第201話 ナイルズへの報告
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(急がないと……)
北条の最後の抵抗によって、魅了状態を今度こそ完全に解除されたメアリーは、すぐ近くにある村へと急いで向かっていた。
移動の最中にも、迂闊に相手の術中に嵌ってしまい、北条を危険な目に遭わせてしまったことに対する後悔の念が、次々とメアリーの心に押し寄せてくる。
だが、今ここで足を止める訳にはいかない。
そう歯を食いしばって、次々と浮かび上がる自分自身からの言葉を振り切って走り続けたメアリーは、やがて自分たちの住んでいる家へと辿り着く。
息急き切ったメアリーは、彼女らしくなく少し乱暴にバタンッ、とドアを開く。
『女寮』の中にいたのは陽子だけであり、他のメンバーの姿は見えなかった。
勢いよく開けられた扉の勢いに。そして、目線を移し、荒々しく扉を開けたのがメアリーだと見て取った陽子は、二重の意味で驚いた表情を浮かべていた。
「メアリーさん、慌てた様子で一体どうしたんですか?」
「ここにいるのは陽子さんだけかしら?」
普段と違う様子のメアリーに、とりあえず話を聞いてみようと質問をした陽子は、逆にメアリーによる質問によって返されてしまった。
「え? はい、そうですけど……。他の皆は拠点で訓練でもしてると思いますよ」
その答えを聞いて、どうしたもんかと頭を悩ませるメアリー。そこへ、改めて陽子は先ほどと同じような質問を繰り返した。
「実は……」
すると、今度はメアリーからちゃんと返事が返ってきて、一安心した様子を見せる陽子。
しかし話を聞き進めるにつれて、そんなこと言ってられない事態になってしまったと、陽子は顔を青ざめる。
「私はこの後ギルドの方に報告に行きますから、陽子さんは他の皆へこのことを伝えに行ってくれますか?」
「ええ、わかったわ!」
ここ最近の事態の推移に、気分のバロメーターが下降の一途を辿っていた陽子であったが、急変した事態に即座に対応しようとしていく。
それは信也襲撃事件以降に表れるようになってきた、陽子のここぞという時の対応力の賜物だった。
陽子への伝言を頼んだメアリーは、彼女に言ったようにその足で冒険者ギルドへと向かった。
だが生憎とナイルズは今忙しいようで、受付の女性も最初はすぐに取り合ってはくれなかったが、北条の仲間であり例の件に関することだと伝えると、渋々ナイルズの下まで案内してもらえた。
北条などは何度か入室したことがある、《ジャガー村》支部のギルドマスターの執務室。
初めてこの部屋を訪ねるメアリーだが、今は緊張よりも焦りの方が強い。
室内に案内され、軽くナイルズと挨拶を交わすと、早速メアリーは本題について話し始めた。
「ホージョーが奴らの手に捕まったのか……」
そう言って渋い顔をしているナイルズ。
「あの、それで彼を……それと魅了にかかっている二人も救出したいんですが……」
「ふうむ。すまないが、それは今すぐには無理だね」
「何故ですか? 私や他の仲間から募って依頼料を出せば、そこそこの金額は出せます。それに、勿論私たちも一緒に行くつもりですし……」
メアリーはそう言っているが、勿論まだ他のメンバーの確認は取っていない状況だ。
一番反対しそうな連中が敵に回っていることから、恐らく反対はされないとは思われるが。
「実はね。もうじきグリークからの応援部隊が到着する頃なのだよ。その中には魅了を解除出来る"神聖魔法"の使い手も三名確保されている」
「それが、一体……?」
何の関係にあるのか? と問いかけようとするメアリーに先んじて、ナイルズが答えた。
「その応援部隊と、ここ《ジャガー村》にいる冒険者との合同で、今回の黒幕であるナガイらの下に乗り込む予定なのだ。であるので、今はDランク以上の冒険者に対する依頼は、取り下げるようにしてもらっている。……最もこの村で、Dランク冒険者を必要とする依頼人は、ほとんどいないがね」
「そ、れは……。到着は何時頃になる予定なのですか?」
「そうだな。応援部隊の方はじきに到着する頃だろうから、それから一日空けて次の日……と思っていたのだが、この様子だと日を空けず、到着した次の日にでも乗り込むのでいいかもしれん」
この村は辺境の村ではあるが、街道は一応通っているし、強力な魔物が道中で現れるなどということはない。
旅慣れた冒険者は勿論、神官たちの方も今回はレベルの高い者が多いので、この程度の旅は苦にもしないだろう。
流石に着いてそうそう向かうというのはしんどいだろうが、明けて次の日に出発する程度なら対応してもらえるだろう。
「明けて、次の日……。わかりました、それではその応援の方々が到着されましたら、私達も一緒に参加します」
「ふうむ、本来は今回の参加者は、Dランク以上の冒険者に絞っているので、まだEランクの君たちに参加させる訳にはいかぬのだが……」
そこまで言った所でメアリーの目が鋭さを増してくる。
その思いのほか意志の強い瞳に気圧された、という訳でもないが、ナイルズは慌てて先ほどの言葉に補足を付け足した。
「まあ、君たちは当事者でもあるし、部分部分ではDランク冒険者にも引けを取らない腕前であることも知っている。ジッと村で待機してろとは言わんさ」
「ご配慮、ありがとうございます」
そう言ったメアリーは、今後の方針が立ったことでようやく落ち着きを取り戻し始める。
そんなメアリーに、ナイルズは忠告の言葉を投げかける。
「だが、危険は覚悟しておいてくれたまえ。これはまだ不確定な情報なのだが、奴らの背後には……」
「悪魔がいる、というのですね?」
「……そうだ。どうやらすでに、ホージョーからその事は聞いていたようだね」
「いえ、北条さんから聞いたのではありません。というより、北条さんもご存じだったのですか?」
悪魔に関する件について、両者の間に疑問符が浮かび上がる。
メアリーからすれば、あの攫われた時に直接悪魔の話題をした訳でもないし、背後に悪魔がいることを未だに北条は知らないでいると思っていた。
逆にナイルズとしても、北条以外から悪魔に関する情報を得たらしいメアリーに対し、興味を示す。
「ああ、最初に聞かされた時はまさかとは思ったがね。君の方はホージョーから聞いたのでないと言うなら、一体どこで知ったのだね?」
「あ、それは先ほどは詳細を伝え忘れましたが、私と北条さんが『流血の戦斧』の一人に襲われる前に、長井さんから直々に悪魔に支配されてしまったというようなことを聞いていたんです。私はよく分からなかったんですが、彼女の右腕には入れ墨のようなものがあって、それが印だとかなんとか……」
「む、それは……。"悪魔の契約"による印かもしれん」
「ええ、確かに彼女はそのようなことを言ってました。悪魔の契約とは一体どういったものなのですか?」
「詳しいことについては知られていないのだが、その名の通り悪魔と契約するスキルだか儀式だかの一種と言われている。契約者には君の言ったような契約印が体のどこかに浮かびあがる」
そして、悪魔の契約者となった者達は、追い詰められると黒い光を発し、急に身体能力が強化されるのだという。
先日に村長らを略取しようとした連中も、一部の者が黒い光を発し抵抗してきたとのことだった。
だがそれは彼らにとっても最後の手段らしく、一度黒い光を発したら身体能力は強化されるが、理性が段々と失われていってしまう。
更に強化も一時的なものであり、徐々に全身を覆うような黒い光も弱まっていき、その光が完全に途絶えてしまうとそのまま死んでしまうらしい。
「…………そう、なのですか」
「彼らが心配かね?」
「それはっ、勿論そうなのですが……。あの、彼女が言っていたんです。『私はもうアイツに逆らいようがないのよ』って」
「ホージョー達のことだけでなく、ナガイという女のことも気にかけているのかね」
「はい……。こうなってしまったとはいえ、元は同郷の方ですから……」
「ふむ……」
腕を組んだナイルズは、そう言ってメアリーを見遣った。
その視線はまるで孫が娘に向けるような、慈しむようなものであった。
しかし同時に、このような性格をしていたら、冒険者としてこの先やっていけるのかという、親心のようなものも含まれていた。
この人ひとりの価値が現代日本より低い世界において、メアリーのような善性を維持している人というのは、いない訳ではないがそう多くはない。
仲間に対しては強固な団結を示すことはあっても、敵となってしまった者にまで情けをかけられる程、心に余裕や慈悲がある者というのは貴重なのだ。
「確かに彼女が言うように、一度契約を結んでしまった場合、相手の悪魔に逆らうことはできないだろう。ただ、その状況を免れる方法がない訳でもない」
「本当ですか?」
「本当だとも。なあに、契約が気に入らないのならば、契約を結んだ相手を倒してしまえばいいことだ」
「あっ! そうですね!」
ナイルズの言葉に嬉しそうに返事をするメアリーだが、ナイルズの方は言葉とは裏腹に、内心では心配事があった。
(確かに、解除はされるので従う相手はいなくなる。しかし……)
冒険者としてCランクまでたどり着き、引退後もギルド施設で働いてきたナイルズは、悪魔に対しての知識も若干持ち合わせていた。
そうした知識の中に、確かに『悪魔討伐によって解放された契約者の話』は存在するのだが、それには問題が含まれていた。
その少ない症例の中では、悪魔を倒し、契約が解除された瞬間から理性が失われてしまい、廃人となってしまったケースも存在していたのだ。
必ずしもそういう状態になるとは限らないようだが、恐らくは契約した悪魔と深く精神的に繋がっていた場合、契約主である悪魔が死亡した際に受ける衝撃が大きいのだろう、と研究者たちは予想していた。
(そのことを彼女に伝えるのは忍びない……。もしかしたら影響もない場合だってあるのだし、言わずにおこうか)
今までの経緯からして、ナガイという女が悪魔と接触を持ったのは、そう何年も前の話ではない筈だ。
それならば、彼女が受ける衝撃も少なく済むかもしれん。
そう考えていたナイルズだったが、もう一つ彼女が抱いているであろう懸念については、気休めかもしれないが話しておくことに決める。
「ああ、それとだね。すでに敵の手に落ちている二名と、今回攫われてしまったホージョーなのだが、彼らに関しては、必ずしも捕まったからといってすぐに契約を結ばされるとは限らないようだ」
「それは……契約には時間がかかる、ということですか?」
「いや、契約に関してだけいえば、そう手間がかかることではないらしい。ただ悪魔側も気軽に契約を結ぶことはないのだ」
そう言って、ナイルズは吸血鬼の例を出して、悪魔の契約についての話を始める。
悪魔達の目的は、人間には一切窺い知れぬことではあるのだが、彼ら悪魔は吸血鬼と同じく無闇矢鱈と人間と契約を結ぶことはないらしい。
恐らくは、悪魔にも契約できる数の上限のようなものがあるのではないか? と学者たちの間では推測されていて、吸血鬼が眷属を増やすよりは多くの相手と契約を結べるが、その数は百を超えない程度では? と予想されている。
「それ故に、特に能力に優れている者でもなければ、わざわざ悪魔も契約を結ぶことはしない。そして能力的に優れている者ならば、悪魔の契約に対しても抵抗をすることが可能なのだ」
実際に悪魔に囚われて契約を迫られるも、ギリギリの所で救出に成功した例というのも、極僅かに存在するらしい。
「という訳だから、君も少し心を落ち着けて待っていてくれたまえ」
「はい……そうですね」
ナイルズの言うように、そう易々と心が鎮まるというものではなかったが、ここで色々と話を聞いて、メアリーは多少落ち着きを取り戻していた。
「あの、それでは私はみんなの所へ戻ります。お話を聞いて頂いてありがとうございました」
「うむ、元気でな」
こうしてギルドを後にしたメアリーは、陽子の向かった拠点へと足を向ける。
そこでは、陽子の話を聞いた龍之介らが今やれることはこれ位なのだと、真剣な表情で訓練に取り組んでいるのだった。