業の蔵21
指輪から飛び出したキィは小さな姿の猿だ。力を剥奪し現在マサに与えているため変身しているわけでもなく、ただ単に小さな猿。
その小さな猿を見て、周囲の霊能者たちも一瞬言葉を失う。勇実の名を知らない者はいない。スカイツリーの一件で日本一有名な霊能者となっている。またその後のバラエティ番組の映像から肉体強化系の霊能者だとほとんどの者はそう考えていた。
だが、今、その勇実が小さな猿を召喚した。使役系の霊能者だったのか、もしくは何か別のものなのか。皆がそう考え、疑問に思った時とほぼ同じ瞬間に、霊能者たちの背筋が凍る。
あれはただの小さな猿の霊ではない。
あの小さな身体に圧縮された濃密な悪霊の気配。そしてそれを使役している勇実。既に起きているこの理解不能の空間。霊界領域とは何か違うこの空間で死の手前まで追い詰められた霊能者たちの前に、さらなる異常が現れ混乱は限界へ達する。
「キィ。吼えろ」
ただその一言。
「■■■■■■■■■■■■ッ!」
耳を塞ぎたくなる絶叫が響く。全身に空気が叩きつけられるかのような圧迫感。心臓が締め付けられ、息が吸えない。魂が身体からはじき出されるのではないか、そんな錯覚を覚えながら彼らは意識を簡単に手放した。
【キィの吼える。この場にいる全員が気絶した】
このアナウンスを見て俺はガッツポーズをする。とりあえず気絶させる事には成功した。後は適当に他の霊能者に目の前のサイクロプスに攻撃して貰いHPを削ればいい。中沢という女子生徒のイメージする空間が具現化したのであれば、このアナウンス表記は恐らく絶対だ。
だが下手に俺が攻撃すると正直どうなるか想像が付かない。中途半端に攻撃して、このアナウンスで「消し飛んだ」など書かれた日には目も当てられない。
「さあ! 敵は気絶状態です。全員で攻撃をッ!!」
そう大声を出し後ろを振り向く。
「ん?」
さっきまでそれなりに騒いでいたはずの霊能者が寝ている。いや気絶している? どうしてだ。気絶する要因なんてなかった――。
キィの吼える。この場にいる全員が気絶した。
全員? まて敵全員じゃなくて、全員?
見渡すと起きているのは俺と命令待ちのキィしかいない。まずい、想定外だ。まさか弱体化したキィの攻撃で気絶したのか。ここからどうすればいい? 俺の攻撃で行けるのか? っていうかこの手のゲームで加減とかできるもんなのか?
待て考えろ。一番弱い攻撃ってなんだ!? デコピンか? 俺の攻撃力をもう一度確認しよう。
勇実礼土
Lv100
HP999(服のHP20)
MP999
攻撃力999
防御力999
すばやさ999
かしこさ10
運20
「服のHPってなんだ!?」
馬鹿にしてんのか!? 前はこんな表記なかっただろうが! あれか? 俺が攻撃されるたびに服へダメージが入るから仕様が変更になったのか!?
いや、もう考えるのはよそう。あと1回攻撃を受ければ俺は死ぬ。それは理解した。問題は攻撃力だ。
999。この数字はどうなんだろうか。他のステータスの数字から考えるに恐らく最大値に設定されている可能性が高い。ならキィのステータスを確認するべきか。
キィ
種族:山の神
Lv20
HP130
MP60
攻撃力190
防御力100
すばやさ95
かしこさ10
運-100
勇実礼土の下僕。山の神として生まれ、誕生して間もなく、勇実礼土によって捕獲された。
頭を撫でられるたびに、頭部を潰されるのではないかと怯えている。
同僚である腕が4本あるマッサージ師と尾が4本ある狐からは、損な役割が多いなと同情されている。
「ちょっと待て。え、俺とかしこさ一緒なの?」
っていうか、色々気になる事が書いてあるんだが。え、頭撫でられると嬉しそうに震えてたのって怯えてただけなの? なんだ、俺なりに愛情を注いでいたつもりだったのに……。
いや、あとでたくさん可愛がろう。誤解が解けるように。
それより重要なのはキィの攻撃力だ。俺より低い。なら下手に俺が攻撃するよりよほど可能性高い。
「キィ。そうだな。……指、いや尻尾、そう尻尾だ。尻尾で優しく、いいか優しく叩け。強くやるなよ。優しくだ。まるで人の柔肌を撫でるように、優しく。あれ、撫でちゃったかな? って勘違いするくらい優しく尻尾で攻撃しろ」
俺の注文にキィは一度首を傾ける。そしてしばらく俺を見て頷いた。どうやら理解したようだ。よく考えればそうだ。キィは俺と同じレベルのかしこさを持っているんだ。相互理解なんて容易な話。
安堵し肩の力が抜ける。見るとキィはゆっくり歩き、サイクロプスに近づいていく。膝から崩れ口から涎を垂らしながら気絶しているサイクロプスのすぐそばまで近づき、ゆっくり顔を上げる。
元のキィは結構な巨体だったが、今のキィは弱体化している。流石にサイクロプスの方が大きいから見上げているのだろう。そして数度ゆっくり尻尾を振り始めた。いいぞ、あのくらいゆっくり、優しく尻尾を当てるんだ。
数度尻尾を振り、小さくジャンプしてその尻尾をサイクロプスの顎に当てる。
【キィの攻撃。サイクロプスへ130のダメージ。サイクロプスはたおれた】
顎へ直撃したサイクロプスは顎を打ち上げられ、その巨体が浮き、倒れた。
「おいいいい!? 優しくって言っただろうが! なんだ? アッパーみたいに吹っ飛んだぞ!?」
俺がそう叫ぶと、キィは焦ったようにこちらに向かって両手を振り、尻尾を動かし何かジェスチャーをしている。それはまるで「俺のせいじゃねぇっすよ。言われた通り、優しく叩きましたよ」と言っているようだ。くそ、なら仕方ないのか? っていうかやっぱり加減って出来ないんじゃないのか。なら俺がやったらと考えるとぞっとする。
そう葛藤していると空間が割れ、また屋外へ戻っていく。周囲を見ると気絶している者、重傷だがまだ生きている者、そして既に手遅れになってしまった死んだ者が周囲にいる。そして先ほどまでモンスターへ変身していたと思われる生徒たち。
俺はすぐに生徒の方へ駆け寄り脈を確認する。
「かろうじて生きているか」
呼吸や脈波安定している。だが恐ろしく生気が少ない。周囲を見るとまだ動いている生徒は多くいる。それがいつこちらへ迫ってくるかわからない。
「くそ、悪目立ちしたくないんだが」
魔法を放つ。光のオーラが学校周囲に覆われ、強固な結界が展開される。これなら外へ出る心配はないはずだ。俺は倒れている霊能者の近くへ駆け寄り、鞄を漁る。多分1つくらいは見つかるはずだ。そして何個目かの鞄の中からようやく目的の物を見つける。
「待ってろ。すぐ治してやる」
それは飲みかけのペットボトルの蓋を開け、怪我人に振りかけ魔法をかける。虫の呼吸のようだった容体が少しは安定し始めた。
「くそ、んで何で霊がこんなにいるんだ?」
どういう理屈か分からないが、霊が集まり始めている。仕方ない。
「キィ、コン。ここへ集まる霊をやれ。言っておくが人間に手を出すなよ」
そう言うと指輪から小さな狐と猿が飛び出し消えていった。
俺だけなら最悪エンカウントしても逃げればいい。後は校内へ戻り中沢という女性を探して……倒す。