第722話 ンシアの想い
「いよう、ンシア。何してるんだぁ?」
一人ぼんやりと小川を見つめていたのは、『ジャガーノート』では一番の新入りのンシアだった。
「魚、眺めてた」
「む。聞いてるとは思うがぁ、ここの魚は勝手に獲ったらいかんぞぉ」
「分かってる。そんなに、お腹減ってない」
「んむ、それならいい。……そういえばンシア」
ここで北条は、ンシアに伝えようと思ってた事があったのを思い出し、その事について話し出した。
「お前がメンバーに加わってからすぐに襲撃対策に入っていたから、これまで時間が取れなかった。だがぁ今ならちょっとした時間くらいなら作れる」
「ホージョー、何が言いたい?」
「お前も知っての通り、俺はエルダードラゴンを使役している。今ならお前の故郷……カラハリに連れていく事も出来るだろう」
「ッ!」
「正確な場所が分からんから少し時間は掛かるかもしれんがぁ、どうする? お前にも世話になってるし、連れていく位なら手伝うぞぉ」
故郷に帰れる。
そう聞いたンシアは大きく体を震わせて反応を示した。
そして恐らくは故郷の事を思い出しているのだろう。
静かに目を閉じながら、しばし押し黙った。
「私達、この大陸に来て、ずっと故郷に帰る手段探してた……」
「……」
「でも、水竜の依頼受けた頃には、多分、無理と思ってた」
ンシアが想いを語っていく。
他の『探究者』のメンバーがどうだったかまでは分からないが、少なくともンシアは心の奥底ではもう故郷には帰れないと思っていたらしい。
例え情報を入手出来たとしても、帰る為の手段がない。
例え帰りの船を手配出来たとしても、ほとんど未知の航路でもあるし、そもそも海の魔物に襲われたらひとたまりもない。
そう、思っていた故郷への帰還。
それがこうして目の前に提示されたンシアは、改めて今の自分がどう思っているのかを考え直してみた。
「……今でも勿論、故郷の事、大事に思ってる。でも、ワタシの気持ち、昔と違う」
「つまり……どういう事だぁ?」
「ワタシ、今は、ジャガーノートの一員。もっとみんなと……仲間と強くなっていきたい!」
その気持ちは紛れもないンシアの本心だった。
だがその気持ちの裏には、今自分が一人で故郷に帰ったとしても、何も故郷の状況は変わらないだろうという思いもあった。
表向きはかつて同じ国であった者達同士の、人間同士での争い。
しかしその裏には今でも悪魔が暗躍している。
無駄な争いをなくすためには、悪魔だけでなくその悪魔に唆された人間達とも戦わなければいけない。
「そうか、分かったぁ」
「だから、これからも、よろしく頼む」
「うむ……。ちなみにンシアはウチの当面の目標というのを知っているかぁ?」
「サルカディアを、攻略する?」
「それでも間違っちゃあいないがぁ、和泉や陽子……俺と同郷の奴らを故郷に帰すというのが、そもそもの目標だぁ」
「そういえば、以前聞いた事が、ある」
ンシアが加入してからすでに一年以上が経過している。
その間、由里香や他の仲間とも親交は深まっており、そうした中で色々な話を互いにしてきた。
そういった交流が、ンシアの気持ちを少しずつ変えていたのだ。
「その目標を達成したら、サルカディア攻略に縛られる事もない。お前も知っての通り、ポータルルームを設置していけば大陸の各地へ移動できる。だがぁ、俺はこの大陸だけで活動を収めるつもりはない」
ポータルルームはかなり広めに取ってあるが、まだまだ設置した転移拠点は全体から見れば少ない。
《ヌーナ大陸》もまだまだ網羅している訳ではないが、それを加味してもあの空間は広すぎた。
「クラトン諸島だって通り道で寄った程度だし、元からある本場の世界樹があるというエルフ島にも行ってみたい。魔族が多く暮らしているアンダルシア大陸にも行ってみたいし、暗黒大陸だっていつかは本格的に乗り込むだろう。……勿論、お前の故郷カラハリだって、いつかは行ってみるつもりだぁ」
「ホージョー……」
北条は最初に転移した頃から、日本には帰らない事を決めていた。
そして、魔法やら魔物やらが存在するこのファンタジーな世界で、未知なるものを求めて冒険してみたい。
そう思っていた。
「お前の決めた事をどうこういうつもりじゃあない。だが、俺達の故郷と比べれば、お前の故郷はまだ全然手が届く場所にある。ならば俺のやりたい事をやる途上で、カラハリへ寄る事もあるだろう。……そう身構えずに、その時は故郷の仲間の所に顔を出すといい」
「うん……、うんっ……」
「一度現地に辿り着けば、そこに転移拠点を作って拠点から簡単に移動出来るようにもなる。まあ、そんな遠い未来にはならんだろうよ」
未だ三種の神器の内、一つしか見つかってはいない。
しかし今回の襲撃対策の流れで、『ジャガーノート』は全体的にかなり強化された。
いわば難関エリアへ挑むための、レベル上げ期間になったともいえる。
まだまだ力が足りない部分があるかもしれないが、北条には先の未来が大分輪郭を持って見え始めていた。
北条の言葉を聞いて、涙をこらえきれないンシア。
そんなンシアに最後に軽く挨拶をすると、北条はアーシア達を引き連れ自宅へと戻っていった。
ンシアはしばし、その場で溢れ出る涙と感情に揺り動かされながら、空を……故郷へと続く青い空を見上げるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「ううむ、どうも手持無沙汰だな……」
信也は一人自室で独り言ちる。
長めの休みに入ってから、信也は拠点関連の手伝える仕事や、自己鍛錬に励んでいた。
それはそれなりに時間を潰す事は出来たのだが、元々これといった趣味を持たない信也にとって、それはあくまで余った時間を潰すためのものでしかない。
「慶介は……今日もリタ王女の所か」
慶介とは同じ家で暮らしている信也。
しかしここ最近慶介はリタの下をよく訪れているようで、家にいる時間が少ない。
「俺も何か趣味を探してみるか?」
今更ではあるが、これまでなんだかんだで冒険者としての活動が続いていたので、結局何か新しい事に着手するという事がなかった。
ティルリンティでは一年が384日あるので正確ではないが、信也も既に三十歳をとうに超えている。
年を取ると、新しい事へ挑戦する事が億劫に感じてしまうものだ。
「そういえば……捕らえた捕虜の女が魔法具開発局長とやらになったんだったな」
それは特に何の気もない思いつきであり、暇つぶしになればいいかという程度のものだった。
しかし思いついてしまった信也は、支度を整えるとジャガーキャッスルへと向かう。
個人的に魔法具にはそれなりに興味を覚えていた事も、関係していたのかもしれない。
ディーヴァはすでにクランメンバーにも紹介されており、専用の建物が出来るまではジャガーキャッスルにて生活をする事になった。
最初の内は高レベルの敵の捕虜という事で、大分警戒するメンバーもいた。
しかし、余りの純粋な魔法馬鹿っぷりに、今ではそうした警戒も大分薄れ始めている。
……というか、すでに『ジャガーノート』の魔法馬鹿担当のライオットやジェンツーらと、熱い魔法トークを交わしている場面がよく見られるようになっていた。
「だからね? リュシアーンの提唱していた魔法真理学は間違っていなかったと思う訳よ。つまり、魔力とはすなわち魂に含まれる根源なる混沌から生み出されたものであって、大元は闘気などと変わらないって理論ね」
「ううん、確かにそこまで言われるとそのように思えてきますが、今すぐの回答は控えたい所ですね。いちど持ち帰って改めて一人で考察をまとめておきたい所です」
今も信也がディーヴァの下を訪ねると、ライオットやケイドルヴァ達が集まって何やら魔法に関する話をしていた。
その余りの白熱っぷりに思わず信也の腰が引けてしまったが、丁度話の切れ目だったようで、そこを狙って信也はディーヴァに話しかけた。
「大分議論が盛り上がっていたようだな」
「あら、えっと……シンヤでしたっけ? お陰様で、楽しい日々を過ごしてますわ」
「みたいだな。北条さんから魔法具開発局長とやらに任命されたらしいが、そっちの方はどうなんだ?」
「勿論準備を整えておりますわ! しかも私の為に専用の施設まで建築して下さっている。ホージョー様には感謝しきれませんわあ!」
「そ、そうか……」
今まで身近にいないタイプだったせいか、どう接したものかと戸惑う信也。
そんな信也に、機関銃のようにペチャクチャと話し続けるディーヴァ。
話は魔法具へと移っていき、ライオットは自室へと考えを纏める為に戻り、ケイドルヴァは魔法の訓練をしに城を後にする。
残された信也はそれから夕方になるまでの間、延々とディーヴァの話に付き合い続けた。
それは元々信也が魔法具に軽く興味を持っていた事が原因だったのかもしれないし、余りに楽しそうにディーヴァが話をしていたからかもしれない。
ディーヴァはただ自分の事を語るだけでなく、信也が自分を訪ねにきた目的を理解すると、同士に引っ張り込もうとするかのように魔法や魔法具の魅力を語っていく。
やがてディーヴァは、
「ううむ、俺もちょっと魔法具を作ってみようかな」
と信也に発言させる事に成功するのであった。




