恐慌禁死のかくれんぼ13
――勇実礼土 視点――
この領域内に入って最初に感じた違和感。まるで濡れず、息も出来る水の中に入れられたような感覚。その違和感を確かめるために同行することになった佐藤という女性と一緒に進んでいく。
確かにこの中では霊の気配のようなものは感じない。でも刺すような敵意は充満している妙な場所。恐らくこの中に入ったらこうした人のむき出しの敵意に慣れていない人であれば簡単に感情が揺れ動いてしまうように思う。
「ここは3階のようですね」
「みたいね」
すごし進んでみて今いる場所が3階なのだと分かった。タブレットの画面を見るとどうやらこのフロアにもアイテムが隠されているようだ。幸いにも階段へ向かう道なりにその場所があるようなのでついでに通るという事で話は付いている。
「ねぇ勇実」
「何?」
後ろを歩いている佐藤が話しかけてきたため、俺は足を止めて振り返った。
「勇実の霊能力って身体強化の類?」
「いや違うけど、なんで?」
「普通じゃないと思う」
そこだけ聞くと普通にひどくないだろうか。
「その言い方はどうにかならんか」
「本当に怖くないの?」
「この場所のこと? うん、怖い要素ないし」
「……やっぱり普通じゃない」
昔、遊び半分で死霊系の魔物が出る迷宮を潜った事もあり、どうしてもこの手のものには耐性がある。だから怖いというよりは面白いという感情の方が強い。とはいえ慣れない人からすれば十分怖いだろうし早めに攻略した方がいいと思っている。
「さて、ここか」
扉が閉まった入院患者用の部屋。入口の横に名前のプレートが6つ並んでいる。
「ねぇこれ――」
「おお、すごいな」
プレートには入院患者の名前が書かれている。そのうち2つ。そこには俺と佐藤の名前が刻まれていた。
「絶対何かある。だからもう少し慎重に――」
「たのもー」
「ちょっとッ!?」
どうせ足踏みしても時間だけ過ぎていくのだし、気にせず扉を一気に開いた。そこは大部屋の入院患者が寝る場所のようで6つのベッドが並んでいる。異様なのはそのベッド全部にカーテンが閉められ中の様子が見えないようになっているようだ。
「ねえ。何かベッドが動いてない?」
「動いてるね」
「ちょ、どんどん先行かないでよ」
確かに何か軋む音が聞こえる。いや暴れているような音というべきかもしれない。俺は一歩中へ足を踏み入れた。すると先ほどまで暴れるように軋んでいた音が一気に静止する。そして今度は先ほどと違う音が聞こえ始めた。
『ひッひッひッ』
短く浅い呼吸を断続的に行っているような音。まるで気道が塞がれ、呼吸が上手く出来ず苦しんでいるかのような音が部屋の中に響いている。それも一か所ではない。複数個所のベッドで同時にその音が聞こえるのだ。
そんな異様な雰囲気を出している部屋で俺はそのまま足を止める事なく近くのベッドの前まで移動する。部屋の中は暗闇だというのに何故かカーテン越しに人影のようなものが見える。俺はカーテンに手を伸ばし、そのまま横へ引くようにしてカーテンを開いた。
そこには――。
老人がいた。
真っ黒に染まった眼球、喉には太い管が刺さっており、入院着から見える身体にはあばら骨が浮いている。両手にはすべて爪がないというのに、ベッドの落下防止用の柵を強く握り、数本しかない黄ばんだ歯をむき出しにして笑いながら身体を前後に揺すっていた。
『ひッひッひッ――』
「ベッドの上で遊ぶな。寝てろ」
そういって俺は老人の額を指で弾いた。首が後ろに90度曲がったその老人は笑いながらベッドへ倒れる。そのまま俺は周囲を見るがやはり暗いせいか少々見づらい。
「面倒だな。明るくするか」
そう思ってカッコつけ用の指パッチンをしようとした所で、ずっと考えていた違和感の正体にようやく気付いた。
(……ん、魔法が使えない?)
正確に言えば使えないのではなく、魔力を外に出せないようだ。魔法を使おうとすると妙な抵抗感を感じる。強引に魔法を使用してもいいんだがそうなるとこの領域自体どうなるのか想像がつかない。周囲に別の建物などもあるしあまり無理はしない方がいいか。
「今の現状だと身体強化程度なら大丈夫そうだけど」
ガタンッという音と共にこの部屋の扉がしまった。
「勇実!? 大丈夫!?」
「ああ。大丈夫、大丈夫。ちょっと待ってて」
軽い口調でそう答え部屋の中心へ移動すると閉まっていたカーテンが全て落ちた。そしてそこには先ほどと同じ姿の人々がいる。よく見ればその中に俺や佐藤と瓜二つの人物まで同じ姿にされているようだった。
「自分のそういう姿を見るのは気分が悪いな」
俺はそういうと指輪にひと撫でしてマサに指示を出す。
「曲げろ。全部だ」
俺の背後に一際大きな影が出現する。そしてその場にいた人のような物も、ベッドも、カーテンレールさえすべて同時に形が変わっていく。ねじれ、折りたたまれ、骨が砕け、その形を本来とはかけ離れたモノへと変えていく。
「うん、こいつは使い勝手がいいな。でもここから鍵を探すのは中々骨だな」
俺は後ろへ振り向き、未だに閉じた扉に向かって声をかける。
「危ないから、扉から離れてくれない?」
「え? うん、わかった」
少し待ってから扉に手を当て一気に力を込めた。吹き飛んだ扉は廊下の向こうの壁に激突し轟音を立てる。
「ちょ、ちょっと! びっくりしたじゃん!」
「え? マジか、それはごめん!」
やべぇ失敗した。俺は慌てて佐藤の顔を見るが攻撃を受けた様子はない。佐藤も慌てて自分の顔を触っている。その様子を見て幾つか立てた仮説が立証されたと気が付いた。
「奇しくも俺の仮説の1つが当たったか」
「いや、当たったじゃないっての! ってかあんだけ無駄に仮説を垂れ流してればそりゃ当たるわよ!」
「だがこれで確定だ。このお化け屋敷のギミックでなければ傷は負わない」
「いや、それが分かったところで意味ないでしょ」
いや案外そうでもない。つまり今回同伴している彼らに気を使って大人しくしているのだが、俺がある程度暴れても味方に被害がないという事だ。それなら効率も上がるだろう。
「ちょっと中で鍵探して貰っていい?」
「は? いやいいけど。――ってどうなってんのよこれ……」
佐藤はドン引きしているようだ。だがやはり傷を負っている様子はない。これなら俺の手持ち助っ人を出してもいいかもしれないな。
「コン! 君に決めた!」
佐藤が中に入ったのを確認してから俺は廊下でコンを呼び出した。決め台詞は雰囲気である。いつかネズミの霊がいたら雷魔法を覚えさせたいものだ。
呼び出されたコンは本来の大きさよりかなり小さく召喚した。本来の大きさだと病院の中を歩けないからね。今の大きさは少し大きな大型犬くらいだ。
俺の前に座っている4つ目で4つの尾を持ったコンは座ったままこちらを見ている。頭を撫でてほしいのだろうか。そう考え頭を撫でようとしたところ、何故か震えながらお腹を出して寝そべってしまう。
嫌われているのだろうか。
「ああっと。コン。この下に男2人組の人間が多分いる。助けに行ってやってくれ。見つけたら俺の所へ連れてきてくれると助かるよ。もし誰もいなかったら普通に戻ってきて」
俺がそういうとすぐに立ち上がり、駆け足で廊下の奥へ消えていった。あの2人、コンを見て驚いたりするだろうか。いやなんかすごい事務所の人らしいし多分大丈夫だろう。それに今のコンはちょっと大きな狐くらいだし、まあちょっと驚くかもしれないけど大丈夫でしょ。目が4つあるのはちょっとキモイけど可愛いし、大丈夫怖くない怖くない。
――植島亮介 視点――
既にこの領域に突入し時間は15分が経過している。だというのに俺たちはようやく2Fのスタッフステーションへ到着出来た。これでまだ一カ所目。まだ合流できていない望たちが仮に別の鍵を探していたとしても決して無事だとは思えなくなっていた。
既に俺と忠の顔は無事とはいえない傷だらけになっている。既に2度攻撃を受け、流れる血と一緒にようやくここへたどり着いた。
はっきり言って舐めていた。事前に情報を聞いていても、問題ないと。俺達なら大丈夫だと楽観的に考えていた。きっとどこかでゲーム感覚だったんだと思う。漫画みたいな能力が使えるようになって、それと戦う敵がいて、それと戦うための居場所を得て、侮っていた。
ゲームで経験値を得るかのように霊を祓い、そうして強くなっていく自分に酔っていたんだろうと思う。だが実際はどうだ。本当にヤバイ場所を俺たちは知らないだけだったんだ。
「もう少しだ。頑張ろう。もしかしたら望たちがいるかもしれない」
「あ、ああ。そうだな」
互いに励まし合いながら恐る恐る前進する。幸いスタッフステーションの鍵の場所、どういう霊が出てくるのかは事前に把握している。だからもし2人がいなくてもすぐに鍵を回収してその場から離れようと考えていた。
ビビビビビビッ。
コール音が聞こえる。それと同時に心臓が跳ねたように鼓動した。いつも頼もしいテリー達の姿が唯一俺の正気を保っている。
「忠……」
「分かってる、無視しよう」
俺たちは血まみれの手ですぐに本棚へ近づき、1つ1つ本を漁り始めた。鍵は確か一番最後のページに張り付けられているはずだ。その情報を頼りに必死に書類を捲る。その時――。
コール音がやんでいた。
あれだけうるさかったはずのコール音が消え、俺達の手は同時に止まってしまう。そして首に生暖かいものが落ちてきた。液体ではない。柔らかく、重量もあるものだ。
俺と忠は互いに視線を合わせ、すぐに手を動かし始めた。絶対に上を見てはいけない。上を見たらもう俺たちは終わってしまう。そんな予感があるのだ。
「あ、あったぞ!」
「よし! いいぞ、すぐにここから……」
忠が嬉しそうに涙を浮かべて手に小さな鍵を握っていた。俺達は降り注ぐソレを見ないように必死に床だけを見て移動しようとして。
「くッ」
「おい、亮介。どうした?」
「こっちを見るな! 大丈夫だ」
俺の足が掴まれている。後ろは振り向けない。俺は近くにいるテリーとゴンへ命令を出す。
「テリー! ゴン! こいつを攻撃しろ!」
俺は目をつぶったままそう叫んだ。だが2匹が動いた気配はない。俺の足はまだ掴まれたままだ。おかしい。そう思い、目を開けると――そこにはとある通路の方を見て警戒しているテリーとゴンの姿があった。
「な、なんだ?」
そう思わず声を漏らした時――それは来た。
病院の暗い廊下の奥から4つの赤い光が移動してきている。獣のようなうなり声。響く重い足音。もう、俺も忠も、従えている動物霊たちも石のように固まってソレを見ていた。
廊下を埋め尽くすほどの巨大な1匹の獣。赤く不気味に輝いた瞳が4つあり、その瞳が俺たちを完全に捉えている。一目見て分かる程の圧倒的な存在。発せられる霊力も異常だ。俺達なんて、あれの前では余りに矮小な存在だと、霊力に触れただけで本能で理解出来てしまう。逃げるという思考さえ忘れ、ただ凄まじい速度でこちらへ近づくその獣の姿を見て、俺は意識を手放した。