第169話 顕在化していく問題
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「……ふむ、なるほど」
サルカディアから帰還した信也らは、現在『女寮』にて集合していた。
そして壁に掛けられたホワイトボードの伝言を読み終えた信也は、小さな声で呟く。
他のメンバーもざっとホワイトボードに目を通しており、大まかな内容は全員把握していた。
「おー、新しいエリアか! 気になるっちゃ気になるけど、人おおそーだなあ」
好奇心を隠そうともせずウキウキした様子の龍之介。それに対してメアリーと慶介は特に何か言葉を発することなく静かにボードを眺めていた。
元々積極的にベラベラと喋るタイプでもないこの二人だが、ここ最近は以前にも増して発言が減った。
その表情はそれぞれ何か思いつめたようでもあり、何か悩みのようなものを抱いているようでもある。
しかし二人がそんな様子だというのに、龍之介はいまいちその辺を把握してないのか、今日もいつも通り元気一杯である。
「一体どれだけの数のエリアがあるのか、気になるわね」
大人しくなってきたメアリーと慶介の代わりに、長井はすっかり普通に会話に加わるようになってきている。
時折龍之介と言い合う場面もあるが、今のところ大きな問題を起こすことなく同じパーティーメンバーとして活動を続けていた。
大森林エリアを探索していた北条達とは別で、信也達は五層の北西部分にある下り階段の先、石造りの地下迷宮エリアを突き進んでいる。
そのエリアは十一層、十六層、二十一層と五層ごとに迷宮碑が設置されており、更に十層と二十層には階段が二つあってそれぞれ分岐していた。
「ああ。この迷宮のどこかに俺達の探している三種の神器があるハズだが、まだまだ足りないモノは多い」
すでに、サルカディアへと潜り始めて二か月程が経過している。
だが未だダンジョンは広がりを見せており、先がどうなっているのかは未知数だ。
それに加え、最近は別の問題も発生していた。
「そうね。今のままだと二十一層の先はきついわ」
彼らの探索している石造りの地下迷宮エリアの最深記録は、迷宮碑が設置されていた二十一層となっている。
そこで少し探索をしたのだが、出てくる魔物のランクが大分上がってきており、戦闘が厳しくなっていた。
彼らはまだ帰ってきたばかりなので、二十一層に現れた魔物の詳細について詳しく把握はしていなかったが、それら魔物のランクはDランクが大半を占めるようになっていたのだ。
「ぬうう……。確かにあんだけ魔物がつえーと、ろくに探索もできねーな」
肩を落とし、悔しそうな様子の龍之介。
特に今、龍之介の脳裏に浮かんだのはとある一匹の魔物……頭部に二本の立派な角を生やした、大きな亀の魔物だった。
そいつは一匹で現れたにもかかわらず、結局倒すことができずに逃げ帰った相手だ。
亀の甲羅の防御力がかなり高く倒しきることが出来そうにない上、時折使ってくる高速のタックルが厄介だった。一度マトモにその攻撃を食らった信也がダウンしたこともあって、撤退が決行された。
幸い動きはそこまで速くなかったので、逃げおおせることには成功する。
「私たちも、向こうの連中と同じように探索場所を変えるか、階層を戻ってレベルを上げるかってとこね」
前回ステータスを確認した際に、北条達とはレベル差がついてしまっていた。
その為、信也達はここ一か月の間、前に前にと進んできたのだが、この辺りが限界らしい。
「あんま、戻りたくはねーんだけど……仕方ねーか」
強気な龍之介でも、このまま先に進むのはきついと判断していた。
それから信也と龍之介、それから長井がメインとなって話し合いは進められた。
メアリーと慶介は僅かに疑問を口にする程度で、あとは話し合いの流れを黙って見守っている。
そして結局の所、一旦十一層にまで転移で戻ってから、十層の分岐の先を進むということに決定した。
「私が調べた所によると、地下迷宮エリアの十層の分岐先は、同じ石造りの迷宮だけど、罠が多くなるらしいわ」
そこまで深い階層ではないこともあって、既に幾つかの冒険者たちはその階層にもたどり着いているらしい。
冒険者ギルドでは、現在こうしたダンジョンに関わる有象無象の情報が溢れている。
中には完全な嘘っぱちや、正確ではない情報も混ざっているだろう。しかしこうした情報を全く調べずにダンジョンに向かうのは無謀というものだ。
「よし。では今日、明日は休みにして、明後日から十層の分岐先を探索する。解散だ」
信也が最後に締めの言葉を述べて、話し合いは終わる。
メアリーが今回決まったことを、北条達への伝言としてホワイトボードに書き始めると、他のメンバーは建物を出て去っていく。
女寮の中なので、龍之介や信也達が出ていくのはいつものことだが、長井まで一緒に外に出て行ってしまった。
残ったのはメアリーと慶介だけだ。
「あの……」
それまでろくに言葉を発していなかった慶介が、おずおずといった様子でメアリーに話しかける。
彼女は今ホワイトボードへの伝言を書き終えてから、テーブルに今回探索した範囲のマップを広げて、身内用に書き写し始めたところだった。
「何かしら?」
ひとり残って深刻な様子の慶介に気づいたメアリーは、筆を置くと、慶介へと向き直る。
「あの、その……、何というか、最近みんなの様子、おかしくないですか?」
恐々といった様子でそう尋ねる慶介に、メアリーはジッと慶介を見つめて一呼吸置く。
それから彼女の口から発されたのは、同意を示すものだった。
「……そう、ね。私も、具体的に何がっていうのは分からないんですけど……」
「や、やっぱり……」
疑問に思っていたのが自分だけではないと知って、少し安心した様子の慶介。
しかし、結局の所どこが問題なのかが分からず、この日、二人の抱いた漠然とした不安が解消されることはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
《ジャガー村》は日々拡張工事を続けており、今では宿屋や各種商店も軒を連ね始めた。
新しく来た住人の為の家も、未だに途切れることなく作られ続けていて、徐々にテント暮らしの人の数も減ってきている。
そんな開発著しい村の裏通りを一人の男が歩いていた。
それは先ほど話し合いが終了し、皆と別れた後にそのまま村へと向かっていた石田の姿だった。
石田は陰気そうな目つきをしながら、村の裏通りを歩いていく。どうやら、目的地は決まっているようで、その足取りはしっかりとしていた。
「…………」
やがて、一軒の建物の中へと入っていく石田。
そこは《ジャガー村》に出来立てホヤホヤの娼館だった。
冒険者には荒くれ者も多く、そういった者たちの鬱憤の晴らし場所として、こういった場所は一役買っている。
尚、ここは領主公認の娼館であり、《鉱山都市グリーク》にて根回しだので上手く立ち回った商会が見事権利を勝ち取って、《ジャガー村》最初の娼館として出店していた店だ。
なので、ここ以外にも非公認の娼館や路上に立つ女もチラホラ見受けられ始めている。
店内のカウンターで受付の男と話し、金を払った石田は指定された部屋へと案内される。
一応公認娼館のせいなのか、この世界の基準としては悪くない部屋に石田は通される。
この世界では仕切りもなく、部屋とも言えないような小さな場所で、周囲からの他の客の声を聞きながらコトを済ますような娼館も珍しくはない。
それらと比べたら、ここはきちんと部屋がドアで仕切られていて、藁の上にシーツを乗せただけとはいえベッドまで備え付けられている。
少しして部屋にやってきた女は、石田的にはタイプとは程遠かったが、それでも禁欲的な生活を続けていた石田からしたら、既に我慢の限界だった。
「キャッ……。ちょ、ちょっと。あんま乱暴なのは……」
ベッドへと乱暴に押し倒された娼婦が非難の声を上げるが、聞く耳を持っていないといった石田は構わずコトを続けていく。
日本で暮らしていた頃は金がなかったこともあって、そこまで風俗にのめりこんではいなかった石田。
だが、こちらに来てからは、生と死が隣り合わせの生活を続けていたせいか、最早歯止めが効かなくなっていた。
「アアッ! ウッ、ウウアアアアアアアッッッ!」
娼婦が大きな声を上げる。
しかしそれは快楽によってもたらされたものではなかった。
女のいうことも耳に届かず、興奮を高めていった石田の所業によるものだ。
初めは少し乱暴ではあるが、荒くれ者とも向かい合うことの多い娼婦からするとまだ許容範囲内ではあった。
しかし、次第に抑えが効かなくなってきたのか、人としての尊厳を貶めるような罵詈雑言を延々と吐き続けた。
そしてその余りの酷さに、娼婦の女が言い返した所、
「うるさいっ! 黙りやがれ!! いちいち便器が口を利くんじゃねえっ!」
そう言って女の腹を殴打した。
「ゴボァッ!?」
後衛職とはいえ、レベル二十代になっている石田の力は、一般人のそれと比べて雲泥の差がある。
相手がただの一般人であれば、プロボクサーに殴られるのとそう変わらないだろう。
「おっ! 今のいいぞ。こうか? こうかっ!?」
どうやら殴った瞬間の女の反応が良かったのか、続けて女を殴っていく石田。
その顔は醜悪に歪んでいて、娼婦が苦しそうにしている様子を見る度に、心の中のモヤモヤが晴れていくように感じていた。
本能的に、二発目からはすぐに壊れないように力を加減して娼婦を殴り続けていた石田。
それは、女の尋常ではない叫び声を聞いて駆け付けた娼館の護衛が、部屋に駆け込んでくるまで続けられていた……。