業の蔵22
この一件、俺は色々と覚悟を決める必要がある。既に張っている光の結界も正直どこまで霊能力とゴリ押しできるか分からない。色々な霊能者を見てきたが、この規模の力を発現できる人はそういないようだ。
既にボロボロの服にかろうじて無事残っていたスマホを取り出す。カメラモードにして校舎の方を見た。そこには根が張られている。校舎の外壁も、教室の窓ガラスもすべて根で覆われている。
歩いている生徒や教師たち。それぞれ皆身体に根が絡みつき、その細い根が校舎に向かって伸びている。恐らくこの根を張られた人間が人を襲う事によって霊力か、いやこの場合は、業という奴かもしれない。それを吸収して上にある蕾に影響を送っているのだろう。
カメラを持って上を見る。まだ蕾状態だがいつまでこの状態なのかわからない。今まで得た情報から考えて、あの蕾が開くと何が起きるのか。どう考えても碌な事にならない。だからアレが開花する前に終わらせる必要がある。
この地が既に呪いによって汚染されているのであれば、それごと患部を切り取ってしまうのが早い。だがそれはダメだ。いくら何でもこの規模の建物が一瞬で消えたら流石に弁償なんて無理過ぎる。
だからもう1つ。別の方法を取るしかない。だがこれも容易ではない。だが被害を出さず事態を終息させるためにはこれしかないんだろう。だからそのために、あの子を見つける必要がある。俺が感知できなくては意味がない。
「そのために……そうだ。覚悟を決めろ」
俺はスマホを手に持ったまま走り出す。こちらへ手を伸ばす生徒を躱し、昇降口へ侵入する。何故かこの昇降口だけ根が張られていない。肉眼で見えないなら気にせず突っ込んでもいいかもしれないが、念のためここから侵入した方がいいだろう。スマホのカメラで周囲を見ると壁や床、至る所に根が生え、まるでどこかの植物園のようだ。
「根の方向はさらに上か」
恐らくこの根の先に中核があるはず。既にこの校舎は掌握しているのなら、そこにいる可能性が高い。何故ならこの空間の主である中沢という女性はゲームを愛するから。ラスボスが廊下を歩いていたり、トイレにいたりなんて格好がつかない。
だからといって屋上にはいなかった。なら恐らくこの校舎の最上階。そのどこかにいるはず。
昇降口を抜け、廊下を走る。すれ違う生徒たちはすべて躱す。これは一種のゲームステージみたいなものだ。何か嫌な予感がする。まるでショートカットをするなと言われているような気分だ。
階段を駆け上がると上から教師と思われる男が俺めがけ飛び降りてきた。一瞬魔法で受け止めようとするが、俺の魔法が触れたらエンカウント扱いされる可能性がある。
「くそ、あの距離で落ちても骨折程度のはずだが……」
俺はそう零しながらその男を躱す。その瞬間、さらに4人の生徒が飛び出してきた。ここへきて動きが早くなりやがった。こちらへ手を伸ばす生徒たち。
まずい。接触する。
落ちながら伸ばす手。無表情に見えるその顔はまるで助けを求めているかのように見える。
俺は唇を噛み、落ちてくる生徒を紙一重で躱す。爪さえ触れないようにギリギリで躱し、壁を蹴り、身体を捻り、3階の踊り場へ到着する。そのまま最上階である4階の階段を登ろうとして――。
雪崩のような生徒と教師が4階から落ちてきた。
中沢愛にとってゲームとはもう1つの世界である。その中でもRPGは自分自身を投影しその世界を旅している気持ちになれて好きだった。
とはいえすべてのRPGを愛しているわけではない。どうしても自己投影をしたいという気持ちから、主人公の名前が既に決められていたり、主人公の行動や言動が自分と乖離するものは避ける傾向にあった。
だからこそ。この龍の冒険シリーズにハマった。魔王と勇者の戦いというシンプルなストーリーでありながら、奥深い世界観に魅了されたのだ。
「勇者。そう勇者はまだからしら」
今の中沢愛に自意識はない。ただ自分の好きな世界を広げ、その中に浸っている。身体全体を締め付けられる痛みに、苦しみに、絶望に苛まれ、それを誤魔化すようにゲームに没頭する。
このゲームの主人公は自分ではない。どちらかというと魔王に近い立ち位置なんだろう。
ノイズだらけの思考に誘導されるように、校舎に血をまいた。
まるで畑に種をまくように、呪いに汚染された血を巻く。そこから少しずつ、少しずつ、まるで透明な水に朱い液体を垂らしたかのように、それは波紋のように広がっていく。
この庭にいる人間を汚染し、根を張り、花開くように。
気絶している生徒、1人1人に自分の血を垂らし、支配下に置いて自分の世界を、自分だけのダンジョンを作り上げた。
後は待つだけだ。自分を倒しにくる勇者の存在を。
4階にある音楽室。昔習わされたピアノを弾く。クラシックなんかじゃない、自分の好きなゲーム音楽。もう何も残っていない中沢愛がただ呪いという存在になり果てそれでも残った唯一の自己表現。
既に人の形から大きく離れた頭部を揺らし軽やかに演奏するピアノだったが、それが不意に止まった。先ほどから自分の庭に、ダンジョンに侵入してきた人間がいるのは知っていた。それがどうやら近くまで来たらしい。
ならきっとそれは中沢愛が待ち望んでいた存在に他ならない。魔王である自分を破壊し、世界を平和にする存在。
中沢愛が愛した世界の主人公。
そう――。
「待っていたわ。待ち望んでいたわ……」
音楽室の扉が破壊される。眩い光が暗黒の世界を照らす。そう。その光を待っていたのだ。そこにいたのは――――。
「ようこそ……」
下半身に不自然な光を纏った銀髪の男だった。
「光の勇――者?」
「お前がこのダンジョンのボスか! こちとら、もう下着しかのこってねぇわッ!!!」
瞬間、極光が校舎を覆った。