第800話 未来視
「これを……」
「え、いや。それってアーシアが分裂した体の核だよな? 俺にこれを渡して一体どうしようっていうんだ?」
「夢を……見ました」
「夢?」
夢と聞いて北条は魔物も夢を見るのか? などと思ってしまったのだが、話を聞いてみるとそれはどうやらただの夢ではないらしい。
「はい。このようなことは初めてだったんですが、多分あれが夢なのでしょう」
「その夢がどうかしたのか?」
「……それがよくは分からないのです。北条様も以前仰ってましたよね? 北条様が見る夢はどこかぼんやりとしていると」
「ああ。悪夢を見た時その話はしたな」
「私も同じような感じで……いえ、恐らくもっと曖昧な感じでした。映像すらしっかりとしていなくて……、ただその夢を見た時にこうした方がいいということが何故か分かったんです」
「こうした……というのはこの核を俺に渡すという行為のことか?」
「はい。正直私自身にもこれが何を意味するのかは分からないのですが……」
「アーシア、お前……」
ここで北条はアーシアに"解析"を使用する。
それは久々に成長をチェックしてやろうなどという考えからではない。
アーシアの言動にかつての自分が重なったからだ。
「……っ! アーシア、お前に"未来視"のスキルが生えているぞ」
「"未来視"……ですか?」
"未来視"は"予知夢"同様に未来を見ることが出来るスキルだ。
"予知夢"は名前の通り夢の中でしか未来を見ることが出来ないが、その代わり結構先の未来が見えることもある。
それに対し"未来視"は必ずしも一定の形式を問わず、とある風景を見たことがきっかけに未来が見えたり、音や言葉を聞いただけで発動することもある。
もちろん、"予知夢"同様に夢として現れることもあった。
アーシアの場合、夢がぼんやりしたものだったのは元々夢を見たことがなかったせいでもあるのだが、スキルに目覚めたばかりで熟練度が低いことも関係していた。
どちらのスキルにせよ、熟練度を高めることでより精度などが上がっていくのだ。
「ということは、ここは素直に受け取っておいたほうが良さそうだな」
そう言うと北条はアーシアから分身体の核を受け取る。
果たしてこれをどの場面で使うのか。
今の北条には全く想像がつかないが、"予知夢"によって本来訪れたであろう最悪を回避出来た経験があるので、殊更アーシアの言葉を真摯に受け止める。
「他には夢で何か見ていないのか?」
「他にですか? 特に何も見ては……あっ」
「どうした? 何か思い出したか?」
「……いえ、ただ一つ伝えたいことを思い出しました」
「伝えたいこと? なんだ改まって」
何か思い出したと聞いて否定の返事をした割には、アーシアの表情はいつになく真剣で……そしてどこか儚く北条には映った。
「北条様。これまで短くも長い間私を従魔として側において頂いたこと。大変感謝しております」
「どうした? 突然に……」
「突然ではありませんよ。北条様はこういったことを頻繁に言われるのが苦手そうでしたので、普段は口にしなかっただけです。ですが私は……きっとニアやラビだって、北条様に同じ想いを抱いているはずです」
「それは……そうなのかもしれんが、何故今この場面でそんなことを言うんだ?」
『俺、この戦争が終わったらあいつと結婚するんだ』
このような台詞を現実に言ったとしても、漫画やアニメの中とは違ってそれがフラグになる訳ではない。
だが今はアーシアに"未来視"のスキルが発現し、その上でこのような普段言わないようなフラグになりそうな台詞を言っているのだ。
つい不安になって、北条はアーシアにこのように尋ねてしまっていた。
「特に深い意味はありません。ですが、細川様もこれまで胸に秘めていたことをお話しになっていましたし、今回の皆様の日本への帰還は一つの区切りだと思うのです。そういった機会にくらい、私の日々の想いも伝えておきたいと思いまして」
「……お前は俺の前からいなくならない……よな?」
「当然でございます。もし何らかの理由で一時離れることがございましても、必ず北条様の下に戻って参ります」
「……だからいちいちそういうフラグになりそうな台詞を吐くな。いいな? お前は俺が最初に従魔にした相手なんだ。俺から離れることは許さん」
「はい……。そのように言って頂けてとても光栄でございます」
初めの頃の北条は、アーシアのことをそれこそ魔法の練習台のように扱っていた時期もあった。
それは当人が喜んでいたということもあったのだが、あの頃はまだ物……とまではいかずとも部屋で育てている観葉植物程度の愛着しかなかった。
しかし今はあの頃とは大分変わっている。
特に咲良を失ってから、北条は親しい人を失うことを極端に恐れるようになっていた。
そしてそれとは別に、雰囲気の変わったアーシアを以前と同じようには見れなくもなっている。
決して直接本人に言うことはないが、北条にとってアーシアは今やかけがえのない存在になっていた。
「これで私の用は済みました。まさかあのような言葉まで頂けるとは思っておりませんでしたが……」
「ふんっ、お前が妙な流れを作るからだ」
「それは申し訳ございませんでした」
謝罪の言葉を述べながらも、アーシアはにこやかな笑顔を浮かべている。
元々スライムとして生まれたとは思えないほどに、その笑顔は人間そのものだった。
「それでもう夜も遅いですし、明日の為にもそろそろお休みになりませんか?」
「そうだな。……どうせだからたまには城の方に泊まっていくか」
北条であれば転移魔法ですぐに自宅にも戻れるのだが、せっかくこの城にも泊まれる部屋が用意されてあるのだから、たまにはここで寝泊まりするのも悪くない。
「お供します」
昔は女性は男性の三歩後ろを歩けなどと言われたものだったが、アーシアはまさにその通りに北条の邪魔にならない位置から後をついていく。
これは最近では使われなくなった言葉であり、言葉尻だけ捉えると女は男と同列に歩くな! とも捉えられそうな言葉だが、実は意味合いが異なる。
実際は三歩ではなく三尺……つまり約一メートルの間合いであり、なおかつ男の体からではなく、刀を持った際の切っ先から三尺離れて歩けという意味だ。
これはつまり何者かに襲われた場合に、女性を守れるような距離感を意味している。
「…………」
アーシアにそのような知識はなく、ただ自然とこの距離感が板についていた。
余り近くに控えていると、北条が煩わしそうな様子を見せることがあったからだ。
そうして段々今の距離感に近づいていき、今もいつも通り北条の背をジッとアーシアは見つめている。
そこには北条の豊富な感知スキルでも気づくことが出来ない、アーシアの憂いの表情が浮かんでいた。
▽△▽△▽
昨日パーティーに出席した者の多くは、夜更かしすることもなく寝場所に帰って就寝していたが、会場に居残った者達は夜通し飲んだ挙句、会場内で寝転がっていた。
城の使用人たちも気を利かせてなのか、酔っ払いの相手はしてられないということなのか、そんな彼らを放置したままにしている。
だがいつまでも会場で寝転がっている訳にはいかない。
昨日はやたらと盛り上がっていたが、本番は今日なのだ。
「ほらほら! さっさと起きぃ!」
「リューーーゥーーー? いつまでこんな所で寝てるの!」
「もう、ムルーダったら。早く起きないと……一発ガツンと行くわよ?」
三者三様に抗いがたい雰囲気を発しながら、会場で寝ている三人にそれぞれの女性が声を掛ける。
他にも酒好きのドワーフ守衛のドライセンなども会場に残っていたのだが、不穏な空気を察してかさっさと逃げ出していた。
夜遅くまで飲んでいたせいで寝不足と二日酔いで苦しむ三人だが、女性たちは治癒魔法の使用すら認めずに自業自得だとそのまんま外へと連れ出す。
「うっ……。今の俺には太陽の光がきついわ、ほんま」
「ううぇぇぇ……。ぎぼぢわるい…………」
外に出て太陽の光を浴びることで余計ダメージを負う三人。
ジャガーキャッスルを出てすぐの所にはちょっとした広場があるのだが、そこには昨日のパーティーの出席者の一部が揃っていた。
すでに今の『ジャガーノート』ならば、余計な外敵の……特に人間が相手であるならば心配する必要はほぼない。
だから異世界から来たと明かしても今なら問題ないのだろうが、未だにその部分だけは一部の人だけが知る所となっている。
といっても大分その枠は広がっており、キリル王子やらエルネストやらにもそのことは伝わっていた。
特にエルネストに関しては、もし同じような異世界人を発見した場合、その人物が問題ないようであれば『ジャガーノート』のことを紹介してくれとも伝えてある。
ジャガーキャッスル前の広場に集まったのは、そんな異邦人達の来歴を知る者達であり、集まっているのはこれから《サルカディア》へと向かい見送りするためだった。
「おいおい、龍之介にゼンダーソン。お前らほんと懲りねえなぁ」
「しゃあないやろ! タダ酒は飲めるときに飲むんが俺の信条や!」
「しゃーねーだろ! オッサンなんだから、こーゆー飲みにケーション? はそっちのが本来得意なんじゃねえのか?」
「勝手に人をそんな枠組みに当てはめるな。まあ、サルカディアに着くまで多少歩くから、その間に酔いも少しは抜けんだろうよ」
龍之介達が広場に出てきたことで、見送りに行く全員がこの場に揃った。
だがメインのクランメンバーだけでもかなりの人数になるので、外部の人間は極力減らしている。
本当は守衛組の面々なども見送りに来たがっていたのだが、今回は拠点の方での任務に専念してもらう。
なんせ絞ったといっても、それなりの数が見送りに参加することになっていたからだ。
「……じゃあ、行くぞぉ!」
北条が号令をかけると、信也やメアリーにとっては最後となるかもしれない、《サルカディア》への道のりを歩き始めるのだった。




