五体の根陀離7
「アーデさん!」
唯斗がそう叫んだ瞬間、光が走る。細やかな光の粒子が地面を、園庭の遊具や花壇、そして保育園全体を覆い、囲んでいく。
これは事前に決められた行動の1つだ。もし対象が出現した場合、アーデによって即座に防御の結界が張られる。そして唯斗たちが戦闘行為をしても被害が出ないように周囲すべてに結界を張ると事前に取り決めていた。
「唯斗!」
「りこッ! 子供たちは?」
「保育士の人も含め全員アーデさんの手で寝かされたわ。後は――」
「俺たちが仕留めれば終わりって訳だ」
唯斗はそう声を零すと同時に全身から魔力を噴き出す。そして腕を振り唯斗が得意としていた火属性魔法を使用しようとしたその時だ。唯斗は自身の異変にそこで気が付いた。
「ッ!? 右手が……」
まるで初めから右手がなかったと錯覚するほどに、右肩から先の感覚が消失していた。突然の事に戸惑いながらも残った左手で炎を出現させ、目の前の子供の形をした霊を焼き払う。燃え盛る火炎は火花をまき散らし、蠢きながらその子供へ直撃する。
近くにいたりこにはそう見えた。
だが、一番近くにいた唯斗は子供の後ろから生えているソレを見て驚愕する。
両手で顔を覆う子供の背中からもう1つ違う腕が生えていたのだ。
そしてその背中の腕が炎を纏い、唯斗と同じように燃え盛る火炎を作りだし、迫りくる炎に放った。
2つの火炎がぶつかり、爆発を起こす。衝撃波に耐え、唯斗と近くにいたりこへ熱風が叩きつけられた。
その様子を見ていたアーデも驚愕している。事前に聞き予想していた能力と大きく違っていたからだ。当初あの霊の言霊によって指定された部位が翌日何らかの事故によって大きな怪我を負う。そう考えていた。だが今目の前で起きた出来事はどうだ。
確かに聞こえた。”右手をちょうだい”という幼い声だ。そしてその直後、唯斗の右腕が動かなくなった様子だ。しかもそれだけではない。その後の起きた出来事を考えればあの子供の本来の能力は大よそ予想が付く。そして予想していた危険性を大きく上昇させる必要が出てきた。
アーデはスマホを操作して、すぐにそれを置く。そして唯斗に対し治療魔法を使用した。だが、治癒が効いた様子がない。
「雄馬君や花音ちゃんとも違う。治癒では回復出来ない?」
その間も唯斗は残った左手で魔法を使い攻撃を加えている。だが、あの子供の背から生えた腕によってすべて邪魔され、あの子供に攻撃が届いていない。いや、それも違和感をアーデは感じる。
唯斗の攻撃は点ではなく面による攻撃だ。確かに相手の炎によって相殺されているようだが、あの熱量であれば触れなくとも十分なダメージを与えられるはずである。
「まさか――」
アーデはとある仮説を思いつく。そしてそれを言葉にするよりも早く事態が次の段階へ移行していた。
『あ、ああああ』
あの子供が苦しみ始めたのだ。身体をくねらせ、子供の身体に生えたひと際大きな腕は暴れるように炎を周囲へまき散らしている。もがき苦しんでいる様子に、唯斗とりこもどうすればいいのか分からず手を止めてしまう。
だが、その様子にアーデはとある事に気付いた。それは以前、礼土とネムから報告のあったとある実験。悪霊と魔力が混じり合い、より強大な存在へ変わったという事象。そしてアーデは手持ちの切り札の1つをすぐに切った。
「道行さん。あの腕をすぐに切り落として下さい!」
『承った』
その瞬間、アーデの指輪からすべてを塗り潰す様な黒い霧が発生する。しかしそれはただの霧ではない。徐々に人の形へと形成され、まるで生き物のように素早く疾走し、蠢く少年の傍に刹那の間に接近。
『童の姿をしたものを斬るのは些か不服だが、致し方なし』
黒刃の一閃。その瞬間、少年の背中から生えた腕は切り離され、蠢いていた少年は奇声を上げた。
『アアアアアアアッ!!!』
「くッ! くそ、なんだこりゃ!」
同時に唯斗の右腕から大量の出血が飛び散る。しかしアーデの治癒魔法によりその傷は瞬く間に癒えていった。
アーデは2つの切り札を持っている。だがどちらもそれを切りたくはないのが本音であった。1つは陸門道行。理性があり、会話も可能な悪霊。彼という存在にアーデは多少の信頼は寄せている。それは礼土がアーデの護衛に当てたという事実から基づく、彼が道行を信頼しているという1点から来るものだ。
そしてそれが理由でアーデは道行の使用に否定的だったのではない。単純にアーデの表向きの霊能力は治癒だからだ。ここで道行を使役している所を第三者に見られるのだけは避けたいというのが最も大きい。
そして2つ目はケスカという存在。本当の奥の手であり、礼土が今回不在となった一番の要因ともいえる。しかしアーデはケスカを戦闘に出すという事には完全に否定的だった。
とある事情でケスカは本来の性格ではなく、幼児退行を起こしている。だが、本来は人を餌だと考える冷血な魔人として存在していた。
今のケスカが戦闘行為を行った際、本来のケスカに戻らないという保証がない。元々礼土はケスカに対し危険意識が殆どないからこの問題に気づいていない。だが彼女の全盛期を知っているアーデからすれば今の状況は奇跡のようなバランスで保たれているとしか思えなかった。
しかし、状況は刻々と良くない方へ傾いている。アレはどう考えても唯斗、りこ、そしてアーデと相性が悪い。
アーデが気づいたあの少年の能力。
それは、特定の人物の五体の同化と浸食。
恐らく、特定の部位を指定しそれを強請る。すると、その力を受けた者は指定された部位を奪われる。そしてこれは物理的な強奪ではない。もっと根本的なレベルで強奪しているとみて間違いないとアーデは見ていた。
理由は、奪った右手が唯斗の魔力で魔法を使ったからだ。
そう、右手を奪った時点であの少年は唯斗の右手と同化したも同然の存在となった。だから唯斗の力を使えるし、唯斗が自身の魔法で傷を負わないのと同じように、魔法でもダメージを与えられなかった。
それだけではない。唯斗の魔力を手に入れた事により、あの霊の力は増大した。恐らく突然与えられた魔力に身体が制御できなくなったのだろう。
だからこそ、その対処として問題となった患部を切除するしか方法がないと踏み、道行を使用した。
結果的には成功したようだ。急増していたあの霊の力が収まり、背中から生えた腕も消失している。だが、唯斗の右腕が同じダメージを受けたのは想定外だった。
(まさか切断した際のダメージが本体に戻るとは)
既にこの少年の霊の危険性は当初の想定から大幅に軌道修正をアーデはしている。雄馬君と花音ちゃんは何故事故という形で手足を失いかけたのかという疑問が残るが、こうなるとわざと力をセーブしていたとしか思えなかった。
「だとすればあの霊の狙いは……。いやそれを考えるのは後にしましょう。唯斗、りこ! 下がってください。その霊と私たちはあまりに相性が――」
『左手をちょうだい』
その瞬間、アーデの左手が力を失ったかのようにだらんと落ちる。
「距離さえも無視ですか。――道行さん!」
このまま時間をかけるのは不味い。アーデはそう判断する。最悪自分の左腕は切り落として治癒すればいい。
その意図を受けた道行はすかさず手に持った刀を横なぎに切り払う。道行の前に光の壁が出現し始める。道行は完全に結界が構築される前に渾身の力を込め、その刃を振り切った。
『ぎぁああああああ』
少年とは思えないしゃがれた声が周囲に響く。
『あの結界のせいで首を落とせなんだか。だが――』
少年の顔を覆っていた両手が地面に落ちた。その顔は――両目がなく、代わりに口が縦に2つ付いており、合計3つの口が限界まで開かれ、奇声を上げている。その3つの口から黒い血のようなものが流れ、その少年は叫んだ。
『その……頭をよこせぇ!』
「まさか!」
刀を振りかぶり次の太刀を振おうとしていた道行の動きが止まる。そしてまるで首の骨がなくなったかのようにだらり頭を揺らしながら道行はこちらを向いた。
そして少年のお腹の部分が盛り上がり、顔が露出し始める。それは間違いなく道行の頭部だった。
「こうなりゃ仕方ねぇ! りこ、全力で魔法を使え!」
「ええ! 分かったわ!」
そして放たれた爆炎と氷雪による攻撃。だが、それらはすべてアーデの腕から放たれる光の結界に阻まれた。そして舞い上がる煙の中を黒い霧を纏った道行の身体が現れる。
漆黒の刃が振りかざされ、唯斗かりこ、そしてアーデ。その誰かの命が散る。そんな未来を幻視したアーデはなりふり構わず最後の切り札を切る事を選択した。
「すみません、ケスカ。どうか力を貸して下さい!」
「……任せて」
その瞬間、周囲に血の雨が降る。
比喩ではなく現実として血の雨が降り注いだ。しかしそれも一瞬の出来事だ。次の瞬間には凝固した血液によって身動きを封じられた道行がまるで彫像のように固まっていた。
「いく」
長い金髪はお団子のように纏められ、礼土から買って貰った愛用のPちゃんTシャツを身に纏い、口には園児から奪い取ったポッキーを咥えた見た目12歳の少女。
園児からは少し年上のお姉さんとちやほやされ、いい気分でお菓子を食べていた異世界の真祖がここで動いた。
恐らく次で終わりです。
よろしくお願いします。




