13話
引き止めたいこちらの気持ちを余所に、扉はゆっくりと内側へ動き、呆気なく私を置き去りにする。
「え、と」
予期せぬ事態にへっぴり腰のまま固まった。
ど、どうしよう。
「これは、神女様」
動くに動けない私の手が誰かに掬い取られる。
驚いて横を見ると、呆気にとられた表情の国王と、一瞥の後はこちらを見もしない将軍を置いて、ハルバード候が近寄ってきていた。
サシェアは母親似なのか、近くで見た顔形にあまり似ているところはないが、赤味がかった茶色の髪と緑の瞳が血縁を感じさせる。
そんなナイスミドルに掴んだ左手を両手で掲げるようにされた日にはもう、私どうしたらいいの。
今度は違う意味で動けなくなった私を余所に、ハルバード候は満面の笑みで口を開いた。
「おぉ、なんと気高いお姿でしょう。伝説どおりの美しい黒い髪、黒い瞳。卑しきこの身が感動で打ち震える心地でございます」
「は、はぁ・・・?」
どこかで聞いたフレーズだなと思ったらテンションの違いはあれどサシェアが初っ端に繰り広げた台詞と同じだった。
さすがは親子。
過分な賛辞に内心ドン引いている私をどう見たか、ハルバード候は握り締めていた手を離すと一歩下がって一礼をした。
「申し遅れました。私は左大臣の末席を汚しております、ウィルタ・ハルバードと申します。麗しいそのお姿を直にこの眼に焼き付ける日が来ようとは天にも昇る心地であります」
「あ、ええと、どうも。そんな大した者ではありませんが、柚木星織と申します。娘さんにはお世話になっています」
「娘・・・・。あぁ、サシェアですか」
そこで初めて、ハルバード候の視線が私の背後のサシェアに向けられた。
その温度が肉親に向けるものにしては低かったように思うのは気のせいなのだろうか。
「お、お父、様・・・・」
「未熟な娘ですが、如何様にもお使いくださいませ」
「使う、って・・・・、その、彼女は充分お手伝いしてくれて、助かってます、はい」
まだそんな知っているわけではないけど、今朝から今までで心意気だけは存分に感じ取ってますよ、うん。
「ならばよいのですが。・・・サシェア。この上なく貴きお方にお仕えできるを幸福と思い、務めに邁進せよ」
「は、はい」
親子の会話というには固く、どこか萎縮したようなサシェアの態度が気になったものの、とりあえず候と奥の国王に頭を下げた。
「あの、すいません、お話中に。すぐ出て行きますから」
「何か陛下に御用でも?」
「いえ、あの、また出直します」
出鼻を挫かれた(勝手に挫いた)というのもあるけど、一旦退くことを決めたのは、先ほど聞いたやりとりに国王やその周りの人間に話をする気を失っていたせいでもある。
正確に言うなら、予定していたアプローチでは駄目だと思い直したということなのだけれど。
こうだと思い込んだ人間にはどんなにその道がないことを訴え、別の方法を示しても効果がない。
思いたいようにしか思わない。
また、無意識にそうしているのか、意識的なのかも問題だ。
なんとなく、このハルバード候は意識的に神女に凭れかかろうと、違うかな、国王を凭れかからせようとしているような気がする。
先ほどの理屈も冷静に考えれば派遣される兵のことを案じているようでいて、今戦っている兵のことには触れない不自然なものだったし。
それに乗せられてしまう国王にも思惑があるのかないのか。
判断するには、今の私はあまりに材料が少なすぎる。
そんな考えを巡らしながら、再度扉を閉めようと取っ手に伸ばした腕が届くより先にそれを掴む大きな手があった。
「兄上のお考えは分かりました。けれど、前線を預かる者として、到底そんな夢物語に付き合う気にはなれません。どうしてもとおっしゃるなら」
ぐい、とその手に肩を掴まれ国王の前に引き出される。
「今すぐ。この娘の力とやらを示していただきましょう」
え、私もう失礼したいんですけど。
つか力ってなによ。
そういえば救う救うとは言われても具体的に私に何ができるのかなんて聞いたことがない。
手の主である将軍を仰ぎ見るが、視線は完全に黙殺されてしまった。
むうぅ。
けれど、私以上に困惑しているのは国王のようだった。
「ドルフ、それは」
「そもそも、神女が救うという話も何百年も前のこと。実在したとはいうが、どうやって魔物を滅ぼしたのか、ハーケンを倒したのか、誰も分かっていないではありませんか」
え!?
「そうなの!?」
え、だって光の矢がどうのこうの、って言ってなかったっけ?
言葉は分からないまでも、驚いた表情で悟ったのか、将軍は皮肉めいた笑みをみせた。
「当の神女ですら知らないとくる。・・・初代神女のアイカはともかく、後の神女については僅かな供を連れてハーケンの元へ旅立ち、そしてしばらくの後に魔物が消えたということだけが伝承に残るのみ。ハーケンを倒したというのも、天に帰ったというのも、後の人間が推察した結果にすぎない。そんな不確かな救いを待つことなどできません」
「だが、ドルフ。・・・キュリレの悲劇は知っておろう」
キュリレの悲劇?
私には分からないその言葉を聞いた将軍の眉根に力が篭る。
「だからこそ、今守るべきを守らねばならないのです。・・・援軍を」
据えた瞳で決断を迫られた国王が狼狽えて目を泳がせたとき、穏やかな声が空気を破った。
「陛下。そろそろ会議の刻限が迫っております。今日の謁見はひとまず終えられてはいかがでしょうか」
「ハルバード候」
鋭く突き刺さるような声にもその表情は動かない。
「弟君との謁見も大事とは存じますが、陛下はお忙しい身。またの機会にいたすがよろしいでしょう」
「そんな悠長にしている時間などないと言っているのが分からないか」
「ドルフ。また時間をとろう。今日のところは下がるがよい」
再度詰め寄ろうとした将軍を国王が止めた。
声に少し安堵が混じりこんでいるのは気のせいか。
隣から、ギリ、と歯を食いしばる音が微かに響く。
けれど、国王にこうもはっきりと命ぜられれば退くしかないのだろう。
将軍は辛うじて国王にだけ向けて一礼をすると、踵を返し、大股で開いたままの扉へ向かった。
・・・あの、私の肩を掴んだままなのは気づいてもらってるんでしょうかね。
「い、いた、痛いって!」
掴まれた肩をやっと振りほどけたのは英明の間を出てしばらく行った中庭に差し掛かる渡り廊下だった。
何度も呼んだし暴れたのに!
あまりに鬼気迫る勢いに、健気にも私を救い出そうと果敢に挑戦したサシェアは振り切られてしまってここにいない。
肩の部分の布をめくってみると手の形に赤くなっていた。
う~、馬鹿力め。
当の加害者はというと、半歩先に立って警戒した目でこちらを見ている。
なによ。
「いつからここに?」
って、あんたが連れてきたんでしょうが!
ぎと、と睨もうとして思い直す。
・・・それだけ周りが目に入らないほど憤っていたんだろうなぁ。
まぁ、気持ちは分かる。
暖簾に腕押し、ぬかに釘。
確かにあれは疲れるわ。
彼らの先ほどのやりとりを思い返し、同時にクロアから聞いた将軍の話も思い出す。
・・・・うん。
改めて、じっと将軍を見つめた。
初めてちゃんと顔を見た気がする。
彼の瞳が綺麗なアイスブルーだということにもやっと気づいた。
今朝は眼力に対抗するのでいっぱいいっぱいだったものなぁ。
まだ少しだけ怯える気持ちが底に張り付いているけれど、初めて見た時のような不明な恐怖はもうない。
もしかしたら、微かに、一方的な連帯感のようなものすらあるかもしれない。
この人の言うことは、私の道理で理解できるから。
「あの」
口を開いて、顰められた眉に彼が私の言葉を理解できないことを思い出す。
イヤリングを外して差し出すと、意図を悟ったのだろう、無言で受け取ってくれた。
「あの、ですね」
目を見つめて。
「神女を、この世から消しませんか」
この人は私の共犯者になってくれるだろうか?