愛しく想ふ11
ポッキーのCM撮影のための打ち合わせの日程が来た。もっとも詳しい話は分からないので後で大胡ともう一度すり合わせをした方がいいだろう。例のプロデューサーである西中やCMのディレクター、そして今回俺を起用しようと推したグリコンの人と簡単に挨拶も済ませている。
ちなみに俺の中で一番今回の収穫だったのはCM出演のギャラではなく、グリコンから今度送られてくるお菓子という宝の山だ。ポッキーを始めとした主力商品をなんと段ボール単位で送ってくれるという。
「勇実さんがポッキーが好きという話をしたら、先方随分喜んでましたね」
「実際美味いからね」
何でポッキーを持ち歩いているのか、いつも持っているのかと聞かれたために、常に常備していると答えたらグリコンの人が随分と喜んでいた。そのおかげもあり俺はお菓子を大量に手にすることが出来たのだ。
最近は栞になんか購入制限までされていたから今回大量に取得できたのはかなり大きいと言えるだろう。どうやら夢の二本食いが出来るかもしれない。
打ち合わせも随分時間が掛かったが何とか終了した。芝居をしなければならないというのが非常にハードルが高いのだがそれはまぁ頑張ろう。問題はその設定だ。
「赴任してきた新米英語教師って無茶じゃないですかね」
「え? 勇実さんならばっちりだと思いますよ?」
「――英語なんてしゃべれませんよ?」
試してみたことがないから分からない。あの神がその辺も何かしら手を加えているのなら話すだけならできるのだろうが、それがイコール英語をしゃべるという事にはならないだろう。
「え!? そうなんですか!?」
大胡が過去一番の驚愕したような顔をしていた。やはりこの見た目だと生粋の外人だと思うよな。
「――一応先方に英語が喋れない旨を説明しておきますね」
「ええ。ぜひそうしてください。――所で日葵さん調子が悪そうですね」
一緒に打ち合わせをした日葵の様子がおかしい。相変わらず目線を合わせないというのは変わらずだが何というか仕事に集中出来ていない様子だ。極度の人見知りであり引っ込み思案な性格だとは聞いているがそれでも仕事に関しては別だと思っていた。事実前の撮影の時と様子が違い過ぎる。何度も打ち合わせの話を聞き逃してしまったり急に上の空になったりしている。
俺の考えが正しければ日葵を追い詰めているのはただのストーカーではない。恐らく生霊という形でストーキングをしている可能性が高いのだ。だがこれも厄介な事に俺の知っている生霊とはまた随分違いがあるようだ。
そもそも生霊となり誰かの元へ行く場合、周囲のことは視界に入らないはずだ。以前の紬の父親がそうだった。自分の娘が心配でただその様子を見るために生霊が近くに飛んでいた。そして自分が生霊を出しているという事に自覚がなかった様子だ。つまり生霊となって誰かを追い回しても肝心の本人は無自覚という事になる。それであれば生霊の姿を俺が目撃していない理由が分からない。最初は俺の魔力が邪魔をしていると思ったため昨日から魔力を極限まで抑えおびき出そうとしたのだが結局その生霊も現れなかった。
こうなってくると考えていたよりかなり厄介な依頼の可能性が出てきた。恐らくこの犯人は何かしらの方法で自分の意識を保った状態で意図的に生霊のような状態を作りだし日葵を追い回していた可能性が高い。
恐らく俺の魔力が邪魔をした事によって犯人はそれまでの方法を断念し別の方法を企て始めているのではないだろうか。そうなると必然的にこちらは後手に回らざるをえない。そしてその被害を既に日葵が受けているとすれば――。
「少し行ってきます」
「え、勇実さん?」
日葵は確か菅野と共に空いている控室を借りて休んでいる。菅野より日葵の体調が優れないため貸してもらえないかと相談があったからだ。流石に日葵の様子に違和感があったであろう制作スタッフの人たちもすぐに許可を出してくれたようだ。
マーキングしているため場所はすぐにわかる。スタジオの中を進み日葵のいる方向を目指し歩いた。幸いそれほど離れていなかったようですぐに控室の扉まで近づきノックをする。
「はい。どちら様でしょうか」
「勇実です。少々よろしいですか?」
「ッ! 勇実さん! ちょうどよかった! 電話しようかと思っていた所です!」
そういうとすごい勢いで扉が開いた。中には顔を真っ青にした菅野と涙を流してうつ向いている日葵の姿があった。やはり予感は的中したようだ。
「失礼します。日葵さんに事情を聞かせて下さい。何かあったんですね?」
「は、はい! えーっと日葵がですね」
「いや、菅野さんではなく直接日葵さんから聞かせて下さい。申し訳ないが貴方の話ではどうしても軸がぶれてしまう可能性が高い」
この人の場合どうしても日葵が関わると都合の良いように話を歪める可能性が高いのだ。恐らく被害が出始めている今できるだけはっきりとした正確な情報が欲しい。
「でも日葵は泣いて辛そうにしてるんです! そんな日葵に話を聞くなんてッ!」
「貴方に話したことをもう一度話してもらうだけです」
「だったら私からでもいいでしょう! これ以上日葵を追い詰めないでよ!」
「――あなたは……」
「日葵は人見知りなんです! ただでさえ辛い思いをしているのにこれ以上負担を掛けたくないってそう言ってるじゃないですか!」
何なんだこの人は。いつにもまして様子がおかしい菅野を怪訝な様子で見る。
「だから、貴方は日葵さんを思う力が強すぎるため貴方を介すると日葵さんの本当の話が聞けないと言っているでしょう。今日の打ち合わせもそうです。俺はこの業界に詳しくないから知りませんが、アレが普通なんですか?」
「は? 急に何の話ですか?」
「今日のCMの打ち合わせです。日葵さんの意見を言うよりもほとんど貴方が受け答えをしてましたよね。それは日葵ではこれは無理なのでこうしてください。日葵はこうした方が可愛いです。日葵は、日葵は、日葵は。……これがマネージャーの仕事ですか?」
今日の打ち合わせで日葵はほとんど何も言っていない。何か言おうとすると全部菅野が代わりにこたえている。本人の性格もあるのだろうが本当にそれでいいのかと疑問が消えない。
「ッ! 勇実さんは素人なんですから分からないだけでしょう。日葵はね!」
「貴方は日葵さんではないでしょう」
俺がそういうと菅野の顔が一気に赤くなり目が吊り上がっていく。
「もうッ!!! 関係のないことを一々何なんですかッ! 私は貴方の依頼人なんですから私の言う通りにして下さい!」
「だから貴方の言う通りにすると解決出来ない可能性が高いと言っているでしょう」
「だったらッ! もう結構です! 現時点で依頼はキャンセルします! 霊能力なんて適当なことを言ってお金を巻き上げる人に最初から頼まなければよかったッ!」
そうスタジオの廊下に菅野の声が大きく響いた。
「ご自分の言っている意味が分かっていますか? 正直な話、今の菅野さんは冷静とは言えそうにない」
「私は、冷静です! 一応言っておきますが、貴方は犯人を捕まえていないんです! 契約書にもありました成功報酬のみの支払いという部分には該当しないと判断しますのでそちらからは一切の請求を受け取りません」
「……そうですか。依頼人の貴方がそういうのなら――それで構いません。ではこれで」
俺はそう言ってその場で踵を返した。こんな終わり方をするとは思ってもみなかった。だが幸い俺自身も犯人がいると確信した訳じゃない。犯人がいると想定した場合、普通のストーカーではないと判断しただけだ。もしかしたら本当に気のせいだった可能性もある。そう考えた時、後ろから菅野の声が小さく聞こえた。
「ただ変な男が出てくる夢を連続で見ているだけだもの。疲れよ、すぐに治まるわ。それに日葵の言っていた変な視線も消えたらしいし、大丈夫、きっと大丈夫」