狂乱水城のルクテュレア13
ホラーBGM聞きながら執筆すると捗りますね。
目の前には長い通路がある。だが一番奥は見えず、ただ闇がある。
本来、この先の扉は大きな庭だった。いくつかの石像が並び、華やかな草花に囲まれた美しい庭。だというのに私の目の前には無機質な、何の装飾も施されていないただの通路がある。しかもその通路に僅かな明かりしかなく、通路の奥は闇に飲まれたように何も見えない。細長い魔灯のようなライトが通路の天井に等間隔で配置されているが、明かりがついているものは僅かであり、壊れかけなのか明かりは頼りなく明滅を繰り返している。
「――ッ」
無意識に溜まっていた唾液を飲み、ゆっくり足を前に進める。先ほどまで絨毯が敷かれていた玄関からまったく感じたことがない感触の床。つめたく、平らでありながらそこまで固くない。若干光沢があるため、天井の明かりが僅かに反射している。壁には扉がいくつも並んでおり、その壁には何か知らない文字の紙が幾重も張られている。
「なんだこれは。私はこんなもの知らない」
暗い通路を歩く。何か白い紙に黒い色で文字のようなものが書かれている。だが私の知っている言語ではない。それなりに長く生きているがここまでまったく知らない文字を初めてみた。それだけじゃない。この通路1つみても明らかに技術力が高い事は伺える。統一された同じ大きさの紙。それを壁に押しとどめている謎の小さな針。通路に並ぶ同じ大きさの鉄のような箱。目に映るものがすべて物珍しいものであるが、同時にうすら寒さが離れない。まるで異質な世界に足を踏み入れてしまったのではないかと思ってしまうほどに。
「ひっ」
通路の明かりが消えた。
思わず情けない声を出してしまい、すぐに周囲を確認する。かろうじて周りを照らしていた天井の明かりが消えたのだ。完全な暗闇でないのが幸いだが、訳の分からない、異質な空間で暗闇に閉じ込められるというのは流石の私も精神的に来るものがある。どういう訳かいつもの調子が出ない。普段ならこの程度の闇なんて恐れる事なんてない。何が来ようと迎え撃つ事なんて造作もないはず。だというのに起きてからずっといままで何かに心臓を掴まれているような感覚がぬぐえない。
――タン。
「ッ!?」
思わず足を止め、通路の先を見る。誰もいない。いや暗くて見えないのだ。だが間違いなく何かいる。
――タン、タン。
何の音か理解した。これは足音だ。暗闇の向こうから足音が聞こえる。誰かいる。そう確信し私は魔法を放つ。
「消えろッ!!!」
自身の魔力を使い、空気中に数十本の血の槍を作り放つ。どこにいるか分からない。だがこれだけの数であれば間違いなく当たるはず。そう考え放った魔法だがまったく手ごたえがない。
「くそッ!!」
もう一度。魔法を使う。先ほどの倍の数の槍を暗闇の向こうに放った。
――タン、タン。
それでも足音は止まらない。もう一度魔法を使おうと魔力を練ろうとしてそこでようやく私自身に起きている異変に気付いた。
「――な、なんで……なんで魔力が練れないの」
おかしい。そうだ。最初に魔法を使った時に、いやもっと早く気づくべきだったんだ。私は真祖として世界から存在を認識されている。そのため世界の魔力をそのまま自身の力と変えることが出来るというのに、私は最初の魔法で自分自身の魔力を使っていた。世界から魔力の供給がされていないという事。それはつまり――。
私は一体……どこにいるの?
「いやあああああッ!!!」
走った。意味の分からない恐怖が私の身体を包み込もうとしている。屋敷に戻らねば。振り返り、僅かに残った魔力を総動員して身体を強化し元来た道を走っていく。
――タン、タン。
後ろから変わらず足音は近づいてくる。いやさっきよりも速い! このままじゃ追い付かれる。両手を振り、長い髪をなびかせながら、みっともなく走った。呼吸を乱し、着ている服も乱し、ただがむしゃらに走った。
「はあッはぁッ――なんで……」
おかしい。いくら走っても屋敷にたどり着かない。もう最初に歩いた以上の距離を走っているはずなのに。ずっと同じ暗い通路を走っている。どうしてこんなことになっているのと自問する。私が何をしたの、ただ安全で楽にご飯を食べようと思っただけなのに。魔王と一緒に人間を滅ぼそうと思ったこと? 確かに私は別に人間の血だけが食料じゃない。ただ一番おいしい血だったから飲んでいただけだ。血を飲まなかったからと言って死ぬわけでもない。
私にとっての食事は唯一の娯楽だった。他の生物とは違い死なないために生きる必要がないからどうしても生きる気力というのが希薄になる。だからせめて食事だけは楽しもうと思った。出来るだけ質のいい人間を育て血を飲む事だけが楽しみだった。それが間違いだったのだろうか。ひっそり世界の端でただ無意味に生きるべきだったのだろうか。
「はあ……はあ……」
永遠に続くとも思えるこの暗い通路をただ走る。元来、世界という外付けの魔力源があったため自分自身の魔力量を鍛えるという事をしたことがない。だから数発の魔法で魔力は枯渇寸前だ。十分な魔力がないため肉体の強化もおぼつかない。このままでは追い付かれる。
恐ろしくて後ろを振り向けない。どこか、隠れる場所は――。
「どこか、どこかないの!?」
流れていく通路の壁の中、1つだけ僅かに空いている扉を見つける。この暗い異質な空間で見つけた僅かな希望。私はすぐに横開きの扉を開き中に入って、すぐに扉を閉めた。
――タン、タン。
扉を閉め、すぐに腰を落として蹲り両手を口に押えて、呼吸音が外に漏れないよう懸命に力を込めた。
――タン、タン、タン。
近づいてきた。魔力を抑え、気配を殺し、呼吸を殺す。激しく鼓動する心臓の音でバレないかと考え、片手で心臓を抑えた。
――タン、タン、タン、タン。
間違いない。この足音の主はこの薄い壁の向こうにいる。通り過ぎてくれ。向こうへ行ってくれ。そう願い、強く目を瞑った。
――タン。
止まった。壁の向こうで止まっている。何でここで止まる? そのまま行ってくれ。溢れ出す涙を堪えながら精一杯祈った。
どれほど時間が経っただろうか。私の願いが通じたのかもしれない。
――タン、タン。
また歩き出す音が聞こえる。安堵から全身が震えてくる。良かった、助かったんだと声に出したかった。だがその勇気は最早ない。またあの謎の足音が追ってくるかもしれないからだ。
痛いくらいの静寂に包まれ、ゆっくり目を開ける。そこは真っ暗な部屋だった。1人分の小さな机と椅子。それが同じ方向を見て均等に並んでいる。壁の一面は窓が嵌められているがその向こうは何もない。ただ闇が広がっている。周囲を見て一歩足を踏み出した瞬間、天井の明かりがついた。
「きゃッ」
両手で身体を抱きながら思わず目を瞑る。そしてゆっくり目を開くと――そこに誰か立っていた。背を向けており、髪の長さから見るにどうやら女性のようだ。見慣れない服を着ている。私の小柄な身長だとよく見えないが何をしているのか忙しなく動いているようだ。
「――――ない」
何か声が聞こえる。独り言だろうか。どうするべきか考える。こんな場所に人がいるとは思えない。そんな事はわかっている。分かっているのに――どうしても1人という孤独に耐えられなかった。
誰でもいい。話す相手が欲しい。恐怖を共感する人が欲しい。
その甘美な誘惑に耐えられず、気が付けば声を出していた。
「貴方――どうしたの?」
私の声に反応したのだろう。彼女の動きが止まった。そして一度声をかけたせいだろうか、まるでせき止めたダムのように言葉が洩れていく。
「ねぇ。ここはどこなの。出る方法を知っている? お願いここは――」
「……ねぇないの」
――ピチャン。
何の音だ。何か水のような音が聞こえる。
「ねぇ。ないの。貴方は知らない?」
「な、何を言っているの……」
一歩後ろに下がる。そうして角度を変えて初めて気づいた。
彼女には足がない。
足があるべき場所に赤い液体が滴っている。
ピチャン。ピチャン。
彼女はこちらに振り向こうとして突然消えた。いや違う、消えたんじゃない。床に落ちたんだ。彼女の上半身が。
「ねぇ。どこにあるの――私の足はどこにあるの」
「ひぃッ!」
思わず尻餅をつく。不死である私も過去に四肢を失った事はある。だからその痛みも、苦しみも理解できる。でも、いやだけど――。
腸を床に零しながら這いずるあの人間が理解できない。
私ですら無理だ。すぐに再生させなければ痛みで理性を保てない。ましてや内臓を零しながら動く事なんてとてもじゃないが無理だ。
「いや」
声が洩れる。こちらに近づく彼女の顔を見る事が出来ない。なけなしの魔力を使い魔法を放つ。血の刃が空中より彼女を切り裂いた。飛び散る血と肉。空中で回転する彼女の顔が思わず視界に入る。その彼女は確かに私を見て言った。
ねぇ。足ちょうだい。
「いやあああああああああぁぁッ!!」
なんであの状態で話せるの? なんで? なんで? なんで?
扉を開き通路に戻る。通路は先ほどと違い明かりがついている。でももう安心なんてできない。はやく少しでもはやくここから逃げなきゃ。もう嫌だ嫌だイヤだ。
通路を走っているとまた明かりが落ちた。流れる涙を拭い、声を必死に抑えながら一度立ち止まる。もうどうすればいいか分からない。手持ちの魔力はもうあと僅か。このままでは魔力切れになる。そう考えていると、一瞬だけ明かりがついた。
「……もう……なんなの……」
上ずった声が零れる。通路の先、一瞬付いた明かりに確かに人影がいた。
また一瞬だけ明かりがつく。今度は先ほどより近くに人影がいた。もう私の心は限界だった。意味の分からない空間でただ1人、なぜこんな目に遭っているのか分からない。いつも感じていた配下の気配も感じない完全な孤独。世界との繋がりも立たれた完全な孤立。どれも初めての経験でありそれが確実に私の身体を、心をむしばんでいる。――限界だ。どれだけ時間が経過した分からないけど、私には『ひとり』が耐えられない。
「いや――もういやぁぁあああああああ!!!! 誰かいないの!!!!!」
精一杯の声を出してその場で蹲る。もう何も見たくない、聞きたくない。自分の声で周りの音をかき消そうとする。
どれだけ泣いただろうか。どれだけ叫んだだろうか。一体どれだけその場で目を瞑っていただろうか。声が枯れ、震えがようやく収まり、私は目をゆっくり開いた。そこには誰もいない。通路の明かりもついている。ああよかった。安堵からすぐに立ち上がったせいだろう、思わず身体がふら付いた。
トン。
何かが背中にぶつかった。
私の両肩に手が置かれているのが分かる。足が震える。枯れたと思った涙が溢れ出す。
後ろを振り向いてはいけない。
そう分かっているはずなのに、徐々に私の首が人形のように動いていく。
黒いローブから開けて見える肌。整った顔には笑みが浮かんでいる。そしてその銀色の髪を見て今までずっと考えないようにしていたこの魔力の答えを知る。
「レ、レイド……」
「ああ。久しぶりだ」
私は最後のプライドとして、ずっと我慢していた尿を漏らしながら自身の中で渦巻く感情に飲み込まれている。絶対に会いたくない恐怖の象徴。一時期は考えただけで眠れず、世界の果てまで逃げ回っていた存在。死んだと聞いたときはどれ程嬉しかっただろうか。そしてまたレイドの存在を感じるようになり、私の本能は、恐怖から忘却を選んだ。
そしてこの意味の分からない空間に閉じ込められ味わった事のない孤独と恐怖を与えられ私は『誰か』を強く求めた。そんな私の一生で最も感情を揺さぶられ、強く他人を求めた。
そんな中で出会ったのが一番会いたくない人物であり、孤独の寂しさと、絶望の恐怖が入り混じり、私の中で出した答えは――。
自己の崩壊であった。