狂乱水城のルクテュレア17
龍の鱗を貫く。これは英雄の偉業とも言える行いである。オリハルコンランクの冒険者であろうとも鱗を貫けるのは一握りしかいない。出血した傷口を見てリオドは小さく安堵する。
(あの程度の攻撃でも傷を与えられた。ならもう少し大きな影があれば真面なダメージを与えられる。昼間に襲われた時はどうなるかと思ったがこの時間ならようやく真面に戦える)
リオドの影魔法による攻撃は武器化する際の影の大きさと濃さで強さが変わる。そのため影の多い場所、そして夜は無類の強さを発揮する。それこそ6柱騎士最強のミティスと渡り合える程である。
日は落ち始め地上に影が増えていく。ようやくリオドがまともに戦える時間になり始めた。そうリオドが感じ始めた所だった。
「グルルル」
水龍ティルワスの目が初めてリオドを捕らえた。傷を付けられ始めてリオドを敵だと認識した瞬間でもあった。全身に浴びるような殺気を感じ、身体を影へ変化させる。
「”完全なる影”」
実体が影へ変わる。その瞬間凄まじい速度の水の弾丸が通過した。リオドの身体を通過し湖の水面に着弾する。破裂する水面の水を間違っても体内に入れないようにそのまま飛行して迂回していく。その影となったリオドを叩き落そうと宙に浮かんだ無数の水球は撃ち出されていく。撃ち出された弾丸は湖の向こうにある木々を破壊し、地面を抉り、地形を変えていく。その威力を見てリオドは1つまた仮説を立てる。
(明らかに威力が違う。まさかこれは――)
そう考えるといくつか見えてくるものもある。ティルワスの攻撃が妙に単調なこと。最初の繭への攻撃に比べ明らかに威力が上がっている今の攻撃。そこから導き出される答え。それは……。
水龍ティルワスは街への被害を気にして本気が出せないという事。
今放っている攻撃が本来の威力だとすれば明らかに最初の攻撃は手加減されている。最初は繭を割らないための様子見のような物なのかとリオドは考えたがその後の攻撃の威力、そして一向に湖の水を利用した大規模な攻撃を仕掛けてこない所から考えた考察。
そしてそれは正しいものであった。精神を汚染され、朦朧とした意識の中にいるティルワスは頭の中に響く声に従っている。それはケスカを救出しろというものであった。ティルワスは行動する。命令通りあの正体不明の光の繭を破壊するため出来るだけ被害が少ない方法を無意識に選択し実行した。そして最初の攻撃を行った時にそれが誤りであったと自覚する。
あの程度の魔法なら容易に破壊出来ると考えた。だが実際は間違いだ。それを最初の攻撃で確信する。この程度の魔法なら破壊出来る? まったく違っていた。あの魔力に触れて感じる。アレは全力で攻撃して初めて割れるかどうかという代物であると。
だがそうなると別の問題が浮上する。仮にあの繭を本気で破壊しようと思うのであれば湖の水をすべて使用しそれらを使った大規模な攻撃になってしまう。そうなれば間違いなくこの都市はすべてが流れて消えるだろう。それをティルワスはよしとしなかった。だが今だ頭に響く命令は続く。アレを破壊しろ。何が何でも、どんな犠牲が出ようともケスカを救出しろ。それを無視しようとも出来ず苦しみに悶えそうなとき僅かに痛みが走った。
自身の周りを飛び回っていた人間の攻撃だと理解し、それを利用した。あの繭を破壊するための障害があの人間であると考える事で一度問題を棚上げしたのだ。
そうして互いの思惑が図らずとも一致した。目的は互いに時間稼ぎ。リオドは初めから龍を討伐できるとは思っていない。少しでもこちらに気をそらしリコの動きをサポートする。ティルワスは都市を破壊するほどの攻撃をしないため、事態が動くまでの時間稼ぎ。とはいえ攻撃の手を緩めたりは出来ない。今はあの人間を倒す事に神経を注ぐことによってオルケズの命令を誤魔化している状況だからだ。
湖の上で激しき戦闘が行われる中、オルケズは安全な建物の屋上で声を荒げていた。
「何をしている!! さっさとその人間を殺せ! そして俺の婚約者を救い出すんだ! この役立たずがッ!」
腕を振りながら懸命に声を荒げる。何故たった1人の人間如きさっさと殺せないのかと。このための守護龍だというのになんと役立たずなのか。そう憤慨しながらも自身では何もできずただティルワス達の戦闘を見守るしかなかった。だからこそ気づかない。すぐ後ろに忍び寄っていた人影に。
「何をしている! 殺せ!! さっさと――なんだ!?」
「ようやく気付きましたか。私はそこまで隠密は得意じゃないですが相手が貴方のような方で助かりました」
凍えるような冷気を感じ振り向くと女がいた。黒髪の若い女だ。何故ここにいるのかオルケズは思案する。だがここにいるという事。それはつまりケスカの洗脳下にいない侵入者であることは明白であった。オルケズ自身に戦闘能力はない。今まで権力とティルワスの契約を武器に生活していたのだ、当然とも言える。しかし目の前に侵入者がいようとも強気の姿勢は崩れない。
「ウジ虫が。この私を誰だと思っている!」
「領主でしょ。あの水龍と契約しているね」
「はッ分かっているならさっさと逃げたらどうだ。俺が命令すればティルワスはすぐに貴様を殺す」
その可能性も危険性もリコは重々承知している。いくら魔法を上手く操れようともリコの魔法の本分は治癒にある。そのためもしリオドが抑えられずこちらにあの龍の牙が向けばリコは戦う事もできず敗北するだろう。それでもリコは知っている。夜が近くなる程に強くなるリオドを。
「なら呼んでみたらどう? その前に貴方は私に降参すると思うけど」
リコの言葉にオルケズはすぐハッタリだと考える。オルケズ自身を纏っている膜はティルワスが施した魔法だ。見た目は非常に薄いが、その強度は非常に高い。だからこそオルケズは目の前の女が何をしてこようともその間にティルワスがやってきてすぐに殺すものだと考えていた。
だが――。
何もしてこない。あそこまで強気の姿勢を取ったというのに、目の前の女リコはオルケズに攻撃を仕掛けるそぶりを見せていないのだ。何が目的なのかと考え、気づいた。
オルケズの周囲が凍結しはじめている。
(まさかティルワスの防護膜を凍らせた!? いや違う。これは――)
「膜ごと周囲を凍らせているのか!?」
「正解」
リコの狙いは単純であった。リオドからの報告でオルケズを包んでいる膜が自分の魔法では破れない代物だとすぐに考える。だがふと別の事にも疑問が過った。どうやって酸素を補給しているのだろうかと。一見すると完全にオルケズを包んでいる膜であるが、あれでは中のオルケズが窒息死してしまうはず。だがそうなっていない。という事は何かしらの方法で酸素は取り込んでいるのではないかと。
そこまで考えるとあとは楽だった。ならその上から完全に凍らせてしまえばいい。異世界であろうと人間に酸素が必要なことに変わりはない。なら呼吸が出来ない状況を作りだしてしまえば勝手にオルケズは倒れるだろうと考えた。
周囲が完全に氷で覆われ、オルケズは次第に自身の体調の変化に気づいた。胸の動悸が激しくなる。何が起きているか分からない。何か毒でも打ち込まれたわけではないのに、頭痛がひどくなり、汗が止まらなくなる。次第に立つことも困難になり、呼吸が苦しくなり、眩暈を起こし始めた。
「ティル、ワス。――早く俺を……たすけ」
そうしてオルケズは意識を手放す。それと同時に契約者の命の危機を感じ取ったティルワスはすぐに行動を開始した。リコの攻撃は派手なものではない。ただ周囲を凍らせ、空気を遮断した。そのためティルワスが異常に気付くのに時間がかかってしまった。頭の中に響くあの命令が消え、代わりに契約者の命が消えかけている。流石にそれは看過できなかった。
凄まじい速度でオルケズの元へ接近するティルワスを見てリコはすぐにその場から離れた。全力で魔力を練り上げその場から少しでも距離を取る。そうして離れた瞬間に、オルケズの周囲の建物ごと大量の水が包み込んだ。