第198話 忍び寄る悪意
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「悪魔が相手になるかもしれない……か」
『光の道標』のリーダーであるライオット・ギースは、お湯で少し戻した干し肉を噛みちぎりながら、誰にでもなくそう言った。
特に返事を期待してのものではなかったのだが、すぐ傍にいたオースティン・ティンダルの耳には届いていたようで、ライオットの呟きに反応する。
「悪魔など断じてこの世に存在していいものではないっ! 吾輩のこの手で八つ裂きにしてくれよう!」
オースティンはティンダル子爵家の三男であり、熱心なゼラムレット信者でもあった。
曲がったことが許せず、悪漢に対して正義感を振りかざす性格の男で、この度も悪魔相手ということで非常にやる気をみなぎらせていた。
「でも……、必ずしも悪魔が相手とは限らないんでしたよね? 最悪の場合は悪魔との戦闘もありえる、というだけで」
そう口を挟んだのは『司祭』であり、『付与魔法師』でもあるシャンティアだ。
自分の意見に水を差すようなことを言ったシャンティアに、一瞬オースティンが強い目線を走らせる。
彼ら『光の道標』を含む、今回《ジャガー村》へ派遣された人員の第一の目的は、魅了状態にある人々の解除と、"魅了の魔眼"スキルを持つという女性の確保であった。
そのため、さほど数の多くない【リリースチャーム】を使える者が三名もこの部隊には含まれており、シャンティアもその中の一人に含まれている。
ライオットの言っていた悪魔云々は、あくまで不確定要素であると、ギルドからは聞かされている。
しかし、悪魔に対して有効とされる、"光魔法"を使えるCランク冒険者を指名している辺り、ある程度は存在を確信しているのでは? とライオット達は睨んでいた。
なお、相手が相手であるので、悪魔と相対した場合無理して倒す必要はないとも言われていた。
一応低位の悪魔なら倒せると思われる陣容と、対悪魔用の魔法道具の貸与。それからすでに多くの冒険者が集まってきている、《ジャガー村》の方からも人員が追加されるということらしい。
だがそれも、中位かそれ以上の悪魔が相手となると、倒せるかどうかも怪しくなってくる。
なので、相手の悪魔が思いのほか強力だった場合は、無理せずに撤退して情報を持ち帰ってくるだけでも、報酬はきちんと支払われるようになっていた。
「フンッ! 何が相手だろうと切り刻んでやるわ」
盗賊職でありながら、剣で戦うのが好きという兎人族のエカテリーナは、オースティン同様に悪魔が相手であろうと、戦意は全く衰えていないようだ。
しかしその隣に座る羊鹿族の男性は逆の意見のようで、
「ワイは穏便に事が運べばええと思ってるんやが……」
「もう! ヴォルディはいつもそうよね」
「せやかてエカテリーナ。相手はあの悪魔かもしれへん。冒険者になろうって奴なら、誰しも奴らの凶悪さは耳にしたことある筈やで」
「だ・か・ら! いいんじゃない! そんな物語に出てくるような悪魔をズバッと切り刻む……。うぅー、今から興奮してきたわ」
「ハァ……。これやからバトルジャンキーは」
「何よ!? 強敵相手に戦うって男の本懐じゃないの? ほら。ベルタだって、女なのにやる気満々みたいじゃない」
そういってエカテリーナが視線を向けた先には、『光の道標』の残りの一人。人族の剣士、ベルタが既に食事を終わらせて愛剣の入念な手入れを行っていた。
ベルタは普段は無口であるが、戦闘時には進んで前線へと出て敵を切り刻んでいく。
そんな彼女にエカテリーナは一方的にシンパシーを感じていたが、実際ベルタがどのように思っているのかは、一番付き合いの長いエカテリーナでも知らない。
「おー、エクスキューズミー。ちょっといいデスかー?」
そのような話をしていると一人、神官服の上にローブを羽織った巨漢の男が、『光の道標』のキャンプの場所までやってきた。
この男は、シュトラウスという名のイドオン教の司祭で、短い間とはいえ共同で巨大な敵と対峙する同士として、この旅の道中に参加者と親交を築いていた。
『光の道標』の中では、特にオースティンが彼と交流を交わすことに熱心であり、度々二人っきりで会話をしているようであった。
今この場に司祭が尋ねてきたのも、恐らくオースティンが目当てだったのだろう。
「おお、これはこれはシュトラウス司祭。よくぞおいで下さった」
「皆さん、イート中に失礼するね。ちょっと彼と話があるのでレントさせてもらうね」
「ああ、どうぞお構いなく……。オースティン、夜番までには戻ってくれよ」
「分かっている。俺もすっかり冒険者として馴染んでいるのだからな」
この旅では集団全体として動くというよりも、目的地まではそれぞれの所属ごとに行動をしている。
従って、夜の見張りなどもそれぞれ自前で行っていた。
これが兵士を引き連れた軍隊であったら話は別だが、一時的な冒険者の依頼遂行程度なら、こういったパターンは珍しくない。
徐に立ち上がったオースティンは、「では行ってくる」と短い言葉を残し、シュトラウス司祭と共に、キャンプ地から少し離れた場所へと移動する。
といっても、視界に入る程度の距離なので何かあってもすぐに合流出来る程度の距離だ。
「フム。この辺りでいいね」
そう言ってシュトラウス司祭は何やら魔法を唱えた。
Cランク冒険者として、これまで魔術士の扱う魔法について、それなりに精通していたと思っていたオースティンであったが、シュトラウス司祭の使う魔法は聞き覚えのないものだった。
シュトラウス司祭は二人きりで話す際、予め毎回この魔法を使っているのだが、この魔法を使用すると、至近距離にいる他者に会話が洩れる心配がなくなるらしい。
こうしてシュトラウス司祭との密談を繰り返していたオースティンは、彼のパーティーメンバーが気づかない程に、徐々に、徐々に、変化を遂げていた。
きっかけは、オースティンがシュトラウス司祭から聞いた話だった。
偶然シャンティアの手荷物からこぼれ落ちた一枚の羊皮紙には、司祭の話を裏付けることが記されていたのだ。
そこには今回の依頼での要捕縛者である、ナガイと思しき人物からの指令内容や、敵方の現在の情報など、敵と通じてると思われる内容が記載されていた。
これでも同じゼラムレット信者として、同じ『光の道標』の冒険者として、何年も行動を共にしてきた彼女の背信。
幾ら証拠らしき手紙があろうと、通常であればオースティンも信じることはなかっただろう。
しかし、それまでに密かに薬や魔法などによって、思考を誘導されていたオースティンは、その場でシャンティアに問いただすことをせずに、ひっそりその手紙を持ち帰ってしまう。
そしてこの情報を持ち込んだ相手――シュトラウス司祭に相談を持ち掛けてしまった。
それからはまさにシュトラウス司祭の手のひらで踊るように、オースティンは日に日にシャンティアへの疑惑を強めていく。
「司祭殿。あの女めは、敵方に悪魔がついていることを否定したばかりか、戦うのを避けるよう誘導までしておりましたぞ!」
先ほどのシャンティアとのやり取りを思い出して、怒り心頭といった様子のオースティン。
彼にしてみれば、ただ悪魔側についただけの冒険者という点よりも、これまで長年付き合っていた仲間を裏切ったという点が、到底許容できるものではなかった。
「まーまー。落ち着くのデス。まずはいつもの心が落ち着くキャンディーでも舐めて、クールダウンするね」
「む、これは申し訳ない。彼奴めのことになると脳が沸騰しそうになってしまってな。有難くいただくとしよう」
そう言って、シュトラウス司祭から少し厚みのある、真っ赤なボタン型の飴を受け取るオースティン。
そして受け取るなり一刻でも早く口に含めたいとばかりに、そのまま流れるように自らの口に躊躇なく飴を運ぶオースティン。
「おぉょう……ほの飴は、なぁんともひえず、しゅばらひい味ですなあ」
それほどサイズの大きい飴ではないのだが、口に入れた途端、オースティンは舐め尽くすように猛烈にレロレロと舌を動かし始めたので、言葉もまともに発音できていない有様だった。
「ハハハ。落ち着いて舐めるといいね」
そう言いつつ、シュトラウス司祭は必死に飴を舐めるオースティンをにこやかな笑顔で見つめ続ける。
(やはり、こういったタイプの方が、堕とすのがベリーイージーね。ヒーに対してはもう下準備はオッケー。あの二人の方もノープロブレムだし、あと問題はジャイアントロックブレイクの奴らね……)
《ジャガー村》への旅の最中、あの手この手で策略を巡らせていたシュトラウス司祭。
しかし、未だに一行の中に、彼以外に、裏で進行しているこの事態に気づく者はいないのであった。