第71話 初心者殺し
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「ちょ、ちょっと今の声何?」
ビクンと一瞬体をすくませた陽子が、泣き出しそうな声でそう口にする。
陽子達のいる場所――ゴブリン村の東にある高台には、ケガをした者や戦闘を終えた者達が一部集まってきていた。
すでにゴブリンとの戦いも人間達が優勢のまま推移し、ほぼ完全に勝利を迎える……そんな気が緩みかけた頃合いだった。
その恐ろしい唸り声のようなものが聞こえてきたのは。
陽子以外の面々も、どこからか聞こえてきたその声に、辺りをきょろきょろと窺っている。
しかし、その声の発生源がどこにあるのかがいまいち判然としない。
そんな中、
「い、今の声は……」
衛士の一人は何か覚えがあるのか、青い顔をしながらそう呟いているのを、近くにいたメアリー達の耳が拾っていた。
「何か心当たりがあるんですか?」
メアリーのその優しい声音は、聞く者にわずかに安心感を与える。
少し取り乱した様子だった衛士は、その声を聞くと我に返ったようにハッとした様子を見せ、先ほど気付いた心当たりについて話し始めた。
「確信はありませんが、今の声は恐らく……テイルベアーのものだと思われます」
『テイルベアー』
それは体長三メートルほどの熊の魔物である。
このテイルベアーは他の一般的な熊や熊系の魔物とは違い、その名の由来となっている一メートル程の長さになる、アライグマのような縞模様の尻尾を持っている。
その尻尾は戦闘の際にも用いられ、"テイルシェイク"というスキル攻撃を使用してくることもあるので注意が必要だ。
そして、他にも幾つかスキルを持っているのだが、中でも初心者殺しとして最も恐れられているのが威圧系、もしくは発声系に分類される"ベアーハウル"というスキルだ。
このスキルは、発声元であるテイルベアーを中心として、その声を聞いたもの全員に対して効果のあるスキルであり、抵抗に失敗した者は体が竦んでしまい、しばらくの間まともに体を動かすことすら出来なくなってしまう。
その効果はテイルベアーから距離が離れる程効果は弱まっていくが、至近距離で聞いた者は、耳を塞いでいたとしても関係なく影響を及ぼす。
――ただ一応若干は効力が弱まりはするのだが……。
この《ドルンカークの森》では冬の雪解けが終わるこの季節には、食料を求めて毎年テイルベアーが姿を見せており、毎年恒例の冒険者ギルドの討伐依頼のひとつとなっていた。
ただし、出没するのは本来なら更にもう三、四時間は森の奥に行った場所であり、このような森の比較的浅い場所に出没することは稀であった。
――衛士による、手早くまとめたテイルベアーの説明を聞き終えた一同は、最早烏合の衆と化していた。
衛士達の指揮官である衛士長も、鉱夫達の中でも発言力のある鉱夫長達も、そして冒険者パーティーのリーダーである信也も北条も、この場には誰一人いなかったからだ。
「あ、あれは!」
騒然となった人々の中の一人が、突然大きな声を上げながら指を指していた。
その指の指された方角――ゴブリン村の北の方に目を向けると、そこには先ほど話に出てきたテイルベアーらしき魔物が姿を見せていた。
そして、距離があるため輪郭までは正確には分からないが、テイルベアーが注意を向ける先、そこには鉱夫達の姿があった。
ゴブリンチーフを倒す際に、取りこぼしが出ないように広めに包囲した鉱夫達の一団だ。
それから、その体格に似合わぬ素早さで鉱夫達へと襲いかかるテイルベアー。
鉱夫達は先ほどの"ベアーハウル"によって、まともに動くことすらできない様子だった。
大分距離の空いている、この東の高台付近にいる者達には深刻な影響はでていないが、一番間近でその"声"を聞いてしまった彼らに、抗う術はなかったのだろう。
まるで、現実感のないような、何気ない光景のようでいて呆気ないといった不思議な感覚。
夢でも見ているかのようなそんな感覚の中、次々とその場にいた鉱夫達が無残に殺されていく。
一瞬後、ハッと我に返った人々は、その様子を見て更に収拾がつかない状態となっていく。
そんな混沌とした場に、一人の少年の声が轟いた。
「おい、お前達! ボーッと見てる場合じゃねえ! さっさと行動に移るぞ!」
まだ若い、それでいて意思の強さを窺わせるその声を発したのは、この場で唯一リーダーという役割を負っている冒険者、ムルーダの声であった。
「とりあえずゴブリン討伐に関してはもう問題はねーだろう。ある程度取りこぼしはあるだろーが、今回はしゃーねえ。それよりもまずは鉱夫達を、一旦ここに集めるんだ」
ゆるぎないムルーダの声に、その場の人々も口を閉じ、静かにその声を聞き始める。
「全員……は無理かもしれねーが、大体の人数がここに集合したら、南の方角へ逃げてくれ。その為にも、とりあえずはゴブリン村各所にちらばった仲間達に、この場所へ集まるように、何人か声を掛けにいってくれ」
「あ、あんたはどうするんだ……?」
震えた声でそう問いかける一人の鉱夫。
その声音からは『自分で声を掛けにいかないのか』といったような否定的な感情は読み取れない。
純粋にムルーダがどう行動するのかが気になるのだろう。
「おれか? おれは…………奴の所へ向かう」
一瞬言葉に詰まったムルーダだったが、覚悟を決めた表情で村の北の方角を見つめる。
ムルーダの様子から、何を言い出すのか察しがついていたシィラは、ムルーダがそう口にした直後、引き留める為の言葉を投げかける。
「そんな、無茶よ! テイルベアーはDランクの魔物なのよ? ただでさえ初心者殺しと呼ばれる凶悪な魔物なのに、ムルーダ一人が向かった所でどうにかなるものではないわ!」
それはもっともな話ではあった。
テイルベアーが初心者殺しとされるのは、"ベアーハウル"によって低ランクの冒険者は抵抗することもできず無残に殺されていってしまうからだ。
しかも性質の悪いことに、範囲内の相手にまとめて効果のあるスキルのため、低ランクが百人いたからといって確実に倒せるような魔物でもない。
実際、この時期に出されるテイルベアーの討伐依頼は、初心者を脱したDランクの冒険者なら二、三人いれば、一体相手なら十分倒せる程度なのだ。
「……それくらいは流石におれでも分かってる。だが、ここで引き下がるようならおれは冒険者になるなんて言わなかった! 確かにおれ一人行ってどうにかなるなんて思えるほど、おれは自惚れてるつもりはねえ。だが……だが! おれがあこがれた冒険者の姿ってのは、こういう時にこそ立ち向かうものなんだよ!」
同じ村に生まれ育った幼馴染として、密かに恋慕を抱く相手として、今までずっと近くでムルーダを見続けてきたシィラは、こうなってしまったムルーダを止める方法がないことを、嫌というほど知ってしまっている。
そして、いつかこのような時が来た時の為の覚悟も、すでにシィラの中には出来上がっていた。
「……それなら、私もいくわ」
「……っ!」
思わずシィラの表情をじっと見つめるムルーダ。
そしてその覚悟の程を感じ取ったムルーダは、
「分かった。ついてこい!」
そう短く指示を出す。
ムルーダとて、シィラとは長い付き合いであり、今のシィラに何を言っても無駄だというのはよく理解できていた。
「ウン!」
受け入れてくれたことに、どこか安心したような表情を一瞬見せるシィラ。
そんなシィラの声にさらに続く者が現れる。
「……私も、いくわ」
苦渋に満ちた顔でそう声を上げたのは咲良だった。
身内からの参戦の声に、異邦人組は驚いた表情で彼女を見つめる。
完全に覚悟が決まったという表情をしている訳ではないが、その場の勢いで言った訳ではないことは、その顔を見れば明らかだった。
「それなら私も一緒に行かせていただきます」
「わたしも~」
更にメアリーと芽衣も参加表明をする。
そんな彼女達を見た石田は「コイツら何考えてやがるんだ?」と思っていたが、どうやらこの場にいる異邦人達の中で、石田の考えは少数派だったようだ。
まだ声を上げてはいないが、陽子と慶介も何やらしかめっ面して考え事をはじめていた。
「そうか……わかった。じゃあ、おれとシィラとお前達三人で一緒に向かおう」
そう言って早速移動を始めるムルーダと、後に続くシィラ。
「ま、待って!」
だがそこに未だ心の内の懊悩を隠し切れない陽子が声をかける。
「なんだ? もう時間に余裕がないから早くしてくれ」
「私も……一緒にいくわ」
急かすムルーダの声に押されるようにして陽子も一緒に同行を申し出た。
すると、それを聞いた慶介も、
「そ、それなら僕も……」
と言いかけた慶介だったが、すっと隣に立った陽子によって遮られた。
「慶介君はここで待っていて……ね?」
「で、でも僕だって戦えます! いざとなったらアレだって」
「アレは今回のような敵と入り乱れて戦う場合、使いどころが難しいわ。大丈夫、ちゃんと無事に帰ってくるから、ね?」
「い、いやです! 僕も絶対ついていきます!」
自身も整理しきれない葛藤を心の内に抱えながらも、精一杯の笑みを慶介に向ける陽子。
今までは聞き分けのいいお坊ちゃんといった趣の慶介であったが、前回の街中でのゴタゴタの時は信也に、そして命の危険もある今回は、陽子に対して申し訳なさを感じていた。
守られっぱなしの自分自身の現状に対し、ついに聞き分けのいい子供としての振る舞いをかなぐりすて、自分も一緒に行くと駄々をこね始める慶介。
しかし、そんな慶介の様子を見て覚悟を決めた陽子は、近くの衛士に「この子を頼みます」と言伝をし、待ちきれずにすでに移動し始めたムルーダ達の後を、咲良らと共に慌てて追いかけるのであった。
書き溜めた分が増えてきたので、今月は毎日更新で行こうと思います。