第170話 血に飢えたケダモノ
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「ぐっ……」
男の苦し気な声が《ジャガー村》の裏通りに小さく響く。
娼婦相手に無体をしていた石田は、駆け付けた娼館の護衛から同じような目に遭わされた後に、外に放り出されていた。
相手は石田と同じ冒険者であり、一時的に護衛として雇われていたEランクの冒険者だった。
同じ冒険者として、自分たちの評判にも響く行為をしていた石田に対しては、職務だけでなく個人的見地からも許せるものではない。
その分念入りに教育されていた石田だったが、浴びせられる言葉と肉体による暴力に屈することもなく、終始憎悪の目を相手の男に対して向けていた。
今は暦の上では明水の月から暗火の月に向かっている所で、夏の一歩手前といった辺りだ。
そのため地面に這い蹲っている石田は無理をせず、体が動かせるようになるまで怨嗟の言葉を吐きつつ堪える。
これが冬場だったら凍傷にでもなっていたかもしれない。
石田はしばしそのまま倒れ伏した状態でいるが、誰も声を掛けてくる者はいない。
元々裏通りということもあって人通りは少ないとはいえ、場所柄的にどういう目にあったのかを想像し、接触を避けたいという人が大半なのだろう。
「ころ……してやるッ……」
やがて体を動かせるようになった石田は、ボソリとそう呟くとフラフラになりながら歩き始める。
その足の向かう先は、異邦人達が今暮らしている寮ではなく、拡張地区にある教会が並んでいる場所だ。
先ほど石田が娼館を利用していたように、異邦人達はそのランクには見合わないほどの金を稼いでいる。
それはほぼ独占状態で潜っていた頃に、いくつも宝箱を発見していたからでもあるのだが、単純に魔物を多く倒して地道に稼いでいる分も多いのだ。
この世界の冒険者は魔物と戦うのも仕事の一部ではあるが、だからこそ無理をせずに、程々の魔物を程々の量で狩って、暮らしているような者も多い。
逆に、強さを求めて魔物との闘いを追求しすぎると、取り返しのつかない失敗がいつか訪れるものなのだ。
故に、ダンジョン探索で宝箱を発見して大きな稼ぎを得たら、一か月位遊んで暮らすような冒険者も多い。
そうした一般的な冒険者からすると、異邦人達の探索ペースはかなりのものだと言える。
石田も外見は大分ボロボロにやられていたが、身ぐるみはがされたという訳ではなかった。
手持ちの荷物や金は大体〈魔法の小袋〉に収納していたので、それさえ奪われなければ一先ずは安心だ。
よろよろとした足取りで教会の建物の近くまでたどり着いた石田は、そこで丁度建物から出てきた女に気が付く。
「……アンタ、それどうしたの?」
建物の中から出てきたのは、石田と同じくどこぞに出かけていた長井だった。
「すこし……」
長井の問いかけに答えようとする石田だったが、顔にも良いパンチをもらって口の中を切っていたせいか、上手く言葉が回らなかった。
「ハァ……。いいわ、とにかく中に入りなさい」
蔑むような声でそう告げてくる長井。
他の人に同じような態度をされたら、心の中の復讐リストに書き連ねている所なのだが、何故だかこの長井に対してだけは別で、石田はそういった気持ちも抱かずに、大人しく従っている。
「おや……? どうされましたか?」
長井がボロクソ状態の石田と共に再び教会の中へ入ると、このイドオン教会の教会長である高齢の男性が話しかけてくる。
そして酷い状態の石田を見て心配そうな表情を浮かべる。
「ちょっとコイツの治療をしてやってくんない? それと、そのボロボロの衣服の代わりも用意して」
長井がそう伝えると、教会長自らが"神聖魔法"を行使して石田の傷を癒していく。
それから手隙の者に頼んで石田に合うサイズの服も用意させる。
「ちょっと場所借りるわ」
教会長というだけあって、それなりに"神聖魔法"にも精通していたようで、すっかり回復した石田と共に、長井は小さな部屋へと移動する。
本来ならば、教会での"神聖魔法"の行使には寄進を求められ、より効果の高い魔法を使用すれば、その分払う金額も上がっていくものだ。
だというのに、教会長はそういったことを一切気にすることなく、長井らが話し合うための場所まで提供している。
石田も流石に疑問に思いながらも、大人しく長井の後に続く。
「で、どうしたの。それ」
その小さな部屋は、椅子が四脚とテーブルが一つ置かれただけの空間だった。
他に家具類は設置されておらず、窓がないためか照明用の魔法道具だけが設置されている。
部屋に入るなりさっさと照明の魔法道具を付けて椅子へと座った長井は、端的にそう尋ねる。
「これは……その……」
他の人物相手なら悪びれることもない石田だが、長井が相手となると別だ。しかも、問題を起こしてしまったという自覚だけはあったので、その口は重い。
しかしそのまま黙っているという選択肢も取れず、ポツポツと先ほどの出来事について石田は語っていった。
「……全く、アンタときたら」
心底呆れたといった長井の声を聞くだけで、石田はビクッとした反応を見せる。
これまで誰に忖度することなく生きてきた石田からすると、それは初めての経験だったかもしれない。
石田の報告を粗方聞き終えた長井は、しばし目を閉じて考えを巡らせる。
「……予定では……。……けど、ここで矛先を少し変えても……。意外と、娼館というのも重要……?」
などといった声が長井の口から時折漏れている。
しばらくして考えがまとまったのか、地獄の沙汰を待っているかのような石田に、長井は声を掛けた。
「もうやってしまったことは仕方ないわ。私の方から娼館には手を回すから、今後は迂闊な行動は辞めなさい。女については……とりあえず奴らにも話をしてみるから、それまで我慢なさい」
石田の瞳を見つめながら長井が沙汰を下していく。
対する石田も、吸い込まれるように長井の瞳に視線を合わしており、夢遊病者のように漫然と首を縦に振っている。
「それで、丁度いいからアンタにも今の状況は伝えておくわ」
丁度いい機会だからと、長井は現在の状況についてを石田に伝えていく。
既に長井の影響下にある石田であったが、今までは『流血の戦斧』と手を組んだということくらいしか知らされていなかった。
下手に情報を伝えると、態度やなんかに現れてしまう恐れもあった為だが、逆に状況を知らないことで、今回のような揉め事を起こされるのも困りものだ。
既にこの《ジャガー村》では、幾人も長井の影響下に入っている者がいるのだが、それでも今回の件はもしかしたら北条ら他のメンバーにも伝わる可能性はある。
そうなると予定を変更する必要も出てくるので、なるべくなら今回の件はもみ消しておきたい。
本来人に従うような性格をしていない石田であったが、今回改めて念を押したことでしばらくは抑えておけるだろう。
あとはもう少し、ギルド方面にも深く斬りこめれば……。
長井はそんなことを考えつつも、今回の石田の失態をも好機に変えようと、予定を変更して動きはじめた。
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「ああん? 潰れてもいい女が欲しい、だと?」
長井が山小屋を訪れた時、丁度彼ら『流血の戦斧』も村に戻っていたようだ。
そして長井からの要件を聞いたドヴァルグは、現在進行形で犯している目の前のブロンドの女に目を移す。
「こいつは気に入ってるからやるつもりはねーぜ」
先ほどからドヴァルグに好き勝手にされているブロンドの女の眼には、既に生気といったものが感じられない。
目の前の現実を受け入れられないのか、ただひたすら肉体を襲う感覚に応えて獣のような声を上げるのみだ。
「別にソレじゃなくてもいいわ。また適当に攫ってきた女で構わない」
今ドヴァルグが犯している女は、ダンジョンで捕えた女冒険者などではなく、《ジャガー村》へ向かう途中だった商人一家の一人だ。
家族で商機を求めて《ジャガー村》へと向かっていたこの一家は、運悪く『流血の戦斧』に目を付けられて、目の前のブロンドの女以外は全て殺されてしまっている。
「ちっ、今は街道を襲うのはリスクあるからあんまやりたくはねーんだが……アンタが言うんなら仕方ねえな」
ヴァッサゴらはこれまでサルカディア内で冒険者を襲うことはあったが、人を生きたままお持ち帰りすることはなかった。
中で散々楽しんだ後は、もったいないが殺して身ぐるみを剥いでいる。
それは移送するのに人目に付くわけにもいかず手間がかかる為でもあったが、何より管理する人間がいなかったからだ。
しかし現在は長井の影響下にある者も増え、この山小屋に常駐する人員も確保できている。
彼らにこの小屋の管理と、攫ってきた人間の管理を任せられるようになってから、すぐに先ほどの商人一家の襲撃は実行された。
今では管理する人員だけでなく、大工仕事のできるものを集めては、山小屋の拡張工事まで進められている。
「あの女が生きていたら良かったでヤスねえ」
ドヴァルグのおこぼれをもらうかのように、同じく女を犯していたコルトが会話に加わる。
「ああ。確かにありゃー惜しかったが……、ヴァッサゴの奴もいい加減溜まりに溜まってたんだろうよ」
二人が話しているのは、今犯している女の母親……四人家族であった商人の妻のことだ。
最初はその女も一緒に攫う予定だったのだが、襲撃時に流れた血を見て暴走してしまったヴァッサゴによって、文字通り肉の塊になってしまった。
母親がいくら泣き叫んでもヴァッサゴはその手を止めることはなく、その様子は石田が娼婦にしていた暴行の数倍、数十倍は酷い状況だった。
当の母親本人も、冒頭の二、三分でとっくに息の根を止めている。
元々力を加減しようというつもりもないヴァッサゴは、動かぬ躯となったモノを執拗に殴り続けた。
……いや、本来のヴァッサゴのステータスからすると、これでも加減はされているのだろう。
本来の力で殴っていたら、十分もしない内に殴れる状態ではなくなってしまうほどの力があるのだ。
狂気に侵されているような状況ながらも、目の前のオモチャが完全に壊れないように、本能的に力を抜きながらのヴァッサゴの凶行は数十分にも及んだ。
その凶行を目の前で見ていた娘は、失禁して意識を手放し、息子であるまだ八歳位の男の子は、止めに入ろうとして暴力の嵐に晒され、母親と同じく肉塊となり果てた。
「血狂」というヴァッサゴの二つ名の通り、一度スイッチが入ったヴァッサゴは仲間であるドヴァルグらですら迂闊に近寄ることは出来ない。
しばらくして、まるでさっきまでの凶行が嘘であったかのように、ヴァッサゴは冷静に後始末の指示を出し、その場は撤収していた。
「ま、過ぎちまったもんは仕方ねえ。何とかするぜ」
「そう。じゃあ後は任せるわ」
石田に宛がう女のアテが出来た長井は、ドヴァルグにそう言いながら、別の部屋で武器の手入れをしていたヴァッサゴと、情報の共有を始めるのだった。