エピローグ6
「……細川さんがそんな状態に」
着々と計画が進行する中、慶介の耳にメアリーに関する情報が寄せられる。
それは同僚の医師に、魔法の使用現場を見られたことに端を発する事件だった。
一般国民にはまだ陰謀説だの愉快犯説だの言われてまだ完全に明らかにされていない魔法だが、すでに一部の権力者などはその情報を得ている。
その中でも慶介の制御下になかった、とある反社会的勢力がメアリーのことを嗅ぎつけ手を出してしまったのだという。
「それで細川さんや家族の皆さんは無事なんですか?」
「ええ。こちらですぐに抑えたので皆さんご無事です。ですが、彼女の職場復帰は難しいでしょうね」
「……でしたら、細川さんにうちで働いてみませんかと声を掛けてみてください。普通の生活を望んでいる細川さんには申し訳ないんですけど、彼女程の使い手がいてくれると非常に助かるんです」
「ではそのように伝えておきましょう」
「うん、よろしく頼むね」
結局メアリーにとっては、日本への帰還は果たしたものの束の間の日常生活となってしまった。
それは何も彼女だけでなく、他の帰還者達も同じだ。
ティルリンティに転移したことによって、皆のその後の人生は大きく変わってしまった。
看護師として人の命を救う仕事にやりがいを感じていたメアリー。
今は亡き友人のことを思い、立派な会社を築き上げるのだと突き進んでいた信也。
ヒット作の小説のイラスト担当となって以来、徐々に名前を売り出し始めていた陽子。
由里香や咲良、慶介などの学生組も、あんなことがなければ今頃は普通に学生生活を過ごしていただろう。
しかし彼らは異世界ティルリンティへと転移し、大きな人生の転換を強いられた。
そしてその波は彼らが帰還した今、世界全体へと波及していく。
慶介が日本へ戻ってきてから四年が経過した。
この年から大々的に慶介は動き出す。
まず手始めに魔法について段階的に公表していき、それと同時に魔法具製作に関する技術の特許を先んじて取得していったのだ。
また職を追われたメアリーや、高校を卒業した咲良なども本格的に慶介に協力し始めている。
すでにこの頃慶介が編成した魔法具開発チームはそれなりの人数を揃えており、彼らは修行用の……それでいて出来るだけ安全性に考慮して設定された、イージーモードのダンジョンエリアでレベル上げも行っている。
もっとも、レベルとはいってもこの世界にはそのようなシステムは存在していない。
確かに世界的な規模で人類の身体能力の向上等の変化は起こっていたのだが、明確なステータスらしきものは未だに確認されていなかった。
ただ強くなるために魔物を倒すという行為が、まさにRPGでいうレベル上げそのものなのでその名称が使われているに過ぎない。
このレベル上げは確かに研究員の能力を底上げしてはいるのだが、ティルリンティでの感覚を知る慶介からしたら、その上昇幅は少ない。
だが確かに魔物を倒していくことで強くなるという謎の法則は、どうやらこの世界でも微かにだが適用されていることが明らかになった。
研究者はこれを魔物の持つ生命エネルギーや魔力を体に取り込んでいるからではないか? などと仮説を立てているが、実際の所どうなのかはまだ判明していない。
また人類の身体能力や魔法能力の世界的変化の他に、世界各地で超能力者と呼ばれる存在が認識されるようにもなってきている。
未だ限定的にしか公開されていない魔法と比べ、今やこちらの方が使い手が多いのではないか? という程に日夜動画投稿サイトやニュースなどを賑わせていた。
世界規模でこうした変化が起こっていく中、慶介が目指すのはあくまでティルリンティへ……愛しい女性が待つあの世界へ帰ること。
帰還者である他の仲間達も、慶介には惜しみない協力をしていた。
そして更に三年の月日があっという間に過ぎ去っていく。
既に日本に帰還してから七年――丁度ティルリンティで過ごした時と同じくらいの期間が経過したことになる。
「……ついに完成したな、慶介」
「ええ……。皆さんの協力のお陰です」
「慶介くんの為だもの、いいってことよ。……っていいながら、私が一番手伝えてないんだけどね」
「そんなことありません! 陽子さんにも色々お世話になりました。それに迷惑だってかけてしまって……」
「そんなの気にしなくていいわよ。私だって帰還者の一人なのよ? 自分の身に振りかかる火の粉くらい自分で払えるわ」
「やっぱ陽子さんの結界魔法は凄いっすよねえ」
「武装集団に襲われたと聞いた時は俺もかなり心配したが、近代兵器の一切を無効化したと聞いた時は流石に驚いたぞ」
マジックスミスの本社近くに建造された大きな建物。
五階建てのビル位の高さのあるその建物の中に、かつてティルリンティから帰還した六人が集まっていた。
彼らが話す内容には物騒な部分も含まれていたが、それも全て過去の話であり、すでに解決済のことだ。
この建物はガワだけ見たらかなり大きなビルのように見えるのだが、実は中身はがらんどうの作りをしている。
そしてその中で密かに作られていたのは、高さ十メートル以上はある巨大な両開きの門だった。
「慶介君、完成おめでとうございます。私はこのまま日本に残りますが、この門が上手く機能するようならまたあちらに伺いたいと思います」
「細川さん……。ええ、その時はご家族の皆さんも一緒にどうぞ」
メアリーの言葉からも分かるように、目の前にある巨大な門こそがティルリンティへと通じる巨大な魔法装置だった。
ここまでの形にするのに七年の月日がかかっている。
それを早いと見るか遅いと見るかは人それぞれだろう。
ここまで辿り着くまでに、多くの失敗や挫折を味わってきた慶介。
試作した魔法装置が望みの結果を得られなくとも、決してあきらめることなく慶介は前を向いて研究を続けてきた。
圧倒的に魔力が薄いこの世界で、必死に世界樹やダンジョンを活用して研究を続ける日々。
しかし成果は全くといっていいほど出なかった。
そんな慶介に転機が訪れたのはおよそ一年前。
それは遥か遠いティルリンティにいる北条によって齎された。
なんでも北条やディーヴァが中心となって、向こうでも世界を渡るための研究が進められているのだという。
この頃になると由里香と芽衣の"ソウルフレンド"による異世界通信は、両者ともにかなり使いこなせるようになっていた。
そのお陰で遠く離れた両世界間を、かなりスムーズに連絡することが可能となっている。
慶介はこれまでの実験のデータを惜しみなく北条に伝え、北条は北条で自分達の研究結果を慶介へと送る。
そうして双方で研究を進めていった結果、一つのアイデアが浮かび上がる。
それは日本からだけではなく、北条達のいるティルリンティ側にも門となる魔法装置を設置することで、互いに世界を繋げようという方法だ。
そしてそれはすでに小規模な転移門によって、日本からティルリンティへと物を送る実験にも成功している。
だが、何故かティルリンティ側からは地球側へと物を送る事が出来ないことも同時に判明していた。
それは慶介達に色々な推測をさせる結果となったが、現時点ではこの一方通行の謎は解けていない。
しかし、少なくとも日本からティルリンティへと物を送ることには成功しているのだ。
これを更に大型化して出力を増せば、人が通ることも可能となるだろう。
そうして完成させたのが、本社の敷地内に作られたこの大型の門だった。
「それで、結局和泉リーダーも向こうに行くんだっけ?」
「……和泉リーダーか。懐かしい呼び名だな」
咲良にリーダー呼びされたことで、思わずあの世界での出来事を思い出す信也。
咲良が質問していたように、次元門と名付けられたティルリンティへ通じる門を超えて、信也は再びあの懐かしい世界へと旅立つ決意をしていた。
信也は日本に戻ってから五年ほど社長業を続けていたのだが、その五年で業績は右肩上がりに伸びていき、後を任せる人材も揃った。
もう十分かつての友人に顔向けできるだろうと判断した信也は、社長を辞任し、マジックスミスにて魔法具の研究に打ち込むことになる。
そして異世界へ渡る決断をしたのは、何も信也だけではなかった。
「そうだね。あたしも早く芽衣ちゃんに会いたいよ!」
最終的には陽子と同じように安定を求め、日本へと帰還した由里香。
しかし彼女は、すっかりあの危険な世界に染まってしまっていたらしい。
日本に帰還して早々に陸上から格闘技へと活動を変えたのも、心のどこかで強敵と殴り合いたいという思いがあった為だった。
しかしこの世界では由里香が満足するような相手はいなかった。
確かに世界的に人類の身体能力が向上し、これまでにないような力を持つ格闘家も増えてはいたのだが、あくまでそれは新生人類の枠内に過ぎない。
その満たされない心を潤したのは、慶介が作ったイージーモードではない方のダンジョンエリアだった。
今では高校も卒業している由里香だが、学生時代ではまとまった時間が取れた時によくダンジョンに潜っていたものだ。
「本当に懐かしいわね……。北条さんに会ったら、よろしく伝えておいてね」
「陽子さんも無事に行き来が可能だと判明した暁には、仕事に都合がついた時にでも細川さんと一緒にどうぞ」
かつては日本への帰還を望み、その希望を果たした信也や由里香がティルリンティへの転移を望む中。
メアリーと同様に陽子も日本残留が決まっている。
ただ慶介の言うように気軽に行き来出来るのであれば、陽子が再びかの地に踏み入れることもあるだろう。
「あ、そろそろ向こうの準備が整ったみたいっす!」
由里香が芽衣からの念話を受けて、ティルリンティ側の準備が整ったことを報告してくる。
当然、日本側の準備もとっくのとうに完了しており、後は実際に次元門を開くだけという段取りになっていた。
「私は今日は見送りに来ただけなんだけど、なんだか緊張しちゃうわね」
「ええ、そうですね。……確か段取りだと最初に向こうから一人こちらに来るんですよね?」
「そう聞いてるけど……誰が来るのかしら」
残留組のメアリーと陽子が話しているのは、次元門を開いた後の段取りのことだ。
一刻でも早く異世界に戻りたいと思っている慶介だったが、その前にティルリンティ側から迎えが来ることになっている。
これには実験的な側面もあり、ちょっとした実証実験も行う手筈になっていた。
「では……次元門、起動させます!」
メアリー達が話している中、慶介は次元門を起動させる。
それから様子を見守るが、すぐには変化が見られない。
しかし数分が経過すると、向こうでも装置を起動したのか巨大な門の上部にある水晶部分が緑色に光り始める。
これが異なる場所の門と門が繋がったという合図だった。
「やりました! 上手く接続出来たみたいです!!」
興奮した様子の慶介が様子を見守る中、次元門の両扉はひとりでに開いていく。
いくら十メートルを超える建造物だとはいえ、門なのだから扉を開けばその先にある光景が見えるはずなのだが、反対側の光景が見えることはない。
開いた門は漆黒の空間に繋がっているようで、まったく光を通していなかった。
そんな真っ暗闇の空間に、亀裂のようなものが出来ていく。
それは門の下の方、門の大きさからしたら些細な大きさの亀裂だ。
そして、その亀裂から何者かが姿を現した。
「……皆、久しぶり」
「楓さん!」
「楓っ!」
それは帰還者達にとって、七年振りの再会となる百地楓だった。
両手にそれぞれプラスチックのような箱を手にしながら、楓は門に浮かんだ亀裂を完全に潜り抜け、日本の地へと足を踏み入れる。
プラスチックの箱の片方にはハムスターのような小動物が、もう片方の箱には何も入っていない。
「楓さん、お久しぶりです!」
「うん、久しぶり。……慶介、あんま変わってない?」
「は、はは……。ええ、僕達はこっちに帰還した時に若返ってますからね」
「でも……私は若返ってる感じ、しない」
「ああ、それは次元門に時間調整機能をつけたからですよ」
慶介から帰還時の状況を聞いた北条は、ティルリンティと地球とでは時間の流れに差があるのではないかと推測した。
或いはそう単純なものではなく、時間の流れは安定して過去から未来へと流れるものではないのかもしれない。
何故なら、芽衣と由里香の"ソウルフレンド"による念話では、時間経過の差が見られないのだ。
結局双方の世界で時間の流れがどうなっているかは解明出来ていないが、"ソウルフレンド"のスキルを介せば両者の体感時間に違いは見られない。
この事実は、次元門の時間調整機能にも応用されることになった。
実際に問題を解決するのにかなり苦労はしたが、北条が新たに身に着けたスキルによって、次元門に時間調整機能を組み込むことに成功している。
「ところで、その服装はやはり……?」
「ん。これ、多分私が転移する前に着ていた服……だね」
「やはり……。それでこの箱にいる小動物は、こちらから送り込んだものですね?」
「そう。もう片方の箱にはあっちで捕えた動物が入れてあった……けど、消えちゃったみたい」
「なるほど……」
慶介達がティルリンティへと渡る前に行おうとしていた実証実験とは、互いの世界の者同士が自由に行き来出来るかどうか、という内容のものだった。
しかし実験結果を見た限りでは、地球からティルリンティに行って帰ってくることは可能なようだが、ティルリンティで生まれた者が地球へと来ることがどうやら出来ないらしい。
「あとは再度その箱を持ったまま向こうに戻った時、消えた動物がどうなるか……ですね」
そのことを確認する為に、慶介はあえて密閉出来て中身も見えるプラスチックの箱を用意していた。
今の所この実証実験で明らかになったのは、地球にリタを招くのは危険だが、慶介がティルリンティに向かうだけなら問題ないということになる。
後は消えた動物が再びティルリンティに戻ることでどうなるのか? という点が焦点となるだろう。
だがそんな細かいことはどうでもいいとばかりに、咲良が声を張り上げる。
「ねえ、細かい実験は後にして、早くあっちに戻ろうよ!」
「咲良……。本当に生き返った……んだね」
「うん、久しぶりだね! 楓さん」
「……きっと、北条さんも喜ぶと……思う」
話には聞いていたものの、実際に元気そうな咲良を見てほっとした表情を浮かべる楓。
しかしその後すぐに一瞬だけ複雑そうな表情を浮かべ、門の向こうで待つ北条の話題を持ち出す。
「うん……。なんっか、いざとなったらどんな顔して会えばいいのかって……照れ臭いっていうか、なんていうか……」
楓から北条の名を聞いたことで、ようやく北条と再び会えるという実感が沸いてきたのだろう。
顔を赤くしたりして落ち着きがない様子の咲良。
余程浮かれているのか、楓の表情の変化には気づかなかったようだ。
「では、早速ですが僕達も向こうに……ティルリンティへと帰りましょう!」
慶介の号令に、残留組のメアリーと陽子以外が一か所に集まる。
次元門は開きっぱなしであり、この状態は地味に魔力を食うので余り長時間門を開き続けるのは厳しい。
そのことを知る慶介は挨拶やら実験の記録やらは後回しにして、急くようにして門の前に立つ。
すでに慶介の心臓は激しく鼓動を打っている。
期待の為か、見通すことの出来ない扉に展開された黒い闇の空間を、瞬きもせずジッと見つめる慶介。
「リタ、今行くよ!」
そして慶介達は次元門を潜り抜けていく。
その先に待つのは懐かしきあの世界。
彼らの「どこかで見たような異世界」での物語は、まだまだ続くのであった。




