閑話 5代目ネム
「そろそろか」
俺は時計を見ながらそう1人呟いた。時間は夜の20時を過ぎた頃。この後のイベントに備え準備をする必要がある。ご飯は既に済ませた。洗い物も終わっている。後は風呂に入るだけだろう。
風呂場に行き温度調整のボタンを押し、シャワーを出し始める。適切な温度になるまで俺は一旦着ている服を脱ぎ、インナーや下着などは全て洗濯機の中へ入れる。靴下も脱ぎ、バスタオルを用意すれば準備完了だ。
ユニットバスの小さな浴室へ入り、身体を清める。この後のことを考えれば今のうちに風呂へ入っていた方が断然よいというのは今までの経験則だ。
アレを見る時は余計な雑事はすべて終わらせるに限る。俺がすべきことはただビールを飲みながら色々なしがらみを忘れてただ無心で見る。それが正しい楽しみ方だ。
風呂から上がり、ドライヤーで髪を乾かして寝巻を着る。冷蔵庫からビールとコンビニで買った安いチーズを用意すれば準備完了だ。
「時間は――20時40分。ちょうどいいな」
あの伝説の配信となった初回から既に数度配信が行われている。登録者は既に8千人を超えており、この勢いなら1万人を超える事も出来るだろう。
Vtuber魔王ネム。それが最近俺がハマっている配信者の名前だ。名目上Vtuberを名乗ってはいるが、初配信で顔バレ、家族バレを既にしており、その容姿の高さは目を引くものであり、もうVの意味とは? と考えてしまうほどである。
配信時間は決まって21時。どうやら日中は妹の世話をしなければならないのだといっていた。ちなみに初回配信で登場した男性と女性は両方とも兄と姉という事だ。
男性だけならユニコーンも沸いていただろうが、女性も登場した事によって家族説は信憑性が高い。ちなみに一部の配信者たちにより男性の方は既に特定されている。どうやら1度テレビCMに出ていた勇実礼土という男だそうだ。たった1度のテレビCM、1度だけの雑誌の写真。それだけの露出しかしていないというのに特定できたのは理由がある。
それは、この勇実礼土という男。その容姿も相まって一部の女性の中ではカルト的人気を誇っているのだそうだ。既に雑誌を発行している会社にも問い合わせが何度もされていたという事で、一部の界隈でかなり有名だったという。
「そろそろかな?」
俺はそう思いYootubeで登録しているネムのゲーム部屋ちゃんねるを開いた。すると21時から配信予定と書かれたサムネの枠が建てられている。俺はそれを迷わずクリックした。
『ケスカ。もっかいがんばろ。ほらポチっと』
『……面倒』
『そういわずに。ほらポッキーあるよ?』
『……さっき食べた』
「やっぱ今日もか」
どういう訳かさっぱりだが、ネムは配信前の枠を立てる事を勘違いしているのか、毎回毎回予定時間より前に既に放送が始まっており、プライベートの声がいつも駄々洩れなのだ。
最初は視聴者である背信者たちがそれを指摘していたのだが、本人曰く「10分前行動」との事で事故という訳ではないらしい。だから21時になればちゃんと配信をやるのだが、それまでは普通にマイクがオンの状態になっている。
そしてそんな異常状態に慣れた我々背信者たちも、最近はそれを楽しむようになった。
【これガチャさせようとしてるだろ笑】
【まーた妹に引かせようとする】
【お姉さんに怒られるぞw】
既にそんなコメントで溢れていた。
『いいのかなぁ。これポッキーいちご味なんだぜぇ』
『ん! 確かに色が違う……』
『でしょう? ほぉらこれ上げるからここをポチっとね?』
『――仕方ない』
『へへへ! やった! どれどれ――おお! 確定演出!!』
もはや不正を疑うレベルの運の良さであるが、もはやこれも恒例となっていた。そうして他愛もない雑談を聞いていると時間は21時となった。
『お、そろそろ始めないと。はい、ケスカは戻ってて。あ、アーデがこっちに来るようなら阻止してよね! ついでに礼土も』
『不可能』
『酷いよ……あ、あー。ごめんね! じゃネムの配信にようこそ! 待っててくれてありがとうね。今日の配信内容なんだけど――なんと新しい立ち絵を貰いました!』
「いや、またかよ!?」
俺は思わず画面にツッコミを入れてしまう。いや、同じ背信者である視聴者たちも同様のコメントで溢れていた。
「これで何回目だ? 5回目か?」
2度目の配信でようやく登場した魔王ネムのビジュアルは、まあ普通であった。下手でもなく、特に上手くもない。素人ではなく、神絵師でもない。そんな塩梅のイラストであった。個人の配信者ならいいだろう。仲の良い絵師に依頼して書いてもらうという事もある。だが問題は――発表されたイラストよりも、中の人である本人の方が、ビジュアルが圧倒的に上という事だった。
【お、沼おママの新作か。本人超えられたのか?】
【段々精度上がってて笑うよな。楽しみや】
【大丈夫だから――今回は時間かけて描いたし……】
【本人おって草】
そうしてネムは最初のイラストを画面に並べていく。ちなみにリスナーである背信者たちはネム本人を初代、2回目の配信で発表されたイラストを2代目と呼んでいる。今回の新規の立ち絵が5代目だ。
『はい。じゃ早速お披露目していくね! これが5代目のアタシだ!』
手慣れた配信者なら焦らしながら見せていくのだが、ネムはそういった事をしない。本人曰く早く見せたいからだそうだ。
そして表示されたイラストは、赤い髪の可愛らしい少女が白い巫女服のような衣装を着ている。ミニスカートに改造されており、肩から輪袈裟をつけており、うさん臭さと可愛さを両立したような衣装を着ていた。
「はは。うさんくせ教祖みたい」
とはいえ、歴代のネムと比べると抜群に上手いと思う。
【おお! 可愛い!】
【これはもう魔王様じゃなくて教祖様では?】
【確かに。胡散臭いけど】
【これが沼おママの本気かw】
【この間、カルト系のゲームやってたしちょうどいいのでは?】
「ちょっと!? 一応アタシ魔王だよ? へんなコメントやめてよ! あんまり変なコメントしてるとまた怒られるんだから!」
【教祖! 教祖!】
【この配信みていたら、宝くじが当たり、彼女が出来ました】
【いや、そこはガチャが当たるようになったとかじゃね?】
【僕は実家が神社なんですが、辞めてネム教に入ります】
『ははは。それはいいね。ガチャ当たるならアタシもその宗教――』
ネムがそう言いかけた所でバンっと何か音がした。
『ちょッ!? え、なに!?』
『聞きましたよ、ネム。やはり貴方は――!』
『ちょっとアーデ!? なんで入ってくるの!? 鍵閉めてたよね!』
『そんなものどうとでもなります。それより訳の分からない新興宗教を作ろうとしているようですね。ネム教とは恐れ入ります』
「ああ。やっぱり乱入されたか」
俺は笑みを浮かべながらビールを飲む。最近は3回に1回の割合でアーデという女性が乱入してくるのだ。ちょっとした恒例イベントとなっておりコメント欄もにぎわっている。
【アーデ様きた!】
【今日の背信はこれで終わりか。早かったな】
【沼おママ、アーデ様の立ち絵よろ】
【もう描き始めてるわ】
【早すぎてわろた】
『な、なによ! アタシ知ってるんだからね! 普段お菓子なんて食べないアーデが、夜にポッキー食べてニヤニヤしてるの、アタシ見たんだから!』
『……お仕置きが必要のようですね』
『ちょ、怖い怖い怖い!!』
そうして配信は30分程で終了した。大体アーデさんが来るとそこで配信が終わる。このドタバタ感と、普通の配信者では絶対起きないような事が起きるのがこの配信の醍醐味だ。最近ではアーデさんが乱入してから終了までのRTAを楽しんでいる人までいる。
「どれどれツイッターは……」
さっそく新しい立ち絵と歴代のネムが並んでいる画像が作られている。2代目から5代目までの絵の進化は目を見張るものだ。しかし――。
「イラストよりもかわいい生身ってのも中々だよなぁ」
俺はそう呟いて残りのビールを飲み干し、いいねを押した。
次回から新しいエピソードです。
よろしくお願いいたします。