第544話 楓と芽衣
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第二レイドエリア六十一層を探索して二日目。
この日更に信也達が別の魔法陣を発見した事で、この階層には複数の転移先がある事が判明した。
入り組んだダンジョンの中には、一度七層まで降りた後に再び四層まで上がり、そこから更に七層まで別のルートを進むことで、先の八層に進む事が出来る、といった凝った造りのエリアも存在する。
しかし今のところ《サルカディア》内のダンジョンでは、そこまで複雑な作りのエリアは確認されていない。
せいぜいが進んで行っても行き止まりになる、ミスルートの階段分岐が時折設置されている程度だ。
「なあ、リューノスケ! もっと異世界の話聞かせてくれよ!」
「ああん? つってもなあ……。もう大体話しただろ?」
「んなこたねーよ。なあ、"クルマ"ってのはそんなに速く移動できるのか? どうやってそんなもん作ってるんだ?」
昨日北条からの報告を受けて、信也達のパーティーでも異邦人の素性に関する話をした信也達。
様々な反応が寄せられる事になったが、基本的には好奇心を抱いた者が多かったようだ。
今日の探索中も、移動中に異世界の話が頻繁にされていた。
「ホージョー達が別の世界の人間……だったとはな」
「普通だったら信じられない話だけどぉ、ホージョー団長達だったら納得しちゃうわねぇ」
中にはマデリーネのように、衝撃を受けてる人間もいる。
といっても、隠されていた事がショックだったとかそういうものでもなく、余りに突飛な話にどう反応していいかも分からないといった具合だ。
「そろそろ定時連絡の時間だったな」
どこもかしこも異世界の話題で盛り上がっている中、信也は〈ケータイ〉を取り出して北条と連絡を取る。
『もしもし』
ややあって、北条からの応答がある。
世界は変われど、電話口の最初の挨拶は自然と口に出てしまう。
クランメンバーの間では〈ケータイ〉が普及しつつあるが、この世界のメンバーも異邦人を真似てなのか、最初に「もしもし」と言うようになっていた。
もしかしたら魔法道具を起動するための、キーワードのように思っているのかもしれない。
「お疲れ様です、北条さん」
『おう、そっちもなぁ。それで、どうだったぁ?』
昨日の今日の事なので、信也も北条が何の事を言っているのかを察する。
「そうですね……。今日は一日中、異世界の話がされてましたね」
『ははは、そっちは日本人の数が多いからなぁ。こっちは結構粛々と探索をしていたぞぉ』
「まあそれもその内収まると思うんですけどね。あ、それよりも、今日更に追加で魔法陣を発見しましたよ」
『ほう、これで三か所目かぁ。この階層自体、まだまだ広がりを見せそうだというのに、一体どれだけ見つかる事やら』
「これは次見つけたら、とりあえず転移してみるのはどうだろうか?」
『うーーん……』
信也の提案に考え込む北条。
そして少し考えた後に返事を出した。
『俺の方で見つけた魔法陣は、一方通行のものではなく相互に行き来出来るタイプだったぁ。だが全てが同じタイプだとは限らん』
これ見よがしに幾つも魔法陣が設置されているなら、もしかしたら中には一方通行の魔法陣も混じっているかもしれない。
そこを北条は懸念していた。
「それも……そうですね」
『そっちにはヴェナンドがいるだろ? アイツは魔法陣にも精通してるから、アイツに見てもらって行き来出来るタイプだったら、先の様子を見てみるのもアリかもなぁ』
「なるほど。ではその線でいこうか」
『基本はこの六十一層の探索だがぁ、魔法陣を見つけたらとりあえず行き先を確かめる。"ダンジョンマッピング"のスキル持ちなら、自分がその階層のどの辺の位置にいるのかを、なんとなく把握できる』
新エリアの探索方針が定まり、二日目の探索が終わりを告げる。
そしてそれ以降、見つかった魔法陣には試しに転移してみるといった事を繰り返していく。
結局、十日程かけて六十一層の大体の場所を探索し終えた結果、転移魔法陣の数は十四にも及んだ。
しかもその内の一つは巧妙に隠された場所にあり、他にも同様の隠された魔法陣の存在も示唆された。
そして肝心の転移先なのだが、主に三つのタイプに分類される事が分かった。
一つは六十一層と同じ平原タイプ。
同じように見える場所に転移したのだが、"ダンジョンマッピング"スキル持ちによれば、そこは別の階層であることは間違いないと言う。
次に森林タイプ。
これは深い森がどこまでも続く階層で、平原以上に探索に難儀しそうな階層だった。
それから最後に地下迷宮タイプ。
石造りの巨大な地下迷宮もまた、自由に移動できるフィールドタイプと違って探索には時間がかかりそうだ。
六十一層からの転移先は、概ねこの三つのタイプのどれかの階層に飛ぶことが判明した。
その事をこの十日間で調べ上げた『ジャガーノート』は、一旦そこで探索を取りやめて拠点へと戻る事にした。
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「いやあ、参ったねえ」
「ホントね。まさかあんなに転移魔法陣が見つかるとは思わなかったわ」
冒険から帰って来た『ジャガーノート』は、今日もいつも通り『ジャガーキャッスル』内のリビングルームで駄弁っていた。
北条は他に町に用事がある者を一緒に連れて、ドロップの買い取りに行っている。
今この部屋にいるのは、拠点に残った者達だ。
「六十一層だけでも相当広かったのに、あんなに分岐があったんじゃ探索しがいがありすぎるっす!」
「そうね~。あの転移した先に、更に同じ位魔法陣があったら大変ね~」
大変だという割には、芽衣はその事を悪い事だとは思ってなさそうな口ぶりだ。
「もしそうだとしても、俺達は一つずつ地図を埋めていき、先に進むだけだ」
信也のぶれずに真っ直ぐな態度に、芽衣は一瞬頬をひくつかせる。
「……そうだね~。あ~、わたしはそろそろ家に戻っておきます~」
「え、もう戻るの? じゃあ、あたしも――」
「ううん、由里香ちゃんはわたしに構わず、もっとゆっくりしていきなよ~」
「え、そう? んー、じゃあもう少しここでゆっくりしてこーかな」
まだ多くのメンバーが残っている中、一人リビングルームを後にする芽衣。
しかしその足取りは自宅に向かうのではなく、本区画を囲んでいる外壁……今では内壁と呼べるようになってしまった壁の上だった。
「……」
その胸壁の上で、一人物思いに耽る芽衣。
少し離れた所からは、拠点で暮らす人々の生活の声が聞こえてくる。
「っ!?」
……と、不意に芽衣は瞬時に槍を手にとって構える。
既に年齢的には高校生になったとはいえ、まだまだ日本では子供とされる女の子の動きにしては、それは洗練された戦士の動きだった。
「楓……さん?」
芽衣が槍を構え振り返った先には、楓がひとり佇んでいた。
今の楓が本気で姿をくらまそうとすれば、芽衣にも居場所を掴むことは出来ない。
芽衣は楓が敢えて自分の前に姿を現わしたのだと察し、声を掛ける。
「何かご用ですか~?」
楓は北条を除くと、同郷である異邦人とも積極的には交流を持っていない人物だ。
でも最初の頃に比べれば、大分仲間とも打ち解けてきてはいる。
ただ、芽衣と楓との間にはそれほど会話が持たれた事はない。
どこか似たような部分があるこの二人は、これまで互いに接触を取る事を避けていた節があった。
「余計なお世話かも……しれないけど…………」
芽衣に促され、ポツポツっと語りだす楓。
口調は以前と大きな変化はないが、声量は以前より増していて聞き取りやすい。
「あなたもこっちで支えになる人を……見つけるといい」
「……それは、楓さんにとっての北条さんのような人、って事ですか?」
「……」
芽衣の問いに楓は無言でもって肯定の意を示す。
「或いは、一人でも生きていける……。そんな強さを手に入れる……とか」
先ほどのリビングルームでのやり取りだけでなく、楓は以前から芽衣の事を気にかけていた。
それは自分と近しいものを彼女に感じていたからだ。
しかし、なればこそ芽衣と積極的に話す事は避けていた。
自分が芽衣だったら、無闇矢鱈に話しかけられたくはないだろうと思ったからだ。
「……説得したりはしないんですね? わたしが由里香ちゃんと一緒に日本に帰るようにって」
「みんながみんな、日本に帰りたい訳では……ない。あの世界に、私の居場所は……なかった」
楓が芽衣の事情を詳しく知らないように、芽衣もまた楓の事情をよく知っている訳ではない。
でも元の世界に居場所がなかったという言葉だけは、芽衣にもよく理解出来た。
「そう……。それじゃ~、わたしも北条さんにアタックしちゃおうかな~? 咲良……さんもいなくなって、今がねらい目だし~?」
楓が北条に対して強い執着を抱いているのは、北条本人を含め周知の事だった。
しかしそこにどういった感情が眠っているかについては、想像の域を出なかった。
だが芽衣は自分が北条の事をどう捉えているかについては、答えらしきものが見つかっている。
それは上手く言葉には出来ないのだが、恋愛感情とかそういったものではない事はほぼ確信していた。
芽衣が北条に抱く感情。
それは、家族愛と呼ばれるものだ。
本来であれば、父と子との間に築かれる愛情であるのだが、芽衣と家族との関係は冷え切っており、幼い頃から親の愛情を知らずに育っている。
だからこそ、芽衣ははじめ大いに戸惑っていた。
最初に北条と咲良が仲良くしているのを見てモヤモヤしていたのも、大好きな家族が取られて嫉妬する子供の気持ちだったのだ。
女の子の場合、小さい頃に「パパと結婚する!」などという事もあったりするが、大分遅れて親の……年の離れた男性に家族愛を感じてしまった芽衣は、気持ち的には小学生くらいの女の子と近いのかもしれない。
ただ、今では芽衣も、もう少し大人の視線で物事を見れるようになってきている。
楓が北条を愛しているというのなら、譲ってあげてもいい。
そんな風な事を芽衣は考えていた。
だがその前に、実際に楓の気持ちを確かめなければならない。
先ほどの挑発のような言葉は、それを見極める為に吐き出されたものだ。
「好きに……すればいい。私は私。北条さんは北条さん。私はただ彼を、守りたい……だけ」
「ふ、ふふっ……。冗談ですよ~、冗談。わたしは北条さんの事はそういう風に見てませんから~」
「……」
「でも、マデリーネさんや、アウラさんはどうだか分かりませんけどね~」
「……シャンティアとメイドのアンナも怪しい……」
「ぷっ、あははは。そうかもしれないですね~」
好きにすればいいと言いながらも、芽衣以上に北条の女性関係を気にしている楓を見て、思わず芽衣は吹き出してしまう。
「楓さん」
「?」
「……これからもよろしくお願いしますね~」
「こちらこそ」
最後に挨拶を交わして、芽衣は今度こそ自宅へと戻っていく。
先ほどリビングルームを出た時に抱えていた心の中の黒い何か。
それが幾らか薄れているのを、芽衣は感じ取っていた。




