第200話 囚われの北条
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(フフフッ。上手くいったわね)
山小屋のアジトへと帰還する最中、ご機嫌な様子の長井は口角を上げてあの時の事を思い返していた。
(まさか、あの状態のままだとは思わなかった。けどお陰で話を上手く進めることが出来たわ)
長井がメアリーと対面して気づいたことがひとつあった。
それは、今まで長期にわたって徐々に徐々にかけていたメアリーへの魅了が、解除されていなかったのだ。
いや、正確に言うならば、これまでのメアリーは魅了にはかかってはいなかった。
ただその前段階として、これまで刷り込んで馴染ませていくように、少しずつ長井の魔眼の力は浸透してはいたのだ。
それは長井自身が、魔眼使用時に感じる手ごたえのようなもので判断できる事柄だった。
相手が男性で、自分よりレベルの低い者ならば、比べ物にならない位あっさりと魅了は成功してしまうのだが、メアリーや他の女性陣に関しては、長期戦のつもりでそうやって機会を窺っていた。
この世界では、高度な鑑定のマジックアイテムでも、その人のかかっている状態異常までは表示することが出来ない。
それ故に、これまでメアリーの中に蓄積されていった魅了の種は、気づかれることがなかった。
種状態では、全く魅了がかかっていない状態と同じだということなのだ。
なので北条が魅了解除を行おうと、元々魅了されていないから無駄ということになって、効果も現れない。
だというのに、メアリーの中に仕込まれた種はその状態のまま残り、いつか芽吹く日を待っている。
この状態の時に、もし"精神魔法"によって詳しく調べられていたら、メアリーが魅了の兆候にあることも判明したであろうし、その状態を解除することも可能だったろう。
しかし北条の魅了解除は、「『状態異常:魅了』にかかった相手を解除するだけ」の効果でしかなかったのだ。
(相手を魅了状態にしても性格が邪魔をして、完全に言うことを聞かせられないのは面倒だけど、こうして多少工夫をして話を盛れば、そこはある程度補える)
「明日が楽しみね」
最後にそう一言小さく呟くと、長井は再びアジトへと戻っていくのだった。
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次の日の朝。
北条はメアリーから話があると切り出されていた。
すでにこの時のメアリーは長井の魅了状態にあったが、軽く接した程度ではその違いは分からない。それが「状態異常:魅了」の怖い所でもあった。
約束自体は昼食の後にでも、ということだったので、それまでの間北条はナイルズの所へ顔を出したり、村長の下へ訪れたアウラらと話をしたりして過ごした。
そして昼食を終えた北条は、約束場所に指定された場所へ歩いていく。
(また、あの場所で密談をすることになるとは)
以前同じ場所でツヴァイ……頼人と話した時のことを思い出す北条。
(あの時は、初めに想像していた内容を一歩踏み超えた話をされてしまったが、果たして今回はどうなることやら)
頼人に呼び出しされた時も、そして今回のメアリーの呼び出しも、北条の中ではどういった話をされるのか、予想するアテがあった。
そして、メアリーからその話を切り出された場合、どう対処するかについて、未だに北条自身、決めかねていた。
(ん……誰、だ?)
北条が向かう先、あの一本の大木がある小さな崖付近には、人の反応が二つあった。
片方がメアリーなのは間違いなさそうだが、もう一つの気配、隠形系のスキルで身を隠していると思われる者の正体が分からなかった。
ただ、悪意を持って潜んでいることは分かったので、北条は待ち合わせ場所へと急いだ。
そして待ち合わせの場所まで到着した北条は、潜んでいる何者かがメアリーを狙ったとしても助けられるように、メアリーとの直線状に立ちはだかるように位置取りする。
それから少し息を整えた北条は、メアリーへと話しかける。
「どうやらぁ、待たせちまったみてえだなぁ」
「いえ、私も先ほど来たばかりですよ」
まるで、デートの待ち合わせの時のようなセリフを交わす二人。
北条は背後にいる謎の人物に気を使いながら、早速要件を切り出すことにした。
「それでぇ、話ってのはなんだぁ?」
「実は北条さんにお渡ししたいものがあるんです」
「……渡したいもの?」
「はい」
これまた頼人の時のように、想定外な話が割り込んできたことに、北条は一瞬思考が停止する。
しかしそんな北条のことなど露知らずといった感じで、メアリーは話の先を続ける。
「少し……後ろを向いてもらえませんか?」
「んああ? あぁ……」
いつ本題を切り出してくるか身構えていた北条は、予想外のメアリーの言葉になすがままにメアリーへと背を向ける。
「これ、なんです」
そっと近寄ってきたメアリーは、そう言って北条の首に、何かチェーン状のモノを巻き付けてうなじ部分で留め具をはめる。
ひんやりとした金属の感触に思わず北条が「うひゃあ」と小さく声を上げる。
「こいつぁ一体……」
『其は楔。暗黒の淵より立ち昇りし黒炎よ。戒めとなれ』
北条が何か言いかけるのと同時に、呪文めいた言葉を発するメアリー。
突然のメアリーの行動に北条がハッとした表情を浮かべた瞬間、北条の全身を、黒い炎で出来た鎖のようなものが巻き付く。
と同時に、近くに潜んでいた謎の人物が急接近してきて、北条の肩口に手にしたナイフを深く突き刺した。
「ぐ、ぐあああ!」
ナイフはすぐに潜んでいた人物……『流血の戦斧』の盗賊であるコルトによって引き抜かれる。
反射的に北条は刺された箇所を手で押さえようと試みるが、思ったように体が動かない事に気づいた。
この黒い炎は、見た目に反して熱は感じないのだが、縄か何かで体を縛られたような状態にされているようだ。
「へっ、無駄だぜ。その呪具〈黒縛呪〉は、相手の身体能力を著しく奪って、その奪った力でもって体の動きをも束縛させる。おまけに、俺のナイフには強力な麻痺毒がたっぷりと塗ってあるんだ」
「ぐぐぐぐっ……。 【が……」
「おおっと、そいつはさせねえよ」
コルトは北条が魔法を発動させようとしたのをいち早く察知し、手早く慣れた手つきで北条の口に縄を噛ませた。
「むううううううっ! ぬぐうううう!」
口を塞がれてしまっては呪文名を唱えることもできず、体の自由も奪われてしまっては北条に為す術はなかった。
「さあ、そっちの女もさっさと姐御のとこに帰んぞ」
コルトがメアリーにそう話しかけるが、メアリーは目の前の出来事にショックを受けているのか、「あ、あっ……」と狼狽えるばかりで、一歩も動こうとはしなかった。
「チッ、そーいやこいつは『とんでもない良い子ちゃん』だったな。魅了の方も奴と違ってかかりが浅いから、ショックでも受けてやがんのか」
コルトがそう独り言ちていると、ゆっくりとした動きで北条の右腕が上げられていき、メアリーのことを追い求めるように右腕を構えた。
すると次の瞬間、メアリーから白い光が立ち上がり、朦朧としていたメアリーは心の内から晴れ渡っていくような感覚を覚えた。
「ふへろっ!」
そこに掛けられた北条の必死な声が、メアリーの意識を一気に覚醒させていく。
「んんっ……。北条、さん!」
「チッ、余計なことを」
慌ててコルトがメアリーの下へ向かおうとするも、全力を振り絞ったかのような、横からの北条の体当たりによって、二人は地面へと押し倒されてしまう。
ほんの一瞬。
北条と目を見合わせたメアリーは、コルトに背を向けて走り出した。
「ぐ、くそが! 待ちやがれ!」
小柄な体格のコルトが、北条を押しのけるのに時間をかけている間に、メアリーとの距離はどんどんと広がっていく。
そこに更に、
「おいっ、こっちで何か声がしなかったか?」
「もしかしたら、また村長を狙ってきた賊かもしれん。様子を見に行くぞ!」
という村の自警団だか、見回りの冒険者らしき者達の声が聞こえてくる。
「……仕方ねえ。とりあえずコイツだけでも」
そう言って、コルトは自身より重い北条を背負いながら、一目散にその場を離れていく。
幸いにも見回りの者達は更に追ってはこなかったようで、コルトは少し離れた場所に待機している長井らの下へと急いだ。
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「……あの女はどうしたの?」
盗賊職とはいえ常人より遥かに優れた筋力を持つコルトであっても、自分より体格の大きい相手を背負って移動するのは、少し骨の折れる作業だった。
そして苦労して運んできた挙句の長井の第一声がこれだ。
しかし、魅了状態にあるコルトは、そのことに不満を抱くことはない。
「それが、途中で狼狽えはじめやして……」
そう言ってコルトは一連の流れを報告した。
眉を顰めて話を聞いていた長井だったが、
「まあ、とりあえずコレを確保出来たからいいわ。コレが実際に魅了を解除したのを、その目で確認出来たってのも悪くないわ」
そう言って労いの言葉をかける長井。
当人は全くと言っていいほど、労いの気持ちなど持ち合わせていないのだが、言われたコルトの方は満足気だった。
「さあ、それじゃアジトに戻るわよ」
「あ、それならまずコイツの手足をふん縛っておきやしょう」
「どういうこと? コレにはあの呪具を付けてあるのよね?」
「それが……。ソイツはその状態でも若干動くことが出来るようでして……」
「マジかよ!? そいつは凶悪な魔獣でも一発で大人しくさせられるって聞いたのによお」
コルトの話に驚きの声を上げたのはドヴァルグだった。
この場には長井の他にも、『流血の戦斧』からドヴァルグと奴隷ドワーフのドランガランも一緒に付いて来ていた。
この呪具〈黒縛呪〉はシュトラウス司祭より貸与された呪具だ。
呪具とは、マジックアイテムの中でも呪われているものや、使用者に害をもたらすものなどの総称である。
等級としては、魔法道具ではなく、魔導具クラスの能力を持つ〈黒縛呪〉は、ドヴァルグの言ったように、凶悪な魔獣を生きたまま捕らえる際などに用いられることもある。
長井の、"魅了の魔眼"の能力のことを知ったシュトラウス司祭が、自分よりレベルの高い、使えそうな男を見つけた場合、これで動きを封じてからジックリ魅了をかけてくれ、と言われて手渡されていたものだった。
「まさか、コレに使うことになるとは思わなかったけど」
「ん? 何か言いやしたか、姐御?」
「なんでもないわ。さ、もう終わったようだし、さっさと行くわよ」
北条の手足をキッチリと縛り、〈黒縛呪〉と麻痺毒のトリプルで縛られ、一人で歩くことも出来なくなった北条。
それからは、コルトよりも更に背丈の低いドランガランによって、北条は乱雑に運ばれることになるのだった。