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閑話 転移前 ――由里香・芽衣編 後編――


▽△▽



 その日は見事な晴天に見舞われ、雨の降る隙間なども見せずに梅雨時のじめっとした心をも上向きにさせてくれるような日だった。

 由里香と芽衣が喧嘩をしてから初のグラウンド練習の日となった今日は、期末テストが近づいていたこともあって、試験前最後の活動日となりそうだ。


 雨やテスト勉強などでフラストレーションがたまっていたのか、陸上部の生徒達はこの束の間の機会に鬱憤を晴らすがごとく、練習に打ち込んでいた。

 そんな状況とは裏腹に由里香はといえば、周りの友達と話している時は小さく笑顔は浮かべるものの、全体的に気分が落ち込んでいるのが、芽衣以外の人にもわかる程だった。


 一方芽衣はグラウンドの隅、陸上部が練習している場所からは見えにくい、体育用具倉庫の陰から練習をジッと見守っていた。

 陸上部以外にも野球部とサッカー部も活動をしていたが、そんな十重二十重と活動しているグラウンドの中で、芽衣が視線を這わせるのはただ一点。由里香のことだけだ。



 遠目からでも明らかに浮かない様子の由里香を見て、嬉しさともどかしさが入り混じった気持ちを抱く芽衣。

 だが、ずっと見ている内にその気持ちに変化が生じていく。

 それは芽衣の視界に薄汚いモノ(・・・・・)が映り始めたからだった。

 ソイツ(・・・)は普段は近くで番犬のように睨みを利かせている芽衣がいないのをいいことに、普段は決してしなかった、直に体に触れての指導まで始めていた。


 眼の裏がチカチカと発火するかの如く怒りの感情を浮かばせる芽衣だが、そうした控えめに言ってもセクハラ指導といえることをされている由里香自身に、拒絶の意が見られないことが余計に芽衣を切歯扼腕させる。


 由里香の瞳にあるのは「陸上部顧問の教師」というものに対する信頼しかない。

 いい加減芽衣の我慢が限界を越えそうになった所で、陸上部顧問の奥津は由里香の下を離れた。



「ふううううぅぅぅぅぅ…………」


 己の激情を吐き出すかのようにゆっくりを息を吐き出す芽衣。

 その視線は由里香のもとから外れ奥津へと向かっていた。

 直感、というべきか奥津の態度に何かを感じ取った芽衣はそのまま奥津の姿を追う。


 グラウンド端に設置されているベンチにでも向かうのかと思いきや、そのまま素通りして校舎の方へと移動する奥津に、更に確信のようなものを抱いた芽衣は、由里香のことも一時忘れ、その後を尾行しはじめた。


 奥津は職員用の玄関から室内履きへと履き替えて移動を続けている。

 芽衣も職員用の玄関から来客用のスリッパを拝借して、更に後をつけていく。

 すると、奥津はそのまま職員室へと入っていった。



「……気のせい、かな」


 その光景を見て自分が感情の余り思考が濁っていたのかな、と思い直す芽衣だったが、それから間もなくして奥津は職員室から出てきた。

 多分、職員室の中にいたのは二、三分程度だろう。

 そのままの足取りで、工作室など特殊授業で使う教室が並ぶ、人気の少ない廊下を通って、奥津が最終的に向かったのは部室棟が並ぶエリアだった。


 そしてそのプレハブ小屋のような建物のひとつに入ったのを確認すると同時に、芽衣は自分の教室へと走り出す。

 その動きは普段のおっとりとした印象の芽衣と比べると雲泥の差があった。

 教室へとたどり着いた芽衣は、置きっぱなしにしていた自分の鞄を手に取り再び走り出す。


 途中、慌てた様子の芽衣を見て「廊下をそんな勢いで走っちゃだめでしょう」と女性教諭にせき止められるも、芽衣が何事かを女性教諭に告げると慌てた様子でいずこかへと去っていった。

 その隙に芽衣は先を急ぎ、先ほど奥津が入っていった部活棟のプレハブの建物のひとつ――女子陸上部の更衣室へと入っていった。



 本来なら更衣室には鍵がかかっていて、各部活の部長が鍵を管理しているのだが、不思議とその扉に鍵はかかっていなかった。


 扉をそっと押し開く芽衣。

 しかしその位置からでは、中の様子は奥まで見えない。

 長方形の部屋の長辺の両脇にはいくつもロッカーが並んでいて、入口のドアからはそのロッカーで隠れて中央にある通路兼着替えスペースまでは見えない作りになっていた。


 音を立てないようにそっと中へと入っていく芽衣の耳には、男の荒々しい吐息が聞こえてくる。

 更には何か水音のような粘着質な音も微かに聞こえてきて、芽衣は思わず口元を手で押さえる。

 それからゆっくりと呼吸を整え、鞄から携帯を取り出し準備を整える。


 ガサッ……。


 そして意を決し、中が見渡せる場所に躍り出た芽衣が目撃したものは、下半身をむき出しにし、女性ものの下着を被って陶然とした様子で自慰に耽る陸上部顧問、奥津の姿だった。


 カシャッ!


 その決定的瞬間を携帯のカメラで激写した芽衣。

 興奮して周囲の情報解析能力が鈍っていた奥津も、流石にこの携帯カメラの音には気づいたようで、驚きと恍惚の混じった表情を浮かべながら芽衣の方へと向き直る。


 と同時に奥津から放たれた体液は、一メートル以上も離れた場所にいる芽衣の下まで飛来してきた。


「ヒィッ……」


 制服のスカート部分に付着した、奥津の体液から漂う強烈なオスの臭いに、かつての記憶を幻視した芽衣は一時呼吸困難に陥る。

 逆に事態を把握した奥津は下半身丸出しのまま、片足をズボンから完全に外して芽衣へと迫った。


「ふっはっ……」


「そいつを、よこっ……せっ!」


 小さく呼吸する芽衣の手から、携帯を取り上げようとする奥津。

 しかし奥津もこの状況に焦っているのか、或いは芽衣が携帯の背部にある持ち手にしっかり指を通しているせいか、中々その携帯を奪い取ることが出来ない。

 そんな中、落ち着きを取り戻し始めた芽衣が、左手で鞄の中からとあるものを取り出す。


「ぎいやああああっっ!」


 見ると奥津の右手にはコンパスが突き刺さっており、その針の先は完全に奥津の手のひらを貫通していた。


「こおんの、クソアマがあぁあぁ!!」


 激高した奥津は、無事な左手の方で芽衣の顔めがけてパンチを放ってきた。

 奥津は特段格闘技経験がある訳ではないが、この近距離なら素人の放つ大振りなパンチ程度でも当てることくらいはできる。


「ウッ、くうぅ……」


 大人の男性に、利き手ではない方の手とはいえ思いっきり殴られた芽衣は、悲鳴を上げることなく堪え、キッとした目付きで逆に奥津を睨みつける。

 そして、


 プワアアアアン!!!


 という大きな音が、芽衣の悲鳴の代わりだというように辺りへと響き渡った。

 それは、芽衣がかつての経験の教訓として常に持ち歩いている、防犯ブザーのけたたましい音だった。



「チッ! テンメエエエェェッッ!!」


 その音を聞いて更に激情を募らせる奥津の顔は、憤怒によって真っ赤に染まっていた。

 芽衣は異常な緊張感の中、震える脚をどうにか動かし更衣室から脱出することに成功するも、すぐ背後からは奥津の魔の手が迫ってきていた。

 

「こ、これは!? あなたは先ほどの……それに、お、奥津先生っ!?」


 その場に現れたのは先ほど芽衣に注意をした後、慌ててどこかへ去っていった女性教諭だった。

 近くにはモップなどの長柄のものを手にした男性教諭も二人いた。


 実は先ほど芽衣が女性教諭に注意された際に、


「あの、さっき部室棟のほうで刃物を持った男がうろついているのを目撃したんですっ!」


 と布石を打っていたのだ。

 当初は証拠写真が取れたらすぐに脱出するつもりだったのだが、何かあった時の為にこうした手を打っておいたことによって、芽衣は最悪の事態に陥ることを逃れることが出来た。


 下半身丸出しのまま逃げる女生徒を追い回す、という誰がどう見ても一発アウトな状況に、女性教諭と一緒にいた男性教諭二人もそのモップやら箒やらを奥津へと向ける。


「う、く、ぐうおおおおおうおうおおおおぉぉっっっ!!」


 この絶体絶命の状況に奥津は獣のような唸り声をあげて、この状況に陥る羽目になった張本人、すなわち芽衣に向かって突進し、その横っ面を蹴り上げようと足を振り上げる。

 そこに、


「だめえええええぇぇぇぇぇ!!」


 突如聞こえてきたその声と共に、練習によって培われたダッシュ力を活かして突進してきた由里香は、奥津と芽衣との間に芽衣を守るような形で割り込んで、突っ込んでいく。


 そして上手いことに、いや奥津にとっては最悪なことであろうが、突っ込んできた由里香の肘の部分がモロだしの奥津の股間部分へと見事命中し、奥津はタマらずに苦悶の声を上げた後、痛みの余りに失神してしまった。



「う、ううぅ……。芽衣、ちゃあああぁん」


 顧問の奥津の姿が見当たらない、ということで一旦練習を中断して校内を探しまわっていた由里香。

 部活棟の傍を通っていた際に、人の不安感を煽るようなブザーの音が突如響き渡り、あわてて駆け付けた所、奥津に芽衣が襲われそうになっているという、この事態だった。


 まだ何がどうなったのか詳しいことまではわからなかったが、芽衣が言っていた「奥津先生は危ない」ということが事実であったことだけは、由里香にもはっきりと理解できた。


「ごべんねええ! わたぢがまぢがってたよおお」


 涙と鼻水でぐじゃぐじゃの顔で謝る由里香。

 それは単に危険な出来事があったから、というだけではない。

 自分が芽衣の言うことを信じなかった結果、芽衣がこんな目にあってしまったことに対する自戒の意味も含まれていた。


 ぽんっぽんっ。


 そんな由里香の頭を軽く叩く芽衣の手は、優しく由里香の心にまで芽衣の気持ちが伝わってくるかのようだった。


「もう、終わったことだから~、由里香ちゃんはなんにも気にしなくていいんだよ~」


 いつもの『のほほん』とした口調の芽衣の声に、由里香はえぐっえぐっと言いながらも、強引に涙と鼻水でぐしゃぐしゃの笑顔を浮かべて、


「うんっ!」


 と元気よく頷いたのだった。



▽△▽△▽



 その後、奥津は警察に逮捕されることになった。

 なんでも、以前別の学校でも似たような騒ぎを起こしており、本人の必死の反省の弁もあって、その時は示談が成立した。


 どうやら親戚の叔父が教育関係に幅が効く人物のようで、示談の際にも色々と根回しをしていたらしい。

 今の学校への赴任もその叔父の口添えの力が大きいようだが、完全にその恩に泥を塗る形となってしまった。


 今回の事件発覚によって、その叔父の発言権も大幅に弱まり、奥津に関しても完全に叔父に見捨てられたことによって、庇う者は一人もいなくなった。

 その後の調査の結果、奥津の自宅からは、この学校に赴任してから撮影されたと思われる盗撮映像が証拠品として複数押収され、女生徒のものと思われる下着なども複数発見された。


 この事件は一時マスコミを賑わしたが、すぐに別のニュース――大企業の社長の息子が行方不明になった――によって忘れ去られることになる。


 その新しく世間を賑わし行方不明になった社長の息子と、その前に起こったわいせつ教師事件の被害者。


 両者が遠い地で一緒に過ごしていることを連想できる者は誰も……いない。





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