第39話 リコ村にて
「じゃあ、おっちゃん、まったなーー!」
龍之介の大きな声が辺りに轟く。
挨拶を送った相手の男性の姿は、すでに小さく見える程離れているのだが、龍之介は大きく手を振りながら別れを惜しんでいた。
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旅立ちから三日が過ぎ、中継地点である《リコ村》に寝泊りした一行。
この村は《ジャガー村》方面と《トテポ村》方面への中継地点として、辺境の村にしては珍しく若干の賑わいもあり、宿屋も経営されていた。
といっても、本格的な宿屋という訳でもなく民宿のようなものだ。
宿内の床は直接地面と直結しているという、大地の実直さを感じられる造りになっている。
部屋は小さな個室、二~四人用の中部屋、大部屋とあるが、個室以外にはドアによる仕切りすらない。これは信也達が暮らすことになった『ジャガー村』の男寮・女寮も同様だった。
信也達は大部屋と中部屋を取ることに決めて受付の男に伝える。
中部屋は、二~四人用だと案内人である人懐っこい宿屋の息子が言っていたが、中には粗末な木製のベッドが二つしかない。
一応床には二つ筵が設置されているので、残りはここで寝ろということだろう。
大部屋の方もまた例によって筵がズラーっと並んでおり、信也達のように十人を超える団体客でもこない限り、普段は相席どうぞと見知らぬ者同士同じ部屋で寝泊まりするようだ。
ドアがなくて声も素通り、廊下からも中を確認できる、ということである意味安心感を与える……のかもしれない。
日本なら速攻潰れそうな宿だが、その分宿泊料金は格安で、夕食付で一人一泊五銅貨だという。
一応この安さのせいで客は多いのか、それともこの世界の人には珍しくないのか、こんな状態でもこの宿屋はやっていけているらしい。
夕食は薄いスープとパン、それから半分に輪切りされた茹でたじゃが芋のようなものだった。それを宿の入り口傍にある食堂のような場所で頂く。
ジョーディはそのまま食していたが、異邦人達の多くは調味料を加えたり携帯食を追加したりしていた。
そんな食事の最中にしかめっ顔をしていた信也が、
「これから《ジャガー村》にもダンジョン目当ての人が増えるだろうし、この村にもっとマシな宿屋を建てたら儲かるんじゃないか?」
などと言い始め、本気で議論をする有様だ。
粗末な暮らしや野営に少しは慣れてきた部分もある彼らだが、流石にこの宿屋はカルチャーショックだったらしい。
村で宿屋を経営するには許可が必要なのか? とか、土地代は幾らになるんだ? などと冗談なのか本気なのか分からない様子の信也に、ジョーディもタジタジだ。
人数が多いためテーブルを二つに分けて食事をしている彼らだが、もう片方のテーブルでは龍之介が宿屋の息子と何やら話しているようで、信也達の宿屋経営計画の話はそちらには届いていないようだ。
宿屋の息子は二十代後半といった所で、大人相手でも委縮しない龍之介は平然と話をしている。
「おー、なるほどー。あとでちょっくらいってみっか」
話が終わると他に用事があったのか、宿屋の息子は奥へと引っ込んでいく。
その様子を見送ると、見かねたような表情の咲良が小言を挟んできた。
「あんたねぇ……。相手は年上の人なんだから、少しは敬語を使ったらどうなの?」
「は? 別にそんなのオレの勝手だろ? 指図される謂れはねーよ」
鬱陶しそうに言い返す龍之介の態度に火が付いたのか、咲良は更に強く言い募ろうとした矢先だった。
「まぁまぁ、二人とも落ち着けぃ。双方共に言い分はそう間違っちゃいねぇ」
言い争いに発展しそうになったのを制止したのは、同じテーブルで食事をしていた北条だった。
しかし両者共感情が高まってきており、北条の制止の声にもそうは問屋が卸さないとばかりに収まる気配を見せない。
「で、でも! こいついっつもこんな態度なんですよ? 北条さんは気にしてないかもしれませんが、他にも気にしてる人はいるはずです!」
「いるはずってなんだよ? お前の勝手な思い込みじゃねーのか? 大体俺は他人がどう思おうとこの態度を変えるつもりはねーぞ」
加速度的にヒートアップしていく二人だが、同じテーブルについている由里香と芽衣はマイペースにお話ししながら食事中。
楓は巻き込まれないように、こっそり"影術"まで発動して我関せずの態度だ。
仕方ないなといった感じで、北条は今にもとっつかみ合いになりそうな二人を強引に止めることにした。
「そこまでだぁ」
二人の間に割り込んだ北条は、その両手をそれぞれ咲良と龍之介へと向け、徐に赤く光らせる。
その光の意味を理解している二人は、不承不承一旦距離を取った。
最初の頃は一か所しか発動できなかった"ライフドレイン"も、今ではこうして両手二か所同時に発動できるようになっていた。
一先ず諍いは収まったものの、二人の顔は微塵も納得が窺えない顔だ。
そんな二人に対し、北条は先ほど言いかけた"言い分"についてを語りだす。
「あー、まずは今川。龍之介のあの年上に対する言葉遣いだがぁ、俺らの故郷じゃあ失礼だと思う者もいるだろうが、こちらでは必ずしもそうとは限らない。丁寧語で話すだけでこちらを下手に見てくるような連中もいるからなぁ。冒険者なんてのはその最たるもんじゃないかぁ?」
旅の道中に聞いたジョーディの話からすると、低ランクの冒険者ほど腕にものを言わせるようなタイプが多いとのことだ。
そういった相手に、機嫌を窺っているとも取れる丁寧語を使うと、つけあがって何を言ってくるか分からない。
龍之介の場合は別に威圧的に接してる訳でもないし、アレくらいなら別に問題はないというのが北条の私見だ。
「まー、それでも別に俺ぁ今川に対して丁寧に喋るなとまでは言わん。ただ龍之介くらいの言葉遣いなら、そこまで問題にもならんだろう」
自分を援護するような北条の言葉に、龍之介は得意げな顔で咲良を見下ろす。対する咲良も頷けない意見でもないので、これ以上突っかかる気にもなれなかった。
「だがなぁ、龍之介」
と、今度は龍之介の方へと向き直る北条。
「もし貴族だのを相手にあの口調で話した結果、問題が発生した時ぁ……真っ先に見捨ててその貴族の前に放り出すぞぉ」
何時もと余り変わりがないように見える北条の表情。しかし龍之介は何故か強い圧迫感のようなものを覚え、思わず体が震えた。
特に何かされた訳でもないのに、なんで自分の体が震えているんだ? 龍之介は軽い混乱に陥りながらも、心の底から浮かび上がってくるある感情を必死に無視しようと足掻く。
しかし、抑えようとすればするほどソレが湧き上がってくるのを止められなくなる。
「お、あ、あ……」
返事をしようとした龍之介だが、どうも口が上手く動かない。
先ほどから彼を襲っている感情――恐怖によって、舌が回らないようだ。
様子がおかしいことに気付いた咲良も、先ほどまでの対抗心を収めて龍之介の様子を窺っている。
「うぉおおい、どしたぁ? 大丈夫かぁ?」
そこへ北条の心配そうな声が掛けられる。
その声に一瞬ビクッとした龍之介だったが、ようやく落ち着いたようで「あ、ああ。心配ないぜ」と言葉少なに答える。
一時は呼吸も大きく乱れていたが、徐々に通常の状態へと戻りつつあった。
「ま、まあ。オッサンの言ってることは理解した。とりあえずやばそうな相手には口の利き方を気をつけるよ……。え、と……それじゃオレはさっき聞いた酒場とやらに行ってくるかな」
そう口にするなり、さっさと逃げるように宿屋を出ていく龍之介。
向かうのは先ほど宿屋の息子から聞いた、村に一件だけあるという酒場のことだろう。
いつもの咲良だったら「未成年なのに、酒場だなんて!」と文句のひとつも言っただろうが、話の流れ的に何も口を出せず、ただその背を見送ることしかできなかった。
「……龍之介の奴、どうしたんでしょうね?」
「さぁてなぁ。意外と叱られるのに慣れていないとか、貴族に打ち首にされてる光景でも思い浮かんでしまったのかねぇ」
北条も突然の龍之介の態度に戸惑いを隠せない様子だ。
しかしあの様子からして後を追うのも微妙な感じだし、そこまで相手を気にする程の関係を築けている訳でもない。
「ま、そのうちケロっとした顔して帰ってくるんじゃないかぁ?」
ぞんざいな扱いであるが、今までの龍之介の言動からしてそれも妥当だと思われてしまうのは悲しいところだ。
結局龍之介のことは放っておいて、食事を終えた彼らは中部屋と大部屋に分かれて就寝することにした。
しかし、ドアの区切りがない大部屋は、ある意味平原のど真ん中で過ごす夜よりも彼らの心を不安にさせた。
実際こういった形式の宿では窃盗もたまに発生するそうだ。
『たまに』程度で済んでいるのは、こういった宿の利用者はそんなに金を持ってる奴がいないので、リスクを冒す価値が低いからだろう。
現在は信也達で大部屋と中部屋を利用しており、他の部屋にも客は泊まっている。
窃盗などの可能性は低いのかもしれないが、そんな状態ではとてもじゃないがグースカ寝れそうになかった。
という訳で、結局交代で見張り番をしながらの就寝となった。
実はジョーディも最初からそうしようと思っていたようなのだが、敢えて様子を見ていたらしい。
これから冒険者として暮らしていくなら、こういった判断は随所で求められる。
今のうちに敢えてそういった経験をさせようとしたらしい。
龍之介がこの場にいたら「そーゆーのいいから、先に教えといてくれよ」とでも言いそうだ。
その龍之介はといえば、未だに帰ってきていない。
すでに夜番は三番手の咲良の番まで回ってきて夜も大分更けており、恐らくは深夜0時は過ぎているだろう。
夜番は当初は子供組は割り振られていなかったのだが、今では慶介以外は担当するようになっている。
屋外での野営と違って、気にするのは部屋の入口だけで済む分、気が楽といえば楽である。
しかし、もし侵入者があった場合相手は間違いなく『人間』相手になるので、その時のことを考えて億劫な気分になる咲良。
少し離れた所から微かな声が聞こえてきたのは、そんなことを考えていた時だった。
「……!」
聞き間違いかと改めてよく耳を澄ますと、宿の入り口の方から誰かの話す声が聞こえてきているようだった。
誰か起こすべきか一瞬迷った咲良だが、とりあえずは部屋から出て様子を窺うことにした。
ソロリソロリと、足音を殺し宿の入り口へと向かう咲良。
ロビーの近くまで移動すると、話し声も聞き取れる音量になってきた。
「――という訳で、この坊主は頼んだぜ」
しかし、丁度会話をしていた一人は宿を出ていく所だったようだ。
残されたのは……この宿の主人である男性と、彼に肩を預けるように寄りかかっている龍之介であった。
「おおぅ、おっちゃんよー。わざわざありがとなっ!」
夜中だというのに特に声を抑えようともしない龍之介に、慌てて宿の主人が口を押さえ込む。
幾ら何でもこの深夜に傍迷惑この上ないが、どうやら龍之介はベロンベロンに酔っぱらっているらしい。
肩を借りないとまともに歩けないほどにその足取りは頼りない。
「ん……お! これは丁度いい。あんたこの坊主の連れだろ? 見ての通りの状況なんだが、引き取っちゃくれないか?」
廊下へと通じる場所で様子を窺っていた咲良を見つけた宿の主人は、これ幸いとお荷物を押し付けることにしたようだ。
咲良も嫌とはいえず、仕方なく酒臭い息を吐く龍之介を部屋まで苦心して連れていく。
部屋に着く頃にはほぼ意識を失いかけていた龍之介は、無意識レベルで空いている場所に滑り込むと高らかに鼾をかき始める。
そんな龍之介を恨みがましい眼で見つめていた咲良だったが、
「……いよぅ、なんか大変だったみたいだなぁ」
次の当番である北条が既に目を覚ましていたようで、咲良に話しかけてきた。
周りを気遣い囁くような声で声を掛けてきた北条に、同じように蚊の鳴くような声で返事をする咲良。
「全く人を心配させたかと思ったらこの有様だもの……。ほんと仕方ない奴ね」
そうぼやく咲良に、北条は苦笑を返す。
「ま、この様子なら問題はなさそうだなぁ。今川ももう横になって構わんぞぉ。少し早く眼が覚めてしまったが、後は俺が見張りをしておくぅ」
北条の言葉に甘えることにした咲良は、早々に引継ぎをするとすぐさま床へと就く。
さっきまでは緊張のせいか眠気を余り感じなかったのだが、横になるとこの硬い床の上でも眠気はすぐ襲ってきた。
そして意識が落ちる間際「ああ、なるほどな……」という声がどこからか聞こえたような気がしたが、すぐに夢の世界へと誘われはっきりと聞き取れることはなかった。
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手を大きく振る龍之介の脳裏には、またこの村を訪れたらあのおっちゃんの経営する酒場に寄っていこう、という予定が立てられていた。
飲みなれない酒にすっかり出来上がってしまった龍之介を、宿屋まで連れてきてくれたのは純粋に酒場の親父の好意によるものだった。
昨年村を出て行った実の息子の面影を、龍之介からどことなく感じた彼は、どうにも他人事とは思えずに、ついついおせっかいを焼いてしまったという訳だ。
屈託のない様子の龍之介に、改めて龍之介への接し方を再確認した咲良は、
「ほら! もういくわよっ!!」
と、龍之介の耳を引っ張って、既に移動し始めている仲間の下へと、強引に引きずっていくのだった。