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路面電車

「これで最後……」


 周りの乗客から頭一つ飛び出す長身の男が呟いた。

 真っ黒なレインコートを羽織り、目深に被ったフードからは白い前髪が覗いている。――残暑厳しい9月頭だというのに。

 路面電車は混雑していたが、彼の周りだけポッカリと空白が出来ていた。近くの乗客たちは、まるで死神にでも出くわしたかのように顔を引きつらせ、顔を背けていた。


「もう終わりにするんだ……」


 自分を言い含めるかのように彼は言葉を紡ぐ。


「それに旅も、もう、うんざりなんだ!」


 怒気を含んだ語尾に力が入り、恐れをなした乗客たちはさらに距離を取った。そんな、そこはかとなく緊張感をはらんだ路面電車が都市部を抜けて郊外の停留所へ。すると、降車する人などお構いなしといった感じで5歳位の男の子が勢いよく車内に駆け込んできた。


「コラッ、走らないの!」


 後れを取った母親が乗降口から声を張り上げた。

 声に振り返りよそ見をした男児は、すぐ先に立つ死神のような彼に衝突した。同時に手に持っていたミニカーが勢いよく吹っ飛び、男児は尻もちを着いた。


「もう! だから言ったじゃないの!」


 駆けつけた母親は男児を叱りつけ、謝罪しようと男に顔を差し向けた所、「あ……」と間抜けな声を漏らして硬直せざるを得ない。


「す、す、すみません!」


 一瞬間を置いてから、命でも取られるんじゃないかという勢いで何度も頭を下げる母親。そんなことなどどこ吹く風、ようやく落ち着きを取り戻した男児は周囲を見回し、「ブーブーは? 僕のブーブー!!」と目頭に涙を溜めだした。

 泣き出すかに見えたその時、「ほら……」と、男が皮手袋に包まれた大きな左手を差し出した。


「あ、僕のブーブー!」


 男児は男の手に握られた自分のミニカーを奪い取ると宝物でも見るように目を輝かせた。


「どうもすみません。ほら、あんたもちゃんとお礼を言いなさい!」

「ありがと、おジイちゃん!」


 母親の言葉に応えて、元気よくお礼を言う男児。


「……お爺ちゃんじゃないんだけどな」と、彼は小声で呟いたが、走り出した路面電車の騒音に掻き消された。

 白髪を見て、男児は老人と勘違いした様だが、目深に被ったフードの下には白く端正な顔が隠れていた。

 彼の名は梅洲廉ヴァイス・レン。昭和16年生まれの17歳。レンは、これから行う裏稼業しごとに備えて、これでも目立たぬように変装しているつもりなのだ。何故なら、彼は世間の常識からズレていた。ズレにズレまくっていた。終戦間際の4歳の時から親代わりのユダヤ系ドイツ人科学者ジグムント・ヴァイス博士と放浪生活を続け、学校に行ったことも無く一般社会との交流も極端に薄い。そんな彼が全くもって常識知らずなのは無理からぬ話……。



「そういえば、向こうまで飛んで行ったのになんで……」


 男児の母親は首を傾げた。混み合う車内の彼方へ飛んで行ったミニカーが、その場から動きもしなかった男の手に握られていた。彼女はふと彼の居た場所へと視線を向けると、すでにその姿は見当たらない。

 

 目当ての停留所はまだ先だったが、レンは先ほどのやり取りで周囲に目立ってしまった事を嫌い――その前から十分目立っていたのだが――逃げるように下車していたのだ。

 降り立った停留所付近には数件、住宅や商店などが建っていたが、少し先に行くと山間を背に田畑ばかり。目的地の海沿いはあと2,3キロ先。次の路面電車に乗ろうかとポケットに手を突っ込みあることを思い出す。今日は行きの電車賃しか持って来ていなかったため、スッカラカンだと。

 大きくため息をついて、街道を目的地めざして歩き出す。40分ほどで目的地にたどり着くと、道端の電話ボックスからけたたましいベルの音が鳴り響いていた。慌てて駆け付けて受話器を取り耳に当てる。額に浮いた汗を拭いながら、「着いたよ」と呟いた。


「分かってるよ……。問題ないよ……。まだ来てないから……。もう切るよオーパ!」


 受話器を降ろし、額に手を当ててため息をつくと、「まったく、オーパの奴。いつまでも子ども扱いして……」毒づいた彼は、電話ボックスを出て通りを挟んで反対側にある自動車整備工場に視線を向けた。

 灰色のトタン板が波打ち、手前のアスファルトにコントラストの強い影を落とす。大きく開かれた入り口の奥からは、時折り鈍い金属の打撃音が響いて来る。


「これで最後……」


 彼は呟いた。9月の幹線道路沿いにひとり、長身を猫背にして佇む姿は、まるでロードサイドに現れた死神の幻影と勘違いされかねない。


「もう終わりにするんだ……だって」


 車の気配を感じて、彼は口をつぐんだ。通りかかった乗用車は、レンの目の前を過ぎて横浜方面へと走り去った。


(これが、最後の仕事だって、今度こそちゃんとオーパに言うんだ)


 今度は声に出さないように気をつけて、頭の中で言葉を反芻した。そうやって待つこと数時間、ようやく、目当てのモノがやってきた。

 

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