恋々8
さて、あの姦姦蛇螺の呪者はあの長谷川で間違いない。なら下手に姦姦蛇螺を潰してしまうと長谷川が死んでしまう。なら一度姦姦蛇螺は無視することに決めた。
「く、くるなッ!」
怯えたように後ろに後ずさる長谷川の元へ行く。最初のすまし顔が随分と崩れ恐怖で歪んでいるようだ。長谷川との距離があと数メートルという所で姦姦蛇螺に動きがあった。
「い、いけ! あいつを殺せッ!」
六本の腕をまるで蜘蛛のように動かしながらこちらに近づいてくるがわざと無視をする。魔法で拘束する事なんて容易いが多分こっちの方が恐怖を煽りやすいんじゃないかと思ったからだ。姦姦蛇螺は俺に近づき蛇の身体で巻き付き締め上げようとしているが、俺からすれば子供がじゃれている程度の力しか感じない。俺の首を絞めようとする腕の力も大したことがなく、十分無視できる。だが、長谷川からすればそんな状態でなお迫ってくる俺は恐ろしく見えるだろう。
「ひ、ひぃッ!」
甲高い声を上げ逃げようとする長谷川の襟首を掴み、壁に叩きつける。その間も姦姦蛇螺は俺を殺そうと四苦八苦している。ただ視界を塞がれるのは邪魔だ。仕方ないため、殺さない程度に魔力を籠めた拳を姦姦蛇螺に叩きこむ。それにリンクするように長谷川の顔は歪み、口と鼻から出血し始めた。
「もう一度聞くぞ。お前の知ってる限りでいい。区座里について話せ」
「き、教徒区座里は……数か月前に星宿へ入信した教徒だ。だが、あいつは妙な術を持っていてそれを教祖である綺禅様は目を付けた」
妙な術。伝承霊のことか?
「それで?」
「綺禅様は――末期の癌で余命がもう半年もない。別の世界の神であった記憶があれど、此度は普通の人の身体。かつては奇跡に近い御業を持っていたが、病で苦しむようになってからその力も消え、ただ死を待つだけのお人になっている! そんな綺禅様を救えると教徒区座里は言ったのだ。呪いを身に宿し、人の身体を捨て、永遠の生を手に入れられるとッ!」
待て待て。綺禅というのは確か星宿の教祖の名前だったはずだ。それが病に侵されていて、死にそうになっていると。そしてその死を克服するために呪いを身に宿す……って意味がわからんな。
「そのための伝承霊なのか?」
「そうだ。我ら幹部が伝承霊を使い各地に呪いをばらまき、呪いを強く育てる。そして十分に育った呪いを綺禅様のお身体に宿す事で死を克服できるのだ。あの教徒区座里のように!」
「そりゃどういう意味だ。死を克服した?」
「私は失敗した。十分育てたと思っていた姦姦蛇螺でさえ、お前のような訳の分からない奴に通用しないのでは……」
だめだな。情報の整理が必要だ。今の話が本当だとした場合、区座里はあの時一度死んだが復活したってことか? 呪いを使って死を克服するって意味が分からん。これは一度区座里を探し出す必要がやはりあるか。――いや待て。長谷川はさっきなんて言った?
《我ら幹部が伝承霊を使い各地に呪いをばらまき……》
締め上げていた長谷川の顎を横から叩き昏倒させる。そして俺の身体に纏わりついていた姦姦蛇螺をもう一度殴り飛ばし玄関へ駆けた。玄関を開け周囲を見るが渋谷がいない。そうだ。確か奴も幹部の1人のはず。なら奴も何かしらの伝承霊を持っている可能性が高い。
「逃がすと思うか」
俺を中心に魔力を直径2キロほど展開する。高密度の俺の魔力の中を動く人間を捕捉した。走ってここから逃げようとする人間だ。恐らくあいつだろう。俺は振り返り長谷川と姦姦蛇螺に対して拘束魔法を使い、俺は手すりから1階へ飛び降りた。
Side 渋谷蓮
「はあ、はあッ!」
俺は必死に走った。長谷川さんが残り、最初玄関を塞ぐような形で、外で待っていたがいつもなら聞こえてくる人の絶叫がまったく聞こえてこない。何かおかしい。そう思い玄関を開き中を確認して絶句した。
長谷川さんの姦姦蛇螺を殴り飛ばし、長谷川さんを片腕で持ち上げ締め上げている外国人の姿が映っていた。信じられない。あの姦姦蛇螺の強さは俺だって理解している。元々この辺り一帯をまとめ上げていた俺が最初スカウトされた時にあの力を俺自身で味わったのだ。動くことも許されず、ただ強烈な痛みを両腕両足に断続的に与えられるあの絶望的な恐怖。忘れるはずがない。
だから俺は求めた。あの力が欲しかった。今までのコネも使い、この辺の中高生を使って、出来るだけ星宿に貢献できるように尽くした! だというのに、それを上回る化け物がいるなんて聞いてない!
「はあ、はあ」
長谷川さんがどうなったか分からない。もしかしたらもう死んでいるかもしれない。なら次は? 間違いなく俺だ。いやだ。こんな所で死にたくない! 周囲の視線も気にせず、ひたすら走る。タクシーをどこかで拾うか? いや電車に乗って人混みに紛れるべきか? そう考えながら走っていると突然壁に叩きつけられた。
「ぐあッ!」
「おいおい。どこに行くんだ?」
痛みに耐え、視線だけで横を見るとあの外国人がいた。笑みを浮かべ、俺の頭を鷲掴みにしてコンクリートに押し込んでいる。頭部から血が流れるのを感じながらどうすればいいのか必死に考える。元々星宿に対する信仰心なんてない。ただ便利な力が手に入りそうだから近寄っただけだ。それが俺の命を脅かすものになるなら捨てる事に躊躇などあるはずがない。
「あんたの言う通りにする! だから助けてくれ!」
「なんだ、随分大人しくなったな。長谷川という男の仇を取ろうとは思わないのか?」
「思わない! 俺は自分が一番かわいいんだ! 全部あんたの言う通りにする! 何が聞きたい? 何をすればいい?」
すると掴まれていた頭が解放され、ようやく俺は傷が出来た箇所を手で抑えながら改めて目の前の外国人の姿を見た。あの薄暗い部屋では分からなかったが、映画でしか見ないような整った顔の外国人だ。きっと人通りの多い場所に行けばすぐに逆ナンされるだろう。だが今はこの整った顔の浮かべる笑みが恐ろしくて仕方ない。
「お前も星宿の幹部だな。伝承霊を持っているだろう?」
「い、いや俺は持っていない。ッ! 違う本当だ! 信じてくれ!」
胸倉をつかまれ片手で持ち上げられる。信じられない、俺の体重は60以上あるんだぞ? それをこうも簡単に片手で持ち上げるなんて。
「あ、あの伝承霊は使用者に呪いが返るリスクがあるんだ! だから俺はやり方を変えたんだ」
「やり方だと?」
「あ、ああ。こっくりさんって知ってるか? 割とポピュラーな降霊術なんだが、それを使って、近所の高校に流行らせたんだ」
そう話すたびに目の前の男の形相が変わっていく。だが適当な事を言えば殺される。そのくらい俺にだって分かるんだ。だから洗いざらい吐かないと!
「ベースはさっきあんたも見た姦姦蛇螺をベースにしているんだが、やり方が少し違う。学校の上面図を簡易的に用紙に書いて、呪いたい相手の座席の場所に印をつける。次にその呪いたい相手の一部を手に入れてから始める呪いだ!」
「どこの高校だ?」
「し、知らない! 説明だけして弟に預けたんだ! 何か知らねぇが最近停学になったらしくて随分気が立ってたから上手く行くかと思って弟に任せてたんだ、本当だッ!」
そこまで言うと、ようやく掴んでいた胸元を放して貰え、俺は重力に従ってそのまま尻を地面に落とした。尻の痛みを我慢しながら少し大げさに咳き込みしつつ、もう一度この外国人の目を見て――絶句した。
「――どこだ」
俺は甘かった。世の中には本当に怒らせちゃいけない奴がいる。どこかで分かってたはずなのに、俺は踏み外したんだ。
「弟は、多分俺の知り合いの店にいるはず、です」
「案内しろ」
俺はただ頷く事しかできなかった。