのか。

いやむしろそっちを思い浮かべるほうが現実逃避のような気もするし。

翠のほうが首を垂れると、背中に誰かが乗っているのが見えた。

背中から首の側面を伝ってするりと降りてきたのはどうやら男の人らしい。

空を飛んでいた時分から私の姿は見えていたのか、迷う様子もなく明らかにこちらを目指して丘を上がってくる。

とても緩やかな傾斜なので姿が隠れることもなく相手の顔がよく見えた。

同じように相手からもこちらの姿は丸見えだろう。

こんなところに一人で大きな仕事鞄抱えながらグレーのスーツで立っている私も客観的に変だとは思うけど、相手も相当なものだった。

耳に少しかかるくらいの長さの髪は金色に靡き、瞳は深く蒼みがかっている。端整ながら精悍さを備えた顔は10人が10人男前であると認めるだろう。

まぁ、そこは別にいいんだけど。

「はははははー」

あんたはどこぞの王子様かとでも言いたくなるような飾り紐やら勲章らしきものやらがついた綺羅綺羅しい白い軍服系の服の上に、存在は知ってるけど昔見に行った演劇くらいでしか見たことないような豪奢な翠色のマントを羽織り、腰には細かい刺繍が施された剣帯にこれだけは無骨で使い込まれた印象の大きな剣が挿してある、そんな風体には驚く以前に乾いた笑いがこぼれる。

救いなのはこんな奇天烈な衣装でもかなり違和感なく似合ってることだろう。整った容貌とバランスの良い締まった体格で格好いいと思わせるほどに着こなしている。

加えて救いなのは、軍服仕様の王子様スタイルだったことだろうか。いくらイケメンとはいえ、チョーチンブルマだったら流石に引く。

無表情のまま抑揚のない笑い声をあげる女をどう思ったか、目の前に立った彼は片眉を上げた。

まずい、おかしな女と思われたかも。こっちだっておかしな男だと思っちゃいるけどさ。

「ええと、こんにちは。じゃないか、Hello?」

彼が中世服好みのコスプレイヤーだろうと、この状況を打開する大切な手がかりに違いはない。

先手必勝とばかりに私はとびきりの営業スマイルをくっつけて挨拶をした。

おぢさまキラーと呼ばれるこの微笑を向けて落ちなかったバイヤーはいないのよ。

まぁ、彼をおぢさまと呼ぶのは抵抗があるけど。私と同じくらいか、少し上?

頭の中で年齢を推測しながらも笑いかけると、今度は面白そうな顔になって何か話しかけてきた。

「κ、・・・・λθεεορχται」

「あー、英語圏の人じゃないのか。じゃぁ、Bonjour?Guten Tag?」

「ιεξχυθζμψψκζ」

「こ、困ったわね。日本語話す顔じゃないとは思ったけど、英語圏の人でもヨーロッパ語圏の人でもないの?これ以外は流石にちょっと話せないんだけど・・・」

ああ、折角第一村人発見したと思ったのに、言葉が通じないんじゃ・・・・。

「θλκ」

戸惑う私を見かねたのか、彼が背後に呼びかける。

目の前の彼のかなりの長身に隠されて見えてなかったけど、どうやら後ろにもう一人来ていたようだ。

乗り物は二つ、ということは後から現れた彼は蒼いほうに乗っていたのだろう。

金髪の彼が譲るように体をずらすと新しい人物の姿が目に入った。

「あははははー」

やはり漏れるのは乾ききった笑い声。今回は若干抑揚をつけてみました。

服装自体はまだ先の彼よりはましかもしれない。装飾品をじゃらじゃらと着けていないという点においては、だけど。その代わりずらずらと長いローブと先に大きな水晶の付いた杖は明らかにベーシックな魔法使い装束だ。加えて腰より長く伸びた紫の髪はとても綺麗だけど在り得ない。瞳の色が灰銀なのもカラコンじゃなければそんな色彩を持った人間を聞いたことなどない。や、世界は広いから私が知らないだけで、いるのかもしれないけど。

更に言うなら、私、こんなに美貌という言葉の似合う人、初めて見たわ。

男性的とはとても言いがたい優美な弧を描く輪郭に通った鼻筋。かといって、女性的なところもなく、性を感じさせない雰囲気を持っている。人並み外れて美しいせいか、どこか人間味が欠けて見えた。

でも美形にきゃーきゃー言えるのは十代までで、今の私が彼の容姿に対して抱いた感想といえば、眼福、ってくらいかな。

元宮が聞けば、それは枯れているからですよー、とでも言いそうなことを思いながら観察していると、その彼の、彫刻よりもずっと流麗な線を描く手がすっと弧を描いた。

「え?」

ふわりと左の耳朶に触れた指は温かい。

触れる指はそのままに、彼はゆっくりと口を開いた。

「聞こえますか?」

「え?えぇ、聞こえてるけど・・・・・・・」

「よかった」

にこりと笑うその顔は暴力的なまでに美しいけれど、誤魔化されないわよ!

「あのねぇ、全然よくないわよ。初対面の女性の耳朶を断りもなく触るってどういう了見なの。あなた変態?」

「・・・今そこを問題にしますか」

「ちょっと離してって・・・・・あれ?これ、何、イヤリング?」

「あ、取らないでψυεζ」

「!」

耳に触れてきたのはどうやらイヤリングをつけるためだったらしい。

ひんやりと手に触れたそれを思わず外した途端、それまで流暢に日本語を話していた紫髪の彼の言葉が先の金髪の彼と同じ見知らぬ言葉に代わった。

「? なに? ふざけてるの? あなた、日本語、さっきまで話してたじゃない」

「ιδβδππα」

誰かが手に触れる感触に驚いて見遣ると、金髪の彼がイヤリングを耳につけるようジェスチャーで促していた。

「え、これ?つけるの?」

戸惑いながら訊ねると大きく頷かれる。

改めて見た手の中のそれは、小さいながらも銀に細緻な彫が刻まれ、中央に雫型の薄紫の石が揺れて日の光を柔らかに跳ね返している。

くれるってことなのかな・・・?でも、こんな高そうなのもらえないけど・・・・やけに熱心に勧めてくるし、つけるだけならつけてみるか?

なんとなく最初につけられた左の耳のほうに、もう一度イヤリングを着ける。

留め具がカチッと締まった途端、金髪の方が安堵の表情を見せた。

「やっと着けたか。これで話ができるな」

「え!?」

何、この人日本語話せたんじゃない!

わざわざこっちの分からない言葉を使われたことにちょっとむっとしたのが表情に出ていたのか、紫髪の彼が髪をかきあげて己が耳朶を示す。

そこには、同型のイヤリングが静かに光を弾いて揺れていた。

ふと見ると金髪の彼の耳にも同じものが。

「私達が貴女の言葉を話しているわけではありません。この雫の石は言葉に乗せた相手の思念を自分の一番馴染みのある言語に変換する機能があるのです。ただ、聞き取りが変換される仕様なので双方が装着していないと意思の疎通はできませんが」

「ほ、翻訳機ってこと?よく国際会議とかで耳につけてるアレ?それにしては、随分小さくて、装飾過多な気がするけど・・・・」

「ええ、その通りです。国を跨る会議などでは重用されています。よくお分かりですね」

いや、私が知ってるのは白いプラスチックとかで耳の後ろに嵌める補聴器みたいなやつなんだけど・・・・・。ま、まぁ、この際用を満たしてれば、構わないのでそれは置いておくことにしよう。

私の曖昧な笑いをどう理解したのか、金髪の彼はにやりと笑い私の手を取ると、自分の胸に押し抱くようにして当てて頭を垂れた。

「ご挨拶が遅れまして、失礼いたしました。私はラインハルト王国皇太子、ゼフィクル・ガルア・ラインハルトと申します。これは、一の臣下、次期王宮筆頭魔法師のクロキアス・ルキルです。我が国国王ラインハルトⅣ世の命により神女たる御身を王宮へお迎えに参りました。・・・・・と、こんなもんでいいか」

・・・・・・・何って?

「あ、あの?」

あまりに固有名詞が多くて聞き取れなかったし。

っていうか、ヤバい、この人衣装だけじゃなくて、頭の中まで中世とかにトんじゃってる人かもしれない。

刺激しないよう、さりげなく手を引こうとしてるのに、やんわりと、でもしっかりと掴まれていて離せない。

あまつさえ。

こいつったら、手の甲にキスしおった!

「うひゃぇ!!」

奇声と共に、さりげなくなんて言っておれず振りほどくように手を取り戻す。

か、勘弁してよ。唇にされるより何百倍も恥ずかしいって!

「殿下。貴方にしては上出来なご挨拶もそこまでに。今は時が惜しい」

「そうだな。では、神女。こちらに」

背後に回った金髪君(名前聞き取れなかった)に背を押され思わず出しかけた足を踏み留めて振り返った。

「あ、あの」

えーっと、名前、名前。紫髪が呼んでたのは。

「デンカ」

「ゼフと」

「え?」

「ゼフと呼んでくれ。神女はこの世の誰より尊き御方ということなのでな。敬称を使われては具合が悪い」

「そうじゃなくて、いえ、ゼフと呼ぶのは全然いいんだけど、そっちじゃなくて、あの、人違いだと思うわ。私、しんにょなんて名前じゃなくて、柚木というの。(ゆず)()星織(しおり)

「神女ではない?しかし・・・・・・」

「殿下、間違いありません。彼女が今代の神女です。この黒髪黒瞳。今現在この世界に彼女以外このような色彩を持つ存在はない」

「は?いやだから柚木だって。・・・って、黒髪に黒い目の人間なんて日本に1億人、世界でいけば35億人くらいはいるから」

なんたって中国やインドが基本黒髪黒目だし。むしろ世界で一番希少価値のない組み合わせかもよ?統計とったことはないけどさ。

「さ、彼女を一刻も早く城へお連れしましょう。ここにいれば安全ですが、遅くなるほど帰路で敵の手が及ぶ確立が高くなります」

無視かい。

「本当に、真っ黒なんだな」

紫髪魔法使いモドキ(やっぱり聞き取れなかった)から私に向き直ったゼフは、どこか面白がる口調で私の肩にかかる髪に手を伸ばす。

む。

「セクハラ」

それが触れるか触れないかというところで、ぺし、とばかりに手の甲で叩き落とした。

「あのね、さっきの彼といい、初対面で女性に無断で触れるなんてマナーがなってないわよ。・・・・・さっきのアレだってちょっとどうかと思うわ」

思い出しても恥ずかしい。

「セク・・・・?よく分からんが、確かに無断で女性に障るものではなかったな。悪かった」

窘められた彼は自分の非を認め、あっさりと頭を下げた。

す、素直な人ね。

いや、私もそう目くじら立てることも無かったかし・・・。

「次は断ってから触ることにしよう」

「ゴラ!」

聞き捨てならない台詞に怒鳴った時、ふいに視界が暗く翳った。

「あっ」

驚きの声はどちらの青年からか。

「え?」

両腕に触れるひんやりとした鱗の感触。

驚きに見遣った視線の先、いつの間に近寄っていたのか、右腕には翠の、左腕には蒼の、彼らの乗ってきた生き物が甘えるように背後から頭を擦り付けていた。


さて、想像してみて欲しい。


トカゲのでっかい版が首を伸ばして自分の腕に甘えていて。

後頭部から生えている、この状態では見えないがおそらく背中まで続いているのであろう一筋の鬣が時折自分の腕をくすぐり。

大きな口の端から鋭い牙を見せつつ、下から見上げてくる、その様を。

「・・・!・・・!・・・!」

「サーキィス!」

「ワルスラ!」

硬直に言葉も出ない私の横で彼らがそれぞれの名前を呼ぶ。

「と、取って、これ、早く取って!」

「取って、って毛虫じゃないんですから・・・・」

呆れたように言いながらも二人はそれらを叱りつつ私から一定の間隔をあけて座らせた。

ほっと息をつくのも束の間、二匹とも、目が、こっちに来たいとものすごく訴えてるんですけど!

わ、私、トカゲに好かれる体質だったのかしら。

「あ~・・・・そんな目で見つめないでよ・・・。はいはい、分かりました。こっち来なさい、もう」

負けた気分で手だけで二匹を差し招く。

主人二人に押さえられつつも喜色満面で駆け寄ってくる二匹を見ると・・・可愛くなくもないのかもしれないような気がしてくる。

先ほどの失敗から学んだのか、近くに来てそっと頭を伸ばしてくるので、わしゃわしゃと撫ででやる。

爬虫類のくせに灰色のふさふさ睫毛が生えている目蓋、瞳孔はヤモリやトカゲのような縦筋状ではなく、真ん丸い。

嬉しいのか、片方はくるると喉を鳴らし、片方はきゅぅっと小さく鳴きつつ尻尾を振る。

いや、でかい体に邪魔されてるので尻尾が見えてるわけじゃないんだけど、ぱたぱたというかどすんどすんというか、振動がね。

「フィクサスドラゴンがこうも懐くとは・・・・。主の許しがなければ何人にも触れさせぬ生き物なのだが」

呟きに首だけで振り向くと、目を丸くしたゼフがこちらを見つめていた。

隣に立つ紫髪魔法使いモドキはうっすらと満足そうな笑みを浮かべている。

なんかこの人に「満足そうな笑み」を浮かべられると、してやったりに見えて嫌だなぁ。

「これも彼女が神女であるが故なのでしょう。フィクサスドラゴンの祖は初代の神女アイカ様の忠実なる僕であったという話ですから」

流石にこの段に及ぶと神女というのが人の苗字ではなく、なんというか、号のようなものだということが分かってきていた。

だからって私がその号にあたるのかは知らないけど、この人に聞いても無駄そうだ。

決めてかかってるものねぇ。

話とは関係ないそんなことを考えながら抱えた腕を放し、頭を擡げた二頭を仰ぎ見る。

位置はまだ低くしてはいるけれど、それでも私より頭二つ分は上だ。

「ねぇ、この子たちの名前、なんていうの?さっきなんとかって呼んでたわよね」

「鱗が翠のほうが俺の騎竜、サーキィス。蒼いのがクロアの騎竜でワルスラだ」

自分たちの名前が呼ばれたのが分かるのか、2頭がそれぞれ鳴き声を上げる。

ついでに紫髪の名前もインプット。クロアね、クロア。

「そっか。こんにちは、サーキィス。ワルスラ。さっきは怖がってごめんなさいね。慣れてきたからもう大丈夫・・・・・だと、思うわ、多分」

「微妙だな」

「だって、こんなに大きなトカゲ見るのも触るのも初めてだもの・・・・・って、貴方たちさっきからあっさりドラゴンだの竜だの言っちゃってくれてるわね・・・・・。考えないようにしてたっていうのに・・・」

頭が痛い。

自分の常識を信じるなら、これは夢だ。

自分の感覚を信じるなら、これは現実だ。

どちらも、捨てられない。

ので、私はこれが夢か現実か考えることを一旦放棄することにした。

というか、夢だろーが現実だろーが、私は東京に帰れさえすれば問題はないのよ!

私はきっと顔を上げると、おもむろに手を腰に当てて二人を改めて見据えた。

「あのね、私今仕事で外回り中なの」

「?」

いきなりの話題の転換についてこれなかったらしい二人が問うようにこちらを見る。

もしかしたら外回りという単語が分からなかったのかもしれないけど。

「それで、得意先に行かなきゃいけないんだけど、ここどこか知ってる?東京への帰り方、いえ、どうやら日本じゃなさそうだから、日本への帰り方が分かるなら教えてくれないかな。っていうか是が非でも教えて」

そう、竜と戯れてる場合じゃないのよ。

この二人は必ず何かを知っている。

先ほどの会話からのニュアンスもそうだし、こんなところに一人でいる私への戸惑いもない。

何より二人は最初から私を目掛けて駆けてきた。

私は二頭の竜の手綱を一纏めに握り締めた。逃がさないという意思表示。

先ほどまでの友好的な雰囲気も裸足で逃げ出すほどの決意を込めて私は二人を睨み据える。

急に変わった空気の色にサーキィスとワルスラが居心地悪そうに身じろぎをした。

クロアは私の鋭い視線も刺さらぬ鉄面皮に笑みを浮かべたまま。

ゼフに至っては先ほどから幾度も浮かべた面白がる笑みを今もまた浮かべ隠しもしない。

む、ほんと喰えない男どもだ。

より一層憮然とする私を余所に、クロアは少し考え込む仕草を見せると先ほどより少し傾き始めた太陽を仰いだ。

つられて私も空を仰ぐ。

まだ日は高いが、しばらくすれば宵闇が訪れるだろう。

同じことを考えていたのか、顔をこちらに戻したクロアは傍に来ると、やんわりと手綱を握り締める私の腕に触れた。

「分かりました。もともとご説明は差し上げるつもりでしたが・・・・・。しかし、じき日が暮れる。殿下、ひとまず城へ戻りましょう」

「ああ」

後半の台詞はゼフへ投げながらも手綱を寄越せと軽く叩く仕草を見せる。

ん~、どうするか。まぁ、本気で攻防戦を繰り広げてもいいけど、あまりにも大人気ないわね。

私はあっさりと手の力を抜きぱっと掌を広げてみせた。

揺れる手綱は容易くクロアの手に移る。

同意を示したゼフも足元に転がる私のバッグを拾い上げてこちらに来ると、すれ違いざまサーキィスの手綱を掬い上げ、ひょいとその背に跨って私に向かい手を伸ばした。

「シオリ、貴女の問いには後ほど必ず答えよう。ひとまずは乗れ。ここを出る」

今ここで直ぐに問い質したい気持ちは山々だけど、駄々こねても仕方ないし、置いていかれては本末転倒。

そもそも手綱を渡した時点で出発に同意したも同然だしね。

嫌も応もないんだけど・・・・・・・、別の問題が。

「乗れって、ちょっと。簡単に言ってくれるわね・・・・。」

今あなた、めちゃくちゃ簡単そうに乗ってたけど、サーキィスの背までは私の身長以上はあるのよ?

足がかりになりそうなのはサーキィスのぶっとい太ももと、丁度私の頭の位置にある(あぶみ)、それに差し出されたゼフの腕だけ。

これじゃ、ちょっとしたロッククライミングだわ。

しかも私、30度以上足を広げられないタイトスカートなんだってば。

後先ない状況ならスリットを破いて広げることもできるけど・・・・やるか?

ふぇ、とため息を吐いて、スカートの裾を掴み、小さく入ったスリットを広げるべく上体を折り曲げた。

「せー・・・・・わっ!?」

ぐっと力を入れた瞬間、体が浮く。

また眩暈!?と思いきや、いつの間にか背後に回っていたクロアが私の体を横抱きに抱え上げていた。

線が細く見える体も、顔と性格同様、見た目どおりではなかったらしい。

いくら女とはいえそこそこ体重のある私をひょいと抱き上げた腕は鋼のように硬く、見た目魔法使いのくせに体は戦士のように鍛えられていることが分かった。

そのままサーキィスの太腿に足をかける。

「え、て、ちょ、待って、それは流石に無理・・・・・!」

ふわり。

そんな擬音が正しいと思えるほど柔らかに彼はサーキィスの体を駆け上り、硬直したまま私はゼフに渡される。

「シオリさまのお召し物を破くわけには参りませんから」

「あ、ありがとう・・・」

ゼフの腕に収まったまま見上げたクロアの顔は柔らかい微笑みを浮かべていて、思わず戸惑ってしまった。

まったく、掴めない男だわ。

「出発するぞ。しっかり掴まれ」

クロアが元の翠龍へと戻るのを見送っていた私を自分の前に座らせ、後ろから抱きかかえるような格好で言ったゼフがにやりと笑って勢いよく手綱を引っ張った。

「え?う、わわわわわわわわ」

それを合図にサーキィスが立ち上がり、視界がぐらりと斜めに傾いだので慌てて鞍の端を掴む。

まあ、そんなことしなくてもちゃんとゼフが腰を支えてくれていたので落ちることはなかったろうけど。

伏せている体勢でもたいがい高い位置にあったのに、立つと地面がひどく遠い。

それまで体の側面にぴたりと仕舞い込んでいた翼は広げるとひどく大きく、片翼だけでも縦の全長くらいはありそうだ。

それがばさりと一度羽ばたくだけで起こるふわりとした浮遊感に、場違いながら昔遊園地で乗ったバイキングを思い出す。

幾度か大きく羽を動かすとサーキィスの巨体は完全に宙に浮き、お尻が持ち上がったことでその背も平衡感覚を取り戻した。

「空の上は寒い。これを羽織れ」

ゼフが自分の肩にかけていた緋色のマントを外すと私の頭からすっぽりと被せてくれる。

「あ、ありがとう。あなたは大丈夫なの?」

「俺は鍛えてるし慣れてる。そんな薄い生地で、体にくっつくような服ではすぐ凍えてしまうぞ」

自分でいうならそうなんだろう。確かに防寒よりもむしろ風通しを目的とした夏素材のスーツでは心許ないことこの上ない。

素直に厚意に甘えることにして、風で飛ばないように肩のところでしっかりと握った。まあ、ゼフがそれごと後ろから抱えていてくれるから飛んでいってしまうことはないだろうけど。

まだゼフの体温を残すそれは暖かく、ほっと息を吐いて知らず力の籠もっていた手を片方放すとにぎにぎする。

「それからこれも持ってろ」

その手を背後からゼフが掴み、同乗者用だろうか、鞍の前部につけられた革の綱を渡された。

多少短めのそれは少し引っ張るとぴんと伸びて体のバランスが取りやすい。

それがなくとも大きな体のサーキィスの背中は広く、懸念していたほどの不安定感はなかった。

最初の動揺が落ち着いて下を除くとワルスラが翼を広げようとしているのが見える。

なるほど、あの距離で二頭同時に飛ぼうとしたらぶつかっちゃうものね。

二頭が頭をゴチーンとぶつけてる図を思い浮かべるとちょっとおかしい。

あ、そういえば。

「ねぇ、どこに行くの?それくらいは先に教えてもらっておいてもよいでしょう?」

「あ?あぁ、そうだな。行き先は俺たちの母国、ラインハルト王国だ。美しい国だぞ」

「えぇ、水と緑の豊かなとても美しい国ですよ。楽しみにしてください」

いつの間にか同じ高さにまで上がってきたクロアがゼフの台詞に同意する。

「そうね。そんな時間があればね」

とっとと帰りたい気持ちを隠さずに答えた私に苦笑を返してクロアはワルスラの速度を上げてサーキィスの鼻先へ移動すると、先導するようにちらりと見返り、それに応えるかのようにサーキィスも速度を上げて後を追った。

ゼフの肩越しに背後を振り返ると紫の大樹がみるみる小さくなってゆくのが見える。

斜め前方を見遣ると、ワルスラに乗るクロアの姿。

手のひらにはひんやりとした鱗とその下で力強く動くサーキィスの筋肉の蠕動を感じる。

それら全てが非現実感たっぷりで、今の自分の状況がいかに奇妙なものかをひしひしと痛感させ、心のどこかから親から離された幼子のような寄る辺ない不安感が募ってくるのを感じて私は胸を押さえた。

今まで押さえつけていたいくつもの疑念が浮かび上がってくる。

本当にあそこを出てもよかったんだろうか。彼らを信用してよかったんだろうか。私は東京へ帰れるのだろうか。


本当にここは、私の知る世界なんだろうか・・・???


頼りない瞳で見回しても空も大地も遥か遠く、空間が広がるばかりで、背中に温かいゼフの体温を感じながらも私は心の芯を絡め取る寒さに震えるしかなかった。



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