第711話 もう一人の生き残り
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「う、ううん……。ここは……」
薄暗い洞窟の中、男が目覚める。
あくまで簡易的に生活空間を整えただけなので、洞窟内に設けられた部屋の中は湿度が高く、蒸し蒸しとしていてとても暑い。
薄手の服を着てそのような寝苦しい場所で目覚めた男は、ハッキリとしない頭で周囲を見渡す。
すると徐々に直前までの記憶が呼び覚まされ、次第に顔が般若の様相になっていく。
「アイツら! またしても私の邪魔をッ!!」
ここは《ドルンカークの森》の奥にある、そこだけ少し森が開けた場所にある洞窟の中。
この場所には高低差十メートル以上の崖があり、その途中に洞窟の入口が存在している。
そう。かつては悪魔司祭が拠点の一つとして利用していた、あの洞窟だ。
帝国から百英雄隊やレイダースが侵攻した際にも、途中で休憩を取るために利用されている。
そしてその時、この拠点に幾人か保険として人員が残されていた。
ただし、保険というのは別に戦力としての意味ではない。
何故なら、この洞窟に残されたのはほんの十名にも満たない人数だからだ。
重要なのは誰にとっての保険だったかという点。
それこそ、この場所に残るように指示を出していた人物……長井にとっての保険という意味であった。
「おまけに念入りに魔法で焼くなんて、肉体から抜けるのが少し遅かったら一緒に焼かれていた所だったわ」
長井がこの洞窟に残していた保険。
それは"悪魔の契約"を交わした者達の事であり、いざという時は元の体を捨てて新たな肉体を得る為のストックとしての役割であった。
マージによって焼却処理された元の体だが、予めそうなる事も想定していた長井は、ゴドウィンからも詳しい話を聞いて肉体を移し替える方法をぶっつけ本番で行っていた。
「一体どこで間違ったの!? 私の計画は完璧だったハズ……」
しばらくの間、あまりの無念のために近くの物に当たり散らかしたりしながら、怒りを発奮させる長井。
すると物音を聞きつけたのか、洞窟に残していた他の契約者たちが部屋を訪ねてくる。
反射的に長井は"人化"スキルを使って、ガイの姿へと変化した。
「ガイ様、一体何があったのでしょうか?」
明らかに不機嫌な様子の長井に、恐れながら質問をする若い女。
暴れまわったせいで少しは癇癪が収まったものの、完膚なきまでに叩きのめされた屈辱が晴れる事はない。
「……ここに誰か戻ってきた奴はいるか?」
「い、いえ。皆さまが出立されてからは、誰もこの場所に姿を見せていません」
「そうか……。今は何日だ?」
若い女の返事を聞いた長井は、ふと気になって日付を尋ねる。
何分初めての肉体乗り換えなので、意識を失っている間にどれだけ時間が過ぎていたのかも分からない。
「明火の月の火の四日になります」
「それで今の時間は?」
「は、はい。もう日が落ちて辺りはすっかり暗くなっております」
どうやら意識を失っていたのは、そう長い時間ではなかったらしい。
拠点に攻め入ったのが火の四日の朝であり、恐らく信也達にやられたのが昼くらい。
肉体から抜け落ち、魂だけとなっていた状態の記憶はハッキリとしていない。
ただ、とにかく目印となる契約印を持つ者達へと向けて、ほぼ無意識に移動していたのだけはなんとなく覚えている。
「……分かった。今日はもう遅いようだし休むとしよう。食事を用意しておけ」
「かしこまりました」
配下の者達に指示を出した後は、食事を取って休む事にした長井。
悪魔がこのような手段で魂を別の体に移し替える事は、滅多に行わない。
何故なら、レベルやらステータスやらスキルやらを完全に移す事が出来ないからだ。
長井も百レベル以上まで上げていたレベルが六十近くにまで落ち込み、スキルに関しても軒並み熟練度が低下していて、酷いものになるとスキルそのものがなくなっているものも存在した。
そしてステータスだけでなく肉体的な疲労や衰弱もかなり著しく、先程は配下の前で気を張って見せていたが、一人横になるとかなりの倦怠感を覚えている。
「けど、私はこうしてまだ生きている……」
ろくに全身の力が入らない中、食いちぎりそうな程に唇を噛みしめる長井。
肉体的、ステータス的には衰えを感じてはいたものの、内面的には以前にも増して強い憎しみの気持ちが湧き上がっている。
その憎しみの炎のせいでなかなか寝付けなかった長井だが、日が変わる深夜になってようやく眠りに落ちた。
そして朝目覚めた頃には、ほんの僅かに体の調子がよくなっているのを実感する。
しかし昨日までの自分と比べたら、雲泥の差だ。
ステータス低下の影響は相当大きかった。
「という訳で、お前達には殺し合いをしてもらう」
次の日の朝。
洞窟から下りてすぐの開けた場所に、配下を集めた後の長井の第一声がその言葉だった。
ここにいる配下の者達は元々はただの冒険者達であり、最低限戦える程度の力を持ってはいたが、拠点を攻める為のメンバーとしては明らかに力不足だった者達だ。
「えっ、それは一体どういう……」
突然の殺し合いを命じられて、困惑する配下の男。
しかし長井は構わず契約を強引に執行させると、この場にいる全員の体の一部から黒い光が発せられる。
本来であればその状態のまま放置しておけば、やがて契約した者達は魂を悪魔に食われ死亡する。
しかし事前に殺し合いを命じられた哀れな契約者達は、全身に黒い光を纏いながら、命じられるままに同士討ちを始めた。
彼らは元々は赤の他人ではあったのだが、最低でも数か月以上は寝食を共にしてきた仲間であり、中には元々パーティーを組んでいた者同士もいるので、仲はそれなりに良い。
「うぅ……、スマン!」
「ぐああっ、くぅ、ダメだ! 体が自由にうごかせ……」
悪魔との契約の効果は絶大だった。
それこそ、百英雄隊だったら抵抗されていたかもしれないが、低ランクの冒険者に抗う術はない。
体が勝手に仲間を殺していく光景は、彼らから絶望を引き出した。
そしてその絶望は、悪魔と化した長井にとっては甘美なる感情であり、経験値の源でもある。
しかも最終的に全員が死亡する事で、彼らに分け与えていた力が彼らの魂の分だけ力を増して長井の下に帰ってくる。
「ふう、こんなカス共でも今の私にはそれなりに力になるようね」
唯一強制できない感情によって、涙を流しながら同士討ちを続けた者達は、すっかりもの言わぬ肉体となり長井の近くに散らばっている。
しかしそれに対して長井が抱いたのは、言葉通りの酷薄なものだった。
「これからどうするか……だけど、ひとまずは帝都に帰って皇帝と接触を取っておいた方がいいか」
長井自身は"空間魔法"を所持していないが、悪魔神官の遺産や帝国から色々パクった魔法具の中には、長距離転移が可能な品も幾つかある。
今いる場所から北条達の拠点までは距離があるとはいえ、今はあの場所から少しでも離れたい。
それは、心の底から北条やその仲間達に憎しみを抱きながらも、二度の失敗を経て心の奥底に薄っすら漂う恐怖心がさせた判断だった。
チリリリンッ……。
皇帝と接触を取るという弁解を口にしながら、長井は転移用のアイテム〈転移鈴〉を鳴らす。
風鈴のような綺麗な鈴の音が鳴ると、長井の足元に転移用の光の魔法陣が展開され、予め登録してあった帝都にある隠れ家へと長井を運ぶ。
「……なんだか妙な気配ね」
転移してすぐに、長井は妙な違和感を覚える。
それは『ジャガーノート』の拠点を攻めた時に感じたものと、近いものだった。
「人が全くいないという訳ではない。……けど、人の数自体が少ない?」
今は朝早い時間とはいえ、すっかり日も昇っている時間だ。
普段の帝都であれば、この時間にはどこかしらから喧噪が聞こえてくるものなのだが……。
「とにかく外の様子を……」
見れば何かが分かる。
そう思っていた長井だが、地下にあった転移部屋から出るとすぐに異変に気付いて言葉を噤んだ。
「これは一体何があったの!?」
転移用の部屋は、万が一の時の為にその部屋だけ頑丈にリフォームされてあった。
しかし同じ敷地内にある地上の建物の部分はそうではない。
長井が転移用の部屋から出ると、屋根が抜け落ち、すっかり荒らされた室内の様子が見えた。
何かが起こった事は明らかだが、それだけではなく何者かが押し入った形跡なども随所に見られる。
幸い、転移部屋だけは地下の隠し部屋に設けてあったので、中が荒らされている事はなかったようだ。
長井は建物がすっかり荒れ果てた事に驚きつつも、一先ず建物の外に出る。
この建物は帝都の外れのスラム街と普通の住宅街の境の辺りに、ひっそり用意した隠れ家の一つだ。
本来であれば、ドアから出ればすぐ周りには密集した住宅街が立ち並んでいる筈だった。
しかし長井の目に映ったのは、どこまでも崩れ落ちた建物や焼け落ちた建物。
外を出歩いている住民たちは、誰しもが暗い影を背負って気落ちしている。
こんな状態では、街の喧噪などが聞こえてくるはずもなかった。
大災害にでも見舞われたかのような帝都の街中を、フラフラとした足取りで歩く長井。
それはほとんど自動的にただ歩いていただけだったが、途中で街の人に話を聞けばいいという事に気付き、幾人かに尋ねて回る。
しかし、誰一人として正確な答えを知らず要領を得ない。
ただ悪魔に襲われただとか神の裁きだとかいった抽象的な話と、見た事もないような魔物が襲撃してきたという出来事だけは聞き取る事が出来た。
「魔物の襲撃? 悪魔? ……一体何があったっていうのよ」
一通り尋ね回った後に、小さな呟きをもらす長井。
誰にともなく漏らした言葉だったが、その疑問に応える声がふっと長井の背後から聞こえてきた。




