第665話 帝国第七軍団
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「であるか。我が方も順調也。作戦通り、我らはこのままグリークへ向かう。以上だ」
男は魔導具による通信を終えると、天幕から外へと出る。
時刻は日が暮れる頃であり、辺りは大分暗くなっている。
とはいえ、そこかしこから焚火やかがり火が焚かれているので、まだ完全に夜が訪れていない事もあって、それなりに視界が効く。
「ヒョーリー将軍。主力軍の方はどのような状況でしたか?」
「……南方の都市、サルディニアを落としたようだ」
「それは幸先が良いですね」
ヒョーリー将軍と呼ばれた男は、身長百八十センチ半ばのそれなりの長身で、頭を角刈りにしている。
顔は面長……というより長方形のような角ばった顔をしており、短くハの字型に髭を伸ばしていた。
体つきは大分引き締まった肉体をしており、それだけ見れば戦士系といっても通用しそうなボディをしている。
……が、実際は九十一レベルのバリバリの魔術師系であり、軍略家タイプでもあった。
「幸先が良すぎる」
「は、はぁ……。それが何か悪い事なのでしょうか?」
従者の男は長年ヒョーリーの下に仕えているが、時折主の言葉の意味が分からない事がままあった。
ヒョーリーが元々寡黙で言葉が少ないという事もあったが、単純に従者の男の能力不足な点も含まれている。
「我が軍は精強である。しかし、まともに一戦も当たらぬ内に都市を落とすは、明らかな奇異」
ヒョーリーは、南東から侵攻した主力軍の総大将であるオブマから、直接戦況についての情報を仕入れている。
それによると、《モンブール平野》から進軍した主力軍は、これまで一度もまともな戦闘をしていないという。
国境近くにあった砦でほんの僅か抵抗する素振りを見せただけで、完全に逃げ腰になっているロディニア軍。
戦力の差を思えばそれもありえない事ではないが、それにしては気になる事がある。
「そうですね。我々にはしっかり敵の追手がありますからね」
ヒョーリー率いる帝国第七軍団は、ミランダ海からの船による移動と、海岸沿いの狭いルートの両方を通って短期間の内に『ロディニア王国』のバルトロン領に侵攻した。
元々この海岸沿いの狭いルートは、帝国から逃げてきた亜人達が通ってきたルートであり、それ故バルトロン領では亜人の数が他領より多い。
そんな逃げ道を併用してまで迫ってくる帝国軍の存在は、元来の敵国であったロディニア人だけでなく、逃げて行った亜人達にとっても平静ではいられない話だった。
バルトロン領内へと侵攻したヒョーリーは少し西に行ったところにある領都、《バルトロンデス》へと軍を進めず、そのまま《ガリアント山脈》沿いに南下するルートを取っていた。
道中には、《鉱山都市セルバンテス》などをはじめとする町や村も幾つかあったのだが、それらを避けるようにして進軍している。
そんな帝国軍に対し、バルトロンデス領主トライヴは足の速い八千の兵をつけて、背後から追わせていた。
途中の《鉱山都市セルバンテス》では前後の挟み撃ちに出来ると思っていたのに、ヒョーリーは一切戦闘する事なく軍を進めているので、後を追うバルロトンの兵も困惑気味だ。
しかし、旧ベネティス領のように最初から焦土作戦を取って、堅牢な大都市まであっさり放棄するような行動は、ヒョーリーの周囲には見られない。
寧ろこちらはヒョーリーの動きの方が、侵攻してきた割りに攻撃を行わない点で不自然だった。
「あのような小勢、目的地付近に着くまで好きにさせておけばよい」
「ですが、グリークを攻めるとき邪魔になりませんか?」
「その前に一気に潰せばよい」
実は一度だけ、後をつけてくるバルトロン領軍に対し攻撃を試みた事があった。
しかし彼らはあくまで単独で戦うつもりはなく、ヒョーリーが攻撃を仕掛けるや否や一目散に逃げていった。
恐らく目的としては、どこかの都市や別の軍と戦う時に後背を突く為。行き先を確認する為。補給部隊と合流させない為、などが考えられる。
しかし元々一直線で《鉱山都市グリーク》へと向かう予定だった帝国軍は、国民軍五万のうち一万を輜重部隊として、多めに糧秣を運ばせていた。
そして、九十レベル越えの魔術師であるヒョーリーは、高レベルの魔術師の部下を幾人も抱えている。
《鉱山都市グリーク》目前へと迫ったら、急遽反転して魔法の一斉攻撃によってバルトロン領軍を混乱状態に導き、あとは兵を突っ込ませれば大きな被害を与えられるだろうと、踏んでいた。
グリークにはその後に攻め入れば良い。
「なるほど……。確かに風魔将軍の異名を持つヒョーリー将軍ならそれでいけそうですね!」
主の戦術を聞いてすっかり納得する従者の男。
しかしヒョーリーは表には出さないものの、内心では苦い顔をしていた。
(にしても解せん。この度のロディニア侵攻の真意は何なのだ?)
ヒョーリーは『パノティア帝国』の将軍であり、上からの命があればそれに従う。
しかし今回のロディニア侵攻については、納得できない点が多い。
それは何もヒョーリーだけでなく、他の将軍も同様だった。
(事前にろくに会議もせず、ただロディニアを攻めよと命じられ、誰が立てたか分からぬ力任せの作戦。陛下は何をお考えなのだ……)
今回の他の一切合切を無視して《鉱山都市グリーク》へと向かう作戦も、ヒョーリーとしては大いに反対であった。
糧秣を多めに用意したとはいえ、あくまで《鉱山都市グリーク》までの片道分でしかない。
ろくに補給も考えず、現地で徴収しろという行き当たりばったりな作戦は、正気の沙汰とは思えなかった。
帝国の軍事最高責任者は無論、皇帝になるのだが、その皇帝より指揮権を与えられているのは、将軍たちを束ねる帝国軍最高司令官たる元帥だ。
ヒョーリーは作戦を聞かされた時、元帥に作戦の変更を具申していたのだが、けんもほろろに却下されている。
(しかしすでに歯車は動き出している。事の真意に思いを馳せるより、この先どう戦うかについて考えるべきだ)
その後、ヒョーリーは部下からの報告を受けた後は、天幕へと戻り床についた。
明けて翌日。
本日もこれまで同様に町や村などは避け、ひたすら《鉱山都市グリーク》へと向けての進軍が開始された。
背後からは、ほぼ同じタイミングでバルトロン領軍があとをつけてくる。
それはここ数日変わらない光景であり、敵に後を付けられてはいるが初日ほどの緊張感は、進軍している帝国軍には見られない。
しかし昼頃に差し掛かり、一旦全軍停止して休憩に入ろうとした直後、ヒョーリーの下に慌てた様子で伝令が駆け込んでくる。
「ほ、報告致します! 斥候からの報告によりますと、この先の平野部でドラゴンが空を飛んでいる姿を目撃したとの事です!」
「な、なんだと!?」
「確かにガリアント山脈にドラゴンが生息しているのは有名であったが……」
本陣では、ヒョーリーをはじめとした軍の幹部が集まっていた。
昼食を挟みながら、互いに情報交換などを行ういつも通りのお昼の風景であったのだが、この報告が齎された事で一気に場が緊張に包まれる。
「……して、詳細は?」
「え、あっ、ハッ! 数は一。距離が離れていた為、種別は不明。辺りは見通しの効く平野部であった為、斥候の姿をドラゴンに捉えられた恐れはありますが、引き返す最中にも特に動きは見られなかったとの事」
「ふむ……。ガリアント山脈には上位のドラゴンも生息してると聞くが、山の麓に近い場所ではワイバーンやレッサードラゴンが多いという。ワイバーンであれば見た目ですぐに判別がつくであろうから、はぐれのレッサードラゴンか?」
「それであれば、せいぜいがAランクの魔物。空を飛ぶドラゴン相手に一般的な人間の軍隊は相性が良くないが、それであれば軍から精鋭を募って当たればいいだろう」
「いや、待ってくれ。もしそのドラゴンがレッサー種ではなくその上……かの有名なガリアントドラゴンであったらどうするのだ?」
通常、ドラゴンは群れで行動する事がない。
せいぜいがオスとメスの番が一緒に襲ってくる程度である。
しかし《ガリアント山脈》に生息しているガリアントドラゴンは、時に徒党を組んで襲ってくる事もあるという。
一頭だけと甘くみて戦闘に入った所、途中から加勢のドラゴンがやってきて壊滅状態になったなんて話もある。
「再度斥候を放ったらどうだ? せめて、ドラゴンの正体を知りたい」
「やめておけ。下手にドラゴンを刺激するだけだぞ!」
ドラゴンの目撃情報によって喧々囂々となる本陣。
ヒョーリー率いる帝国第七軍団四万と、国民軍五万からなる大集団が、ドラゴン一体相手にこれほど過敏に反応する理由。
それは、ドラゴンの持つ広範囲に恐怖をばらまく咆哮と、ブレスによる広範囲攻撃のコンボが軍にとって致命的であるからだ。
帝国の正規兵はかなりの練度を誇り、レベルもそれなりに高いもので統一されている。
しかし、飛びぬけてレベルが高いものがいる訳ではないので、ドラゴンの咆哮を受けてしまえばその多くが恐怖で体が動かなくなってしまう。
まだ集団の儀式魔法で防御系の魔法を使うにしても、ドラゴンの吐くブレスには効果がない。
その事もドラゴンと軍隊の相性の悪さの所以だ。
「何故ドラゴンが平野部にまで飛んでおるのだ!」
「そこを嘆いても仕方なかろう。具体的にどうするかだが……」
本来、《ガリアント山脈》に生息するドラゴン達が、麓を超えて平野部にまで姿を見せる事は極々稀な事だった。
でなければ《鉱山都市セルバンテス》のように、山を背に負う位置に町や村は作られない。
「将軍! どうなさるので!?」
「……安全を取って迂回して回る事とする」
ヒョーリーとしては、この先に待つグリーク攻略戦を前にして、あたら戦力を消耗したくはない。
元々平野部に飛んでくるはぐれドラゴンというのは、滅多に表れないレアケースだ。
ここから迂回して回れば、ドラゴンの脇をすり抜けて進めるハズ。
そう、判断したヒョーリーであったが、すぐにそれが間違いであった事を思い知る事となる。




