第594話 夢見の水晶枕
「ここが、ジャガーノート、拠点……」
「おう。まあ初めは慣れねえかもしれねえけど、分からない事や注意点なんかは由里香に聞いといてくれぃ」
「わかった」
拠点へと一緒に移動してきたンシアは、北条作の転移魔法陣に驚き、拠点に到着してから驚き、拠点内にゴーレムやら馬が曳かずとも動いている荷馬車を見て驚いていた。
「結局ヴォルテラでは二か月も滞在してたから、久々に帰って来たという感じがするな」
「帰って来た」という信也の言葉に、この拠点がすっかり今の彼にとっての帰る場所はここなのだという思いが秘められている。
それは何も信也だけでなく、最初の方からいるクランメンバーの多くも多かれ少なかれ似たような思いを抱いていた。
「とりあえず久々の拠点だし、二、三日はゆっくりしようかぁ」
「それはいいが、その後はどうするか予定はあるのか?」
「そうだなぁ。今の状態でも、二か月前よりは大分戦力は増してはいるがぁ、あの巨城エリアに挑むのはまだ早いと思っている」
『迷宮攻略者』の称号の他に、祝福によってステータスそのものが強化されているとはいえ、未だにムルーダやキカンスらはCランク相当のレベルでしかない。
そしてAランクの魔物が普通に出現するエリアだというのに、まだメンバーの半分もAランクレベルには到達していないのが現状だ。
今のメンバーなら入口で追い返される事はないかもしれないが、城に入って魔物の強さが上がればまたすぐに追い返されかねない。
「それじゃあどうするつもりなんだい?」
信也と北条の話を聞いていたシグルドが、疑問を口にする。
既に気が早い連中はさっさと本区画へと戻っているが、北条達と共にゆっくり移動しているメンバー達は、北条が何と答えるのか耳を澄ませながら歩いていた。
「そりゃあ、国外の祝福されたダンジョンへの遠征だぁ」
「……ううむ。俺としてはサルカディアの探索を進めたい所だが、確かにここ数か月で俺達は大きく成長している。急がば回れ……か」
もう何年もこの異世界で暮らしているのだから、今更多少の遠回りをしても変に焦ったりはしない。
だがそれでも信也の心情的には逸る気持ちは湧いてきてしまう。
「実はすでに候補は定めていてなぁ。ヴォルテラ滞在中にも仮転移拠点を用意していたんだよ。バスタードラゴンの件があったから、まだ転移陣は敷いてないんだがなぁ」
「いつの間に……。本当、北条さんは常に何かしら行動しているんだな」
他のメンバーが自由に休日を過ごしている間に、北条は常に何かしら作業をしている。
具体的に何をしてるかまで把握してる者はいないが、その事自体はメンバーにも知れ渡っていた。
「まあ……、今は少しは落ち着いてきたけどなぁ。拠点の事を任せられる人材も揃ってきたし」
今ではツィリルが家宰のような役割を担って、今回のような長期不在の間も拠点を取り持ってくれている。
定期的に長距離通信用の魔導具で連絡も取りあっているので、遠征の間特に拠点で大きな問題は発生していない。
ただ着実と拠点で暮らす人が増えていっていた。
「今日もこの後何か作業するの?」
ふと気になったのか、陽子が話に割り込んでくる。
「ああっとお……、さっき言ってた仮転移拠点を仕上げておこうと思ってる。三か所程あるんだがぁ、すでに土台となる建物は用意してあるから、そんなに時間はかからんだろう」
「はぁぁ……。あんまり無茶はしないでよね」
「ああ。今日は作業量はそんなないし、拠点に帰ったらゆっくり寝るとするさぁ」
陽子は自分の忠告がちゃんと聞き入れられているか疑問に思いつつも、ここで話を打ち切る。
その後、ポータルルームからジャガーキャッスルへと戻ってきた北条達は、拠点で暮らしていたメンバーから迎えられる事となった。
リタは帰還の報を聞くと、真っ先に慶介の下へと駆けだす。
ジャガーキャッスルに勤める使用人たちも、久々の主達の帰還に一同顔を揃えて出迎えてくれた。
そこには新しく雇った使用人の姿もあり、新人の顔見せも兼ねていたようだ。
それから北条やシグルド達のAランク昇格を聞いたメイド長のアンナが、急遽大規模なパーティーの準備を指示し始める。
仮転移拠点に魔法陣設置の工事に向かった北条も、パーティーの始まる前までには戻ってきて、盛大なパーティーがジャガーキャッスル内にて催された。
こんな事もあろうかと用意されていた大規模なパーティールームは、大いに賑わっている。
北条がこっそり作っている果実酒なども供され、特に女性陣の間には評判になっていた。
あのエスティルーナが黙々と飲み続けた挙句、ベラボーに酔っぱらって他人に絡んでいくという、珍しい光景も見られた程だ。
そうして一部の酒飲み達が夜遅くまで飲み続ける中、北条をはじめとする半数以上の者達はパーティーが一段落すると自宅へと戻っていく。
「うぅぅ~~、ごしゅじんさまああ~~」
北条の背におぶられたニアが、寝言のようなものを上げる。
魔物であるニアもアルコールを飲むと酔っぱらってしまうようで、調子に乗って果実酒を飲みまくった挙句、べろんべろんに酔っぱらってしまっていた。
今は仕方なく北条がニアを背負って家路についている所で、北条自身は耐性スキルなどがあるので、かなり飲んでいた割りにはケロッとしている。
「まったくもう、この子ったら……」
そんなニアを、アーシアは妬ましさと子を叱る親の両方の気持ちで見つめながら愚痴を漏らす。
この場には他にラビも一緒で、キュッキュッ言いながら楽しそうに夜道を歩いている。
「はははっ、いいじゃないかぁ。たまにはこんな夜も」
北条は酔ってこそはいなかったが、パーティーの直後だったので楽しい気分がまだ残っていた。
静かな夜道をこうして従魔達と歩いている。
今は暗火の月で日中は大分暑い日が増えてきたが、今宵は涼しい風が吹いていて、アルコールで火照った体にはとても心地よい。
「さ、家に着きましたし、その子は私が預かりますので」
家に着くなりそう申し出たアーシアに、ニアを手渡す北条。
ガサゴソと体を動かされているというのに、ニアは目を覚ます気配がなく、幸せそうな顔をして寝ていた。
「この顔を見てると俺まで眠くなってくるわ」
「ではおやすみなさいませ、北条様」
「ああ、おやすみ」
アーシアと挨拶を交わし、久々の拠点にある自室へと戻ってきた北条。
風呂だなんだは明日の朝入る事にして、装備を外してそこらに投げ捨てるとパタンという音を立てて、ベッドに倒れ込んでいく。
「ああ、いや、待てよ。たしか……」
すでに大分眠気が訪れていた北条だったが、最後に"ディメンジョンボックス"からとある枕を取り出した。
それは《水晶洞窟》のサーペントドラゴンからドロップした宝箱に入っていた、〈夢見の水晶枕〉という水晶で出来た枕だ。
「む……、やはり少し硬い……が、それもまた心地が…………」
一つの大きなタスクを無事終えたせいか、パーティーで飲みすぎたせいか。
これまで溜まっていた疲労が一気に噴出したのかもしれない。
北条はそのまま〈夢見の水晶枕〉に頭を乗せたまま、深い眠りへと落ちていった。
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抜けるような高く青い空。
強く照り付ける夏の日差し。
空に浮かぶ雲も少なく、まさに絶好の天気といった日常風景。
拠点内では様々な人々が、この暑い日差しの中でも精力的に働いている。
人々の顔には活気が溢れ、今の生活に満足している事が見て取れた。
何せこの拠点は色々と特別だ。
ダンジョン内から持ってきた植物や、外国から取り寄せた農作物などを栽培し、独自の魔法具が設置された工場で加工品の生産が行われる。
拠点内は守衛や警備のゴーレムによって守られ、拠点そのものにも強力な結界が張られており、外部からの魔法攻撃などをも防ぐことが出来る。
それこそ過去に一度小規模な軍隊を追い返した事もあり、その堅牢さは《ジャガー町》に住む者には広く知られていた。
だからこそ、人々にはこれだけの活気や笑顔が溢れているのかもしれない。
彼らは実際に、街中のあちこちにあるマナ集積装置に魔力を献上している。
一人一人の献上する魔力は少ないのだが、これだけ多くの人が魔力を献上しているのだから拠点の守りは万全であるという思いは強い。
実際の所は、彼らから徴収している魔力量は微量であり、それだけで拠点内の魔法装置を稼働させ続ける事は出来ない。
それでも最近は労働者の中にも、魔法具の訓練によって魔法スキルに芽生えた者が増えてきている。
そのため徐々に徴収量自体は増えていっていた。
この大本の結界システムを組んだ北条も、この状況には概ね満足しており、最近では拠点の防備よりは、内政に注目して活動を続けていた。
しかし、その日。
殆ど雲も浮かんでいない青い空に、突如轟音が鳴り響いた。
それは雷が同時に何百と打ち据えたかのような音であり、余りの轟音に体の芯まで揺るがされ、その音だけで心臓がバクバクと脈打ち始める程の衝撃だった。
その轟音が鳴り響くのと同時に、拠点上空には黒く太い雷が打ち付けられていた。
それは当初拠点を守る結界によって守られていたのだが、三度ほど打ち付けられた結果、ついには強固な拠点の結界をも貫通してのける。
同時に、拠点各地に設置されていた結界用の魔法装置は、過負荷に耐えかねて幾つかが機能を停止させた。
そして結界が消失した拠点に対し、今度は雷系の魔法が行使される。
それは西区やジャガーキャッスルのある本区画に向けて放たれ、多くの人の命が奪われていった。
直後、拠点内に武装した集団が突如出現していく。
彼らは生き延びた拠点の人々へ容赦なく襲い掛かっていき、僅かな時間で死体の山が築かれていった。
この拠点は《ジャガー町》の近くに存在するが、今のところ町の方に異変はない。
その事と拠点住人への容赦ない殺戮から、攻撃目標がこの拠点にある事は明らかだ。
拠点には現在クランメンバーがフルで在留している訳ではなく、半分以上がダンジョンへと潜っている所だった。
このような事態に対処する為に招いたファイアードラゴンのヴィーヴルは、北西のジャガーマウンテンから出て来る気配がない。
別に彼女はさぼっている訳でも寝過ごしている訳でもなかった。
ザンッ!
風を切る音と共に、ヴィーヴルの強靭な火竜の鱗が裂けていく。
巨大な斧を手にした黒い影は、それからもファイアードラゴンのヴィーヴルをまるで子供を相手にしてるかのように、嬲っていく。
この場に他に戦闘している者の姿はない。
その黒い影は、単体でファイアードラゴンを凌駕してのけ、遂にはタフな生命力を持つ竜族を僅かな時間で仕留めきった。
「フンッ、他愛もねえ」
まるで時間の無駄だったとでも言うように、黒い影は独り言ちる。
そして、拠点のある方角を見据えると、
「こんなもんじゃねえんだろ? もっと俺を楽しませてくれよ!」
と、歯をむき出しにして凶悪な殺意に満ちた黒い笑みを浮かべ――




