第220話 窮追の北条
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会話の途中、一人猛然とダッシュを始めた北条は、先ほど感じた何らかの気配が向かっていく方向に、何者かが潜んでいるのを感知していた。
あの気配の正体は完全には掴めていないが、発生した位置からして悪魔に関係する何某かの可能性は高い。
その謎の気配は、異変を察知して咄嗟に放った【シャイニングピラー】によって、気配も大分薄れてはいたのだが、完全に仕留めきるには至らなかった。
そして、フラフラと気配が向かう先へと近づいていった北条は、その先に待つ人物を特定する。
「なるほどなぁ」
小さな声でそう呟きながらも、高速で先へと進む北条。
その先で予想通りの人物を発見した北条は、すでにお前はもうチェックメイトなんだと言わんばかりの口調でその人物――長井へと告げた。
「おおっとお、どこへ行こうというんだぁ? 長井道子さんよぉ」
「くっ……。北条ッ!」
性格のせいで歪んでしまったのか、それとも元々そういう顔立ちをしているのか。
長井は悪鬼羅刹のような形相で北条のことを睨みつける。
しかし北条は、そんな長井の視線をものともせずに話しかける。
「色々と悪企みをしていたようだがぁ、それもここで終わりだなぁ」
「……ッ」
「だんまりかぁ? 今回の騒動の一因にもなった、その目ん玉をくりぬいて食わしてみれば、少しは口も軽くなるのかねえ」
幻影とはいえ、自身がされたことを持ち出す北条。
その声には、「とんでもないことをしやがったな」という抗議のニュアンスは含まれていたが、実際に被害には遭っていないせいか、恨みに思うなどといった感情は感じられなかった。
「アンタのその眼……。どういうことなのよ?」
「あぁ? 俺の"眼"がどうしたっていうんだぁ?」
真面目な顔してすっとぼける北条。
しかし直近で北条がそのことに触れている以上、あれは夢ではなかった筈だ。
だとすれば幻でも見せられていたのか? それはいつから?
長井は深く考え出そうとするも、余りにその正体が分からなすぎた。そもそも、思考の組み立てに必要なピースが足りなすぎるのだ。
悪魔と対した時以上に得体の知れなさを感じる北条に、長井は何気ない動作ひとつにも注意を払う。
「そんなことよりも、お前は一体その"眼"を使って何をするつもりだったんだぁ?」
長井道子が為そうとしていたこと。
それは人なら誰しもが本能的に求めるような普遍的なことだった。
だが人の社会には法というものが存在し、人は社会という集団の中で生きていくには、自由を切り捨てて生きていかなければならない。
それが、長井にとっては到底看過出来ることではなかったのだ。
自分だけ価値観の違う世界に生まれたように感じていた長井は、日本で暮らしていた頃から窮屈な思いと、ままならぬ現実に対して、日々呪いの言葉を吐いて暮らしていた。
だがこの世界では、自分の思い描いた理想の世界を構築することも、決して夢ではない。
……そう。この"魅了の魔眼"の能力さえあれば。
「フンッ! アンタ達のような偽善者に説明しても、理解できないことよ。私はっ、私の好きなように生きる! それは、これからも――」
長井はそう語りながらも、後ろ手に持っていたマジックアイテムを発動させていた。
球形の水晶玉のような見た目をしているそれは、派手なエフェクトが浮かび上げることはなかったのだが、マジックアイテムである以上、使用の際には魔力を発生させるものだ。
「チッ!」
その妙な魔力の流れを感知し、小さく舌打ちをした北条は、咄嗟に"無詠唱"スキルで土魔法の【土弾】を長井へと撃ち込んだ。
土で出来ただけの弾丸は、長井の横っ腹をかすめるようにして命中する。
咄嗟に放ったとはいえ、一発だけしか北条が【土弾】を放たなかったのは、複数撃ち込むとうっかり殺害してしまう可能性もあったからだ。
実際の所、この時すでに悪魔の力を一部取り込んでいた長井は、その程度なら耐え切ることも可能ではあった。
しかしそれでも一発だけ命中した北条の【土弾】は、長井の腹部の肉を幾分かえぐり取っていて、そこから赤い血が流れ始めている。
それは地面へ、ポタリポタリッと一滴、二滴落ちていくと、茶色い地面に赤黒い小さな染みを浮かばせる。
だが三滴目の滴が追加されることはなかった。
その前に血の発生源である長井ごと、いずこかへ姿を消してしまっていたからだ。
「転移のマジックアイテム……か」
そう言って北条は、長井が消えた場所に落ちていたモノを拾い上げる。
転移という現象は"空間魔法"の扱う領域であり、"空間魔法"の使い手が希少なことから、マジックアイテムとしての価値も相当高い。
知られている限りでは、転移のマジックアイテムは全てダンジョン産であり、人工的に作られたという話は聞かない。
何らかの魔法の効果を発揮するマジックアイテムを作るには、少なくともその魔法属性の使い手を確保しなければならないが、転移となるとそこで早速手詰まりとなってしまう。
「まあ長井を逃したのは仕方ないとして……。問題はこの後だよなぁ……」
少なくとも悪魔は撃退され、元凶である長井はこの場より逃げ去った。
ひとまずの勝利といっていい状況ではあるが、北条はこの後に待ち受ける事情説明のことを思うと、つい気が重くなってため息を吐くのだった。
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突然北条が森の方角へと走り去っていってから、少し経った頃。
走り去った時とは逆に、ゆっくりとしたペースで戻ってきた北条は、今回の主犯の一人であった長井を取り逃がしたことを告げた。
北条の説明に、何故突然走り出していったのかを理解する冒険者たち。
彼らの表情には、長井を取り逃がしたことに対する口惜しさよりも、今回の件での被害の大きさによる悲しみの感情の方が強かった。
それからの作業は粛々とした中、各自が為すべきことを淡々とこなしていった。
そこには勝利のムードなど微塵もなく、被害の多さに茫然としている者も多い。
一人が突然裏切り行為を働き、正反対な性格をしていた二人の獣人を失い、無口ながらに頼もしい剣の使い手を失った、『光の道標』のリーダーであるライオット。
彼もまた失意のどん底に叩きつけられている。この場の責任者として時折指示だしはしているものの、その声には空虚さが漂っていた。
もう一人の『光の道標』の生き残りであるシャンティアは、【リリースチャーム】の使い手としての役目を果たしている。別所に隔離しておいた、敵となって襲ってきた者達の魅了解除を行っているのだ。
その際に、裏切り行為を働いたオースティンにも施術を施したのだが、どうやら彼は魅了にはかかっていなかったようだ。
意識を取り戻した彼は「吾輩を拘束して、よからぬことを企んでいる!」などと、【リリースチャーム】をかけようとしたシャンティアに息巻いていたが、魔法をかけた後もその態度が変わることはなかった。
シャンティアはそのことで、更に心労を重ねる結果となってしまったが、ライオットよりは打たれ強いのか、それからも別の人の魅了を次々解除して回っていた。
ちなみにシャンティアがかかっていた「状態異常:魔封」だが、これは既に解除されている。
放っておいても数日もすれば治るものではあったが、それを治したのはシャンティアと同じく魅了解除をしている北条であった。
彼は仲間からの追及の声を逃れるかのように、自ら魅了解除役を買って出ている。
もっともこの場で色々と話をするにしても、恐らくは長くなりそうな話をする場として、ここはふさわしくない。
そこで詳しい話は後でということになって、北条はせっせと魅了の解除に当たることになった。
他の異邦人達も遺体を一か所に集めたり、咲良がそれら死者に対して【レクイエムプレイ】を行使したりと、黙々と事後作業が行われていく。
元々作業自体は時間を要するものではなく、後片付けについてはそう時間はかからずに終了した。
後は、幾つかの遺体を抱えながら帰還するだけだ。
状況にもよるだろうが、今回の場合はきちんと村まで遺体を持ち帰って、場合によっては《鉱山都市グリーク》まで移送して、丁重に葬られることになる。
「ちょっと……いいッスか?」
北条が一仕事を終え、帰還準備をしていると、一人の若者が話しかけてきた。
ハーフエルフのその若者――ロベルトは、身心共に疲れ果てたような状態であり、呼びかけた声も生気の感じられない、死んだような声だった。
「ん、なんだぁ?」
陽子らとは接触したことがあったロベルトだが、捕らわれていた北条とはこれが初対面になる。
しかしこれまでの様子からして、陽子が言っていた捕らわれの仲間というのが、目の前のこの男であることをロベルトは既に知っていた。
そして、神聖魔法【リリースチャーム】とは異なる方法で、魅了の解除を行っていたということも。
「こっちに僕の仲間がいるんッスけど……。や、奴との闘いで妙な魔法を掛けられてから、その……あんな風になっちゃって」
そう言ってロベルトの指し示す方向には、焦点の合わない目でぼんやりと周囲を見回している、狐人族の男の姿があった。
「アン……アナタが謎の白い光で魅了を解除していたのは見てたッス。それで、その。その力であの人――ツィリルさんを治すことは出来ないッスか?」
そう言ってロベルトは、北条へと頭を下げるのだった。