明るく元気でいてほしい
僕の名前は「シロ」、白い柴犬です。
飼い主、御主人は十才の元気な男の子。
僕は御主人とその御両親と一緒に住んで居ます。
ある日、御主人の御両親は事故で亡くなり、僕と御主人はお爺さんの家に引き取られました。
お爺さんの家は庭付きの大きな木造の家、そして庭には僕の小さな体には不釣合いに大きな犬小屋も有ります。
朝と昼はお爺さんと、夕方は御主人と散歩です。
田んぼの畦道を歩き、原っぱでバッタを追いかけ、畑の側でモグラの穴を見つけて鼻を入れて探す。
リードを引かれても黒い電柱を見れば僕の縄張りを示す様に臭いを付けた。
毎日を楽しく過ごす僕とは違い、御主人は笑顔を無くし寂しそう。
御両親との別れのせいか? 仲の良い友達と離れたせいだろうか?
御主人が学校から帰って来ると、僕は直ぐに駆け寄るも、御主人の笑顔は戻りません。
そんなある日の事、お爺さんが御主人に玩具をプレゼントしました。
御主人は、その玩具が気に入ったらしく、笑顔を取り戻し毎日玩具で遊んでいます。
御主人が元気に成って嬉しい筈なのに、今度は僕が寂しさを感じています。
そう、御主人は玩具で遊んでばかりで、僕と遊ぶ事が少なくなりました。
僕は命も心も無い玩具に負けたのです。
僕の心は玩具に対する嫉妬や恨み、自分への許せなさと言ったモヤモヤした黒い気持ちで一杯に成りました。
ある日の夕方、御主人が玩具を外に忘れて夕食に向かい、そのまま夜を迎えます。
御主人がお気に入りの玩具、庭に転がった玩具を咥えて玄関の前でウロウロする僕。
一時間以上も迷い、自分の犬小屋に持って来てしまった。
この玩具さえ無くなれば御主人が、また、いっぱい遊んでくれるのでは?
玩具が無くなれば御主人が悲しむ事は判っていた筈なのに、御主人と一緒に遊びたいと思う気持ちが、それを考えさせてくれません。
気付いた時には犬小屋の側に穴を掘り、玩具を埋めていました。
その日は眠れずに、何度も掘り起こそうかと考え、迷っている内に朝が来ました。
罪悪感に押し潰されそうな心を隠しながら、お爺さんと散歩をし、学校へと出かける御主人を見送ります。
何事も無く朝をやり過ごし安心しました、きっと御主人は玩具の事など忘れてしまったに違いない。
だが夕方戻って来た御主人は、僕との散歩も忘れ、玩具を探し始めます。
どうして? 玩具が無くなれば僕といっぱい遊んでくれる筈じゃ? 玩具が無くても僕が居るのに。
その日も次の日も、僕は御主人に遊んで貰えませんでした、御主人は玩具を捜し、見付からないと諦めたと思ったら、今度は部屋から泣き声だけが聞こえてきます。
僕は御主人を悲しませたい訳じゃ無く、ただ遊んで欲しかっただけなのに。
でも今更、玩具を出せば隠していた僕は如何されるだろう? 捨てられてしまうだろうか? それとも一生遊んで貰えないのではないだろうか?
そう思うと、玩具を掘り起こす事は出来なかったのです。
更に数日が過ぎ、元の日常が戻ってきます。
そして御主人の表情も少しは明るく元気になり、以前よりも僕といっぱい遊んでくれるように成りました。
少し後ろめたい気持ちも有るが、今では玩具を隠して良かったとさえ思えてきます。
ですが御主人に又しても不幸が訪れます。
楽しい筈のお正月に、お爺さんが咽に餅を詰らせ亡くなってしまいました。
御主人はお爺さんとお別れをして、親戚の家に引き取られる事になります。
始め僕は捨てられる予定でしたが、御主人が親戚の方に泣いて頼み込み、何とか一緒に暮らせる事に成りました。御主人には感謝しかありません。
今度の家は大きなマンションの一室で、僕は鳴く事も飛び跳ねる事も許されません、そして近所の人に見られる事さえも許されませんでした。
自由を奪われた僕だけど、御主人の側に居られれば、それだけで幸せです。
そして御主人は学校から帰って来ても、家には僕以外に誰もおらず寂しそうにお爺さんの写真ばかりを見ています。
走る事も鳴く事も許されない僕には、傍に寄り添う事しか出来ません。
それでも、気が付けば御主人は僕の事を優しく撫でてくれます。
それから一月が経っても御主人は元気が無いままです。
前に御両親を亡くして、お爺さんの家に引き取られた時と同じだと思った。
その時は如何やって元気を取り戻したのだったか? 昔の事を思い出しながら考え、僕はある決意をします。
翌日、御主人を学校に送り出した親戚の方が、出かける為に玄関を開けた時を狙って僕は飛び出し、捕まらないように一生懸命に走りました。
向かう先はお爺さんと暮らした家。
だが、そこには住んでた家は無く、紐が張れて草で覆われ犬小屋も無い。
昔の姿のままに残っていると思っていたが、何も無い更地を目にして悲しくなってしまう。
それでも黒い木の電柱は立っていた、太い木にアスファルトの様な黒い物を塗られた、一番大好きだった電柱。臭いを嗅ぐと今でも僕の臭いが残っている。
コンクリで出来た電柱と違い、僕の臭いを何時までも覚えていてくれていた電柱。
何も残ってないと諦めていたが、大好きな電柱に会えて良かった。
僕の深い思い出を探し当てられた気がする。
黒い大きな木の電柱に、僕の臭いをいっぱい付けて、犬小屋の有った場所へ向かった。
今度は御主人とお爺さんの思い出を探さなくては、その為に来たのだから。
犬小屋の有った筈の場所を掘る、だけど家を取り壊しただけじゃなく、更地にした時に少し土を入れたようで、昔と違う臭いがした。
それでも掘り進めると、自分と同じ臭いがしてくる。
もう直ぐだ、あと少しと自分に言い聞かせて穴を掘る。
そしてついに掘り当てた、昔僕が隠した御主人の玩具。
これを持って帰れば、僕は捨てられてしまうかもしれない、それでも御主人には元気に成ってもらいたい。
玩具を口に咥えて走り出す、学校から帰る御主人より先に戻らなくては、そう思って一生懸命に走る、硬く冷たいアスファルト、足から血が滲むが休むわけにはいかない。
今住むマンションの部屋の前に辿り着いた、間に合ったのだろうか?
すでに中に居るかもしれない御主人を玄関の前で待ちながら、玩具を舐め続ける、泥で苦いが、御主人の為に少しでも綺麗にしてあげたい。
どうやら間に合っていた様だ、御主人の足音が聞こえてくる。
僕は血だらけの足で立ち上がり、まだ泥の付いた玩具を咥えて待つ。
目が合った御主人は、驚いた様に駆け寄り、汚れた僕を抱き締めてくれる。
玩具に気付いた御主人は、僕から受け取ると、再び僕を抱き締め優しく撫でてくれる。
僕は捨てられると思っていたが、御主人は部屋に入ると玩具より先に僕を洗ってくれた。嬉しさで胸が熱くなる。
足の手当てもしてくれた御主人は、綺麗に洗った玩具をお爺さんの写真の傍に置き僕と遊んでくれた。
その日から御主人は昔の様に明るく元気になり、友達も連れて来るようになった。
僕から御主人の元を離れる事は無い、だから御主人には僕が死ぬまで明るく元気で居て欲しい。
お読みいただき有り難うございます。
他にも童話等を書いております。