閑話 慶介の決意
私は今日も拠点で魔法の勉強をしています。
元々そういう名目でこちらに参りましたが、それにしてもケースケ様が拠点に滞在している時間が少ない。
大抵はダンジョンの探索に出かけてしまわれるのです。
「はぁぁぁ…………」
その事を思うと、私はつい重い溜息を吐いてしまいました。
「どうしたんだ? リタ」
そんな私に双子の兄であるエルランド兄様が声を掛けてきます。
「ケースケ様は次は何時お帰りになられるのかな、と思いまして……」
「次って言ったって、一昨日に拠点を出たばかりだろう? まだまだ帰ってこないと思うぞ」
私の気持ちなどお構いなしに、お兄様が残酷な現実を突きつけてきます。
ええ、私もそれ位は分かっているのです。
ですから、こんなにも胸が切ないというのに……。
「ケースケといえば、この話は聞いたか?」
「何の話です? お兄様」
「ケースケやリューノスケとかの、このクランの基幹メンバー達って異世界の出身らしいぜ?」
「異世界……ですか?」
聞いた事のない言葉に、私はお兄様に問い返しました。
「ああ。なんでも、こことは全く違う場所みたいでな? 自動で動く鉄の車や、鉄の鳥が空を飛んでるらしいんだ!」
「鉄の車に鉄の鳥……」
私にはまったく想像がつきません。
鉄で出来た鳥なんて、すぐに地面に落ちてしまうのではないかしら?
「どんなものか分かりませんが、一度見てみたいものですね」
「そう思うだろ? でもな、なんでもその異世界ってのは普通には行き来出来ない場所らしいんだよ」
「普通には……行き来出来ない?」
ドキンッ。
兄さまの言葉を聞いて、私の鼓動が強く脈打ち始める。
ケースケ様は常々仰っていた。
いつかは故郷に帰るのだと。
「それって……どういう事ですか?」
「ぼくもよく分かんないんだけどね。海を渡っても空を渡っても行けない場所なんだって。悪魔の住まう地獄とか、天使の住まう天界とか。そういったものに近い場所だって言ってた」
「地獄って!? そんな危険な所に帰ろうとしてるんですか?」
「わあぁ、落ち着いてよリタ。今のは距離とか場所的な話の例えだよ。異世界自体は、すっごく人がたくさんいて発展した所らしいよ?」
そ、そうなのね。
でも、ケースケ様はいずれその遠く離れた故郷に帰ってしまう……。
その後もお兄様は色々と話をしてくださったのだけれど、私はケースケ様の事が気になってしまい、ほとんど言葉が耳に入ってきませんでした。
それから十日ほどが経過して、再びケースケ様が拠点へと戻られました。
早速私は出迎えに行ったのですが、その時のケースケ様の様子が気にかかります。
どこか疲れているというか、元気のない様子だったのです。
本当はケースケ様とお話をしたかったのですが、その様子を見た私は自制して、ゆっくりとお休みになるようにとだけ伝え、ケースケ様と別れました。
ですが、次の日になってもケースケ様は浮かない様子のまま。
そこで私は、ケースケ様のお宅に伺う事にしたのです。
「慶介? あぁ、それなら部屋にいると思う。呼んでこようか? それとも中へ入るか?」
私がケースケ様の下を訪ねると、一緒に住んでおられる『ジャガーノート』の副団長、シンヤ様が対応してくださいました。
ケースケ様のお部屋を訪ねる……。
それはこの拠点で生活し始めてから、まだ一度も達成していなかった事です。
これまで機会がなかった事はないのですが、やはり、その、中々その事を口に出せずにきました。
ですが、今の私は先日の落ち込んだ様子が気になって仕方ありません。
ですから、私がケースケ様のお部屋に伺いにあがるというのも、仕方ないことなのです。
「ええ、そうさせてもらえますか?」
嬉しさで声が上ずらないように気を付けながら、私はシンヤ様の提案に乗ったという体で、お宅へと上がりこみます。
シンヤ様とケースケ様が暮らすこの家は、貴族の屋敷と比べれば広くはないのですが、並の貴族の屋敷以上に魔法道具などが揃えられています。
これはこのお宅だけでなく、クランの方のお宅は大抵このようになっているそうです。
勿論私達の暮らす『ジャガーキャッスル』も同様で、こちらは調度品なども貴族顔負けの素晴らしい客室が、幾つも用意されてありました。
一緒に連れてきた私とお兄様の使用人たちも、この拠点の規格外な所にはとても驚いていました。
これら拠点のベースは、ホージョー様が築かれたと聞いております。
今思えば、これも異世界出身という彼だからこそのこだわりだったのかもしれません。
「慶介の部屋はそこの突き当りを右に曲がった先の部屋だ。……案内した方がいいのか? この場合」
「いいえ、結構ですわシンヤ様。私の方から尋ねさせてもらいますので。リリー、あなた達もここで待機していてください」
「ですが、リタ様。護衛として御傍を離れる訳には……」
「必要ありませんわ。ただでさえ安全な拠点の、更に歴戦の冒険者が傍にいるこの状況。それにこう見えて私も、少しは実戦的な魔法を使えるようになったんですよ?」
「……分かりました。ではここで待機させて頂きます。何かあったら駆けつけますので! ではシンヤ殿、そういった訳で少しお世話になる」
「えっ……、いや、まあ構わんが……」
少し戸惑ったようなシンヤ様の声を背後に聞きながら、私は廊下を走り抜けて、ケースケ様の部屋の前まで辿り着きました。
コンコン。
私は控えめに扉をノックします。
けれど、中から返事がありません。
コンコンッ。
今度は少し強めにノックしてみました。
それでも返事はなく、部屋の中からは物音一つ聞こえてきません。
「……」
ここで私は普段なら思い浮かばないような、大胆な考えが頭に浮かんできました。
でも一度頭に浮かんでしまうと、その大胆な考えを実行に移したくて仕方なくなってきます。
「……ケースケ様? 失礼しますわ」
自然と小さくなる私の声。
それと同時に押し開かれる部屋の扉。
幸い鍵は掛かってなかったようで、すんなりと部屋の扉は開かれました。
ソーっと足音を立てないようにして、室内へと滑り込む私。
すると、飛び込んできた光景に私の胸は締め付けられそうになります。
なんとそこではベッドの上で横になっている、あどけないケースケ様の姿があったのです!
「スゥゥ……」
ケースケ様の安らかな寝息が聞こえてきます。
寝ているケースケ様のお顔を見て、私は安堵となつかしさを覚えました。
少なくとも、悪い夢は見ていないという事への安堵。
そして、初めてケースケ様と出会った日、同じように眠っているケースケ様を眺めていた時の思い出。
「ふふっ……」
先ほどまでは、勝手に殿方の部屋に入るなんて……と思っていたのに、今の私はその事をすっかり気にしなくなっている。
こうしてケースケ様の寝顔を見ているだけで、私の心は満たされていく気がします。
「ん、んんん……」
どれくらい見ていたのか。
しばらく私がケースケ様を眺めていると、体をもぞもぞと動かしてケースケ様が薄っすらと眼を開けました。
「んんぅぅ…………えっ!?」
そして私が眺めている事に気づいて、飛び起きるケースケ様。
流石は冒険者というべきなのか、寝起きだというのにその動きは洗練されたもので、即座に戦闘態勢へと移ったのが素人の私にも分かります。
「あ……れ……? リタ……?」
「はい、ケースケ様! あの、ノックをしたのですが返事がなかったようでしたので、その、何かあったのかな? とか、もしかしたらお部屋を間違えたのかな? とか思いまして、確認の為に少し扉を開けて中に入ってみたのであって、決してやましい――――ッ!!」
ここで改めて自分の大胆な行動に対し、パニックになってしまう私。
それによって視線も彷徨ってしまい、ケースケ様のお顔をまともに見れなくなってしまいました。
ですがそのお陰……そのせいで、私の視線は物言わず主張しているケースケ様自身を捉えてしまい、つい言葉と共に唾液を飲み込んでしまいます。
「ちょっとリタ、落ち着いて……って、急に黙り込んだけど一体……?」
ケースケ様が急に黙り込んだ私に、怪訝な表情を向けてきます。
そして、私の視線が一点に向いている事に気づくと、慌てて布団を腰のあたりに纏いました。
「いや、あのっね? これは、その、そういうものだから……」
「そういう……ものなのですね……」
「……」
「……」
思わず黙り込んでしまう私とケースケ様。
その静寂を打ち破ったのは、お茶を運んできたリリーでした。
「リタ様、お茶をお持ち致しました!」
ノックの音を聞き、慌ててベッドから起き上がって、そのまま近くの書斎机の前の椅子に座るケースケ様。
少し前から起きてましたよ、という態度を取っていますが、寝ぐせがそのままですのでリリーもすぐに気づいたでしょう。
でもその事は何も言わず、お茶を二人分置くと、彼女はそのまま去っていきました。
「あの、せっかくですので、お茶でも飲みながらお話しませんか?」
「そ、そうだね……」
止まっていた時間が再び動き出し、少しぎこちなさを残しつつも、私はケースケ様とのお喋りに夢中になっていきます。
それはとても楽しい時間だったのですが、私にはケースケ様とお話したい事がありました。
楽しい会話になかなか切り出せなかったのですが、私はとうとう本題を切り出しました。
「あの、ケースケ様。先日ダンジョンから帰ってこられた時は、大分沈んだ様子に見えたのですが、一体何があったのでしょうか?」
私がそう尋ねると、これまで楽しそうに話していたケースケ様の顔が曇ります。
「うん……、ちょっとね……」
「何かあれば仰ってください。私がケースケ様のお力になれる事は少ないかもしれませんが、お話を聞くくらいは何時でも出来ますので!」
私が必死に懇願すると、ややあってケースケ様が口を開く。
「今回の探索でまた新しいエリアに到達できたんだけどね。そこの魔物が強くて、先に進むのが難しいんだ」
「それは……」
それは私にとっては嬉しい報せ。
でも、故郷に帰りたいと願うケースケ様にとっては、私とは逆の気持ちを抱いてしまうのでしょう。
「一応北条さんがその対策を考えてくれたんだけど、でもやっぱりまだまだ時間がかかりそうだなって思って、少し凹んでたのかもしれない」
「そう……なんですね」
話を聞くと言っておきながら、私は気の利いた言葉も言えませんでした。
それどころか、ケースケ様を惑わすような言葉が零れてしまいます。
「あの、ケースケ様はこちらでこのまま暮らす……という事は考えてないんですか?」
「リタ……」
「お兄様から話を聞きました。ケースケ様は異世界という場所で生まれたのですよね?」
「……そっか、聞いちゃったんだね。うん、実はそうなんだ」
「なんでも、普通には行き来出来ない場所なのだとか?」
「うん。あれだけ凄い魔法が使える北条さんでも、異世界への扉は開く事が出来ないんだ。空に浮かんでる月よりもさらに遠い……、遠い場所にあるんだ」
それは……。
私が思っていた以上に、異世界というのは手の届かない場所のようでした。
でも、私はその事を認めたくなくて、ケースケ様に詰め寄ります。
「それでも! 帰る術はあるのですよね?」
「う……ん。一応は、ね」
「でしたら、またこちらに戻って来る事も出来るのでは!?」
縋るように問いかける私に、しかしケースケ様は沈んだ表情で答えます。
「それは、正直難しいと思う……」
「どう……して?」
「僕の故郷では、魔法ってものが存在しない世界なんだ」
「えっ?」
魔法が……存在しない?
「だからね。僕達が無事元の世界に帰れたとしても、そこから更に戻って来るのは……難しいと思う」
「そん……な……」
私は目の前が真っ暗になったかのような錯覚に陥りました。
ケースケ様の仰ったことを、頭が無理矢理受け付けないようにしているような。
そのせいか、頭痛まで感じ始めてしまいました。
「僕も、戻ってこれるならこっちの世界に戻って来たいと……最近はそう思えるようになってきたんだ」
「で、でしたら!」
このままここに残って下さっても! そう、私が言葉を続ける前に、先にケースケ様が続きを話し始めました。
「でも、僕にとってまず最初に為したい事は、元の世界に戻る事なんだ。父さんも母さんも……、正直両親との仲は離れていた。けど、そんな僕に二人の分の愛情を注いでくれた、大切なおじいちゃんにだけはどうしてもまた会いたいんだ」
「ケースケ様……」
ケースケ様のその言葉に、私は九割がた打ちのめされながらも、残り一割は救われた気持ちになっていました。
もし、ケースケ様が故郷に恋人や許嫁がいて、その為に必死に帰ろうとしていたのだとしたら……。
そうしたら、私の心は張り裂けていたと思います。
「だから、僕は前に進み続ける。例え時間がかかろうとも……ね」
そう仰るケースケ様の目は決意に満ちており、先日の落ち込んでいた様子は微塵も感じさせませんでした。
私と話した事で、ケースケ様の踏ん切りがついた……という事なのでしょう。
ケースケ様が元気になられたのは嬉しい事なのですが、私としては素直に喜べる状況ではありません。
「そう……ですか。私もケースケ様の悲願が叶う事を、お祈りしておりますわ」
けれど、そんなケースケ様を前に、私はそう口にするしかありませんでした。




