五体の根陀離8
ケスカはポッキーを咥えながら考える。詰め込まれた現代地球の常識と嘗ての世界の常識を照らし合わせれば、きっと出来るだけ被害を出さない方がいいのだろうと。
既に以前の記憶は戻っている。正確に言えば記憶を取り戻したというよりは、本を読んで知識を得たのと同じく、「ああ。そういう事があったのか」という程度の知識として取り戻した。
そのため、以前の自分がどういう性格だったのか。何を考えていたのかも情報として理解はしていた。嘗てのケスカは何度も殺され、逃げ回る事だけを考えていた日々であったという事実を。
だが今はどうだろう。あの礼土が今は自分の身内としてカウントしている。それはきっと記憶が戻らず、以前のような性格でもなく、無害な子供だと思っているからだろう。事実昔に比べケスカの性格は随分と大人しいものに変貌したと自身も自覚している。しかし――。
ならそれでいい。というより、それがいい。
自分は無知な子供でいいと考え、昔の記憶は彼方へおいた。既に今の肉体は不死であったそれではない。力も随分衰えた。でもそれで礼土が敵にならないのなら。自分の味方でいてくれるのなら自分は無知で無力な子供のままでよいのだと。
「行く」
とはいえ、礼土からケスカの力を頼りにされ、現在の勇実家のヒエラルキーのトップであるアーデから助力を願われたのであれば是非もない。後でお菓子を請求しようと心に決めた。
背中から白く細い腕が生えている異形の子供。ケスカが近づいていることに気付いたのだろう。3つの口が叫ぶように開いた。
『その右足を、よこせッ!』
その瞬間、ケスカの右足は電池の切れたロボットのように静止する。そして、歪にも子供の腰から小さな足が生えてきた。それを見てからケスカは子供に生えた自分の右足を爆散させた。
『ぎぃあああああ』
すると右足のコントロールが戻ったのを感じた。右足を奪われた際にケスカも理解した。あの子供に生えた足は間違いなく自分の足なのだと。だが、ケスカの血が通っているものは何であれケスカの制御下にある。奪われた肉体の制御を奪われようと血の制御だけは奪わせない。
そして爆散させた際にケスカの血があの少年の身体に付着している。
「ばん」
ケスカが小さな両手で一度叩く。すると少年についていた血が鋭い杭のように変形し少年を串刺しにした。
『あ、あ、あ――』
血の杭によって串刺しになった少年は身体が千切れ、ケスカの血でかろうじて繋がっているような状況となっている。既に瀕死の状況だ。普通の霊なら消えていてもおかしくない。その光景をみていたアーデは自身の疑問が確信へと変わった。
「ケスカ! あれはただの悪霊ではありません。恐らく誰かの使役霊です!」
そもそもがおかしかった。アーデですら霊力を感じる程の強さを持った悪霊。それがこの土地に縛られた地縛霊であれば保育園に来た時点で分かったはずなのだ。
だが実際はどうか。保育園には特に霊の気配はなく、平和そのものであった。だから大した霊はいないのだと考えていた所にあの霊が現れた。その霊力はアーデが当初考えていたものとは比べ物にならないほど強い。
そしてそうなると次の疑問が湧いてくる。あの霊はどこから来たのかと。
そして思い至った。霊能者が使う使役霊とは、普通の霊とは違い、霊能者から与えられる霊力が途切れない限り簡単に消滅はしない。礼土が使役霊と偽るにあたりその辺りを調べた事で分かっていた能力。その情報と目の前の出来事を結んだ1つの結論は、あれは使役霊だという事だった。
『は、ははは、はははははは』
笑う少年の首が千切れ、地面へ落ちる。その瞬間にケスカの血が頭部へ強襲した。紅い血の杭が数本突き刺さり、地面を砕いた。
「ん、逃げられた?」
「……いえ、ギリギリ間に合ったようです」
アーデは上を見ながらそう呟いた。
「こちらで出来る事は以上でしょう。頭だけ逃げたためか、奪った部位まで持ち逃げされなかったのが幸いです。……道行さん、大丈夫ですか?」
血の石像のように固まった道行から声が聞こえる。
『ああ、不甲斐なく申し訳ない』
「身体の方は?」
『もう大丈夫のようだ。どうやらすぐに頭を斬り潰す必要があったか』
「ではケスカ。申し訳ありませんが拘束を解いてあげて下さい。唯斗さん、りこさんの方は?」
ケスカの血が飛び散った園庭を見ながらアーデはずっと沈黙していた2人に問いかけた。
「私は大丈夫です――ただ、全然役に立てなかった」
「俺もだ。くそ、足引っ張っちまった」
唯斗とりこは互いに拳を強く握り俯いている様子であった。
「それは私もです。あれの攻略法は言葉を聞く前に叩く、もしくはこちらの耳を塞ぐしかありません。気が動転してしまいそれに気づくのが遅れてしまいました」
もっともただ耳を塞いだ程度では意味はないだろうとアーデは考える。それこそ鼓膜を破る程度は必要だったかもしれない。どのみち先手を譲ってしまった時点で後手に回らざる得なかった。
「唯斗さんとりこさんは地面の修復を手伝って下さい。ケスカは周囲に飛び散った血の回収を。私は念のため結界の強化を行います」
「あの、アーデさん。逃げたって事はまた襲ってきますかね?」
「いえ、それは恐らくないでしょう」
「なぜですか?」
「襲撃犯は今頃それどころじゃないからです」
――知座都 視点――
「いやぁ参った! 何なんだあいつら?」
屋上でダブチを食べながら俺は驚愕していた。元々はあの保育園のあった土地を手に入れるための小芝居をする簡単な仕事だった。旦那たちがあの手の土地を欲しがっているのは知っているが、詳しい理由は聞いてない。つうか興味がない。
だから、演出として何人かの園児を犠牲にしろって言われたからやっていた。この間そろそろ霊能者が出てくるぞって言われて様子を見ていたが、その連中が実に興味深かった。
特にあの外国人のねーちゃんだ。大した霊力を持っているなと思っていた。だから警戒するならあいつかな、なんて程度に思っていた。とはいえ所詮治癒系の能力だ。そこまで警戒する必要はないだろう。遊び気分で襲撃してみて驚いた。
まず大した霊力持っていなさそうなあの日本人の2人。どう考えても放っている霊力と使っている能力が見合っていない。ゲームに例えるならレベル10のスライムがレベル50のドラゴンの攻撃をしているような違和感だ。
それだけじゃない。一番警戒していたあの女。
「結界っぽいやつ? に使役霊まで所持してるってなんなんだ? 事前情報だとあのねーちゃん治癒能力なんじゃなかったか? 3つ能力持ちって聞いてないぞ」
目の前で見た事を事実と考えるなら、治癒能力は実はフェイクか? いや、実際にガキどもの怪我は治っている。となると本当に複数能力の所持者か?
「っていうかそもそも最後のガキはなんなんだ!? 霊力なんて欠片もないのにまるで魔法だぞ」
分からないことが多すぎる。だがこういった予想外の出来事があるから世の中は楽しいのだ。思わず笑みも深くなる。
「とりあえず、もっかい襲ってみるか? それに身体を奪った時妙な感覚もあったしな。くっくっく。いいね、楽しくなってきた!」
「そうか。そんなに楽しい事があったなら是非混ぜてくれよ」
後ろから心臓を掴まれたような感覚を覚え俺はすぐに振り返った。
「どうした。食いかけのハンバーガーが落ちちゃったぞ」
ありえない。なぜここまで接近されるまでこんな馬鹿みたいな霊力に気付かなかった?
「……どちらさん?」
額に汗を滲ませながら考える。目の前のこの銀髪の男は何者なのか。
「なに、あの保育園のアルバイトをしているやつらの保護者さ」
敵意を隠そうともしないその気配に、俺はすぐに判断を下す。
「やれ、根陀離」
根陀離は俺の雇い主である旦那が作り上げた人造霊。元々のコンセプトは俺の古い仲間が作った伝承霊の技術をベースにしていてそれの改良版だ。もっともまだ未完成品だが、それでも試作品として十分な強さは間違いなく持っている。
『その右手をちょうだい』
この根陀離の言葉を聞いたやつの部位を強制的に奪う。元々あそこの園児たちの手足をあそこで奪っても面白みがないから、色々演出をしたんだが、本来は即効性が高い。奪った五体を取り込み、その際に相手のもつ力さえ奪う。要は奪った相手と殆ど同化した状態になる。
弱点は稼働時間の短さと音を遮断されれば性能が落ちるという点だ。連続で使役すると暴走する危険性がある。本来であればこうした連続での使役は避けたい所だが、そうも言っていられない。一応の保険はあるにしても暴走は避けたいのが本音だからだ。
「右手をよこせだぁ?」
それを聞いて俺はほくそ笑む。あいつらの仲間ならこちらの能力の対策を講じる可能性もあった。根陀離は強力だが、言葉が届かなければ効果が薄い。仮に耳を防がれても完全に防ぐ事は無理だが、効果は激減する。それを危惧していたがその心配はなさそうだと思った。
だが――。
「いやだね。俺の右手は漫画を読むために必要なんだ」
パチン。
そう男が右手で指を鳴らした瞬間。一瞬の光と共に根陀離は消滅した。
「――は? おいおい、マジかよ!」
なぜ効いていない? いやそれより何の霊力もなしにどうやって根陀離を消滅させた?
俺は咄嗟に懐から銃を取り出し、目の前の男に向けて発砲する。発砲音が周囲に木霊し、間違いなく男の胴体に向かって撃ち込んだ。だというのに。
「おいおい。流石に銃を撃たれたのは初めてだぞ? ここ日本だよな? どうなってんのよ」
もはやどういう手品なのか理解できない。外すような腕はしていないし、外す距離でもない。なら何かの能力で防いだはずだが、霊能力を発動させた気配もない。
「はっはっは! お前さんマジで何なの!? さっきの連中も驚いたけどお前さんは飛びっきりだ! なあ、その脳みそちょっとだけでも分けてくれ!」
俺はそういってさらに懐に忍ばせていた物を取り出す。念のためと言って配られた閃光手榴弾。そのピンを抜き放り投げた。その瞬間に背を向け目を瞑り、耳を塞ぐ。
閃光手榴弾は起爆と同時に180dB近い爆発音と100万cd以上の閃光を放つ非致死性兵器。だが、直撃すれば悪ければ失明、または難聴状態になる代物だ。今のうちに距離をとって何とか奴を殺しその脳を奪う方法を――。
そう考えた時、屋上の床に顔をぶつけていた。
「……待て、どうなってやがる?」
必死に立ち上がろうとするが、激しい痛みと共に足に力が入らない。
「俺相手に目くらましってのが悪手だったか」
見上げるとあの男が何でもなさそうに立っていた。
「逃げられない程度に足は切った。銃やらなんやら使うくらいだ。叩けば埃くらい出てくるだろう? ちょっと人を呼ぶからそのまま寝てな」
「は、ははは! ここまでか! 参ったな、なんなんだお前は! いいか、絶対に俺っちがお前さんたちの脳を奪ってやるよ!」
――勇実礼土 視点――
そう男が叫ぶとずっと右手に持っていた銃を自分の眉間に押し当てた。自殺するつもりだろうか。そう思い、銃を蹴り上げる。引き金にかけていた指が折れ、男は苦悶の表情をする。
「死なせると思うかい?」
「ああ、くそ! 全然上手くいかねぇ! まあ、この身体はもう根陀離の行使で限界だったしな。仕方ねぇから処分は諦めるか」
そう男が言うと、急に男の顔が変形し始めた。
「ん?」
細身だった男が徐々にやつれ、頬がこけていく。目が窪み、鼻が少し潰れ、瞼が厚くなっていく。そして完全に別人の顔になってしまう。
「あああああッ! いてぇ、いてぇよぉ! なんなんだよ! てめぇか! てめぇが俺にこんな真似をしたんか!!」
「は?」
声まで変わっていた。先ほどまでの飄々とした若い男ではない。先ほどと比べ年齢も随分高くなっているようでどう見ても別人の男へ変わっていた。
「おい、あんただれ」
「誰じゃねぇ! ここはどこだ! 人を攫っておいてよくも抜け抜けと!」
「……どうなってんだこれ」
「礼土殿、少しいいかな」
「京志郎さん。ご迷惑をお掛けしてすみません」
結局、あの後俺は泣き叫ぶ男に困惑しながら京志郎さんに頼った。傷の治療をするか迷ったが後々の事を考えると止めた方がいいだろうと考えやめてしまっている。
その後、現場にかけつけてきた京志郎さんと牧菜に事情を説明し病院へ運んでもらったのだ。
「緊急の用事があると出ていった時はどうしたものかと心配したが、君たちが無事でよかったよ」
「申し訳ないです。他の方も怒っていたでしょう」
「儂の方から事情は説明したから大丈夫かとは思うがな。それより例の男だが身元が分かった」
スカイツリー奪還の打ち合わせ中にアーデからの着信ですぐに飛び出したから京志郎さんには随分迷惑をかけてしまった。後で正式に謝りに行かないとだめだな。
「彼は木下達夫。年齢47歳。住所不定無職。まあ所謂ホームレスという奴だな」
「――彼は霊能者で?」
「いや、違う。一応調べたが霊力は精々ランクⅡ程度。ただ――死にかけている。内臓、筋肉、骨に至るまで随分ボロボロのようでな。恐らくもって数日という事だ」
どういう事だ。まさか操られていた? いやとてもじゃないがそんな風には。
「一応近くの監視カメラの様子も調べるよう警察の方で取り計らってくれるそうだ。一応は様子を見るという所になるだろう。後はアーデ殿の治療の結果に期待するほかはな」
「……そうですね」
ただの怪我ではない以上アーデの治療がどこまで間に合うかは分からない。まったく随分訳の分からない奴がいたもんだ。
「さて、礼土殿。一応明日話し合いは再度行われる。また今日と同じ時間に同じ場所へ来てほしいのだが大丈夫かな?」
「ええ。度々申し訳ありません」
「いいのだ。では」
そうしてどこか後味が悪い感じで今回の依頼は終わった。
今回のエピソードは以上です。
次回短い話を挟んで新しいエピソードになります。