禁断の知恵
更新遅くなりました
「知識とは時に知る事さえ禁忌となるものも存在する」
車椅子に乗り、生きているかどうかもわからない程の年老いた老婆がそう口にした。
「ふむ。相変わらず行き成りですな」
そう答えたのはオールバックに髪をまとめたスーツ姿の男だ。青空の下、その男は老婆の乗る車椅子をゆっくりと押している。
「覚えはないか。ある事柄を知り得た時、ふとした日常でそれらを見かけることが多くなる瞬間を」
「確かに時折ありますな。今までただの情報として流れていたものが、それらを知り得たことで意味を理解し、垂れ流していた情報は認識できるものへと昇華される」
男は老婆にそう投げかけるが返事はない。また眠りに落ちたのだろうと納得する。そしてまたゆっくりと車椅子を押し始めた。
日が落ち始めた時、男はようやく目的地に到着する。流れる汗をぬぐい、リュックの中から水を取り出し喉を潤した。
「ああ。なるほど噂通りか」
ここは中国西南部にあるとある少数民族の住処だ。山の中腹にあり、家屋は石を基礎として作り上げ土壁を用いて作られる。独特の青い衣装を身にまとった住民がこちらを怪訝そうに見ていた。
攻撃的な部族ではないが、不用意にこれ以上近づくべきではないと考え、ある程度距離が離れている状態で男はゆっくりと手を振った。
しばらくすると数人の男たちがこちらへと向かってくる。
「外の者か。ここに何ようだ」
「ああ、知っている言語で助かったよ。私たちは旅の者だ。少しこの辺の風景がみたくてね。一応許可を取っておこうかと思ったのさ」
額に流れる汗を拭いながら男はそう答えた。
「……そうか。あちらの老婆は?」
「ああ。私の母だ。少しボケてしまっているが、まだ意識ははっきりしている。最期にここの風景がみたいと言っていてね」
そうにこやかに話す。すると彼らは少し視線を合わせこちらを見ている。しばらくすると肩の力が抜けていく。
「そうか。ならあちらの方へ進むといい。山々に囲まれた絶景が見える事だろう」
「ありがとう。助かるよ」
「ふむ、どうする? 既に夜も更けている。一晩程度なら我らの村に泊っていくか?」
「それはありがたい申し出だ。ちなみに夜は野生動物とか出ますか?」
そういって周囲を見渡す。周囲は山々に囲まれており、森の方には動物の気配もある。ならば夜人を襲う獣がいても不思議ではない。
「もう少し奥へ行くと野犬も多くいるが、この周囲は安全だ」
「なるほど、では先ほど紹介してくれた場所まで行ってキャンプさせて頂いても? 流石にお邪魔するのは気が引けるので」
「構わん。何かあれば頼れ」
そういうと部族の男は立ち去ろうとしたため、慌てて呼び止めた。
「ああ。一応確認なんだけど、行かない方がいい場所ってあるかな」
「――それならここから南部にはいかない方がいい。禁足地とも呼ばれる場所だ」
「なるほど、助かったよ」
そうして男はまた車椅子を押し始めた。山道で整備されていない場所のため、ガタガタと揺れながら進んでいく。
「誰が貴様の母親だ」
「失礼。でもその方が世間体が良いのです」
「年老いた母とそれを思う息子であれば警戒を緩めると。愚かだな。やはりどこまで行っても人間だ」
「いいではないですか。例え薄汚れたゴミであろうと、利用できる所は利用しないと」
「だが所詮は果実に纏う蟲も同じよ。よくもこのような淀みを作り上げる」
「気持ちはわかりますが、今は耐えるときでしょう。あなた様の力を少しでも回復させなくてはなりません」
二人はゆっくりと南へと下って行った。既に日は落ち、星々と月だけが先を照らす光となっている。
「我が自我を手に入れ、意思を持ち、世界を見た時の気持ちが貴様に理解できるか」
「北海道で最初に出会ったときにも同じ問答をしていますよ。言ったでしょう。人間とは掃いて捨てるべきゴミなのです」
「そうだ。だからこそ我はこの愛すべき……」
そういうと老婆はまた沈黙した。
「ふむ。もう少し蓄えないと会話もままならんか。やはり一度区座里をこちらに戻した方がいいかもしれない。もう九条家から金は十分に吸い上げた頃合いだろうしな」
そうして車椅子を押していく。周囲の木々には何か呪いの跡のようなものが多くなり、空気がまるで質量を感じるかのように重くのしかかる。
知座都が調べたこの地域の淀み。負のエネルギーが満ち溢れ、呪いとして生き物を殺すほどまでに昇華されたもの。
男はそこまで老婆の乗る車椅子を押すとようやく止まった。
「では、明日の朝迎えに参ります」
そう言い終わると男は踵を返し元の道を戻っていく。そして先ほどの部族の男に言われた場所まで移動した。
絶壁となっている場所であったが、なるほど、ここに日が入ればさぞかし美しいのだろうと考える。
ポケットからスマホを取り出し、男は電話を掛けた。
『お疲れ様です。代表。如何されましたか』
「ああ。一応目的地に到着した。明日の朝、例のポイントにヘリの手配をしてくれ」
『承知しました。申し訳ありません代表1点よろしいでしょうか?』
「ん、どうした」
『区座里様より、九条家の依頼で面白い男にあったため、戻りが遅くなると……』
「はあ。奴の悪い癖が出たか。まあいい。奴の作った呪具の売れ行きは?」
『そちらは順調です。紛争地域や、活動家たちによく売れてます』
「よし。これならすぐに各国に情報が回るだろう。引き続き気前よく売ってやれ」
『承知しました』
紛争地域やテロの情報は一般には広がらない。国が規制するからだ。だから国の上層部に情報を流そうと思うなら、こういった連中は非常に便利な駒だ。そしてこの争いに科学とはかけ離れたモノが使われているとなれば勝手に情報は広まる。すると当然各国の首脳陣はそれに対する対抗策を欲するようになる。オカルトと笑おうとも心の中では必死になる。
そうして少しずつ、下地を作る。
次の新しい世界への下地だ。霊、呪い。普段は見えず、創作話として一笑される存在。
だが、体験し、情報を得て、知識として蓄えられれば、それは毒のように身体へ回る。見えないものが見えるようになる。害のなかった存在に怯えるようになる。知らなければ幸せだったはずの知識を好奇心から得てしまう。
「まあ、だからこそ人間は危険なのだが」
次回からネムがメインの話になります